■目で見る移民史■

チリへの移民数の変化

 チリへの最初の日本人移民は石橋禹三郎うさぶろうとされている。一八六九年に長崎の平戸に生まれ、東京に出たあと八八年にアメリカ西海岸のオークランドに渡ってハウスボーイをしていた。チリでは七九年に、硝石鉱山の所有権をめぐってペルー、ボリビアとの間で太平洋戦争がはじまり、イギリス資本の後押しで八四年にチリの勝利で終わっているが、その後も政情不安がつづいて九一年には内戦が起こっている。その反政府勢力への義勇軍にアメリカから参加したのだった。だが、病気で半年足らずでアメリカに戻っている。だから、この人を移民とするのはちょっときびしい。はっきりとした移民が入っているのは一九〇七年九月のことで、これは日本からの直接渡航ではなく、ペルーからの転航者だった。その数五十六人で、砂糖耕地からの逃亡だった。そして三年後の一〇年三月には千田平助が入っている。初期移民としてよく知られた人で、バルパライソで雑貨の行商をしていた。日本人といえば公使館員のほかに実業生が一人と柔道の指導者が二人と屏風職人が一人いるだけだったらしい。その後、グラフのようにわずかずつだが渡航が続いて三四年には六百三十八人の日本人が在留していた。

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