■目で見る移民史■

アルゼンチンへの移民数の変化

 一八八六年に、神奈川県三浦出身の牧野金蔵がブエノス・アイレスでイギリス船から脱船したのが日本人移民の最初とされている。その後、一九〇六年に、福岡庄太郎、緒方義雄らが、〇七年に、佐伯亥九二、大関昌之佐、宮村力蔵、中西信清らが入ったあと、〇八年に、星清蔵(福島県)、山中助次郎(熊本県)、石田納助(鹿児島県)、知念政次、仲里新忠(沖縄県)、楠木登一(広島県)らがブラジルから転航、さらに〇九年には、前年にブラジルに入った笠戸丸移民のうち百六十人が転航している。増加したのは一九二五年からで、高島屋のブエノス・アイレス支店長をしていた石井忠吉が、パラグァイに近い北部のチャコ州サエンス・ペーニャに棉花農場を開いて日本人移民十数人を入植させたのがきっかけで、日本からの直接移民も年間百人を超えるようになっている。三五年から急増しているのは、移民制限が厳しくなったブラジルに代わる送出先として、日本政府がアルゼンチンへの移民を奨励したから。

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