メキシコ移民12000人

移民年表の手法

 日本からメキシコへの移民はどれぐらいだったろうか。一八九七年のいわゆる榎本移民は特別なものとして除くと、移民会社によるものは、熊本移民合資会社、東洋移民合資会社、大陸殖民合資会社の取り扱いによるものがほとんどで、あと一つ、海外興業株式会社によるバハ・カリフォルニアへの漁業移民があるだけである。

 最初は一九〇一年十一月の熊本移民合資による八十二人だった。北部コアウィラ州にあった鉱山ラス・エスペランサスとフエンテに入っている。その後、同社は十二回にわたり送り込むのだが、一九〇四年からは東洋移民合資も加わって、ラス・エスペランサスを中心に前後十二回、送出数は両者合わせて約四千三百人にのぼっている。

 一方、大陸殖民は、南部ベラクルス州のオハケーニャ、ブエナ・ビスタといった砂糖耕地と中部太平洋岸コリマ州のコリマ鉄道に集中して送り込んでいる。一九〇四年の第一回から一九〇六年四月の第七回までは合わせて五百五十六人と少ないが、その後、同年十月の第八回移民は千二百五十四人、十二月の第九回移民は千三百四十五人、そして翌一九〇七年四月の第十回移民は千二百五十二人、と急増する。総数四千四百七人。だが、これで終わっている。

 この三社による移民総数は約八千七百人にのぼるが、その九割近くが一九〇六、七年に集中している。

 移民会社による移民は、移民会社が外務省に提出義務のあった「移民名簿」が残っているためその数はかなり正確につかめる。ところが、メキシコの場合は、移民会社による送出時期が短期だったため、その後の数は、呼び寄せと単独渡航をたどっていかなければならない。

 それはいわゆる「移民年表」で数字は追える。各都道府県庁が旅券申請をもとに移民数を移民先別に外務省通商局に報告していたもので、一九〇〇年からの数字はわかっている。ただ、移民会社の分が記載区分されていないうえに、各都道府県別だから全体数をつかむことは容易でない。

 ところが一九〇九年以降は、兵庫県庁と神奈川県庁の報告をもとに外務省通商局が神戸港と横浜港からの出国者数を都道府県別、移民先別に一覧表にしたものが作成されている。これは、出国者数がベースだから移民会社によるものも含まれ、さらに、移民会社によるもの、自由渡航の区分もされている。最後は一九四三年まで作成されているが、四二年、四三年は戦時中だったからか、不完全なままになっている。

 けれど、ともかくこれによって概数はつかめるわけで、メキシコの場合、一九〇九年から四一年までに、移民会社によるものが男性五十七人、自由渡航者、つまり呼び寄せあるいは単独渡航者が、男性二千七百八人、女性七百五十三人で、合わせて三千五百十八人となっている。もちろん、これには再渡航者も含まれ、また、単にメキシコ経由のものも含まれている。だが、それらを勘案しても、メキシコへの移民(戦前移民)は約一万人から一万二千人前後と考えていいだろう。二万六千人を超えたペルー移民や十八万人を超えたブラジル移民と比べればわずかだが、時期的な集中度からみればいずれにも劣らない規模のものだった。(1994年4月記)

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