■京都人は日本一薄情か■

kyotojin wa nihonichi hakujyo ka

京都人は日本一薄情か

 家を出て小僧に入ったのが、京都、紫野大徳寺。ただ、最初から逃げるつもりでしたから自分で自分が厄介でした。嫌で、嫌で、朝寝坊をしたり、作務を愚図ったり、二年待ったら機会がやって来ました。ある朝、いつものように朝課に遅れ、本堂に走ったら「出ていけ!」と一喝、破門されました。戸惑いはしたがうれしかった。それからぼくの放浪がはじまりました。友だちの家、担任の家、兄の下宿、知り合いの不動産屋の事務所の二階、と京都の街を西へ東へ転々としてようやく御所の近くにしばらくの居場所を見つけました。大変でした。けれど、おかげでぼく流の京都案内が書けるようになりました。『京都人は日本一薄情か』(文春新書、2005年)。「落第小僧だからこそ書けることもあるでしょう」と、文春の宇田川眞さんが誘ってくれました。和尚も多分、最初から、ぼくの性根をわかっておられたのでしょう、よく拾ってくれたといまはほんとうに謝するばかりで、京都に出かけたら、忘れず門前に手を合わせるようにしています。立花大亀宗雄、ぼくの和尚でした。

↓epub版

↑戻る