メキシコの場合

*1810.9.16. 「ドロレスの叫び」、ミゲル・イダルゴ神父、ドロレスで囚人たちを解放し教区民を集めて悪政打倒を唱える。
*1810.11.11. 独立軍、グァダラハラを占領。
*1811.7.30. イダルゴ、処刑される。
*1814.10.22. イダルゴの独立運動に呼応したホセ・マリア・モレロス、メキシコ南部にゲリラ戦を展開し、アパツィンガンで独立宣言ともいえる憲法を公布。
*1815.12.22. モレロス、サン・クリストバル・エカテペックで銃殺される。
*1821.2.24. クリオリョ層から支持を受けた副王軍のアグスティン・イツルビデ、独立軍と協定を結び、教会とクリオリョの特権と立憲君主制によるメキシコの独立を保障したイグァラ計画を発表。
*1821.8.24. スペイン副王が承認したコルドバ条約の成立によってイツルビデ、実質的なメキシコ独立政府の首長となる。正式には9月28日。
*1822... アメリカ合衆国、メキシコの独立を承認。
*1822.2.24. クリオリョからなる制憲議会、設置される。
*1822.5.19. イツルビデ、制憲議会で立憲君主となることが承認されアグスティン1世を名乗る。(~1823年5月)
*1822.12.. アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ、ベラクルスで反乱、共和国樹立を宣言。
*1822.12.12. アメリカ合衆国、イツルビデのメキシコの独立を承認。
*1823... アメリカ人のテハス(テキサス)への移動はじまる。
*1823.7.. ユカタンのクリオリョ、独立を宣言。
*1823.7.. 中央アメリカ諸地方、メキシコから分離。
*1823.11.. メキシコの制憲議会、共和制を宣言、憲法起草をはじめる。
*1824.10.4. メキシコで三権分立と連邦共和制をうたった憲法が公布され、カトリックは国教として保障される。
*1825.11.. スペイン軍最後の要塞サン・ファン・デ・ウルア陥落。
*1827.12.. スペイン人、追放される。
*1829... メキシコで奴隷解放令、公布される。
*1829.7.. スペイン軍、タンピコを占領。~9月。
*1832.1.. サンタ・アナ、ベラクルスで反乱起こす。
*1833... テキサスのモーゼス・オースティン、テキサスの分離をメキシコ政府に要求、コアウィラとは分離した州として承認される。
*1833.4.1. サンタ・アナ、内乱のなか反対派を抑えて大統領となる。
*1835.11.. テハス(テキサス)人、独立を宣言。第1次独立宣言。
*1836.3.2. テハス(テキサス)人、ワシントンで独立宣言に署名。第2次独立宣言。
*1836.3.6. サンタ・アナ軍、アラモ砦を陥落させる。
*1836.4.21. サンタ・アナ、サン・ハシントの戦いで破れテハス(テキサス)軍の捕虜となる。
*1836.5.14. サンタ・アナ、テハス(テキサス)大統領バネットと条約を結び、テハスの独立を承認。ベラスコ条約。
*1836.12.22. スペイン、メキシコと平和友好条約を締結し、メキシコの独立を承認。
*1838.3.. フランス軍、ベラクルスに入る。
*1838.11.28. フランス軍、ベラクルスを占領。
*1839.3.9. フランスと平和条約を締結。
*1839.5.. ユカタンでサンチアゴ・イマン、土地の分配を要求して武装蜂起。
*1841.10.11. サンタ・アナ、政権掌握。
*1842.2.2. 1841年8月23日に兵庫出帆の栄寿丸(1300石)が漂流しスペイン船エンサヨ号に救助される。3月17日、善助、太吉、初太郎、亥之助、儀三郎、惣助、弥市の7人、サン・ルカスに上陸。万蔵、七太郎ものちに同地に上陸。
*1843.12.. 分離していたユカタン、メキシコに復帰。
*1843.12.2. 栄寿丸の善助と初太郎がマサトランからホノルル、マカオを経て長崎に帰還。45年7月、太吉、亥之助、弥市が長崎に帰還。
*1845.3.. テキサス、アメリカ合衆国に統合される。
*1845.6.. サンタ・アナ、国外追放となる。
*1846.5.. アメリカ合衆国、メキシコに宣戦布告。ベラクルスを封鎖。
*1846.7.. アメリカ軍、カリフォルニアに侵入。8月、ヌエボ・メヒコ(ニュー・メキシコ)に侵入。
*1847... ユカタンでカースト戦争はじまる。(~1854年)
*1847.1.. サンタ・アナから政権委譲されていたゴメス・ファリアス、財源確保のために教会財産接収令を発令。それに反対した民兵部隊(ポルコス)の反乱起こる。
*1847.3.1. テハス(テキサス)、アメリカ合衆国に正式に加わる。
*1847.9.13. 前年から侵入したアメリカ軍、チャプルテペックを陥落させる。士官学校生が死闘を尽くす。(ニニョス・エロエス)
*1847.9.14. アメリカ軍、メキシコ・シティを占領、サンタ・アナ、大統領を辞任、メキシコ政府はケレタロに移る。
*1848.2.2. グァダルーペ・イダルゴ条約によってメキシコとアメリカとの戦争は終結し、テハス、ヌエボ・メヒコ、ヌエバ・カリフォルニアのアメリカ領有が確定。1846年6月14日、アメリカ人はカリフォルニア共和国の成立を宣言していた。
*1848.6.12. アメリカ軍、メキシコ撤退。
*1853.4.20. サンタ・アナ、大統領となり、6月、終身執政官となる。
*1853.12.13. メキシコ政府、ラ・メシリャ(現在のアリゾナ、ニュー・メキシコ南部)をアメリカに売却。
*1853.12.30. メキシコ、アメリカにガズデン(ニューメキシコとアリゾナの一部)を売却。
*1855.8.9. サンタ・アナ、メキシコ・シティを去りベラクルスからキューバに亡命。
*1855.11.23. カトリック教会の特権を制限した「ファレス法」公布。軍事裁判所と教会裁判所の管轄領域が普通裁判所に移管される。
*1856.6.25. 共同体の共有地を解体することを規定した「レルド法」公布。民事団体、教会のモルトマン(永代所有制)が禁止される。
*1857.2.5. 1824年の憲法を基本とした新憲法を公布。最大の問題となった信教の自由は規定できなかった。
*1857.12.1. ベニト・ファレス、最高裁判所長官に就任。
*1858.1.19. 大統領イグナシオ・コモンフォルトがアメリカに亡命し、ファレス、政権を握るが、自由党と保守党の対立が激化し、三年戦争(改革戦争)に発展する。
*1858.4.. アメリカ政府、ファレス政府を承認。
*1858.4.11. ファレス政府、イグレシアス法を公布。カトリック教会から墓地統制権と教区税徴収権を剥奪。
*1858.5.. ファレス、ベラクルスに政府を移転。
*1859.7.12. ファレス、教会財産国有化法を公布。
*1859.12.. ファレス政府外相メルチョル・オカンポ、テワンテペック地峡の鉄道開発権と交換にアメリカからの政府援助を約した条約に調印する。アメリカ上院は批准を否決。
*1861.1.11. ファレス、メキシコ・シティにもどる。
*1861.10.31. イギリス、フランス、スペイン、メキシコ主要港湾の占領を決定。ロンドン会議。
*1861.12.. スペイン軍、ベラクルスに上陸。
*1862.1.. イギリス、フランス軍、ベラクルスに上陸。
*1862.4.. イギリス、スペイン軍、フランス軍との同盟を破棄してメキシコから撤退。
*1862.4.16. フランス、メキシコに宣戦布告。
*1862.9.. フランス、メキシコ駐留軍を増強。
*1863.3.16. 保守党と連合したフランス軍プエブラを攻撃。
*1863.5.13. ファレス、政府をサン・ルイス・ポトシに移転。
*1863.6.7. フランス軍、メキシコ・シティを占領し保守派を中心とした暫定政府を樹立。ファレス政府はエル・パソ・デル・ノルテ(シウダー・ファレス)に移る。
*1864.4.10. マクシミリアン、ミラマル城でメキシコ皇帝就任を受諾。
*1864.6.12. オーストリア大公フェルナンド・マクシミリアーノ、メキシコ皇帝としてメキシコ・シティに入る。
*1865.8.. ファレス、パソ・デル・ノルテに政府を移転。
*1866.10.. ポルフィリオ・ディアス、皇帝軍を撃破しオアハカを占領。
*1866.11.. ビスマルクのプロシアの侵入に備えるためフランス軍撤退。
*1867.3.11. フランス軍、メキシコから撤退完了。
*1867.7.15. ベニト・ファレス、メキシコ・シティに入る。
*1867.7.19. 5月15日、ケレタロで自由派に捕縛されたマクシミリアン、セロ・デ・カンパナスで処刑(銃殺)され、帝政終わる。
*1867.12.2. メキシコで、連邦区公教育組織法、公布される。
*1870.12.13. メキシコで、連邦区民法典、公布される。
*1871.6.25. 大統領選挙で、ファレス、選出される。
*1871.12.7. メキシコで、連邦区刑法典、公布される。
*1872.7.18. ベニト・ファレス死亡。心臓病。
*1872.8.13. メキシコで、連邦区民事訴訟法典、公布される。
*1872.12.1. メキシコで、レルド・デ・テハダ、大統領に就任。
*1873.1.1. メキシコ・シティ、ベラクルス間に最初の鉄道開通。
*1874.11.13. メキシコで、連邦議会に上院設置される。
*1876.11.20. ディアス、クーデターを起こし政権握る。
*1877.5.2. 前年11月レルド政権を倒したポルフィリオ・ディアス、大統領となる。
*1878... メキシコ57年憲法に大統領再選禁止条項が付加される。
*1880.11.. ディアス政府の鉄道建設計画(鉄道法)が議会を通過し、以後、1910年代にかけてアメリカ資本を中心とした外国資本による鉄道建設ラッシュがはじまる。
*1880.12.1. メキシコで、マヌエル・ゴンサレス、大統領に就任。
*1881... メリダ、プログレッソ間にユカタン最初の鉄道開通。
*1882... メキシコのゴンサレス政府、グァテマラとの間に国境条約締結。
*1882... メキシコのゴンサレス政府、テワンテペック鉄道建設を決定。
*1883... ディアス政府、外国資本の土地所有を認めた「拓殖法」(植民法)を制定。
*1883.11.23. ホセ・クレメンテ・オロスコ生まれる(シウダー・グスマン)。
*1883.12.15. メキシコで、土地測量開拓法、公布される。共有地解体の契機となった。
*1884.11.22. ディアス政権(ゴンサレス政府)、鉱山令(鉱物法)を制定。地下資源の利権を外国資本に開放。
*1884.12.1. ポルフィリオ・ディアス、大統領に再任。
*1886.12.8. ディエゴ・リベラ生まれる(グァナファト)。
*1887... メキシコ連邦区で最初の初等教育義務化法、公布される。
*1887.12.1. ディアス、憲法の再選禁止条項を1回再選可能と改正して大統領に就任。
*1889... メキシコの太平洋運輸会社代理人ヴォーゲルがメキシコ・日本の通商航路の開設と同時に日本人移民の導入を日本外務省に出願。日本政府は通商条約締結からまだ日が浅かったことや特別な移民条約がないことを理由に許可しなかった。
*1891.4.6. メキシコに日本領事館開設(公使・建野郷三、アメリカ兼任)。
*1891.8.4. メキシコに日本領事館開設(8月10日告示)。
*1891.10.12. 藤田敏郎(東京商法講習所卒、共同運輸会社を経て外務省へ、1886年外務書記生としてホノルル領事館勤務、上司に安藤太郎がいた)が領事代理としてメキシコ・シティ着任。
*1891.11.26. 珍田捨巳、サンフランシスコ領事となり(9月13日)、サンフランシスコからメキシコを視察。報告は「墨国農工商業ニ関シ珍田総領事取調報告一件」。
*1892... ディアス政府、「鉱山法」改正し、地下資源も外国資本に開放する。
*1892.2.. 吉佐移民合名会社がボレオ会社と移民仮契約「日本吉佐移民会社トボレヲー会社トノ契約証」締結。導入予定数500人、契約期間3年、賃金は1日10時間労働で1カ月15ドルから20ドル。
*1892.3.18. メキシコ調査団(森尾茂助、恒屋盛服、榎本龍吉、高野周省)が移住地調査と通商貿易調査を目的にゲーリック号で出発。メキシコで藤田敏郎とアップジョーズが加わる。
*1892.4.. 森尾茂助、恒屋盛服、榎本龍吉、高野周省らのメキシコ調査団に同行した藤田敏郎がエルモシジョ知事を訪問時、知事の縁者の邸でハルディネロをしていたアントニオという日本人に会ったことを『海外在勤四半世紀の回顧』に記している。
*1892.12.1. ディアス、憲法の再選禁止条項を撤廃して大統領に就任。
*1893... ディアス、マヤへのイギリスの援助停止と交換にイギリスのベリセ領有を承認。
*1893.7.7. 根本正(殖民協会評議員、外務省官房移民課雇)が「移民地探検」を目的にメキシコに向かう。メキシコで領事館雇井上一男が同行。詳細は「墨西哥移民地探検トシテ根本正外一名出張一件」に。
*1894... グァテマラ軍、南部に侵入するが撃退。
*1894... 1883年の「植民法」が拡大された「未開墾地占有と譲渡に関する法令」発令。土地測量会社に対する査定地の3分の1の無償付与と残余3分の2の特別価格譲与を規定。1910年までに全土の3分の1が土地測量会社によって査定され大半がその所有となる。
*1894.8.22. 橋口文蔵(アメリカ留学で農学士、北海道庁理事官、札幌農学校長、台北県知事、台湾総督府殖産部長)が「チャパス州ソコヌスコ郡タナカ山腹聯地タル二万町歩官有地探検并ニテファンテペック鉄道視察」を目的にメキシコに向かう。
*1894.10.15. テワンテペック鉄道、運転開始するが建設不良のため中止。1907年再開。
*1894.12.26. 室田義文(サンフランシスコ領事書記生、釜山総領事歴任)がメキシコ総領事官総領事となる。1897年3月30日同公使館弁理公使。
*1895.8.13. 殖民協会が墨国移住組合調査委員会開催。チアパス州官有地を榎本武揚名義で購入を決定。
*1896.7.4. 根本正、草鹿砥寅二がメキシコとの殖民契約のために出発。
*1896.9.16. メキシコ総領事室田義文、農商務大臣レアルとの間にチアパス州官有地購入契約締結。
*1896.12.29. ダビッド・アルファロ・シケイロス生まれる(チワワ州カマルゴ)。
*1897... 長沢鼎、アメリカ人投資家を通じてシナロア州ロス・モチス郊外に約50万エーカーの土地購入契約を州政府との間に締結。資金集めのために「墨西哥北西会社」を設立。7月、資金調達のために日本に戻る。
*1897.2.23. 草鹿砥寅二、メキシコ移民の募集をはじめる。
*1897.3.24. 榎本移民34人がゲーリック号(Oriental and Occidental Steamship Co..)で横浜を出発(午後5時)。4月15日サンフランシスコ着、19日シティ・オブ・プラー号で同地出港、26日アカプルコ着、バラクタ号で5月2日同地出帆、10日サン・ベニトに到着。
*1897.3.31. メキシコ領事館が公使館に昇格。
*1897.5.19. 榎本移民33人がエスクィントラに到着。10日サン・ベニト上陸、11日タパチュラ着、すべて徒歩。
*1897.8.18. 榎本移民の4人が現地を退去、徒歩36日をかけてメキシコ・シティに入り領事館に保護を求める。その後31日までに4人が続く。
*1897.10.1. メキシコ、金本位制実施。
*1897.11.10. 榎本殖民移民監督の草鹿砥寅二、業務を放棄して横浜に帰還。
*1898... 草鹿砥寅二、ふたたびエスクィントラに入る。のち病没(35歳)。
*1898.1.27. 小林直太郎、川村久直が榎本殖民地に向け横浜を出発。
*1899... 小橋橙吉と岸本槌彦がエスクィントラで雑貨店を開業、小橋岸本合名会社とした。のちに設立された日墨協働会社はかれらの合名組織に刺激されたものだった。
*1900... ユタ州ソルト・レイクにいた橋本大五郎(和歌山県西牟婁郡串本町)がソルト・レイク近在の日本人20人をラス・エスペランサスに導入。同鉱への最初の日本人移民。その後、権利義務を山口熊野の熊本移民合資に譲渡し現地代理人になる。
*1901... ナコサリ銅山がアメリカ資本モクテスマ・カパー・カンパニーによって開発される。
*1901... 第2回パン・アメリカン会議、メキシコ・シティで開催。
*1901... 照井亮次郎(岩手)、高橋熊太郎、清野三郎(宮城)、有馬六太郎、鈴木若、山本浅次郎(愛知)ら三奥組合を設立、エスクィントラに組合本部を設置。
*1901... 榎本武揚、殖民地を藤野房次郎に譲渡。
*1901.3.4. 三奥組合が全12条の「三奥組合規則」を制定。組合は組合員にいっさい給料を支払わず、私有財産も認めず、代わって組合は組合員の衣食住のほか必要経費のすべてを負担と明記。1904年7月に大幅改正、17章65条の大部のものになった。
*1901.5.14. アメリカ石油資本のエドワード・L・ドヘニー、タンピコ西方のアシエンダ・デル・トゥリーヨで大規模油井を掘りあてる(メキシコ最初の油田パヌコ・エバノ油田)。ドヘニー、ウァステカ石油を設立。
*1901.11.. 熊本移民合資第1回メキシコ移民(ラス・エスペランサス、フエンテ)。和歌山、三重の2県から100人を募集、82人を送出。横浜出航後、サンフランシスコからサウス・パシフィック鉄道でピエドラス・ネグラスを経てエスペランサスに入る。
*1901.12.24. メキシコで石油法、成立。
*1902.2.. 榎本殖民地、プエブロ・ヌエボで商店を経営していた鈴木若が結婚を理由に組合から離脱。
*1902.7.2. ジョン・G・マイヤース、中国の香港と広東で移民を募集。その後、日本に立ち寄り日本外務省にも移民送出を打診、外務大臣に「覚書」を提出。
*1903... 三奥組合がアウロラ(暁)小学校を開校。
*1904... チアパス政府、共有地払い下げを断行。
*1904... 三奥組合、発展的に解散し殖民信用組合と改称。
*1904.6.19. 東洋移民合資、最初のメキシコ移民として東洋汽船「明保野丸」で500人をバハ・カリフォルニア州のエル・ボレオ銅山に送る。
*1904.8.27. 東洋移民合資のボレオ移民、横浜に帰還。周布の報告では和歌山県出身者215、福岡県出身者119、鹿児島県出身者52、宮崎県出身者44、広島県出身者23の計453人。残留したのは57人、すべてが鹿児島県出身者だったという。
*1904.11.7. 大陸殖民第1回メキシコ移民161(うち女性13)人がコレア丸で神戸出発。
*1904.12.11. 大陸殖民第2回メキシコ移民93(うち女性7)人がチャイナ丸で神戸出発。
*1905.1.15. 大陸殖民第3回メキシコ移民118(うち女性1)人がコレア丸で神戸出発。
*1905.4.4. 大陸殖民合資、韓国人1046人をイギリス船イルフォド号でメキシコに送出。仁川(インチョン)出航、5月9日サリナ・クルス到着
*1905.10.26. 大陸殖民第4回メキシコ移民127(うち女性2)人、チャイナ丸で神戸出発。
*1906... カナネア銅山で大規模な労働争議起こる。
*1906... 三奥組合、日墨協働会社に改組。
*1906.1.. 最初の日本人移民オアハケニャに入る。リオ・ビスタへの第4回移民127人のうち40人。
*1906.1.16. 大陸殖民第5回メキシコ移民40(うち女性0)人がチャイナ丸で横浜出発。
*1906.2.20. 大陸殖民第6回メキシコ移民14(うち女性0)人がコレア丸で横浜出発。
*1906.4.4. 大陸殖民第7回メキシコ移民3(うち女性0)人がチャイナ丸で横浜出発。
*1906.6.9. 熊本移民合資メキシコ移民44人が出発。横浜発は14日。
*1906.7.17. 熊本移民合資メキシコ移民10人が出発。
*1906.8.26. 熊本移民合資メキシコ移民26人が出発。
*1906.9.26. 熊本移民合資メキシコ移民175人が出発。
*1906.10.25. 大陸殖民第8回メキシコ移民1254人が川崎汽船「第二琴平丸」で神戸出発、12月7日サリナ・クルス到着。契約では547人がコリマ鉄道、残る707人がオアハケニャ耕地へ。
*1906.12.10. 大陸殖民第9回メキシコ移民1345人が東洋汽船「満州丸」で横浜出発、翌年1月23日サリナ・クルス到着。契約では1110人がコリマ鉄道、残る235人がオアハケニャ耕地へ。
*1906.12.12. 東洋移民合資メキシコ移民603人が出発。
*1906.12.12. 熊本移民合資メキシコ移民392人が出発。
*1907... イギリス建築会社経営者W・D・ピアソン、トゥスパン西方のドス・ボカスで石油採掘に成功。ポトレロ・デル・リャノ、セロ・アスルなどにつづけて採掘。総称してファハ・デ・オロ油田と呼ばれた。
*1907.1.7. リオ・ブランコの紡績工場で労働者とその家族がスト。軍隊が投入され、2000人以上が虐殺される。
*1907.2.16. 東洋移民合資メキシコ移民21人が出発。
*1907.2.18. メキシカン・コール・エンド・コークス・カンパニー所属コンキスタ第3坑でガス爆発。熊本移民合資扱いの日本人移民は11人、坑内での死亡者は9人。
*1907.4.18. 東洋移民合資メキシコ移民33人が出発。
*1907.4.26. 大陸殖民第10回メキシコ移民1252人が東洋汽船「満州丸」で神戸出発、5月下旬サリナ・クルス到着。契約では911人がコリマ鉄道へ。
*1907.5.. コリマ鉄道のコリマ、ツスパン間で工事完成。日本人移民は解雇され、一部はふたたび大陸殖民合資の手によって北部ソノラ州の金鉱山ブラック・マウンテンに送られる。
*1907.5.18. 東洋移民合資メキシコ移民980人が出発。
*1907.6.4. 熊本移民合資メキシコ移民267人が出発。
*1907.6.4. 東洋移民合資メキシコ移民8人が出発。
*1907.10.23. 東洋移民合資メキシコ移民279人が出発。
*1907.10.23. 熊本移民合資メキシコ移民12人が出発。ただ、これは同社が9月末あるいは10月はじめに営業停止となっていたため実質は東洋移民合資による送出。
*1908.2.27. ベラクルス州ロシータ炭坑でガス爆発事故。約80人の死亡者のうち8人が日本人移民。
*1908.5.5. オアハケニャにいた第8、9回移民のうち94人が「請願書」を在メキシコ特命全権大使荒川巳次宛に提出。
*1909... アメリカの経済不況の影響を受けた輸出の落込みと激しいインフレのなかで金融危機が広がる。
*1909... W・D・ピアソン、エル・アギラ石油会社設立。
*1909.11.25. 鉱物法、改正。石油を含む地下資源の所有権の土地所有者帰属を再確認。
*1910... このころまでにメキシコ全土の7分の1が外国人の所有となる。
*1910.2.1. メキシカン・コール・エンド・コークス・カンパニー所属パラウ第3坑でガス爆発。ラス・エスペランサスとコヨテに75人、コンキスタに89人、パラウに379人、フエンテに12人の日本人移民がいた。
*1910.6.6. ディアス、大統領選挙直前にマデロを逮捕。また、同盟の活動家5000人も同時に逮捕。
*1910.9.16. ポルフィリオ・ディアス、独立100周年記念祝典を開催、その付属行事として日本博覧会をメキシコ・シティに誘致、開催。
*1910.9.22. 1865年以来閉鎖されていたメヒコ大学、再開される。
*1910.9.30. パラウの第2坑で大規模なガス爆発。坑内にいた日本人移民20人とメキシコ人労働者90人が生死不明の状態で坑内に閉じこめられ、最初の遺体が収容されたのは3日後の10月3日だった。日本人移民死亡者13人、行方不明2人。
*1910.10.4. マデロ、サン・ルイス・ポトシからアメリカに亡命。
*1910.10.25. マデロ、サンアントニオでサン・ルイス・ポトシ綱領を発表、ディアス政権の打倒を呼びかけた。(11月20日との説あり)
*1911.1.13. マデロ、エル・パソの南東20キロの地点からメキシコに入る。
*1911.5.. メキシコ北部トレオンで日本人移民虐殺の噂が広まる。
*1911.5.19. サパタ、モレロス州のクァウトラを攻略。
*1911.5.21. シウダー・ファレスでマデロとディアス政府の代表との間で6項目の協定成立。
*1911.5.26. ディアス、特別列車でメキシコ・シティを去り、のちベラクルスからドイツ船イピランガ号で亡命。レオン・デ・ラ・バラ、暫定大統領となる。
*1911.11.6. マデロ、大統領となる。
*1911.11.27. サパタ、アヤラ綱領を発表し、マデロ政府に対し宣戦布告を表明する。
*1912... スタンダード・オイル・ニュー・ジャージ、エル・アギラ石油会社の買収に失敗。
*1912.3.. パスクァル・オロスコ、チワワでマデロに反旗を翻す。8月、ウエルタによって鎮圧される。
*1912.6.3. マデロ政権、原油生産に対する課税を決定。外国石油資本に対する最初の規制となる。
*1912.10.. ディアスの弟フェリックス・ディアス、ベラクルスで反乱起こす。
*1913... シウダー・ファレス日本人会創立。
*1913.2.9. メキシコ国軍、マデロに対して反乱を起こす。「悲劇の10日間」のはじまり。
*1913.2.19. マデロ、国外への安全脱出の保障を条件に大統領を辞任。22日、国立宮殿から連れ出され射殺される。
*1913.2.22. ウエルタ軍兵士、マデーロを暗殺。
*1913.7.. メキシコ革命の動乱が激しくなり、ラス・エスペランサスで鉱区のほとんどが閉鎖される。当時、日本人移民は200人前後就労していた。
*1913.7.. 安達峯一郎、特命全権公使としてメキシコに赴任。
*1913.8.. カランサ、オブレゴンの援助でソノラに臨時政府を置く。翌年、ファレスに本部を移動。
*1913.9.29. ビリャ、トレオン攻撃を開始、数日後陥落させる。
*1913.11.15. ビリャ、シウダー・ファレス奪回。
*1913.12.22. 巡洋艦「出雲」、マンサニジョに入港。派遣は安達が強く要請したもので、在留民保護というのが名目だったが、その背後には当時の日米関係が色濃く反映していた。
*1913.12.24. レオン・デ・ラ・バラ、独立100年祭の答礼として日本を訪問。
*1913.12.31. メキシコ・シティに駐在していた森電三(少佐)、「在墨邦人自衛計画案」を作成。極秘資料として50部作成され、その数部が外務大臣牧野伸顕に送られている。
*1914... 1914年当時、ソノラ州にいた日本人移民は、ノガレス7人、エルモシジョ91人、カナネア約50人、マグダレナ約25人と、ほかに約50人。
*1914... 日墨協働会社が西和辞典の編纂に着手。25年刊行、日本人による最初の西和辞典。
*1914.2.. メキシコ、サン・ルイス・ポトシ日本人会創立。
*1914.3.28. ビリャ、ふたたびトレオン攻撃、5日前後で奪取。
*1914.4.21. アメリカ海兵隊、ベラクルスを占領。(~11月23日)
*1914.5.20. ビリャ、サルティリョを攻略。カランサの指名した人物を臨時州知事に任命して引き揚げる。
*1914.6.2. 安達峰一郎一行、マンサニジョに「出雲」を訪れた帰途、コリマを過ぎた北のサユラ付近で憲政派ゲリラに列車を襲撃され、サユラのホテルに数日間足止めを食う。このとき、かれらを救出したのが森を隊長とした13人の特別派遣隊だった。
*1914.6.23. ビリャ、サカテカスへの総攻撃開始。約6時間の戦闘でウエルタ軍を後退させ、翌24日、陥落させる。
*1914.7.15. ウエルタ、メキシコ・シティを脱出、20日ベラクルスからドイツ船イピランガ号でスペインに亡命。
*1914.7.21. カランサ、輸出税を創設、原油1トンあたり10センタボスの課税を行なう。
*1914.7.31. メキシコ・シティの外交団代表、革命の動乱を避けるため、市内に中立地帯を設けて保護することをメキシコ政府に要請。
*1914.8.15. オブレゴン、メキシコ・シティに入る。
*1914.8.18. カランサ、メキシコ・シティに入る。
*1914.8.20. カランサ、臨時大統領に就任。
*1914.10.1. カランサ、メキシコ会議を開催。
*1914.10.10. アグアスカリエンテス会議。アヤラ宣言を革命の原則とすることを決議。
*1914.11.2. カランサ、アグアスカリエンテス会議の領袖たちと分裂しベラクルスに移動。
*1914.11.19. オブレゴン、ビリャに宣戦布告、すぐさまカランサと同盟を結ぶ。
*1914.11.26. サパタ、メキシコ・シティに入る。12月9日引き揚げる。
*1914.12.4. サパタ、ビリャ、ソチミルコで会談。
*1915... オアハケニャのタバスコ・ランド・エンド・ディベロップメント・カンパニーが製糖工場を閉鎖。
*1915... 1915年9月30日付メキシコ代理公使岩崎三雄から外務大臣大隈重信宛公信によれば、当時、コアウィラ州にいた日本人移民は約300人。
*1915.1.. マサトラン日本人会創立。
*1915.1.. バハ・カリフォルニア半島中部の日本人漁業基地タートル湾(バイア・トルトゥガス)で巡洋艦「浅間」座礁。「出雲」が救出にあたり、それぞれにかなりの長期間にわたって係留。
*1915.1.9. カランサ、エヒド返還創設法を公布。
*1915.1.15. 臨時大統領エウラリオ・グティエレス亡命。
*1915.1.25. オブレゴン、ティオティワカンに進出。それを知ったサパタ派は27日クエルナバカに移動。
*1915.1.28. オブレゴン、メキシコ・シティに入る。3月9日引き揚げ。
*1915.2.. プエルト・メヒコ日本人会創立。
*1915.4.6. ビリャ軍とオブレゴン軍、グァナファト州セラヤでぶつかる。11日までの戦闘でビリャ軍大打撃を受ける。
*1915.8.1. サパタ派、メキシコ・シティから引き揚げる。
*1915.10.19. アメリカ大統領ウッドロー・ウイルソン、カランサ政府をメキシコの正統政府として承認。反カランサ勢力への武器輸出の禁止を決定。
*1915.11.. タンピコ日本人会創立。
*1916... マリアノ・アスエラ著『虐げられた人びと』(Los de abajo)
*1916... この年行なわれた日本公使館調査によれば、当時、メキシコの韓国人在留者数は男性766人、女性219人の計985人、戸数約250だった。
*1916.1.13. ビクトリアノ・ウエルタ、アメリカの官憲に逮捕され収容されていたエル・パソの病院で死亡。
*1916.1.13. シウダー・ファレス駅にアメリカ人の死体16体が列車で到着。ビリャ軍のパブロ・ロペスとラファエル・カストロの部隊に殺害されたアメリカ精錬製鋼会社の技師たちだった。
*1916.2.. ビリャ軍、アメリカの新聞王ウイリアム・ランドル・ハーストが所有する大牧場を襲撃。
*1916.3.9. コロンバス襲撃事件。エル・パソの西コロンバスに深夜、ビリャ軍兵士約500人が乱入、略奪、放火のあと逃走。
*1916.3.10. ウイルソン、アメリカ陸軍にビリャの討伐を命じ、国境侵入を指示。カランサは抗議したが、最終的には黙認。アメリカはジョン・パーシングを司令官に約1万人の軍隊をメキシコ領内に送り込んだ。翌17年2月5日、全面的に撤退。
*1916.8.. ビリャ暗殺未遂事件。8月末から9月初旬にかけてのことか。かかわったのは鈴木徳太郎、藤田小太郎、条勉、佐藤温信の4人。
*1916.9.14. カランサ、制憲議会を召集。
*1916.9.16. ビリャ軍、チワワ市を襲撃、占領。その後、大統領選挙の実施、憲法改正、鉄道と鉱山の国有化、アメリカとの国境閉鎖、アメリカ人・中国人の財産所有の禁止などを要求する声明を発表。さらに、11月、ふたたびチワワ市を占拠。
*1917... このころ綿花価格急騰。1920年を過ぎると最初の暴落がはじまる。
*1917... ソノラ州で中国人移民排斥運動がはじまる。ホセ・マリア・アラナが運動を指導。州政府にも支持され、23年には州内の中国人を隔離収容する法案が州議会を通過、メキシコ人と中国人との婚姻も禁止される。
*1917... 農業振興省に人類学局、設置され、マヌエル・ガミオ、局長に就任。
*1917.1.. ピエドラス・ネグラス日本人同志会創立。
*1917.1.31. 新憲法採択。2月5日公布、5月1日施行。土地、地下資源の外国人保有の制限、政教分離、普通選挙、8時間労働、最低賃金などを規定。
*1917.2.5. カランサ政府、ケレタロで新憲法を公布。
*1917.4.6. ビリャ暗殺未遂の報復として日本人移民3人が犠牲となる。サン・ヘロニモの条農場に現われたビリャ軍によって三神篠三郎(宮城県遠田郡大貫村)、渋谷伝太郎(福島県伊達郡伊達崎村)、関根竹三郎(栃木県下都賀郡皆川村)の3人が射殺された。
*1917.4.17. カランサ政府、生産税(特別印紙税)を設定し石油財務検査制度を創設。
*1917.4.26. 「日墨医師自由営業協定」締結。8月9日、カランサが批准。
*1917.5.. メヒカリ日本人会創立。
*1917.5.1. カランサ、選挙を経て大統領に就任。
*1917.11.29. カランサ政府、石油操業規則を制定。外国石油資本に対する法的規制をはじめる。
*1917.12.24. カランサ政府、損害賠償委員会を設置。
*1918... メキシカン・インダストリアル・カンパニー(メキシコ興業組合)の近藤、海興扱いで日本から漁業移民を呼び入れる。宮城7、茨城21、千葉5、三重3、和歌山3、長崎10の計49人。
*1918... メキシコ労働者地域連合(CROM)結成される。
*1918.2.19. メキシコ政府、石油を国有資源と宣言。憲法第27条(事実上の石油資本接収を規定)に基づいた政令で外国石油資本に対して石油税を課す。
*1919... メキシコ共産党、結成される。29年非合法となる。
*1919.4.10. エミリアノ・サパタ、暗殺される(40歳)
*1919.12.. メキシコ、エルモシーリョ日本人会創立。
*1920... 日墨協働会社、解散。
*1920... エヒード法制定。エヒードの再建が明確化される。小農育成を図る。
*1920.2.. メヒカリ熊本県人会創立。
*1920.5.21. ベヌスティアノ・カランサ、暗殺される。
*1920.12.1. アルバロ・オブレゴン、大統領となる。
*1921... オブレゴン政府、文部省を設置。ホセ・バスコンセロスの教育改革はじまる。
*1921... メキシコの原油生産約2億バレルで、アメリカについで世界第2位、輸出世界第1位となる。アメリカ系石油会社25社。
*1921.3.. 片山潜、ルイス・フレイナー、バーサー猪俣(猪俣津南雄夫人)アメリカからメキシコに入る。コミンテルンの指令でメキシコ共産党の組織拡大を目的にしていたという。片山は約8カ月でメキシコを去りモスクワに向かう。
*1921.5.. 有馬六太郎、永谷安太郎と共同で有馬永谷商会を設立。
*1921.6.. ベラクルス日本人会創立。
*1921.7.. オブレゴン政府、カランサが設置した賠償委員会に各国代表をも交えた形で常設混合委員会を設置する由を決定。
*1922... オロスコ、メキシコ・シティの国立高等学校(現、第1高校)の壁画制作をはじめる(メキシコ壁画運動プロジェクト第1号)。
*1922... オロスコ、文部大臣バス・コンセロスから壁画運動への参加と壁画制作の要請受ける。
*1922... 墨都日本人同志会創立。
*1922... シケイロス、リベラ、オロスコら、芸術の社会化を掲げて技術芸術家革命組合を結成。
*1922.9.. ティファナ日本人会創立。
*1923... マサトランに日本領事館開設。
*1923... メキシコ、石油監理局設置。
*1923... メキシカン・インダストリアル・カンパニーがふたたび100人の導入を予定。海興は岩手16、宮城7、茨城32、千葉5、静岡22、三重18の計100人を募集したが、実際に渡航したのは宮城2、茨城6の計8人。
*1923... シケイロス、リベラとともにメキシコ共産党幹部に選出される。
*1923... ロイヤル・ダッチ・シェル、エル・アギラ石油会社買収。
*1923.6.20. パンチョ・ビリャ、暗殺される。
*1923.8.. アメリカ(ハーディング)、オブレゴン政府を承認、国交回復。ブカレリ条約。石油地下資源国有化と交換にアメリカ石油資本に対しコンセッションを与える。
*1923.10.. オリサバ柏木倶楽部創立。
*1923.12.. デ・ラ・ウエルタ、ベラクルスで反乱。24年2月、オブレゴンに鎮圧される。
*1924.12.1. プルタルコ・エリアス・カリェス、大統領となる。
*1925... 墨都日本人会創立。
*1925... パラウ日本人交友会創立。
*1925... メキシコ・フォード社、設立される。
*1925... 照井亮次郎編『西和辞典』(右文社出版部)刊行。
*1925... スタンダード・オイル・インディアナ、アメリカ系石油資本ウァステカ・グループを買収。
*1925.8.. 村井二郎が『西和辞典』を完成し、東京の右文社出版部から出版。収録語数約3万語。日本語訳にはすべてローマ字でルビがふられていた。
*1925.9.. メキシコ国立中央銀行(Banco de Mexico)、創設される(カリェス政府)。
*1925.12.29. メキシコ、憲法第27条に基づく「石油法」、「土地法」公布。31日発令法令で、全国石油行政監督局設置。
*1926... 副島八郎がソノラ州エルモシーリョ西郊のエル・カリサルに500エーカーの土地を購入して移転。1928年8月末、死体となって発見される。
*1926.1.. コアウィラ日本人会創立。
*1926.4.. エンセナダ日本人会創立。
*1926.5.11. メキシコ、連邦植民法公布。
*1926.6.8. メキシコ、衛生法公布。
*1926.7.31. カリェスの農業、教育改革に反対し、カトリック司祭、すべての宗教行事を停止し、ミチョアカン、ハリスコ、グァナファト、コリマなどでカトリック信者の農民反乱を起こる。クリステーロス戦争(~29年)
*1926.11.. 福岡県海外協会メキシコ支部創立。
*1926.12.9. メヒカリ日本人会幹事の益子三郎が暗殺される。
*1927... ノガレス日本人会創立。
*1927... この頃、日墨協会創立。会長に森山慶三郎、理事に井上雅二、伊谷以知二郎、近藤篤弘、森電三ら。
*1927.1.27. メキシコ、連邦植民法施行細則公布。
*1927.2.11. カリェス政府、教会財産を国有化。外国人牧師、教会関係者の追放。
*1927.3.19. 都土地会社が50万ペソでエスタンスエラ農場を購入。5月11日、12家族31人が日本を出発、6月上旬、農場に入る。
*1927.11.. リベラ、ソ連から革命10周年記念式典に招待される。
*1927.12.25. 瀧釟太郎編著『世界無比の親日国-大宝庫メキシコ』(公進社)刊行。
*1928... マルティン・ルイス・グスマン著『鷲と蛇』(El a`guila y la serpiente)
*1928.1.. メヒカリ福岡県人会創立。
*1928.5.. メヒカリ日本人農会創立。
*1928.5.. ウィストラ日本人会創立。
*1928.7.10. オブレゴン、大統領に再選される。
*1928.8.. 副島八郎、ソノラ州エルモシーヨ西郊のランチョで内山某とともに白骨死体となって発見される。銃で撃たれたうえ頭部を撲打されていた。数日後、運転手ホセ・ガルベスの犯行と判明、逃亡罪が適用される。
*1928.10.17. アルバロ・オブレゴン、メキシコ・シティで暗殺される。
*1928.11.. タパチュラ日本人会創立。
*1929... 瀧釟太郎が『メヒコ新報』創刊。文選に青山正文。
*1929... メキシコ大学、自治権獲得。
*1929.1.. メヒカリ婦人会創立。
*1929.8.11. メキシコ政府、8時間労働や最低賃金、スト権などを規定した労働法を公布。
*1929.11.. リオ・マヨ日本人会創立。
*1930... カリェスの農地改革中止令によって各地で労働争議頻発する。
*1930... バハ・カリフォルニアの採鮑の中心、バイア・トルトゥガスにMKをはじめとする日本人漁業家の缶詰工場と採鮑漁業者のキャンプが多数あり、1930年には139人の日本人移民がいたという。
*1930... ピアソン・グループ、ポサ・リカ油田開発。
*1930.2.5. メキシコで、パスクァル・オルティス・ルビオ、大統領に就任。
*1930.3.. 鹿児島県同志会創立。
*1930.4.. 墨都日本学園開校。墨都日本人会が経営。
*1930.8.15. 日本人経営の理髪店の閉鎖を要求する「請願書」がマサトランの理髪師組合によって連邦衛生官に提出される。
*1930.10.14. 照井亮次郎、ベラクルス州ロドリゲス・クララで死亡。56歳、心筋梗塞。
*1930.12.9. セルゲイ・エイゼンシュテイン一行、メキシコ・シティに入る。32年2月、クレムリンとの対立で撮影未完のままメキシコを去る。
*1931.3.. メヒカリ広島県人会創立。
*1931.3.. シウダー・オブレゴン日本人会創立。
*1931.6.. メキシコ、金本位制に復帰。
*1931.8.. ソノラ州知事カリエスが中国人移民の州外への強制移動命令を発令。約3000人の中国人移民がほとんど財産放棄の形で州外に追放された。
*1931.8.. ソノラ州在留日本人代表者会創立。
*1931.9.. メキシコで、連邦労働法、公布される。
*1931.10.. ミナティトラン日本人会創立。
*1932.4.. アグァ・プリエタ共栄会創立。
*1932.8.. 1930年代に入るとバハ・カリフォルニアの鮑は絶滅に近い状態になったため、メキシコ政府はバハ・カリフォルニアでの缶詰用以外の鮑の採取と輸出を向こう5年間にわたって禁止。採鮑に従事していた日本人漁業者は手痛い打撃を受けた。
*1932.8.. カナネア友愛会創立。
*1932.9.8. ベラクルスで日本人商店が失業したメキシコ人労働者たちによって襲撃される事件が起きる。
*1933.2.. 防長海外協会メヒカリ支部創立。
*1933.4.. グァダラハラ日本人会創立。
*1933.9.14. 大型シクロン(台風)がタンピコ地方を襲撃、日本人漁業者にも被害を受けた者が多かった。
*1934... カルデナス政府のもとでアグラリスタ運動はじまり、1937年に入るとメヒカリでも盛んとなり、日本人移民の農地の多くはアグラリスタに接収され分配されていった。
*1934... 棉花価格大暴落。メヒカリでは日本人会を中心に日本人移民を対象にした救済委員会が組織される。
*1934... オロスコ、国立芸術宮殿の壁画『カタルシス』を制作。
*1934... メキシコのアベラルド・ロドリゲス政府、農地法制定。土地分割権を州から連邦に移管、エヒード委員会を設置しエヒード再建を図る。
*1934... 1921年の文部省設置から建設が進んだ農村地域での教育機関「人民の家」約8000校となる。
*1934.1.. メヒカリ沖縄県人会創立。
*1934.3.. 日本人貿易組合設立。
*1934.3.. メキシコ市日本人貿易組合創立。
*1934.7.. アジェンデ日本人会創立。
*1934.7.2. ラサロ・カルデナス、大統領選挙で当選。12月1日、就任。
*1935... 辻真が『メキシコ新報』発刊。30年あるいは32年の発刊という説もある。『メヒコ新報』に対抗するようにして発刊されたとして公使館に批判が集中、わずか1年足らずで廃刊。編集は中川与と平田忠義。
*1935... メキシコGM社、設立される。
*1935.4.. クリアカン日本人会創立。
*1935.12.. 企業別労働組合35団体からなるメキシコ共和国石油労働者連盟成立。
*1936... エンセナダ鹿児島県人会創立。
*1936.2.. ビセンテ・ロンバルド・トレダノ、メキシコ労働者連合(CTM)を組織。
*1936.4.. 35年6月にメキシコから出たカリェス、同年12月に戻ったあとふたたび亡命。
*1936.8.. バジェス日本人会創立。
*1936.11.23. メキシコ政府、新没収法公布。政府に私有財産没収権を与える。
*1936.12.. マンサニーヨ日本人会創立。
*1937... メキシコ人類学会、創立される。
*1937... オロスコ、グァダラハラ州政庁の『戦うイダルゴ神父』などの壁画制作にとりかかる。
*1937... トロツキー、メキシコに亡命。
*1937... メキシコで輸出入銀行、創設される。Banco Nacional de Comercio Exterior. S. A.
*1937.1.30. カルデナス政府、全国石油総局創設の政令公布。国有地石油資源開発権を付与。石油国有化に進む。
*1937.3.. リオ・マヨ日本学園創立。リオ・マヨ日本学園維持会が経営。
*1937.6.. カルデナス政府、鉄道国有化。
*1937.11.1. メキシコ政府、スタンダード石油の採油権を国有化。
*1938... この頃から『墨西哥時報』発刊。その後、日米開戦で廃刊。
*1938.2.. エスクィントラ日本人会創立。
*1938.2.12. 青山正文編著『彼等は斯の如くメキシコに奮闘せり』刊行。
*1938.3.18. メキシコ政府、36年の石油接収法に基づいた「石油産業国有化に関する布告」石油接収法令を発令し、アメリカ、イギリス18社の石油資本資産を接収。6月7日、PEMEX設立。アメリカはメキシコ銀の購入停止、イギリスは外交関係断絶。
*1938.3.30. カルデナス、公的政党をメキシコ革命党(PRM)として再編。
*1938.6.7. カルデナス政府、メキシコ石油公社(PEMEX)創設。
*1938.8.. カルデナス、全国農民連合(CNC)を組織。(35年の説あり)
*1938.9.5. メキシコ政府、ドイツ、イタリアとの間に石油のバーター協定締結。
*1939... メキシコ政府、貿易斡旋所を設置し、日本商品の取引と斡旋をはじめる。
*1939... メキシコ・クライスラー社、設立される。
*1939... メキシコ国立人類学歴史学研究所、設置される。
*1939... 国家行動党(PAN)結成される。
*1939.1.. モンテレイ日本人会創立。
*1939.1.31. メキシコでの石油利権開発を目的に太平洋石油株式会社が日本外務省、陸軍省、海軍省、大蔵省によって資本金1000万円で設立される。現地会社としてラグナ、ベラクルサナの2会社を設立、メキシコ側では都留競が代表となっていた。
*1939.4.. ティファナ日本語学園創立。ティファナ父兄会が経営。
*1939.5.. メヒカリ日本語学園創立。メヒカリ学園維持会が経営。
*1939.5.. 墨都日本青年会創立。
*1940... ミチョアカン州パックァロで第1回インディヘニスモ会議、開催される。
*1940... シケイロス、トロツキー暗殺関与容疑を受けメキシコを去る。
*1940.2.. 日本人貿易組合を発展させ、墨西哥日本人商工会議所創立。
*1940.4.. アメリカとの間に「空軍相互通過協定」を締結。メキシコはその領空をアメリカ空軍に開放。
*1940.5.1. カルデナス政府、アメリカ石油資本シンクレア・グループとの間に補償協定締結。同時に割引販売契約に調印。
*1940.8.21. トロツキー、コヨアカンのウィーン街の隠れ家で暗殺される。
*1940.10.1. この日現在のメキシコ日系人総数4097人。世帯数1269、妻が日本婦人の者291人、メキシコ婦人の者424人(『墨西哥中米大観』)。
*1940.11.10. 各地の日本人会の代表が公使館の指令でメキシコ・シティに召集され、日米開戦に備え在留民に対する公使館の代行機関として在墨連合日本人会を各地日本人会の連合体として創立。機関誌『メキシコ時報』発刊。
*1940.12.1. アビラ・カマチョ、大統領となる。
*1941.2.. 海野稔著『墨西哥中米大観』(墨西哥時報社)刊行。
*1941.7.. マヌエル・アビラ・カマチョ大統領、ルーズベルトの善隣友好、大陸連帯主義という汎米主義に呼応、「経済協定」を締結。
*1941.12.. バハ・カリフォルニア南部サン・ルカスで日本人所有船「吉野丸」他1隻が拿捕される。
*1942... メキシコの日系人は約6000人、うち約4500人が日本国籍保持者だったという。バハ・カリフォルニア州1200、メキシコ・シティ900、ソノラ州500、コアウィラ、チワワ各州400、シナロア、ベラクルス、チアパス各州300、その他200人。
*1942... リオ・マヨ日本語学園校長の滝沢清二郎夫妻がトラルパン学園開校。
*1942.1.5. バハ・カリフォルニア州の日本人移民に「移転命令」発令。外国人登録事務所への出頭が命じられ、「自発的意志に基づく首都への移住願」と記された書類に署名、15日までに「内陸部」に移転するよう命じられたという。
*1942.1.9. ポルトガル代理公使ホセ・ドス・サントス・シルビア・タベイラ、日本政府利益代表となる。
*1942.1.12. メキシコとアメリカ、共同防衛委員会を設置。
*1942.1.16. メヒカリ方面からの移転第1陣60余人が北条隆一に先導されメキシコ・シティに到着。その後、23日までに続々575人が到着、バタン農場に入った。
*1942.2.. メッサースミス、キューバ大使からメキシコに転任。約300人のFBI要員も同時に入国、政界、軍部、報道機関などに工作をはじめた。
*1942.2.. 対日強硬政策の急先鋒となった前大統領カルデナス、太平洋沿岸防衛司令官としてエンセナダに赴任。
*1942.2.10. メキシコ政府、ポルトガル公使を通じて2月18日をもっての外交官国外退去を通告。
*1942.2.15. ソノラ州ノガレスの日本人移民に退去命令。当時、ノガレスには約80人が在留。
*1942.2.18. 日本政府外交官メキシコ退去。20日、国境のヌエボ・ラレドに到着、セントルイス、シンシナティを経て22日、ヴァージニア州ホット・スプリングスに到着。
*1942.2.20. 外交官引き揚げ後の日本公使館内で「武器隠匿」が発覚。捜査は代理公使タベイラ、加藤、松下の立ち合いのもとに前後5日間に及び、事務所の地下室から38式小銃24他が発見される。1914年、軍艦出雲で派遣された森少佐が持ち込んだものだった。
*1942.3.. メキシコ各地で日本人移民の取締り、検挙が激しくなる。
*1942.4.. メキシコ政府、全国原住民庁(INI)設置。
*1942.4.5. ベラクルス州タンピコの日本人移民に退去命令が出される。メキシコ・シティへの実際の退去は23日。それ以前から日本人会関係者の逮捕、拘留、護送など、一時、緊張が続いていたが大きな問題もなく過ぎていた。
*1942.5.16. メキシコ在留の商社関係者22(23)人、メキシコ退去。ノースカロライナ州のアシュビルで待機したあと交換船に合流。
*1942.5.31. メキシコ連邦政府上下両院はカマチョ大統領に対し宣戦布告の権限を付与。
*1942.6.1. カマチョ大統領、5月22日にさかのぼり、日本、ドイツ、イタリアとの間に交戦状態に入ったことを宣言。
*1942.10.. 太平洋石油、資金も回収できないままに解散、帝国石油会社に合併される。資本投下額は930万円。
*1943.1.7. テミスコ学園開校。学園長、横田貴美衛。45年12月15日閉校。モレロス州のテミスコ農園に移転した子どもたちを対象としたもの。
*1943.4.. アビラ・カマチョ大統領、モンテレイでルーズベルトと会談。対米協力に合意。
*1943.5.. エル・コレヒオ・デ・メヒコ、設立される。
*1944.12.1. メキシコで中央学園開校。学園長、山城秀雄。
*1945... リベラ、大統領宮殿の『偉大なるティノティトラン』制作。
*1945... シケイロス、国立芸術院の『ニュー・デモクラシー』制作。
*1945.1.24. タクバ学園開校。学園長、二羽きく。
*1945.2.11. クエルナバカ学園開校。テミスコからの移転者が増加したため志山美鳥が学園長となってはじめたもの。
*1945.8.2. 詩人ホセ・ファン・タブラダ死亡。
*1946.1.. メキシコ革命党(PRM)を制度的革命党(PRI)に再編。
*1946.4.29. メキシコに国粋同志会が発足。一時は350人を超える会員を有したこともあったという。
*1946.12.. ミゲル・アレマン大統領、PEMEX総裁にアントニオ・ベルムデスを任命。PEMEXの管理、運営の中央集権化を進める。
*1946.12.1. ミゲル・アレマン、大統領となる。
*1947... アグスティン・ヤニェス著『嵐の前』(Al filo del agua)
*1948... ビセンテ・ロンバルド・トレダノ、人民党を結成。
*1948.7.. メキシコ、ペソ切り下げ(4.85→8.65ペソ)
*1949.9.7. オロスコ、メキシコ・シティで死亡(65歳)。
*1950... メキシコ・シティのファレス国際空港開港。
*1951... 1948年に自然消滅した旧共栄会の幹部を中心に墨国日系人会設立。初代会長に松田英二。
*1952... シケイロス、大学都市の『人民のための大学』などの制作にとりかかる。
*1952... ビジャ・エルモサのパレンケで王墓が発見される。
*1952.11.. メキシコ大学都市完成。
*1952.12.1. メキシコで、アドルフォ・ルイス・コルティネス、大統領に就任。
*1953... タクバヤ学園開校。学園長に野坂光造。
*1953... ファン・ルルフォ著『燃える平原』(El llano en llamas)
*1954.4.. メキシコ、ペソ切り下げ(8.65→12.50ペソ)
*1954.7.13. フリダ・カロ、死亡。
*1955... 戦前の墨都日本人会の資金管理をしていたメンバーが中心となって墨都日本人会が復活。
*1955... ファン・ルルフォ著『ペドロ・パラモ』(Pedro Pa`ramo)
*1955... 当舎勝次編『全墨日系人住所録』(清水幸夫商店発行)刊行。
*1955... メキシコで日系最初のスペイン語新聞として『エル・ムンド・デル・ニセイ』(二世の世界)が20歳前後の二世たちによって発刊される。
*1955.7.. 墨国日系人会と墨都日本人会が合同しメキシコ中央日系人会に。
*1956... シケイロス、メキシコ国立自治大学本部棟壁画プロジェクトを完成。
*1956.7.30. ニュネス・エスカランテを公証人に公益法人日墨協会(Asociacion Mexico Japonesa A.C.)設立。臨時会長ルイス・ロドリゲス、副会長松本三四郎、ラモン・イトゥルベ。
*1957... ロサリオ・カステヤノス著『バルン・カナン』(Balu`n Cana`n)
*1957.11.24. リベラ、メキシコ・シティで死亡(71歳)。
*1958... メキシコ政府、新油田法を制定。
*1958... カルロス・フエンテス著『最も透明な土地』(La regio`n ma`s transparente)
*1958.11.. メキシコ政府、新石油法制定。民間の開発権を認めた41年石油法を否定し、国家による独占的開発を明確にする。
*1958.12.1. メキシコで、アドルフォ・ロペス・マテオス、大統領に就任。
*1959... クエルナバカのカテドラルで26聖人殉教の壁画が発見される。
*1959.1.. 日墨会館が竣工し開館式。定礎は1956年12月16日。
*1960... カルロス・フエンテス著『良心』(Las buenas conciencias)
*1961... 日本・メキシコ経済協議会設置。
*1961... メキシコ中央日系人会と墨都日本人会が合同しメキシコ日系人会として再編成される。会長に松本三四郎。
*1961.1.. 墨都日本人会とメキシコ中央日系人会が再合同してメヒコ日系人会に。会長に松本三四郎。
*1961.6.25. メリダの国立病院に野口英世の銅像建立され、除幕式。玉川学園が寄贈。
*1961.7.1. 『週刊日墨』(当舎勝次主幹)発刊。資金拠出はタマウリパス州の安藤勇ら。77年廃刊。
*1962... パン・アメリカン・ハイウェイ開通。メキシコ市、タパチュラ間を20時間で結ぶ。
*1962... カルロス・フエンテス著『アルテミオ・クルスの死』(La muerte de Artemio Cruz)
*1962... ロサリオ・カステヤノス著『闇の仕事』(Oficio de tinieblas)
*1962.8.. メキシコ、ロペス・マテオス大統領が自動車国産化令を発表。64年9月1日施行。
*1964... ビセンテ・レニェロ著『左官たち』(Los alban~iles)
*1964... メキシコ国立近代美術館、一般公開はじまる。
*1964.4.16. メキシコ日本商工会議所設立(登記)。
*1964.9.. メキシコ国立人類学博物館完成。
*1964.12.1. メキシコで、グスタボ・ディアス・オルダス、大統領に就任。
*1965... メヒコ二世協会(Asociacion Nisei de Mexico. A. C.)創設。会員150人、会長にレネ・田中。
*1965... グスタボ・サインス著『うさぎ』(Gazapo)
*1965... サルバドル・エリソンド著『ファラベウフ』(Farabeuf)
*1966... フェルナンド・デル・パソ著『ホセ・トリゴ』(Jose` Trigo)
*1966.9.29. 佐野碩がメキシコで死亡。
*1967... ビセンテ・レニェロ著『らくがき』(Garabato)
*1967... カルロス・フエンテス著『聖域』(Zona sagrada)
*1968... メキシコ芸術アカデミー創設(会長、シケイロス)。
*1968... 瀧釟太郎編著『メキシコ国情大観』(メヒコ新報社)刊行。
*1968... ホセ・アグスティン著『夢見ているつもりで』(Inventando que suen~o)
*1968... 日本・メキシコ経済委員会設置。
*1968.5.5. メキシコで日本大使館付属日本人学校開校。
*1968.10.. メキシコ・オリンピック開催。
*1968.10.2. ディアス・オルダス政府のもとで学生を中心とした反政府運動が激しくなり、政府は軍隊を導入して鎮圧。「トラテロルコの虐殺」
*1968.11.30. 榎本殖民70周年を記念してアカコヤワに「榎本殖民記念」碑を建設。裏面には松田英二筆で「夏草やつわ者共の夢の跡」と篆刻され、その下には最初に入植した日本人の姓名が刻まれている。
*1969... カルロス・フエンテス著『誕生日』(Cumplean~os)
*1969... メキシコ・シティのメトロ(地下鉄)運行開始。
*1969... メキシコで選挙法改正。18歳以上の男女に選挙権拡大。
*1969.5.17. 第1回日本メキシコ経済委員会、メキシコ外務省で開催される。66年、東京で第2回委員会開催。
*1970... アルフォンソ・村井、ロベルト・川崎、ホルヘ・関口、ルイス・岩垂らが日本メヒコ文化学院(Instituto Curtural Mexico Japon)創立。唯一の日本語成人教育機関として特異な存在に。
*1970.12.1. ルイス・エチェベリア・アルバレス、大統領に就任。
*1971... シケイロス文化ポリフォルム、公開される。
*1971.3.. 日本・メキシコ留学生交流計画発足。
*1972... メキシコで南部レフォルマ油田(イスムス原油)発見され、原油生産急増し原油輸出再開される。
*1972.4.. アジェンデのサンチアゴで開かれたUNCTAD総会でエチェベリア、「国家間経済権利義務憲章」を提唱。2年後には第29回国連総会で「新国際経済秩序」の一部として採択される。
*1973... エチェベリア、「新外資導入法」公布。
*1973.1.18. 二世、新一世48人で日墨成年会創設。5月12日発会式。8月、日墨協会に合併。
*1974.1.6. シケイロス、クエルナバカで死亡。
*1974.9.29. 社団法人日本メキシコ学院(LICEO MEXICANO JAPONES. A. C.)設立。翌年6月20日認可。
*1974.11.14. ナウア・インディヘナ職業人機構、組織される。
*1975... エチェベリアの「諸国家の経済的権利義務憲章」、国連総会で採択される。
*1975... カルロス・フエンテス著『テラ・ノストラ』(Terra Nostra)
*1975.10.. 第1回全国インディヘナ人民大会、ミチョアカン州パックァロ湖のハニツィオ島で開催される。
*1976.6.6. メキシコ、漁業専管水域200カイリ拡大を宣言。
*1976.12.1. ホセ・ロペス・ポルティリョ、大統領に就任。
*1977.9.. 日本メキシコ学院開校。
*1978... カルロス・フエンテス著『ヒドラの頭』(La cabeza de la hidra)
*1978... ホセ・アグスティン著『王は神殿に近づく』(El rey se acerca a su templo)
*1978... ビセンテ・レニェロ著『ジャーナリストたち』(Los periodistas)
*1980.9.4. メキシコ政府、朝鮮民主主義人民共和国と国交樹立。
*1980.10.24. オアハカ州北部でM6.5の大地震。
*1981.5.. アレホ大使、メキシコ・シティ、チュルブスコ通りのポプラル公園をマサヨシ・オオヒラ公園と改称することを日本政府に申し入れる。
*1981.6.26. 日産、アグアス・カリエンテス州に年産36万台の新鋭エンジン工場を新設することを発表。7月に着工、83年に稼動、敷地面積160万平方メートル、従業員約1200人、総工費は85年までに約900億円。
*1981.7.24. パン・アメリカン国際日系人会議、南北アメリカ11カ国の代表約500人を集めてメヒコで開催。26日まで。パン・アメリカ日系協会設立。会長、カルロス・春日。
*1981.8.7. カストロ、コスメルに入り、ロペス・ポルティジョと会談。
*1981.10.22. 南北サミット、カンクンで開催される。
*1982.2.18. メキシコ、ペソ切り下げ(26.88→37.66ペソ)
*1982.8.6. メキシコ、ペソ切り下げ(→74.08ペソ)、二重相場制を実施。さらに19日、三重相場制に移行。
*1982.9.1. ロペス・ポルティジョ大統領、50を超える私立銀行の国有化を発表。
*1982.12.10. 9月以来の二重固定相場制を廃止し、外債支払いには1ドル=70ペソの管理レートを設定し、その他を自由相場とする。
*1983... 荻野正蔵、『新日墨』を『にちぼく』に改称。
*1983.1.14. PEMEX、約4万人の解雇を決定。現在、日産270万バレル(世界第4位)、この半分を輸出、年間150億ドルの外貨を得ている。
*1983.5.16. ミゲル・アレマン、死亡(82歳)。
*1983.5.30. 国家開発5カ年計画(PND)発表。
*1984.6.4. 国家開発資金計画発表。
*1984.11.19. メキシコ・シティのサン・ファニコ地区のPEMEX都市ガス供給センターでガス・タンク爆発。死者500人を超える。
*1985.5.29. メキシコ農業水資源相ペスケイラ、マナグァで32万バレルの石油供給協定に調印。
*1985.9.19. メキシコ大地震。M8.1。死亡者約1万5000人、被災者総数3万5000人。
*1985.9.24. 地震で崩壊したメキシコ・シティの地区刑事本部からサウル・オカンポ・アバルカの拷問死体発見される。農民運動指導者の弁護にあたっていた。
*1987.5.11. メキシコで「移住90周年」記念式典開催。

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