ブラジルの場合

*1500.4.24. ペドロ・アルバレス・カブラルの一隊、現在のバイア州南部に碇泊。「ブラジルの発見」とし、ポルト・セグロと命名。
*1533... ブラジル(サン・ビセンテ)に最初の黒人奴隷が送られる。正式なポルトガル国王の許可を得て「輸入」されるようになるのは1549年から。
*1534... ポルトガル王室、マデイラ諸島の例にならい、砂糖産業をおこすためにカピタニア制(世襲領主制)をブラジルに導入。
*1549... トメ・デ・ソウザが総督としてバイアに渡り、ブラジルの総督統治がはじまる。
*1550... 16世紀後半以後、コンゴ、アンゴラからブラジルへの大規模な黒人奴隷の導入はじまる。
*1554.1.25. サン・ビセンテから約70キロ離れたピラティニンガ高原にイエズス会士インディオ教化のためにサン・パウロ学校を設立。(ブラジル)
*1612... フランス人、マラニョンにルイ13世にちなんでサン・ルイス植民地を設立。しかし、1615年ポルトガルに撃退され北方に逃れてギアナを占領(仏領ギアナのはじめ)
*1808.11.. ブラジルのポルトガル王室、ブラジルへの外国移民の入国と土地所有を認める。工業の自由化と貿易開放を行なう。
*1822.9.7. ポルトガル皇太子ドン・ペドロ、サン・パウロ郊外イピランガの丘でブラジルの独立を宣言。リオに戻り戴冠式を行ない皇帝ドン・ペドロ1世を名乗る。1831年4月7日、民衆暴動と近衛兵の反逆で退位。
*1824... ブラジルに最初のドイツ移民。
*1825.12.10. ブラジル、アルゼンチンに宣戦布告。アルゼンチンは26年1月1日。
*1828.8.27. ブラジルとアルゼンチンとの間に講和条約が締結され、ウルグァイの独立が確定する。
*1831... ブラジルのコーヒー農園への移民(コロノ)増加。
*1850.11.. ブラジルで黒人奴隷輸入禁止令が9月議会を通過、公布される。
*1854.4.30. リオ・デ・ジャネイロのマウア、ペトロポリス間にブラジル最初の鉄道開通。
*1864.11.14. ブラジル、パラグァイに宣戦布告、パラグァイ戦争(三国戦争)はじまる(~1870)。ウルグァイのフロレス革命を援助したブラジル軍のウルグァイ侵入に呼応し、パラグァイ軍はブラジルのマットグロッソ南部を占領し開戦。
*1865.5.1. ブラジル、アルゼンチン、ウルグァイ、3国同盟締結。
*1876... ブラジルへのイタリア移民、年間約7000人に急増、翌年、1万3000人を超え首位に立つ。
*1877... ブラジル北東部地方で干ばつがつづき、アマゾン地方への移動が増加。ゴム産業に従事。
*1881... このころから、コーヒー景気のブラジルにヨーロッパ移民が増加。
*1884... ブラジル、サン・パウロ州で、移民の渡航費の全額州負担などを規定した新移民法制定。
*1884.3.25. ブラジルのセアラで奴隷解放。以後、7月10日、アマゾナス、9月18日、リオ・グランデ・ド・スルとつづく。
*1886... ブラジルのサン・パウロ州、移民促進協会を設立し契約移民の大量導入を図る。
*1888... 1886年前後から3万人を超えていたブラジルへの移民、奴隷制廃止のこの年、13万2000人を超え、19世紀末まで毎年平均10万人台がつづく。
*1888.5.13. ブラジルで、奴隷解放法案、議会を通過。以後、外国人移民の導入はじまる。
*1889.11.15. ブラジルで、フォンセカの軍事クーデター。ブラジル共和国の樹立を宣言。
*1889.11.19. ブラジル、国旗を制定。
*1890.6.28. ブラジル、アジア人の入国を禁止(法令528号)。
*1891.2.24. ブラジルで連邦共和国憲法制定され、フォンセカ、初代大統領となる。11月23日、海軍のクーデターで追放される。
*1892.10.5. ブラジル、日本人移民の入国を許可。
*1896... このころコーヒーの過剰生産と価格の暴落で「第1次コーヒー危機」はじまる(約10年)。1905年の滞貨66万トン、年間世界消費高の約7割。輸出価格は1907年にどん底となった。「第2次危機」は1929年の世界恐慌の煽りをくったもの。『ブラジル史』255
*1897.8.22. ブラジル、リオ州ペトロ・ポリスに日本公使館開設(弁理公使珍田捨巳)。1915年8月閉館。
*1902.3.. イタリア政府、ブラジル行きコロノ移民(契約移民)の出国を禁止する。コロノの大部分がイタリア移民であったためファゼンデイロの打撃が大きく、日本人移民導入のきっかけになる(『ブラジル史』259頁)。
*1906... ブラジルでコーヒー恐慌。外国移民激減。
*1906.8.. 明穂梅吉がブラジルに入る。53年12月13日死亡。
*1906.9.24. 藤崎商会、サンパウロに支店開設。
*1907.4.14. ブラジル政府、植民法制定(大統領令6485号)
*1907.9.. 水野龍、サンパウロ農務長官との間に、3カ年、3000人の移民導入に 調印。
*1908.4.28. 第1回ブラジル移民(皇国植民取扱791人、うち契約移民781人、自由移民10人)が神戸出発(笠戸丸)。6月18日サントス着。水野龍と上塚周平が同行。
*1908.5.3. 3月27日、東京を発った加藤順之助、嶺昌、仁平嵩、大野基尚、平野運平らがシベリア経由でサントス到着。
*1908.10.1. 日本人移民がはじめてノロエステに入る。トレード・ピーザ近郊のサン・ジョアキン農場。
*1909... この頃、星名謙一郎がブラジルに入る。26年12月12日死亡。
*1910.5.4. 第2回ブラジル移民(第1回竹村植民商会取扱251家族945人)が旅順丸で神戸出発。6月28日サントス到着。
*1910.11.12. 東洋移民合資、サンパウロ政府と移民契約締結。
*1911.2.4. 日本人移民5家族がソロカバナ線モンソン第1植民地に入る。日本人移民最初の土地所有者。
*1912.3.3. 第3回ブラジル移民(竹村第2回1432人)が厳島丸で出発。4月28日サントス到着。
*1912.3.10. 第4回ブラジル移民(東洋第1回1412人)が神奈川丸で出発。4月25日サントス到着。
*1913.3.5. 第5回ブラジル移民(竹村第3回1506人)が第二雲海丸で出発。5月7日サントス到着。
*1913.3.10. 東京シンジケートの青柳郁太郎が東京にブラジル拓植株式会社を設立。
*1913.3.30. 第6回ブラジル移民(東洋第2回1588人)が若狭丸で出発。5月15日サントス到着。
*1913.8.28. ミナス・ジェライス金鉱への107人がフランス号でリオ到着。
*1913.8.28. 第7回ブラジル移民(竹村第4回1946人)が帝国丸で出発。10月24日サントス到着。
*1913.9.12. 第8回ブラジル移民(東洋第3回1808人)が若狭丸で神戸出発。11月3日サントス到着。
*1913.11.. イグアッペ植民地にはじめて日本人移民30家族が入る。
*1914.1.. サンパウロ州政府、日本人移民に対する補助金を中止し移民契約を廃棄。
*1914.3.10. 第9回ブラジル移民(東洋第4回1688人)が若狭丸で出発。4月27日サントス到着。
*1914.3.25. 第10回ブラジル移民(竹村第5回1809人)が帝国丸で神戸出発。5月サントス到着。
*1914.10.. ブラジル、コチアにはじめて日本人移民が入る。鈴木貞次郎が仲介。
*1915.3.30. ブラジル、パウリスタ線モツカに東京植民地開設。
*1915.7.14. サンパウロに総領事館開設。
*1915.8.3. 平野植民地の開拓はじまる。
*1915.10.7. サンパウロのコンデ街38番地に大正小学校開校。
*1916.1.. 星名謙一郎が週刊『南米』創刊。
*1916.3.31. 南米植民株式会社(竹村商会を水野龍が譲受)、東洋移民合資、森岡商会がブラジルへの移民送出業務を併合し、ブラジル移民組合を組織。
*1916.8.31. 金子保三郎、輪湖俊午郎らが週刊『日伯新聞』創刊。19年、三浦鑿に売却。
*1917.4.20. ブラジル移民組合第1回移民1351人が若狭丸で神戸出発。6月15日サントス到着。のちの伯刺西爾時報の黒石清作も乗船していた。
*1917.8.31. 週刊『伯刺西爾時報』創刊(主幹、黒石清作)。
*1918.5.13. 上塚周平、鈴木貞次郎、香山六郎らがノロエステ線プロミッソンに植民地を開拓(イタコロミー植民地)。
*1918.10.30. ブラジルの日本公使館がペトロポリスからリオに移転。
*1919.9.26. 三浦鑿、『日伯新聞』の経営をはじめる。
*1921... サンパウロ政府、翌22年からの日本人移民への補助金を中止を発表。いわゆる「補助移民」終わる。
*1921.9.7. 香山六郎がバウルーで『聖州新報』を発刊。
*1922.7.28. ブラジル連邦議会でシンシナト・ブラガ、アンドラーデ・ベゼーラ両下院議員、アメリカからの黒人移民入国禁止法案を提出。
*1923.5.1. リオの日本公使館が大使館に昇格。
*1923.10.22. ミナス・ジェライス州選出下院議員フィデリス・レイスが、移民制限と有色人種の排斥をねらった法案(レイス法案)を連邦下院に提出。
*1924.10.1. 信濃海外協会がノロエステ線ミランドポリスにアリアンサ移住地を創設。
*1925... 日本政府、ブラジル移民の渡航費と移民会社手数料を全面補助。
*1925... 岩崎彦弥太がブラジル各地を視察。
*1927.11.8. 東山農業株式会社(三菱系)がカンピナスに農場を購入。東山農場を開設。
*1927.12.11. コチア・バタタ生産者組合創設。のちのコチア産業組合。
*1928.8.11. 鐘紡(福原八郎)とパラー州政府のコンセッションで南米拓植株式会社創設。翌年からパラー州トメアスに植民地開設。
*1928.9.6. 元鐘紡技師長の大石小作がアマゾン興業株式会社創設。アマゾナス州マウエスに農場開設。
*1929.3.25. ブラジル拓植組合創立(海外移住組合連合会現地機関)
*1929.9.16. 三浦鑿が日本倶楽部を除名される。その後、数日でブラジルから国外追放となる。
*1929.10.. ブラジルで、世界恐慌のあおりを受けてコーヒー価格大暴落。
*1930.4.9. アリアンサで『アリアンサ時報』創刊。主筆中川権三郎。37年『日伯協同新聞』に改題。
*1930.10.18. 上塚司らアマゾナス州マナウスにアマゾニア産業研究所創設。35年9月、アマゾニア産業株式会社となる。
*1930.10.26. ブラジルでゼツリオ・ヴァルガスがクーデターで臨時政府樹立。前大統領ワシントン・ルイスは亡命。
*1931.1.1. ブラジル政府、移民入国制限令を施行、実施。
*1931.3.12. 三浦鑿の国外追放令(大統領令)発令。23日リオで逮捕され、26日モンテ・オリビア号で国外追放となる。
*1932.1.14. 翁長助成らが『南米週報』を買収し『日本新聞』創刊。主筆、中西周甫。
*1932.7.9. サンパウロ護憲革命はじまる。
*1932.12.19. ブラジル政府の産業組合法発布によってコチア・バタタ生産者組合がコチア産業組合となる。
*1933... 臼井牧之助がシンガポールから持って入ったピメンタの苗20本をパラー州トメアスに移植。
*1934.5.24. ブラジル議会で移民二分制限法(年間入国数を過去50年間の入国総数の2パーセントに制限)が246対41の圧倒的多数で成立。割当数イタリア約27000人、ポルトガル約23000人、スペイン約11000人、ドイツはほぼ日本(2849人)と同数。
*1934.7.16. ブラジル政府、外国移民二分制限法公布。
*1934.7.16. ブラジル、新憲法(第2次憲法)を公布し、ヴァルガス、大統領となる。
*1937.11.10. ブラジル、新憲法公布。ヴァルガスによる大統領独裁制の強化。
*1938.8.. ブラジル政府、新移民法を実施。
*1938.12.25. ブラジル政府、日本、ドイツ、イタリアなどの外国語学校を閉鎖。
*1942.1.15. リオデジャネイロでパン・アメリカン外相会議開催。枢軸国との国交(外交関係)断絶を決議。
*1942.1.29. ブラジルでパン・アメリカン会議開催され、ブラジル、枢軸国との国交断絶。
*1942.9.6. サンパウロのコンデ街の日本人移民に立ち退き命令。
*1945.6.6. ブラジル政府、日本に宣戦布告。
*1945.9.23. サンパウロに臣道連盟が組織される。
*1946.3.7. バストス産業組合専務理事の溝部幾多が臣道連盟特攻隊員に射殺される。
*1946.4.1. 元日伯新聞編集長野村忠三郎が臣道連盟特攻隊員に殺害される。
*1946.10.12. 『サンパウロ新聞』創刊。
*1947.1.1. 『パウリスタ新聞』創刊。
*1947.8.27. ブラジルで憲法制定審議会に「年齢および出身地の如何を問わず日本移民の入国をいっさい禁止する」という修正案第3156号、いわゆる「日本移民入国禁止法案」が上程されたが、賛否同数、議長採決で否決される。
*1949.1.1. 『日伯毎日新聞』創刊。
*1949.10.1. ブラジル政府、新国籍法公布。
*1949.11.7. トメアス産業組合設立。
*1950.10.10. ブラジル政府、日本船の入国を許可する。
*1951.3.. ブラジルで、勝ち組170人がチサダネ号で日本に出発。
*1952.12.28. アマゾンへの第1回移民(辻移民)17家族54人が、さんとす丸で神戸出発。翌年2月11日リオ到着。
*1953.7.7. マット・グロッソ州ドゥラドスへの22家族112人がサントスに到着。
*1954.8.24. ヴァルガス大統領自殺。
*1955.1.. 桜組挺身隊がサンパウロでデモを続ける。
*1955.9.. コチアに日本から青年移民109人が入る。
*1957.3.15. リオ・グランデ・デル・スル州サン・ペドロへの移民33家族198人がサントスに到着。
*1958.1.25. ブラジルで、ミナス・ジェライス製鉄所(ウジミナス)発足。
*1959.1.2. ブラジル石川島造船所創立。
*1960.4.21. ブラジルの首都、リオからブラジリアに移転。
*1960.11.14. 日本ブラジル移民協定成立、調印。
*1962.5.7. ブラジルで外国人入国・永住規制法発効。
*1962.10.26. ウジミナス製鉄所、操業開始。
*1964.4.11. ブラジルの国会選挙でカステロ・ブランコが当選、15日、大統領となり軍政令第1号を発令、軍事政権を樹立。
*1964.5.13. ブラジル、キューバと国交断絶。
*1967.1.24. ブラジル政府、新憲法発布。
*1970.9.1. ブラジル、アマゾン横断道路の建設に着工。72年9月28日、一部開通。
*1971.9.28. ブラジル、パラグァイ両政府、イタイプ発電所建設計画に着手。73年3月24日、合弁会社設立。
*1973.3.27. 最後の移民船「にっぽん丸」の285人がサントスに到着。
*1974.1.23. サンパウロ、サントス間に移民道路開通。
*1974.3.1. エルネスト・ガイゼル、ブラジル大統領に就任。
*1976.5.25. 川崎製鉄、ブラジルのツバロン製鉄所建設基本協定に調印。
*1977.3.11. ブラジル政府、アメリカとの相互防衛協定を破棄。
*1977.3.12. ブラジルのガイゼル大統領、アメリカとの軍事援助協定(1952年)破棄を通告。
*1978.6.19. サンパウロで移民70年式典開催。
*1980.6.23. 川崎製鉄、イタリア鉄鋼金融公社、ブラジル鉄鋼公社の合弁事業ツバロン製鉄所、計画から7年ぶりに着工となり、起工式行なわれる。
*1983.11.30. エスピリ・サント州ビトリアのツバロン製鉄所(日本、イタリア、ブラジル共同出資)第1期工事完成。総工費31億ドルのうち日本側は川崎製鉄ほか13社で8億2000万ドル。
*1984.7.9. ブラジル政府、国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨の全面禁止決定を受け入れ、8月からの漁期を最後に捕鯨禁止を決定。
*1984.10.11. ブラジル、中国両政府、北京で核エネルギー平和利用協力協定に調印。
*1985.4.22. ブラジルで、タンクレド・ネベス大統領の死のあと副大統領ジョゼ・サルネイ、大統領に就任。
*1987.7.20. アマゾン流域ナポ州でカトリック(カプチノ派)の司教アレハンドロ・ラバカと修道女イネス・アランゴ、インディオに殺害される。(22日発見)
*1988.6.18. サンパウロで「移民80年祭」開催。
*1990.3.15. 昨年12月の選挙で対立候補ルーラを破り当選した中道右派のフェルナンド・コロル(国家再建党)、大統領に就任。同国史上最年少の40歳。任期5年。

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