■目で見る移民史■

historia de emigrantes por grafo

 移民史をグラフを使って解説します。まだ作成途中です。気長に見守ってください。

Explicaré la historia de la emigración usando gráficos.

 東京・麻布の外務省外交史料館に「移民年表」という資料があります。各地方長官(知事)が、毎年、その府県からの移民数を外務省の通商局長宛に報告した記録です。どの国へ何人移民したか、移民会社による契約移民とそうでない自由移民を男女別に報告していました。それが「移民年表地方長官ヨリ進達ノ一件」として綴られていて、全部で11巻あります。1901年(明治34年)にはじまり、日米戦争がはじまった1941年で終わっています。この報告の移民数を年毎に一覧表としてつくられたのが、ここで取り上げる「移民年表」です。年毎に各府県と移民国を両軸にとった、広げると事務机いっぱいになるほどの大きな統計表で、一目で移民数の変遷が数字としてわかります。それをここではグラフにしてもっとわかりやすくしました。ただ、残念なことに、一覧表は1909年(明治42年)からしかつくられていません。それ以前、元年者がんねんものと呼ばれる明治初年のハワイ移民から1908年までの一覧表は、もとになる「移民年表地方長官ヨリ進達ノ一件」の文書から数字を抜き出してつくるしかありません。しかし、作業がたいへんで当時(30年前)のわたしには挑戦しきれませんでした。そのため、ここでの掲載も1909年以降のものです。
 日本人移民の概略については、「移民年譜」に詳しく載せていますが、1868年の元年者のあと、1885年には官約と呼ばれる政府主導の本格的なハワイ移民がはじまり、それがカナダ(ブリティッシュ・コロンビア)、アメリカ本土へと広がり、92年にはニューカレドニア、オーストラリア(クインズランド)、93年にはグァテマラ、94年にはフィジー、そしてカリブ海のグァドループと移民先は拡大していきます。しかし、この頃からアメリカでの移民の入国制限が厳しくなったため、移民会社によって新たに移民先が開発され、97年のメキシコ移民(榎本えのもと移民)のあと、99年にはペルー移民がはじまり、1904年からはメキシコ移民が本格的になり、08年にはブラジル移民がはじまります。ここで取り上げるのはそれ以降のものです。つまり、日本人移民史の中期半ば以降の様子ということになります。ハワイ、アメリカ、カナダへの移民が下火になり、メキシコ、ペルーへの移民は最盛期を過ぎ、ブラジルを中心として、キューバ、ボリビア、チリ、コロンビア、パラグァイ、そしてフィリピンと続いて日米戦争で終わる、そんな時代です。
「国別移民数の変遷は」アルゼンチン、オーストラリア(クインズランド)、ボリビア、ブラジル、ニューカレドニア、カナダ(ブリティッシュコロンビア)、チリ、コロンビア、キューバ、アメリカ、フィリピン、ハワイ、メキシコ、パナマ、パラグァイ、ペルー、サハリン(樺太)の数字です。もちろん移民年表にはそのほかの国、タイ、ベトナム、インドネシアやアフリカの国々への記録もありますが、単独の自由移民が中心だったため、ここでは取り上げていません。また、1932年からはじまった満州移民も数としては多いのですが、政府主導の国策移民であり、移民会社による、いわゆる移民とは性格が異なるため、同様に取り上げていません。
「府県別移民数の変遷」はメキシコとペルーの二国に限った数字です。「国別移民数の変遷」で取り上げた国を合わせた数字ではありませんから注意してください。ほかの国についても取り上げたいのですが、入力、整理にかなりの時間がかかるため、いまのところ予定はありません。ただ、メキシコとペルーは、アメリカやカナダ、ハワイへの移民が制限されたあと、その代替地として移民会社が全国に募集をかけた移民だったことから、どの府県からの移民が多かったか、いわゆる移民県を知るには大凡の目安になると思います。

国別移民数の変遷
府県別移民数の変遷

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