記憶

 上り詰めると街道みちは丁字にさよならして、紅殻べんがら格子の家並みのはずれを西の急坂にころがり落ちていた。ほとんど懸崖けがいといっていい、足元をたがえばまさに奈落の底で、誰がいったか御経坂おきょうざかと呼ばれて、男はそれをくだっていた。

 そろり、そろり……、

 靴のなかは、爪先でもあたるのか、それとも魚の目がさわるのか、蟹股気味に下り切ると、深い流れに土橋がかかり、たもとで道はさらに二手に別れ、一つはそのまま先を行き、もう一つは流れのへりをゆっくりと円弧を描いて杉の木立に消えていた。けれど目をらせばもう一つ、別れのきわ杣道そまみちも見えて、冬枯れの隈笹くまざさむらに埋もれてはいたが、躊躇ためらうことなく男はそれをとっていた。

 ぱりっ、ぱりっ……、

 踏み出すたびに朽枝くちえだが乾いた音を立て、ゆるんだ古畳のように鈍く沈む。と、石でもあるのか、時折、固いものが靴裏を叩く、その気配に遠い記憶があった。

 やがてひらけた木立の先に男は小さな堂宇をたしかめた。大人でさえ二抱えはあるだろう、大杉が前を仁王立ちにふさいでいる。それがさらに堂宇を小さく見せて、間口も四間ばかり、屋根は二層にゆったりと流れるように裾を広げるのだが、大棟おおむねがあちこち蛇のようにのた打って、隅棟すみむねもいくつかこぼれて鼠瓦を落としたまま垂木たるきも露わに苔をかぶって眠っていた。

 それを男は慣れた足取りで正面石段を基壇に上ると、妻戸の脇の連子窓れんじまどに手をかけた。穏やかにそしてしばらくなかをうかがうようにしていたが、暗がりに目がいうことを聞かないのか、黒革の手袋を外すと両手で額にひさしをつくり背中を丸めた。須弥壇しゅみだんだろう、奥の薄闇に人形ひとがたがぼんやり浮かんで見える。と、それだけで、鉛色に沈んだ瓦床には、天井板でもげ落ちたか、散り散りに、端板が埃の蒲団を被って転がっていた。

 ふうーっ、と男は口をすぼめて息を吐いた。そして妻戸の梁を見上げた。扁額がそこにあることを疑わない、たしかな目つきだった。もちろんとっくに墨も流れ、地割れのようにいくつもひびが走ってはいたが、のみ跡の凹凸を頼りにかすかに読める。

 ──仏徳山ぶっとくざん慧州寺けいしゅうじ

 そうしてしばらくにらむようにしていたが、やがて基壇を左に一つ、二つ、と回り、三つ目の角で、これもそうすることに決めていたか、ゆっくり立ち止まると足元の石垣下を見下ろした。それではじめてわかるのだが、平屋が一棟、暴れるままの薮椿やぶつばきの林を背にひっそりあった。だから音もなく、引き戸の玄関はもちろん、周りの濡れ縁も雨戸が閉ざされたまま、あちこち裾板すそいたち落ちて釘目を残して気儘きままに反り返っている。それでも深い木立に抱かれてか、たしかにあるのが不思議だった。

 

「いうても古い話でなあ」

 そまの参道を戻ったところで、男は老爺に出くわしている。

「もう四十年ちこうなりますやろか」

 男の問いかけに首をひねった。

「いまはこんなんやが、むかしはきちんと和尚おっさんもいなさって、立派なもんどした」

 冬枯れの、それも日暮ひのくれの見知らぬ男というのに少しのいぶかるけしきもない。というより古く錆びついた記憶の錠前を、ぽろりと外されるかたちになったのだろう。

「それが、急に大黒おくさんが死なはってなあ」

 かれもしないのに続けている。ただ、これには男の眉がぴくりとこたえた。だが、もちろん老爺は気づいていない。

「気落ちなさったんやろう、七七日を上げると、故郷くにに帰るいうて……」

「くにに?」

「はあ、向こうのどっか、また住持に入りなさったんやないかな。わしらもそこまでくわしゅうは知らんのやが」

 と、しばらく遠くを眺めるようにしていたが、すぐに糸目いとめをたどれたようだった。

「三年ほどった頃やったか、死なはったらしいいうて」

「ご病気で?」

 老爺の顔を覗き込むようにして男はたしかめた。

「いや、それが、どうもそうやのうて、なんや、事故やったとか、そないに聞いとりますがなあ」

 いいながらあごをしゃくり上げた。男の肩にも届かない、丸い団扇顔の爺さんだった。

「ほれ、ご存知やろか、このかみの街道をくだった先の大燈寺だいとうじはん」

 振り向いて急坂の方を指さした。

「ここは、その末寺でしてな。なんせ、こないなとこでっしゃろ、あとの来手きてがのうて、盆暮れだけは、雲水うんすいでっしゃろな、若いのんが三、四人、草刈りやらなんやら、あっちこちきれいにして帰らはるが、あとはったらかしで」

 いわれて男は参道に目を遣った。ついさっき戻ったばかりなのに、もう隈笹に埋もれて跡もない。

「見ての通りの村ですわ。檀家いうてもいくらものうて、っていけまへんがな。けど、和尚おっさんもそやったが大黒おくさんも気のええ人でしてな。としは……、そやなあ、わしらより一回りはいっとったやろか、小柄な人で、可愛いらしゅう見えましたわな。それが気の毒に寝込まはって、十年、いや、もっとやったか、和尚さんがよう看病せわしなさった」

 記憶の糸は一つ手繰たぐるとあとは芋蔓いもづるのように引っかかるのだろう、男を置いてほとんど独り言のようになっていた。

せーたっかーい人でな、六尺ちこうはおましたやろ。いっつも、にこーっと愛想あいそがようて、境内だけやのうて村のなかまで、道掃除やら溝浚どぶさらいやら、欠かさんひいがなかったわな」

 男は黙ったまま、といって聞き流すふうでもなく、小さくうなずくことでこたえていた。

「看病もたいていやなかったと思いますな。なんせ寝たきりでっしゃろ。けど、愚痴ぐちの一つもこぼさんと……」

 話は終わりそうになかったが、谷奥たにおくの寒村に日暮れは、師走というのも手伝って駆けるようにやって来る。やがて小道に二つの影が長く伸び、鼠色に沈みかけた山陰をかすめて夕陽がやんわり、光の筋を斜めに、男の顔を薄柿色に染め上げた。

 ちら、ちら、ちら……、と木洩日が額に躍る。それがまぶしいのだろう、ふと手をかざした眉間みけんの陰に、どこか柱にでも打ちつけたか、古傷が蚯蚓みみずれに浮かんで見えた。

「人がおらんとあきまへんなあ、本堂もあれでなかなかのもんで、庫裡くりもしっかりしてたんですわ。それがまあ……」

 一人、老爺は記憶のなかにいた。と、そのあとだった。

「そういやあ、たしかちっさい小僧はんがいなさったな」

 また一つ、糸目をさぐりあてたようだった。

少年

「慧州和尚!」

 宗務事務所で紹明じょうみょうは月締めの帳簿整理に忙しかった。

「表門に子どもがすわっとるんですが」

 午後の打ち水に出ていた雲水が眉間にしわを寄せ、いかにも困ったという顔つきで戻ってきた。慧州けいしゅうといったが法名ではない。もちろん禅門に限ったことでもなかったが、大燈寺では住持のことをそんなふうに塔所たっしょ名称なまえで呼んでいた。在家の屋号とでもいえばわかりよいか、奇妙な風習ならわしだった。

 その年はいつになく年明けから日和ひよりが続いて、暖冬という耳慣れない言葉も新聞雑誌に飛びったが、やがて帳尻合わせでもするかのように三月に入ると、どか雪の日が続いて、彼岸も過ぎたというのに境内の桜も蕾を硬く縮こめたまま、紹明には駱駝の護襟えりまきも放せない日が続いていた。

「子どもが?」

 すぼめた肩口から雲水を見上げた。黒縁の丸眼鏡が鼻の頭にずり落ちている。近年、とみに背中も丸まり、眉も雲水時代は剣の切っ先のようにきいっとり上がっていたのが、六十の声を聞いたかと思うと急に白いものが混じるようになり、すると見る見る伸びてまぶたも覆わんばかりに、仕草にもどこか山里の好々爺を思わせて穏やかだった。

「ええ、小倉こくらの詰め襟を着てましたから中学生でしょうかね、何をいても返事もしません」

 雲水は吐き捨てた。

「中学生か……」

 思い当たることでもあるのか、言葉にならず紹明はつぶやいたが、

「なんぞ、ふざけとんのやろ」

 すぐに思い直している。実際、そう思いたかった。雲水は面倒臭そうに顔をしかめた。

「いえ、それがもう昼前から、ずうっとるんですよ」

 もともとこの国の寺というのはそうだったように、大燈寺も殿上てんじょう貴族の子弟を集めての私塾のようなものからはじまっている。鎌倉末期のこと、喧騒の条坊を避け北の僻野はずれに開いた、わずか四間四方の禅道場だった。それが南北朝を過ぎると権力におもねて伽藍を重ね、さらに塔所たっしょが囲んで大きくなった。様子が変わったのは維新後のことだった。廃仏毀釈の嵐のなかですさみに荒み、昭和に入ると寺領もなりり構わず切り売りしたから、建て込む町家に勢い気圧けおされ、三門、仏殿、法堂はっとう、と七堂も欠けずにあったが、我がもの顔にひしめく塔所に遠慮してか、小学生が朝礼で小さく前へならえをするように窮屈そうにしていた。

 そんな伽藍の北のどん突きに、方丈は本坊とも呼ばれて宗務事務所になり、そこに週五日、紹明は通って事務方を務めていた。俸給制で、ほかにも塔所住持が十人ばかり月番で詰めていて、だから紹明のように、末寺からというのはもちろん、年を重ねての常勤というのも例がなかった。

 宗務方筆頭の宗務総長は宗忠そうちゅうといって、紹明とは美濃の慈眼寺じげんじ僧堂の同夏どうげだった。慈眼寺は大燈寺に少しおくれる南北朝以来の古刹で、道場修行の厳しいことでは禅門一、二とおそれられた。だからこそ同じように門を叩いて同じ釜の飯を喰らった二人には、血の繋がり以上にちかしいものがあった。おまけにおなどしだったから、相前後して山を下りると、宗忠はいきなり大燈寺でも筆頭の如水庵じょすいあんに、異例にも法嗣はっすとして入っている。けれど紹明はなぜか北に三キロばかり外れた末寺に、それも檀家も指折り数えるほどの、すでに無住となって久しい慧州寺に回されている。のっけからの島流しといってよかった。ほかでもない、僧堂では紹明の方が差配頭としての知客しかを長く務め、指南役の師家しけにも覚えが高かった。とはいえ、そこは禅門もどこか企業社会に似て、能力通りにいかないことも間々あった。

「子どもか……」

 繰り返したのには理由わけがあった。もうずいぶんになる、夏の暑い一日だった。半島を廻る地方鉄道の無人駅から谷沿いに、土埃つちぼこりの山道を車で一時間ばかり入った僻村だった。いつもなら若い雲水上がりが代参するというのに、その年の盂蘭盆は芥子からし衣の老僧だった。年格好からいってけっして短躯でもなかったが、それでも不足なのか、これでもかといわんばかりに背を弓なりに大手を振ってやって来た。つるつる頭はてっぺんがつんととんがり、鼻筋の通った口元をへの字に結んでいる。

 半島も南のてのそのあたりは、なぜか禅門、それも臨済禅の末寺が多かった。といっても無住寺ばかりで、その寺も長く晋山しんざんを欠いていた。三つある部落を合わせてもようやく三十戸をかぞえるばかり、三日月のような棚田が幾重にも鱗のようにひだを重ねる山肌にへばりつくようにして藁葺き屋根が点々とする。だから、寺は山の頂か、逆に擂鉢すりばち状に落ち込んだ谷底の無用の地にしか開かれない。おまけに毎年、台風が欠かさずやって来て、そうでなくてもたかの知れた作物は潮風と雨にやられて不作に終わる。若者はもちろん、俗世を避けた沙弥しゃみにさえ見捨てられる山里だった。紹明の実家さと山林やまはもちろん田畑でんぱたも、飛び飛びだったが、合わせれば一町歩を優に超えた。代々藩領差配の家柄で、その日も総代を務める父に付き老僧の脇侍きょうじに立ち働いた。それが見留られ、小僧に、と請われるままに得度とくどした。十二の春だった。そして十九の秋に慈眼寺に掛錫かしゃくしている。

 一方、師の言外宗雄ごんがいそうゆう、つまりあの日の老僧は、紹明を慈眼寺に送った明くる年、宗門首座の管長を兼ねた師家として大燈寺に招かれていた。以来十余年、他山からの聞こえも高く、開悟かいごの紹明が慈眼寺をあとにしたときも変わらず師家の座にあった。だから宗忠と並んで慈眼寺二傑といわれた紹明を山内いずれの塔所に据えることも難しくなかったが、あえて無住続きで荒れるままの慧州寺に送り込んだのだった。愛弟子だからこそ安穏あんのんを戒めたともいえる。

 そんな思いを受けて紹明は慧州寺の再建に努めた。庫裡はもちろん本堂の修築から、暴れ放題の隈笹に見分けもつかなくなっていた参道も新しく石をいてやり替えた。その野面のづら石は本山出入りの植木屋から半端物を譲ってもらっている。といって運ぶとなると一苦労で、それにも紹明は、一人、大八車をいた。ただ棟の傾いた本堂や庫裡の修復はさすがに素人の手に負えず、本山出入りの大工や左官を頼み、それでも資材運びや壁土ねには腕捲うでまくりし、瓦の葺き替えにも大屋根に上ったし、用材のかんな掛けも、やってみれば玄人並みにこなしている。

 問題は費用だった。だが、これには廃寺再興という名目が立ち、言外の後押しで半分が本山持ちで残りは慧州寺、つまり紹明の個人負担となってかたが付いた。ただ雲水上がりにそんな貯えのあるはずもなく、実際はそれも本山が肩代わりして、返済には紹明を宗務にけ、俸給の一部をあてることで決着した。紹明の本山勤めにはこんな経緯いきさつがあったのだが、すべては、いってみれば言外の思惑通りで、慧州寺建て直しを紹明にかけてのことだった。そうして半年、庫裡周りの修理も終え、ようやく人並みに住めるところまで漕ぎ着けた。無住のときは本山付きとなっていた檀家も、少ないながらも元通りになり、言外の介添えで晋山しんざんの挨拶回りもすませている。檀家は街道下を南に抜けた下之町しものまち織屋おりや筋にもいくらかあったが、ほとんどはさらに西に外れた栢野かしわのの、蘆山ろざん地区といったが、狭い路地に軒を並べる機屋はたやだった。

 庫裡は小さいながらも禅寺にはめずらしい、濡れ縁をめぐらせた寄せ棟の瀟洒な造りだった。それがなかに入ると、建具や畳まで、誰が持ち出したか、床板も剥がされたまま、廃屋そのものだった。ただ根太ねだの造りがしっかりしていたのと、柱や梁に栗やならなど良材を選んでいたから、屋根を葺き替え、床と畳を張り替え、建具もあちこち手直しすると見違えるようになった。

 もともと慧州寺は真言寺しんごんでらで、室町半ばまでは条坊の内に伽藍を構えていたが、応仁文明の十年戦争で焼け出され、一時のことと北の外れに移ったのが明治の宗門統制で禅寺に宗旨替えしてそのままになっていた。だから堂宇といっても、たしかにあったのは本堂と庫裡だけで表門さえなかったが、寺領の裏山はやたら広く、手はかかったが怠らなければへっついの煮炊きや風呂の薪にも不自由しなかったし、杉や桧も杣師を頼めばやがては売りに出せたから、襤褸寺も雲水上がりの独り暮らしには十分過ぎた。そして三十余年、途中、宗門にも赤紙が来て紀淡筋の本土防衛に駆り出されたが、それも半年で終わり、あとはごく平穏に宗務勤めも欠かすことなく、いまでは、慧州なしに宗務は立ちゆかない、と一目置かれるまでになっていた。といってもとしからすれば当然のことで、同夏の宗忠は宗門筆頭にまで上り詰めている。だから紹明もほんとうなら宗務三役の教学部長や法務部長、財務部長のいずれにあってもおかしくなかったが、末寺にその道は開かれていなかった。

「慧州和尚!」

 雲水の声に、思わず、うっ? とうろめいた。

「それで、あの子ども、どないしましょう?」

 雲水は指図を待っていた。

「そうやな……」

 いってはみたがすべもない。だから濁すしかなかった。

「まあ、もうしばらくそっとしておけ。大方おおかた、そこいらの町家の子が、冷やかしに庭詰にわづめの真似でもしよるんじゃろ、日が暮れたらによるわい」

 すっきりしないようだったが、雲水は、

「わかりました」

 と廊下に消えた。

 してかんう、祖師以来のたしかな作法だった。ただ紹明のむかしならまだしも、そんなけしきはどこにもなくて、禅道場、つまり僧堂も多くは廃絶のまま、めずらしく大燈寺では創建以来小さいながらも続いていたが、それでも戦後は清規しんぎたがが外れて、叢林そうりん安居あんごも末寺息子のどこか年季奉公のようになり、掛錫の庭詰にわづめや旦過たんがめもなりだけで、そんなことも近隣町家の子どもなら、見聞きしていてもおかしくなかった。

「まだ居よるんですが……」

 表門にかんぬきをかけに出た雲水が戻ってきた。も傾き、夜詰めの宿直とのいを一人残して僧堂に引き揚げる時間になっている。

「わかった」

 しょうがないな、とばかりに立ち上がると紹明は、分厚い帳簿のつづりを隅の書棚に仕舞いながらたしかめた。

「それで、なんぞ荷物でも持っとったか」

 はなから気になっていた。まさか家出やないやろうな……、それだけが心配だった。

「荷物? ですか」

「ああ、風呂敷包みとか、背負袋リュックとか」

 すると雲水は首を傾げ、

「そういえば、これくらいの手提鞄てさげかばんを膝のそばに置いとりましたね」

 胸前に、両手で小さく描いてみせた。

旦過

 ぎいーっ、

 鈍い音がして、中腰に耳門じもんを出てきた紹明は、いつものことだが手ぶらだった。

「二十分やそこいらなら、もつやろうかい」

 誰にともなくいってはみたが、空を見上げてその目は頼りない。低く垂れた鼠雲がむくむくと向かいの法堂の大棟の上まで迫っている。嫌な気がしたが番傘を取りに戻るのが億劫おっくうだった。

 少年は、やはりいた。ただ、雲水の話とは少しちがって、三角座りの小さな膝に、尖ったおとがいをちょこんと乗せて縮こまっていた。紹明は腹をくくった。

「行くか?」

 声をかけると少年はぴくりと見上げ、薄い一重まぶたをぱちくりさせた。久しぶりに見る、烏羽からすば色にんだ瞳だった。

「ちょっと歩くが、辛抱できるな」

 少年はうなずいた。それで紹明も胸を撫で下ろし、

「まあ、きょうのところは、わしんとこに泊まるがええ」

 にっこりいうと参道をかたこと行った。その背中を少年はしばらく睨むようにしていたが、やがて心を決めたか、鞄を小脇にあとを追った。

「いいとうないやろうが、このまま黙って連れ帰ったんでは人掠ひとさらいになるからな、かんわけにもいかんやろ」

 境内外れの参道で足を止めると振り返り、念を押した。

「どっから来たんや」

 少年は黙ったまま、わずかに唇が動いたかに見えたが声になっていない。

「まあ、ええやろ」

 紹明は諦め、また歩き出したが、やっぱり気になるのか、さっきよりはゆっくりだった。ぺた、ぺた、ぺた……、小股に靴音がついてくる。それを何度も背中にたしかめながら思ってみた。

 なんやろな、この子は? ここらの子にしてはちょっと身なりもちがうしな……。

 一目でわかる、身丈みのたけのわりに異様に手が長いのか、それとも服の方が縮んでいるのか、やじりのように尖った手首のくるぶしが、小倉の学生服の袖口から飛び出しているのが寒そうだった。ズックも、どれくらいいているのか、爪先がり切れ、親指の頭が覗いて、ズボンもつんつるてんに膝のあたりが照かって、空気の抜けた護謨ごむまりのようにふくれている。

「黙って出てきたんか?」

 参道を抜けたバス通りの角だった。下手しもてをやって来たオート三輪に足を止め、手持ち無沙汰に訊いてみた。少年は、うん、とうなずいたふうでもあったが、それだけで、やがて行く手はのぼりにかかり、街道下に入ったところで気がかりだったのがほんとうになった。つるつる頭だからすぐにわかる。ぽつりぽつりと冷たいものが落ちてきた、と思ったら街道半ばの醤油屋の前に差しかかったときには大粒の雨に変わっていた。さすがの紹明も首をすくめた。そして少年の肩に手をかけ小脇に寄せると頭から茶衣の大袖ですっぽり包んだ。といって駆けるふうでもなく、変わらずゆっくり、街道を上る。

あわてることもないわな、どうせ走っても間に合わん」

 いつもそんなふうだった。ただ天は心を知らない。雨足はひどくなるばかりで、二人を尻目に慈悲もなく、街道どん突きの丁字路を左に、家並みの外れを急坂の上に出たときには足元は滝のようになっていた。それでなくても石塊いしころだらけの崖道がけみちに、流れが幾筋もV字に溝をつくっている。それに下駄の歯を取られないよう用心して下るのだが、つい足が滑り、飛び出た指先が下駄先と地面に挟まれて電気が走る。やっとの思いで坂下にたどり着いたときには足首まで泥水が渦を巻いていた。

「さっぱりなや」

 つい、口を衝いて出た。法衣ころもはどっぷりと濡れしょぼれ、たもとは風船のように膨らんで裾から雫が棒になって垂れている。そればかりか、つるつる頭も雨筋が蚯蚓みみず腫れのように走って目にみる。たまらず額に手をかざし、参道に駆け込むと、杉のこんもり木立がやさしく二人を包んだ。

 

「おーい、帰ったぞ!」

 声をかけたが返事がない。紹明について庫裡玄関を入った少年はその腰脇から不思議そうに奥を覗いた。けれど、ただ薄暗いだけだった。

「ちょっと待っとれ」

 後ろ手に大戸を閉めると三和土たたきに下駄を脱ぎ捨て、紹明は上がり端を奥に消えたが、すぐにまた小走りに戻ってきた。

「風邪を引くといかんからな」

 自分は濡れたまま、白い手拭いを差し出した。少年はぺこりとお辞儀して両手で受けたが、そのまま棒のように突っ立っている。

「ほれ、早よう上がらんか」

 紹明はかせた。

「遠慮はいらん、さあ、早よう」

 少年は、はい、とこたえた。はじめての声だった。そしてあたりをさがすようにしていたが、やがて、三和土を斜めに進むと上がり端の隅に腰を下ろした。

 ズックを脱いだ。

 それからが意外だったが、上がり端に上がると屈んで片手を伸ばし、ズックの踵をつかんで先っぽをそろえようとした。

 ほおう、行儀のええやっちゃなあ……、見下ろして紹明は思った。ただ、ズックの方は気儘なかぎりで、踵が蟹股に磨り減っているからだろう、何度やっても爪先がそろわない。少年は諦め、恥ずかしそうに立ち上がった。足元には尻跡が馬蹄形に鈍く光り、ぽたり、ぽたり、とズボンの裾から雫が垂れている。

「いかん、いかん」

 奥に駆けると紹明は、また何やら片手に戻ってきた。

「わしのやから、ちょっと大きいかもしれんが……」

 紙のように薄く畳んだ作務衣だった。少年は黙って着替えた。やはりぶかぶかだった。けれど無理でもなかった。

「よし、それでええ」

 たしかめると同じように自分も着替え、終えると少年の毬栗いがぐり頭を何度も撫でた。熊手のようにごつごつと節くれ立った大きな手だった。それが不思議にやわらかく、その感触を少年は心に刻んでいる。

「ほれ、こっちや」

 廊下の角で振り返った。

 きゅっ、きゅっ、きゅっ、

 床板が小さく鳴いて、合わせるように硝子戸が、

 かた、かた、

 震えた。雨足が強くなっていた。

 

「お帰りなさい」

 二つ目の襖の前で声がした。

「遅うなった」

 暗がりに向かって返事した。嵐の夜に船が港に小さなあかりを見つけたような安堵の声だった。

「やっぱりられましたね」

「ああ、醤油屋の手前まではそんなんでもなかったんやが……、ずぼらをかまさんと傘を持って出るんやった」

 ばつ悪そうに敷居を入ると、両手を頭の上に何やら宙をかくようにしていたが、やがて、ぱちんと弾ける音がして明かりが広がった。

「どうや、加減かげんは?」

「ええ、まあ」

 女は片目をしょぼつかせ眩しそうに見上げると白い掛け蒲団を胸のあたりに小さく撥ね、寝間着の胸元を直しながら体を起こすふうにした。と、紹明は、風のように後ろに回ると女の背中を支え、腰の後ろに枕をかませた。素速かった。そうしないと女はっくり返ってしまうからだが、そんな動きに生温なまぬるい、わずかにもった臭いも流れた。

「こうも雨が続くと、やっぱりよくありませんね」

 片手を額に、ほつれた前髪を掻き上げようとした。その指に少年は思わず身を硬くしている。関節という節々のどれもが大きく腫れ上がり、鬼の手のように角張ってくの字に折れ曲がっている。といっても、はじめてではなかった。

「あらっ……?」

 敷居の外に気づいて、女はくりくりまなこをさらに丸くした。額の生え際に行儀の悪い旋毛つむじがあるのか、癖毛がさらにカールして跳ね上がっている。それがなんとも愛嬌よくて、八の字に尻の垂れた薄眉うすまゆも、きりりと走った鼻筋とは対照に不思議なやしになっていた。

「本坊で拾うてきた」

 悪戯いたずらっ子が母親に悪さを詫びるようで、

「しばらく置いてやろうと思うんやが……」

 顔を覗くようにしたのが、二人の仲を思わせて妙だった。

 ぴしっ、ぴしっ、

 硝子戸を雨粒が叩く。と、こたえるように、

 ふうら、ふうら、

 隙間風に電灯の傘が揺れて、大小二つの影が廊下に躍った。

 女はいった。

「お名前は?」

 小首をかしげてやわらかに。それで紹明もはじめて気づいた。

「おう、そやった、そやった、まだいとらんかったな」

 振り向いた丸い肩に、すうっと力が抜けていくのを少年は見逃さなかった。

栢野

 栢野かしわのはどこまで行っても機屋はたやの街だった。なかでもハーモニカの吹き口のように軒を連ねる蘆山ろざん地区は、朝も早くから、

 がっしゃん、がっしゃん、

 聞こえるのは機の音ばかり。狭い路地にね返っては重なり合って、

 ざぁー、ざぁー、

 と蘆山はいつも雨降りだった。

「おじゃまします」

 頭もつかえんばかりの辻子ずし奥の六軒長屋の中程なかほどだった。どこも同じ造りの軒下に、細々こまごまと行儀よく並んだ鉢植えの趣味このみでようやく見分けがつくばかり。声はなかったが表の引き戸が拳大こぶしだいいているから様子が知れた。ずぼらなわけではない。きょうも元気でいますよ、と向こう三軒両隣に、蘆山だからこその挨拶だった。だから、引き戸を入ると三和土の奥まで筒抜けで、よれよれの護謨サンダルともう一つ、これも歯が禿びて蟹股気味にへしゃげた駒下駄が、あかい鼻緒もすっかり草臥くたびれ、角の欠けた御影の沓脱くつぬぎにハの字に躍っていた。

「どちらさん?」

 しわがれ声がして、上がり端の硝子戸の裾からしわくちゃ顔がちょこんと覗いた。

「なーんや、紹元しょうげんはんか」

 気が抜けたように、かね婆さんで、

「お仏壇ぶったん明日あしたやなかったかいな」

 ぺたりと家鴨あひる座りにへたり込むと、首にかけた手拭いのほつれた端で脂目やにめをこすった。亡夫の月命日のことをいっているのだった。

「それが、和尚おしょうは風邪で具合が悪うて、きょうは学校がないんでぼくが代参です」

 詫びながら後ろ手に引き戸を閉めると、

「そら、ご苦労はんな、どうぞ上がっとうおくれやす」

 へりのすり切れた畳につくばうようにお辞儀して、両手を支えに腰を上げた。

 その上がり端が四畳半で奥に六畳間があって、脇の押し入れに隠れていたが箱階段が二階にり上がっていた。ただ、腰の悪い婆さんには箱階段は蹴込けこみが浅く、段鼻だんばなも磨り減って丸くかっているから物騒で、せっかくの二階も続き間が物置になったまま、三度の食事はもちろん日々の寝起きまで六畳間がすべてになっていた。だから調度といってもさっぱりしたもので、六畳間の真ん中に卓袱台ちゃぶだいが一つと隅に胸丈ほどの箪笥が一さお、ぽつんとあるきり。そばに、これはときには脚立きゃたつにもなったが、小さな木箱の上に白布が掛かって、位牌が一つ、手持ち無沙汰に座っていた。どれもこれも屑屋でさえ見向きもしないのに、位牌だけが艶々と漆黒しっこくに光っている。表には二つ、窮屈そうに法名が、右のは金の箔押しで左は朱入りのままだった。その前に少年は端坐すると、木箱の脇の紙箱から蝋燭を取りマッチをった。そして、線香は……? とさがしていたら婆さんが戻ってきた。

「お仏壇ぶったんの、ほれ、そこにおまっしゃろ」

 木箱の奥を顎でさし、少年に座蒲団をすすめて自分も後ろにへたり込んだ。かねに木箱はそれでもりっぱな仏壇だった。座蒲団といったが、ござといった方が早いだろう、ぎだらけで、おまけについさっきまでかねが使っていたのか、座ると向こうずねに生温かかった。

「はじめさしてもらいます」

 一礼すると、ぐい呑みがけたのだろう、小さな香炉に線香を立て、手探りに膝元の頭陀袋から白い半紙のたばを取り出した。

 

「一字、一字、よう見て書くんやぞ」

 薬石やくせきのあとの奥書院だった。平机を前に紹明はいった。門前に拾われて二週目のこと、半紙には前もって鉛筆で薄く枡目を引いていた。そこに慣れない筆で一字一字、経文を写していく。読みは鉛筆で肩に仮名をふった。そして教えられるまま、りんを叩くところに朱点を打ち、長く息を伸ばすところには傍線を引いた。

「いまはわからんでもええ、そのうち追々おいおい、心に見えてくる」

 紹明はさとしていった。それを明くる日から少年は一人、小僧部屋で続けている。玄関脇の四畳間だった。妙に細長く天井も筒抜けに梁も露わだった。紹明が三和土の半分を間仕切りして、廃材を集めてつくったからで、柱も古い臍痕ほぞあとがあちこち口をけ、なかには蜘蛛が巣くっていた。あとは廊下との仕切りに障子戸が四枚、そして明かり取りには裏庭に面して、これも障子戸の腰窓があって、真ん中には梁から一つ、裸電球がぶら下がっているだけ。その下に大人の肩幅ほどの、これも紹明がつくった経机を置いて、白い半紙に経文を埋めていくのだが、九時の晩課ばんかのあとの風呂上がりだから長くても一時間ばかり。でなければ朝の勤行に寝過ごしてしまう。

 なーむー、さーまんだー、

 ほどなん、おはらーちいー、

 眠気覚ましに口中で小さく唱えてみたり、とりあえずの朝課に必要な、般若心経、大悲圓満無礙神呪むげじんしゅ消災咒しょうさいしゅうを写すだけで一月ひとつき、妙法蓮華経の菩薩普門品ふもんぼんに、また一月かかっている。そうして書き上げると束ねて喉を紙縒こよりで綴じ、表と裏は、菓子折をつぶしたボール紙を芯に、紹明の古くなった墨染の端切はぎれを着せて表紙にした。そうしてそっと手にとると、たった一つ、自分だけの宝物のような気がした。

 慧州寺の本堂はそれというには粗末過ぎた。ただ、禅古来の範は守って、床も瓦敷きのまま、内陣も正面中央やや奥寄りに高く須弥壇を置いているのも本来のけしきで、二体の脇侍わきじに護られて大人の胸丈ほどの地蔵菩薩が立っていた。それだけが妙で、禅門にそぐわない気もしたが、紹明も経緯に詳しくない。あちこち虫食いだらけで、菩薩だからもとは錫杖しゃくじょうも手にしていたのだろうがそれもなく、右手は親指一つを残して四本とも指先がすっぽり欠けているのがなんとも痛々しかった。けれどほかには傷もなく、目は柳葉のように細柔ほそやわらかく慈悲の笑みをたたえてうつくしかった。あとは正面を入った右脇に足高たしだかの経机と古びた高座があったきり。

「経は心で読むもんや」

 経本ができた明くる朝だった。高座の紹明はそんなふうにも説いたが、少年は傍のたか椅子にちょこんといた。

「まだわからんやろうが、どう生きたらええのか、まあ、いうたら人間規範みたいなことが書いてある。せやからいまは心静かに読んどればええ」

 いいながら経机にりんの座りを正すと、鈴棒を片手にはじめようとした。が、何を思ったか、振り向いた。

「そうや、そろそろやってみるか? 経本もできて、ええ頃合ころあいや」

 維那いのうといったが、勤行の先導をやってみないか、といっているのだった。

「そないにびっくりせんでもええ、流儀なんぞどこにもないんやから、思うままにとなえりゃええのや。明朝あしたからでもやってみい」

 向き直ると、ごおーんー、とかねを打った。

 懺法せんぽうといって、禅門にも声明しょうみょうやかましい寺門が多かった。まるで謡曲でもうなるように喉奥を震わせたり、絞ったり、長く引っ張ったり、かと思えば頭のてっぺんから伎女ぎじょか白拍子のように、か細い声で転がせてみたり、音曲おんぎょく並みに節回しにも決まりがあって、難しさに小僧は泣かされた。それが大燈寺には一つもなくて、紹明もいっさい教えていない。そうして明くる朝から、代わって少年が維那に就き、紹明は堂の真ん中、須弥壇前に高座を移した。とぼけてみせたが、虎の子渡しというのだろう、まずは突き放してみたのだった。

 以来、勤行はもちろん棚経回りにも経本は少年といっしょで、毎日なうえに生まれつきの脂性だったから、手汗ににじんだところは火傷やけどのように周りが縮み、折り山は手垢で毛羽立ち、あちこち薄くけはじめた。それでも手放さなかったのは、もちろん大事だったからだが、ほかでもない、般若心経以外、一つもそらでいえなかったからだった。

 

「まーかーはんにゃはらみーたー」

 はじめると、

「しーへんぎょうおー」

 後ろで婆さんが小さく合わせた。それが次の大悲圓満無礙神呪で静かになった。檀家回りの代参は苦ではなかった。けれど嫌だった。経をそらんじる年寄りが多いからで、いつまでっても経本が手放せず、つっかえてばかりの少年を、年寄り連はかまわず置いて先を行く。厄介な人たちだった。すると切り返すこともできないまま、あとはしどろもどろに終わってしまう。

 けれど婆さんは安らかだった。蚊の鳴くような引声に、やがて、こくりこくりと船をぐ。それに胸を撫で下ろし、時折、ずるっとはな水をすする婆さんを背中に、少年は続けるのだった。通りから覗く者でもいれば、きっと奇妙な二人に映ったことだろう。経を終え、帰り支度をしていたら丸盆片手に戻ってきた。

「ご苦労はんな、毎度のことで、なーんもないけど」

 たしかに盆の上には茶けもない。湯呑が一つ、それもあちこちへりも欠け、赤黒い茶渋のひび割れが網目に走っている。色加減でわかる、いつもの番茶だった。

「もう、一年になるかいね」

 腰を二つ折りに、盆をすすめた。

「どないやの? 恋しいことあらへんか」

「もう慣れました」

 少年はぶっきらぼうだった。どこに行っても訊かれることで、だからこたえようも決まっている。婆さんは小さくうなずくとそのまま黙り込んだ。すると、チックというのか、顔が小刻みに左右に振れる。それがしゃべり出すと不思議にぴたりと止まる。

「けど、お母はん、ようはなさはったなあ」

 ぽろりといった。婆さんだけでない、檀家回りの先々で女たちがまず口にするのはそれだった。

 こんなっさい子を、よく手放したなあ……、

 と涙しているのだった。

父子

 少年は背中に聴いた。

いつけて行くんよ」

 振り返ると奥の座敷の蒲団の上、寝間着姿で胸前に膝を抱えて座る母がいた。それを肩で振り切って、表に出た。まっすぐ納屋に走った。そして軒下に隠すように置いてあった手提げ鞄を小脇に裏戸を駆けた。

 知ってたのに、おっかあは止めんかった……、

 ずっと尾をいて残っている。引き留める言葉があれば振り払う捨て言葉もあって、けりもつけられた。それができずにずしりと少年の心を重くしている。

「ちょっと遊びに行ってくる」

 そういって少年は母を棄てたのだった。

 

 知らせを受けて三日目、父親の作治さくじが慧州寺を訪ねている。どこにそんなものがあったのか、ぱりっと糊のいた白ワイシャツに鼠の間服あいふく姿だった。

「えらい面倒めんどうをおかけしまして……」

 としの割にめずらしい六尺近い男だったが、胸でも悪くしていたか、薄い胸板を猫背にかがめて畳に平伏ひれふした。

「お詫びの申し上げようもございません」

 頬のけが目立つが、百姓男にしては広額ひろびたい中高なかだかの端正な顔立ちだった。

「いや、いや、よしてくだされ。さあ、どうぞ、どうぞ」

 作治が横に外していた座蒲団を、紹明はさらにすすめた。脇には少年がちょこんといる。その青い毬栗いがぐり頭を撫でながら、

「いろいろ話をしてくれよりましたわな」

 門前での経緯いきさつからはじめた。その一つ一つに、ぺこり、ぺこり、とお辞儀を返すことで詫びを伝えようと作治は懸命で、時折、少年を横目にしては、ばつ悪そうに後頭うしろあたまに片手をやる。なりは決めても隠せない、ごつごつと節くれ立った百姓の指だった。

「これは、こないなときから、わしにはてんでものをいわん子でしてな」

 少年を顎でさしながら胸のあたりに片手を上げてみせるが、馴れない背広に息苦しいのか、それとも我が子を前へのてらいなのか、言葉が続かない。

「その……、なんといいますか、これには、長いこと、家内の世話をさしとりましたんで、かわいそうなところもあるんですわ」

 それには紹明の長い眉が、ぴくりとこたえている。

「奥さん、どこぞ……」

「はあ、長患ながわずらいで寝込んどりますのや。叩いてもへこまん、達者たっしゃな女やったんですがなあ、これを産んだあとの肥立ひだちが悪うて」

 いいにくそうにした。そのように、女は少年の前に男児ばかり、それも立て続けに三人産んでいたが病気一つしなかった。それが少年のときには様子がちがって、産後二月ふたつき目のことだった。一日、顔に浮腫むくみが出たと思ったら、背筋の痛みといっしょに両足の関節のれとうずきが続いた。ただ、動けぬほどでもなかったから、一時のことだろうと野良仕事にも出ていた。季節も悪かった。例年いつになく長雨続きで梅雨に入ると田植え時だというのに立て続けに台風が二本、村を南から北に貫いて走った。横殴りの激しい雨風がぴたりと止んだかと思ったら、頭の上にぽっかりいた丸い雲間に群青の空が抜けて見えた。そんな一日に少年を産んでいる。

 作治にもとががなかったとはいえない。田畑でんぱただけではやっていけないからと現金稼ぎに働きに出た。その足りなくなった人手代わりに農協に勧められるまま、機械を入れた。結果は散々。借金ばかりが残って作治はすさんだ。そんな男ではなかったのに妻にあたって手も上げた。

「わしがいかんかったんですわ」

 唇を噛みしめた。

「つらい、つらい、いいもって田圃たんぼに出よったんが、そのうち立てんようになりましてな。これが三つのときでしたから、もう十年ちこうなりますやろ」

 うなずきながら紹明も、そうするしかなかったか、茶衣の袂をさぐると、くしゃくしゃになったいこいの包みを取り出し、一本、頭を摘まんで作治にすすめた。

「へえ、頂戴ちょうだいします」

 大事そうに片手をそえて作治は受けると、一度、額の前に持っていき、拝むようにして口に運んだ。

「じつは、うちもおんなじでしてな」

 紹明は話すことにした。

「もう大分だいぶになりますわ、寝込んどりますのや」

 そして自分も一本、摘まんでくわえると、マッチをって作治にすすめた。

 ちい、ちい、ちい……、

 障子の向こうに小さく聞こえる。そしてわずかに水の流れる気配もある。穏やかな午後だった。

 やがて紹明が切り出した。

「まあ、そんなわけですよって、まずはこのままやってみて、本人にその気があるようなら先に進むもよし、そこは好きにやらせてはどないかな」

 思い出してもそんなふうにしかいえなかった。

 童行ずんなん喝食かっしき……、小僧になるには早いがいい、と決まっていた。ただ、それも子どもに道を決めるすべのないことを逆手にとってのことだった。

 この齢で道を決めてしまういうんも、こくというもんやろう……、

 胸の内で呟きながら自分のむかしが懐かしかった。

「たいしたもんで、門前に座り通しよりましたがな。今日日きょうび、雲水になろういうもんでもなかなかできんことで、ここは本人の思うにやらせても滅多なことはないと思いますがなあ」

 いってはみたが、正直、紹明にもわからなかった。それにも作治は、はあ、と短くこたえたきり、そうでなくても貧相な撫で肩を、さらにすぼめて畳に手をついた。

「どういうて、お礼を申し上げたらええもんか」

 そして作治は帰っていった。

和尚おっさんのいうこと、よう聞いて、辛抱しんぼうするんやぞ、ええな」

 門前に見送る少年に作治は諭した。

「お……」

 少年は何かこたえようとした。

 それに作治は背を向けた。

機音

「それで、お母はん、達者たっしゃなんか」

 少年はこくりとうなずいた。

 婆さんはにっこり笑って湯呑みに急須を傾けた。注ぎ口が欠けているから水切りが悪い。おまけに茶滓も詰まっているのだろう、何度も揺すっては傾けてを繰り返した。

「親元離れるいうんは、ほんま、親不孝なことやし、おかあはんには、せいだい顔見せたらなあかんえ」

 明るくいって屈託がない。といって孫子まごこのような少年の僧形そうぎょうに無心でいられるほどほうけてもいない。少しの隙間風にも揺れ落ちそうな少年の心の襞をそっと覗いての、婆さんなりの気遣いだった。

 かねには子どもがなかった。夫の清吉せいきちとは五十年近く連れ添ったのに、先年、冥土に送っている。だから一人だった。清吉は北の方の百姓家に生まれている。明治も半ばの頃であたりには社家や豪農上がりの旧家もあったが、多くは小作のまま、清吉の生家もそれにもれず、おまけに三男だった。かねは、さらに峠を越えた里山の生まれで、十二で家を離れ、糸屋町の帯屋に奉公に入ったあと、そこに米や薪炭を納めに出入りしていた清吉と出会っている。

 いっしょになったのは十九のときだった。所帯を持つのに清吉は、機屋はたやをやりたいといった。それを旦那に話すと、ちょうど問屋仲間が蘆山に長屋を建てたばかりというので口を利いてくれた。わずかだったが嫁入り道具も揃えてくれて、織元まで世話してくれた。そうしてかねは織り子を、清吉は男工だんこうをはじめて十余年、二人で貯めたけなしで木機きばたを一台手に入れ、独り立ちしたときには昭和に入っていた。働いて働いて、夜は晩餉のあとも、これは蘆山機屋のどこもがそうだったが、夫婦二交替で夜業やんぎょうに立った。そうして日付の変わることも度々だった。といって別段、蓄えができたわけでもない。暮らしもさして変わらないまま齢を重ねただけで、かねと清吉の場合、家族が増えることもなかった。だからいつも二人だった。

はた、なくなりましたね」

 湯呑みを小さな掌に包むようにして、少年は通り庭の奥を目でさした。この前は、音はなくてもたしかにあった。それがなかった。あるべきものがない、それほど心に頼りないものはなくて、空っぽの土間は、天井の明かり採りから斜めにうつろにがこぼれ落ちるだけ。映写機のフィルムの切れたスクリーンのように白く薄埃に霞んでいた。

「ほんまなあ、はた女手おんなでだけでやっていけんしねえ」

 ぽつりといってそれだけだった。

 清吉は、ふうっといなくなっている。いつもの夜業のあと、いつものように寝床に入ってそのままだった。何をしてもどこにいてもいっしょの二人だったのに、少しの断わりもなく、その日に限って一人でった。だから、かねには寂しさだけではない悔いが残った。

 清吉は病気を知らない男だった。風邪で寝込んだり腹を壊したり、そんなこともかねの知る限り一度もなかった。頑丈ではなかったが、といって末成うらなりりという体躯でもなかった。ただ一つ、気がかりといえばがらの割りに心臓が小さく、その分、脈も速いことだった。いっしょになって十余年、大陸送りの徴兵検査で医者にいわれてはじめてわかった。だからか、背中からちょっと声をかけただけでもびっくりまなこで振り向いたし、好きな銭湯も長くはいられず、足元もふらふらに戻ると勝手に駆け込み、水壺からしゃくに一杯、ごくりとやって、そのまま上がり端に転がることも度々だった。

 夜もそうだった。

心臓むね、躍ってますね」

 たまの一つ蒲団に、どくどくっとせわしい鼓動に抱かれていった。そうでなくても、ふと目が醒めて、清吉の鼻先に手をやることもしょっちゅうだった。なのにあの夜に限って眠りこけ、枕を並べていながら不覚をとった。悔しかった。

「なんで一人で……」

 涙に濡れても、別れはさらりとしたもので、あと一月ひとつきばかりで古稀という冬の一日のことだった。

「けど、この人には十分やったかも」

 医者の帰った枕辺で、寝顔を覗きながら、かねは一人、こぼした。どっくん、どっくん、休みなく打ち続けて七十年、くたびれ果てた心臓が、もうここらあたりでええやろか、とけりをつけただけ。穏やかな寝顔だった。

 機の止まった通夜は、それこそ寂しかった。音のない夜があるのをかねはすっかり忘れていた。

「そや、あのとき以来やなあ」

 戦争も最中さなか、七七禁令の夜を思い出して懐かしかった。錦織が贅沢品とされ、蘆山一帯、機をぴしゃりと止められた。

 それでも清吉の傍には近隣仲間が入れ替わり立ち替わり不寝番ねずのばんにやって来て、明くる葬斂そうれんにもいっさいを仕切ってくれた。かねはただ体の芯が抜けたようにほうけていただけ。野送りして、一夜明けてのこつ拾いを戻るとほんとうの一人になった。不思議なもので、あれほどあふれた涙も、白い骨壺を手にするともうなかった。その壺は義姉あによめに頭を下げ、実家さとの野墓地の隅にしずかにおさめた。

「やっぱり生まれたとこがよろしやろ」

 そういって手を合わせた。背中を深い藪に抱かれた山懐やまふところで、南に開けていたから少しの陽だまりが、かねにもうれしかった。するとあとは何も残らなかった。せめて位牌だけでもと蘆山を南の花屋町まで市電で出かけ、がらにもない上等のを奮発した。それに毎朝、お茶湯ちゃとして線香を上げている。

「おかげさんで、こないに元気にさしてもろてます」

 声にすれば少しでも近くにいてくれる、そんな気がした。父母おやにも知らせに出かけた。もちろん墓前にだが、新しくなった峠道を乗合バスで、がた、ごと、越えた。そうして七七日をすますと、また機前はたまえに立った。

 それが、今度は勝手がちがった。縦糸の千切ちきりをかけ替えたり、高い梁に紋紙もんがみを吊るしたり、機は男手がないとやっていけない。仕方なく、向かいの亭主に頼んでなんとか凌いでいた。厄介だったのはほかでもない、自分の体だった。二人いっしょだったから気づかずにいたのが、一人になると急に疲れが目立つようになった。

 清吉とは、子どもがなかった分、隣近所でも噂になるくらい睦まじかった。といっておきなおうなのようにいたわけではない。人一倍、勝ち気なかねだったから口喧嘩も毎度のことで、皮肉にもそれがかねを達者にしていた。

「喧嘩もでけんようになりましたね」

 位牌を前に弱気になった。すると腰のくの字もさらにひどくなった。朝起きるとはがねのように固まっている。それをだまし騙しはたを続けたが、一周忌を前にあらがいもやめた。霞目がひどく、糸目が見えなくなったからで、機織りには致命的だった。

 独り暮らしも始末をすれば、少しの蓄えと年金でなんとかなった。機も賃機ちんばただったが、返済かえしはとうに終わっていたからそのままにしておいてもよかった。けれど無慈悲なもので、機が座っているだけで糸がかかってなくても未廃業とみなされ、税金がかかる。それがたまらないから知り合いの大工に処分を頼んだ。

 金襴きんらん緞子どんす唐織からおり紹巴じょうは……、老いても名機で鳴らした紋織機もんおりばただった。家族のような機だった。なのにこわすとなるとたわいない。年格好も同じ白髪しらが頭の棟梁が見習い小僧とやって来て、からん、ころん、ぼん、ぼん、ぼんっ、と半時ばかり、槌と掛矢かけやを振り下ろしてそれでおしまい。沙漠にたおれた駱駝のようにむくろさらし、ただのになって転がった。あとは四角いえ穴が、発掘最中さなかの遺跡のようにぽかんと大口を開けているのがなんとも間抜けて、見上げる梁には微塵みじんだらけの紋紙が、雨上がりの蜘蛛の巣のようにだらしなく、ふうら、ふうら、 隙間風に揺れていた。

はたがのうなったら、ほんま、幽霊屋敷やわ」

 梅干しあごを突き出して位牌に笑った。

 と、ごそ、ごそ、奥の方から音がして、

 こぉー、こぉーっ、

 裏庭の引き戸の隙間から鶏が顔を覗かせ小首を傾げた。黒ずんだ赤い鶏冠とさかが二つ折れによれよれと目障りだったが、不思議に羽根はふんわりと真綿のように真っ白い。

「きれいやろ」

 目を細めた。

「いっしょやと猫のようにかわいらしゅうてね。毎朝、いてやってんの」

 といってもそこは鳥、また、こぉー、こぉっーっ、と顎をすぼめて背伸びをすると、ぱらぱらと糞を垂れて尻を向けた。

「それで、どないやの? 大黒おくさんは」

 いつものようにマチ子のことだった。だから返事も同じ。

なんもいわはりませんけど、あんまりようないと思います」

「ほんまなあ、あれは長い病気やよって和尚おっさんも気の毒やけど、大事になさるよういうとくなはれ」

 脂目やにめこすりながら気遣ったが、ふと我に返ったか、小さくいった。

「一人になったら、どないもならんしねえ」

 それから半年、かねも清吉のあとを追っている。一日、姿がないのを心配した向かいの亭主が覗いてみたら、六畳間の蒲団のなかに静かにいた。ただ、少年はそれを知らない。少しの理由わけがあって檀家回りの手伝いもできなくなっていたからだった。

破戒

 慧州寺にやって来たマチ子はもう四十近かった。ずうっと離れた東の町の、呉服問屋の二人姉妹の姉娘。男勝りがたたったか婚期がおくれ、ようやく三十を過ぎて人の世話で旧家に嫁いだのが、案の定、姑とりが合わず二年ばかりで子どももないまま出戻っていた。紹明とは大燈寺での茶会がきっかけになっている。八つばかりマチ子の方が年下だった。

「官休庵に頼まれて、どこぞに世話するつもりやったんが、いろいろあってな」

 同夏どうげの宗忠にさえそんなふうににごしたが、はたしてどうだったか。千家筋の名持なもちだったマチ子は、当然、官休庵にも出入りがあって、そんな縁で家元から、どこぞにいい相手がいればと頼まれていたのはたしかだった。それがおかしなことになってしまった。

 いうまでもない、禅門に妻帯は厳しい。昭和もはじめのことで、もちろん明治以来、法に触れるものではなかったが、宗門規矩では変わらず禁忌のままだった。だから女は庫裡奥に、ときには大黒だいこくと符牒で呼ばれて人目を避け、客はもちろん檀徒からも隠れ住まう有様で、忌引きびきなく表に出られるようになったのは昭和もわずかに戦後のことに過ぎない。

 それがマチ子の場合はちょっとちがった。やって来た明くる日から、紹明の止めるのも聞かずに、檀家の挨拶回りにも出かけたし、法事にも臆せず立ち働いた。商家育ちということもあったが、それ以上に気丈な性格が、はばかり見られるのを嫌ったのだろう。するとふつうならたちまち不評を買ってしまうところだが、不思議に檀家筋にも受けがよかった。不器量ではなかったが、けっして佳人とはいえなかった。それが人懐ひとなつこさに代わって幸いした。五尺にも届かない小柄な体躯がちょこちょこと立ち居振る舞いを可愛く見せ、両の目も、小さいながらもくりりと愛嬌があった。けれど一重なうえに八の字で、それを帳尻合わせでもするかのように、すうっと通った鼻筋が芯の強さを思わせたが、裾の垂れた薄眉毛が上手うまい具合に打ち消して、だから紹明にはすべてが順風にいくかに見えた。それが狂っている。

 五年目だった。冬の一夜、

「すみません、あなた」

 肩を揺すられ、目が醒めた。

「ちょっと様子が……」

 んっ? と紹明は跳ね起きた。

「足が、痛くて……」

 寝間着の裾をたくし上げ、マチ子は顔をゆがめていた。

 紹明は慌てた。

「こっちか?」

 まず右の膝頭に手をやってみた。

「いえ、こっちも」

 左をさしてマチ子は苦しそうにした。

「どっちも?」

 嫌な気がして紹明が訊き返すと、

「ええ」

 とうなずいた。両足とも棒のようで曲げるに曲げられず、きしむように膝に痛みが走るらしかった。

 紹明はいた。が、術がない。う、うっー、と何度もマチ子は短くうめいて額に脂汗をにじませた。それを脇から抱えるように紹明は、背中と膝を交互にさすりながら夜が明けるのを待った。

 長かった。

「まだいとらんやろな」

 わかってはいたがじっとしていられない。顔をしかめるマチ子を自転車の荷台に、小林医院に走った。

「どないしました?」

 玄関の硝子戸を開けて女医は目を丸くした。まだ寝間着姿で、すぼめた肩に綿入れのちゃんちゃんこを引っかけている。

「とにかく、おねがいします」

 突っ立ったままの小林を押し退けるようにして、廊下の奥の診察室にマチ子を担ぎ込んだ。

 診察は簡単だった。マチ子の腫れた膝頭を、中指であちこちつつくようにしただけで、

「もっとくわしゅうんことにはなんともいえんけど、急性の神経痛やろかね」

 聴診器を外しながらのんびりいった。

「まあ、二、三日ゆっくり休んでみて、それでも難儀なんぎやったら、そうやねえ、済生会病院にでも行ってみたらどうやろか? 紹介状、書きますよって」

 七十近い婆さん医者だった。

「どっちにしても、そろそろ気いつけんといかん齢回としまわりやからね」

 いいながら脇の机に向き直り、白くほこりかぶったインク壺の蓋をとると、何やら、しゃか、しゃか、カルテに書いたが湿布も水薬もないまま終わっている。

 こんなんでええんやろか……、そんな紹明の不安も余所よそにマチ子の方は、明くる朝には痛みも退いて、三日目には前のように歩けるまでに調子も戻った。するとあとは何でもなかったかのように、またせわしく立ち働いた。

 

 寺の女に休みはなかった。紹明は毎朝欠かさず五時起きで本堂に向かう。その戻ってくる半時足らずの間に、マチ子は粥座しゅくざの支度のかたわら庫裡周りの掃除に走る。そして、

「おーい、行ってくる」

 食べ終えると紹明は作務さむに出た。といってもわずかの境内だからいくらもかからなくて、終わると表に出て村中むらなかを急坂下から奥の峠道のかかりまできよめるように掃いて回る。だけでなく、毎日ではなかったが道端の溝浚どぶさらいもやれば、反対に境内を裏山に分け入って柴刈りもした。もちろん毎日の煮炊きには、さすがにへっついはあってもそのままで煤だらけの窯穴に板を渡してプロパンの鋳物焜炉こんろを置いていたが、風呂は変わらず薪をべていたから柴刈りは欠かせなかった。そうして作務も、本坊勤めの日には八時過ぎには切り上げたが、休みの日は昼前まで戻らなかった。

 マチ子の方は台所仕事や洗濯が終わるとき掃除が待っていた。これがけっこうきつくて、まずは庫裡からはじめ、本堂に移ると須弥壇から、膝に悪いことはわかっていたが、瓦床も濡れ雑巾で拭いて回った。すると、あっという間に昼になった。そして午後は檀家絡みのつかいに走り、ほんのときたまだったが思わぬ来客もあって、じっとする間もなかった。

 おかしくなったのは半年後のことだった。長梅雨で七月に入っても合い掛けが放せない、そんな夜が続いていた。

「あれっ? ちょっとへんやわ」

 四、五日前から気にはなっていたが、冷えのせいだろうと流していた。それが案の定、かばっていた左足にも痛みが来た。またやろか……、いつものように紹明を本山に送り出したあと、雨に濡れた庫裡の広縁ひろえんを、蹲踞つくばいながら拭いていた。

「あぶない、あぶない」

 脇の客間に這い込んで、両の膝頭をさすりながら小一時間、休んでいると痛みも和らいだ。そうして午後もだまし騙し、前日の法事の什器を木箱に仕舞ったり、終えると小雨のそぼ降るなかを街道下まで買い物に出た。たいていのものは村中むらなかの八百屋ですませるのだが、まとまったものとなるとそうもいかない。いつものように急坂を上ると、紅殻家並みの街道を膝をかばいながらゆっくり下った。そして帰りは風呂敷包みを肩に背負しょい、買い物籠を手にすると傘を差すのもやっとのことで、急坂を戻ったときにはとっぷり日も暮れ、着物も膝から裾までびしょ濡れだった。

「さっぱりやわ」

 つい愚痴もこぼれ、裏の勝手口に回ると荷を下ろし、下駄を脱いで上がり端に足をかけようとしたそのときだった。

「うっ!」

 膝に電気が走った。だけでない、刺すようなしびれもいっしょだった。

 嫌な気がした。

 それでも足を引き摺り引き摺り、薬石の支度はもう少しあとに……、と奥の隠寮に座蒲団を二つ、腰と頭にあてがい、濡れた着物の裾を膝上までたくし上げ、そのまま横になった。

 

「おい、どないした?」

 顔の上で声がした。

「裏はいたままやし、電気もけんと」

 ふうら、ふうら……、揺れる電灯の下で、つるつる頭をいていた。

「あらっ」

 マチ子もびっくりしたようで、あわてて着物の裾を直した。そして、片手を額に、まぶしそうにした。

「びしょ濡れじゃないですか」

「うん、またやられた」

「でも……、今朝は、傘は持って出られたでしょ?」

 すると、

「あれは人に貸した」

 けろりといった。そんな男だった。ただ、表情は固かった。

「また、悪いんか?」

 いいながらマチ子の傍にへたれ込んだ。

「ええ、買い物から帰ったら急におかしくなって……。すみません、すぐに支度しますから」

 起き上がろうとしたのを、

「そんなもん、わしがやる」

 と紹明はマチ子の膝に手を伸ばし、着物の上からゆっくり擦った。

「再発しょったんかな」

「大丈夫ですよ、一晩休めばよくなりますから」

 マチ子は明るく努めた。

「そうやとええが、きょうはもうこんな時間やし、明日あした、もういっぺん小林さんに見てもらおう」

 柱の時計を見上げながら立ち上がり、濡れた茶衣を隅の衣桁いこうにかけると廊下に出た。

 結局、その夜のマチ子は薬石にも立てないまま、紹明が運んだ粥をようやく椀に半分ばかり、蒲団の上で梅干一つで食べたきり、風呂も使わず眠れない夜を送っている。紹明も同じだった。いつもと同じに枕を並べてはみたものの、寝付けないのを悟られまいと、一晩中、マチ子に背を向け息を殺していた。

 痛みは朝になると退いていた。代わりに膝頭が大きくふくらんで、指先でしても、ぶよっとへこんで戻らない。

 此間こないだとちがうな……、

 気も重く、壁や柱を頼りに立つには立てたが、もう一つ踏ん張りがかなかった。

 九時の開院を待ちきれず、八時を回ると紹明は小林医院に電話を入れて往診を頼んだ。けれど週はじめで患者も多かったか、自転車を息せき切ってやって来たのは午後も日暮れ近かった。傍に座ると小林は、膨らんだマチ子の膝をあちこち中指でつついてみたり、ひねってみたり、あれこれ首を傾げていたが、やがて向き直ると腕組みしながら、うーん、とうなった。

「これは、リューマチやね」

 一言いった。

 マチ子は意外に冷静だった。

「そうですか」

 こたえると、節々ふしぶしの腫れた手ではだけた寝間着の裾を直した。

「やっかいな病気でね、原因もまだようわからんで、これっちゅう特効薬くすりもないんよ。古い病気やいうのにねえ……」

 小林は聴診器を、くる、くる、丸めると草臥くたびれた黒革鞄にしまいながら他人事のようだった。

 リューマチには、戦後しばらくしてドイツ輸入のアスピリンや、開発されたばかりのストレプトマイシンという新薬もあった。しかしどれも痛み止めの域を出ず、高価な上に白血球の減少や突発性のふるえなど副作用の方が大きかった。またリューマチといってもいろいろで、急性の場合はあっという間に手足の関節が奇形に固まってしまうが、そこまでだった。それが、慢性の場合は進行が遅い分、急な硬化はなかったが症状も痛みとともにひどくなり、やがて関節も軟骨が熱に融け、骨はスポンジのように粗鬆そそう化する。そんなことも知識の限り、小林は話して聞かせた。

「もうちょっと早よう、おっきな病院に行っとくんやったな」

 つい、紹明も、愚痴が口を突いて出た。

「そうはいうても、ようわからん病気でねえ、大病院に行ってもせいぜい血液検査ぐらいで……。医者がこないなこというてなんやけど、これからは、できるだけ悪るうせんよう、養生するしかねえ……」

 いい訳めいたが、小林にもそんなことしかいえなかった。そのようにマチ子の体は予測通りに悪化した。右膝は大きく腫れたまま、明くる年には曲げるのもきつくなり、すぐに左膝にもそれが移っている。きりきりっと万力まんりきで締めつけられる、そんな痛みだとマチ子はいって眠れない夜が続いた。ただ日中ひなかは、とくにからっと天気のいい日は、忘れるくらいに痛みも和らいだから気も晴れて、足を引き摺り引き摺り勝手にも立っていた。それが秋口にはまた痛みが出て、師走に入ると膝が曲がらなく床につく日も多くなり、そのまま寝ついてしまった。

 すると、見る見る体も醜変した。小柄だったからか、すんなり見えた足も浮腫むくみで甲高にれ上がり、皮膚も黒みがかった赤紫に、見る影もなくなった。同じことは手にもいえて、節々が、とくに第二関節と第三関節が瘤状にふくれ上がり、指先は大きく外に反り返ったまま、まともに物もつかめなくなった。もちろん勝手にそうなったわけではなく、痛むのをこらえて鍋釜をげたり庖丁を握ったり、瓶口を開けるのにひねったりしたからだが、その意味でリューマチは体の酷使からくる生活病といえた。だから症状の進み具合にも切りがない。膝はゴム鞠のように腫れ上がり、曲げると、ぎゅー、ぎゅー、音がして激痛が走った。それをいくらかでもおさえようと週置きに小林がやって来て、腫れた膝に太い注射針を刺してみずを抜いた。亜麻色にどろっとにごったなかに点々と赤黒い粘血が渦を巻いて注射器に吸い上げられていく。針先が神経にさわるのか、マチ子は歯を食いしばった。そうして小用に立つこともできなくなっている。

安穏

 紹明の一日は忙しくなった。庫裡周りだけではない、檀家とのやりとりまでマチ子に任せっきりだったのが、寝込んでしまったから勝手がちがった。ただ、晋山しんざんのむかしに戻ったようで三度の支度も新たな気がしたし、じつはいとさん育ちのマチ子より手際もいいと、内心、自慢に思っていた。

 毎日のことになったが、マチ子の世話も苦ではなかった。そして本坊勤めにも休まず通った。ただ、週勤五日だったのを三日に減らし、以前なら昼の斎座さいざは本坊ですませていたのを行き帰りに自転車を使い、昼は戻ってマチ子の傍でいっしょに食べ、片付けが終わるとまた本坊に走った。とはいえ休みなしの三度だから、正直、気が抜けず、ときには汚れ物の流しを前に、ふうっと溜息の出ることもあった。ただそれも、いっしょにさえいてくれたら……、と思うとどこかに消えた。

「こんな身体になってしまって……」

 風呂が沸いた、と知らせに走るとマチ子がびた。すまなそうに、すっかり口癖になっている。そのように紹明は薬石の支度の傍ら風呂をくと、食べる前にマチ子を入れる。マチ子は湯にかると血のめぐりもよくなって、それだけ調子もよくなるらしかった。けれど冷えると逆効果でさらに痛む。だからほんとうは薬石も終わって寝床に入る前に入れてやるのがよかったが、それができなかった。たのしみの晩酌が待っていたからだが、するとどうしても一日の疲れがほろりと出て、膨らんだ腹の具合も手伝って、ついごろりと横になってしまう。といって酒は一日の息抜きだから、それに鞭打ってというのはさすがに紹明もきつかった。

「ほんなら、行くか」

 蒲団のマチ子をまず傍の丸椅子に座らせる。そうしてふつうなら姫様抱っこにでもするのだろうが、マチ子はそれを嫌がった。だからマチ子の上体を支えながら背中に回ると両腋に腕を差し込み、よいせっ、とばかり掛け声頼りに抱き上げる。もともと小柄なうえ、肉も落ちて体重かさも減っている、はずなのに、中腰の無理な姿勢だからか腰にこたえた。そうして廊下を風呂場に走るのだが、重さで前のめりのおかしな格好だから紹明の足も自然と早くなり、角を曲がるたびに、棒のようにぴんと伸びたマチ子の足が壁をこすったり障子を破りそうになる。

 風呂は台所の脇を軒続きに、マチ子が寝込んだのをきっかけに古い鉄釜の五右衛門風呂から横長のさわらの箱風呂にやり替えた。檀家もわずかな襤褸ぼろ寺にちょっと贅沢な気もしたが、ドラム缶のような鉄釜では、マチ子もいくら小柄とはいえ、二人いっしょに入ると背中や腰がつかえて、下手をすれば火傷やけどしてしまう。

「ええか?」

 脱衣場に立たせると、断わるように一声かけた。いくら齢は重ねてもそこは夫婦にも節度はあって、寝間着の腰紐を解くと肩からはずし、そっと腰巻もとってやった。

「足元、気いつけてな」

 ゆっくり、手を引き洗い場に誘う。そうしていったんは風呂桶のへりに座らせる。マチ子は曲がった指を頼りなく伸ばすと、壁の蛇口を支えに膝の具合をたしかめるように腰を下ろした。それを見て紹明は脱衣場に戻る。自分も着物を脱ぐためで、手早く裸になると洗い場に返り、掛け湯もそこそこに湯舟に足を入れた。そしてマチ子を腋から抱き上げ湯舟に立たせると、後ろから上体を合わせ、ゆっくり屈みながらマチ子の太腿ふとももの裏側に自分のそれをあてがった。マチ子の膝を支えるためだが、

「大丈夫か?」

 たしかめると、片腕は湯舟の縁に、身の支えに苦しい姿勢だったが、もう一方の手でマチ子の膝頭を左右交互にさすっては、少しずつ、合わせた体を湯に沈めた。硬く固まったマチ子の膝は急には曲がらない。そろり、そろり、屈むたびに、きゅー、きゅーっ、骨のこすれる音がして、二人前後に重なったままでは窮屈だからと腰をひねると、膝の上に斜めにマチ子を抱える形になった。

「寒うないか?」

 横顔に訊いてみた。

 マチ子は、ええ、とうなずいて、湯のせいかどうか、頬にぽっと赤味がさしたようにも見えた。

「割り木をしたるよって、そのうち、じんわり来るやろう」

 動作のすべてが緩慢だから湯に浸かる時間も長くなる。逆上のぼせないよう、最初はちょっとぬるめに入り、火は細く長めにしておく。紹明の気配りだった。そうして二人、ゆらり、ゆらり、気分も揺れて、ぬくもりはじめたマチ子の下で、年甲斐もなく、ふんわり、ほんのり、紹明もふくらんでいく……。

 紹明には四十も半ばを過ぎての破戒だった。若い頃のようにほとばしらんばかりのあせりはなかったが、それでも長い雲水暮らしに抑えた肉体からだだから、いけないこととはわかっていてもときにはも切れ、棚経帰りの台所に、支度をするマチ子を後ろから羽交い締めにしたこともあれば、ほろ酔い加減の晩酌のあと、つい気も緩んで風呂に誘ったこともある。それがいまは毎日だった。

 ふ、ふっ……、思わず口元が弛んだのに、マチ子が振り向いた。

「あら、どうしました?」

「いや、ちょっとな」

 慌ててあとを濁した。

「嫌ですよ、思い出し笑いなんて」

 曲がった指を、それでも口元に恥ずかしそうにした。そんな仕草もむかしのままで、そっと手を腰に回してみた。マチ子は黙って任せている。けれど指は正直なもので、さぐる感触にむかしの影が薄れている。もももすっかり肉が落ち、撫でると骨がさわった。ただ上半身はいくらかちがって、胸のふくらみも、もともと小振りだったのが、少し下膨しもぶくれに落ちた分、かえって形もよくなった気がしている。それだけに下半身のえと、奇形といってもいい変容が、いまさらながら紹明にも哀しかった。

「ごめんなさい」

 指の動きを察してか、マチ子はすまながった。思いにこたえてやろうにも手がいうことを聞かない。そうして二人それぞれ、思い想いに肌を合わせている。病気がくれた和みの一時ひとときだった。それを無慈悲なもので、逆上のぼせがうつつに戻していく。

「体、あらおか」

 ゆっくりと腰を上げ、マチ子を桶縁に座らせた。そうして自分は洗い場に出て、石鹸の泡ぶくを山のように立てた手拭いでマチ子の背中を洗ってやる。肉も落ち、野良犬のように背骨ばかりが目立ったが、透き通る肌の白さはそのままだった。

「本山の塀がな、そろそろ出来よる」

 大燈寺の伽藍をめぐる白壁塀のことだった。

「そろそろ工事も一年になりますものね」

「ああ、ようやく格好が付く。惣門の方はともかく、鐘楼周りは跡形もなかったからな、町家からも丸見えやった」

 明治の廃仏毀釈のあと、大燈寺もほかと同様、塔所の廃絶廃寺が続いて境内もすさみに荒み、築地も崩れるままに、紹明がやって来た頃にはわずかに往年の位置がわかるばかりに低い土塁のようになっていた。それに宗忠が宗務総長になって辣腕をふるった。資金もないのに、とにかくやってみせるのが宗忠で、金策もさまざまに宗忠らしかった。

 際立ったのは文物の貸し出しだった。本坊秘蔵の開山かいさんや歴代住持の墨蹟、扁額はもちろん方丈の襖絵まで繰り出して、美術館だけでなく、それまで例のなかった百貨店にも展示企画を売り込んだ。大胆というより法破りの試みだった。当然のように塔所諸院は猛反対で、文物に傷が付いたり遺失でもすればどうするのか、と詰め寄った。

 宗忠に抜かりはなかった。そんなことは百も承知で、まだ耳慣れない言葉だったが、貸し出し文物のすべてに傷害保険をかけたのだった。もちろん宗忠が考え出したものでもなく、そのように時代が動きはじめていたのを見逃さなかっただけ。

 少し前のことになる。奈良、法隆寺の金堂が修復最中さなかの失火で焼けたのをきっかけに、新しく文化財保護法が生まれるなど歴史文物保護の動きに保険会社が目を付けていた。それに宗忠も乗っただけ。文物の貸し出しなど、大燈寺はもちろんこの国の宗門はじまって以来のことだった。と、そこまでなら宗務総長としての権限でなんとでもなった。ただそれでおさまる男ではなかった。本坊所蔵だけでは不足と見たか、危険を叫ぶ当の塔所諸院にも文物提供を要求したのだから非難囂々。すんなりと応じる住持は一人もなく、まずは本坊所蔵の文物に限るとの条件付きで宗務会議も渋々了承した。

 計画は当たった。というより大当たりだった。戦後、占領時代もようやく終わり、人々の暮らしにも落ち着きの兆しが見えはじめた頃だった。締め付けから解き放たれ、かたちだけでもゆとりを求める、そんな市民の見栄みえをくすぐった。また百貨店も経済復興の走りに乗って集客に目を皿にしていたから飛びついた。そうして大燈寺文物は全国有名百貨店や美術館を巡回し、それを耳にしたアメリカやヨーロッパのエージェントからも依頼が殺到した。すると掌を返したように、今度は塔所諸院の方から文物提供を申し出た。したり顔に宗忠は受け容れた。それがまた当たった。もともと文物は本坊より塔所諸院の方が名品を多く抱えていたからで、それによって大燈寺の台所事情は一変、その収益をそっくりそのまま宗忠は山内整備にてることにした。

 まずは、雨が降ると沼のように泥濘ぬかるんだ参道を御影と野面石のづらいしを組み合わせた遠州好みにやり替えた。ただの参道にそんな趣向を見せるのも宗忠ならではのことで、さらに台風にやられて棟瓦も崩れるままになっていた法堂や浴室の、これは国宝指定になっていたから国に許可を取ったうえでの修復だったが、境内あちこちに折れたり立ち枯れたりしていた赤松並木も植え替え、仕上げの築地整備にかかったのだった。

「きれいになったでしょうね」

「ああ、白漆喰に五線も入った」

「一度、見てみたいわ」

 笑顔にいった。もうずいぶんになる。マチ子は庫裡を一歩も外に出ていない。それどころか、風呂はもちろん用足しにも、紹明の助けなしには立てない体になっていた。

「ハイヤーを呼んで行ってみるか」

 紹明はいったが、本気でないことはマチ子にもわかっている。

「それにしてもたいしたもんや宗忠は、次は三門さんもんをやり替えるらしい。むかしからすみに置けんやつとは思うとったが」

「あの人は、仏さん相手より、事業家の方が向いてますよね」

「ほんまなあ」

 二人して笑った。

「でも、三門はまだそんなに傷んでもいないでしょ」

「いや、そうでもないらしいてな、上楼じょうろうの方が大分だいぶいかれとる」

「上楼が?」

「ああ、わしもくわしゅうはわからんのやが、もともと上下のつなぎがようないらしい」

 大燈寺の三門は室町末期に連歌師の宗長の勧進かんじんでできている。ただの一層だった。それに後年、利休が上楼を積んで二層になった。以来、家光時代に若干の手直しはあったがほとんどそのまま四百年を堪えている。それが上下楼の施工の違いからだろう、通し柱がなかったからか、上楼に歪みが出て、放っておけば倒壊の危険のあることが国の文化財調査でわかった。崩れると隣の浴室や東司とうすまで巻き込まれてしまう。できれば早めの補修が必要だった。

「五年はかかるらしい」

「そんなにですか」

「ああ、解体くずすだけでも三年いうからなあ」

 あれこれ知りうる限りのことを紹明は話して聞かせた。その一つ一つにマチ子は笑顔でこたえていたが、最後にいった。

「新しいのは、やっぱり、朱塗りになるんでしょうね」

「そらそうや、派手はでになりよるやろう」

「いまの方がしっとり落ち着いて、わたしは好きですけどねえ……」

 穏やかな二人だった。

 商家の跡取り娘に生まれ育ったマチ子は、出戻りとはいえ、貧乏承知の襤褸ぼろでらの、それもはばかり見られる梵妻ぼんさいに入るのだから並みの女ではなかった。だから結婚もしばらくするとちょっとのことで喧嘩になり、互いに譲らない性格なうえ、勝ち気のマチ子の捨て言葉が火に油を注いだ。そして紹明も、ふだんは声高にならない分、どちらかといえば粘着質で、いざとなると胸の内にめ込んだむしゃくしゃを、これでもかとばかりに説伏せっぷくがましくまくし立てる。といって、もともと口の立つ方ではなかったから、自分でもおかしくなるくらい呂律ろれつも回らなくなる。それにマチ子も負けていないからたいへんだった。

「この、わからずや!」

「じゃ、じゃかましい! こ、こっちが、い、いいたいわい」

「だったら、おっしゃれば」

「な、何を、ぬ、ぬかすか、く、くそったれ!」

 庖丁も飛ばんばかりのことも度々だった。といってもそこは夫婦、

「顔も見とうない」

 と背中を向けても根は浅く、一夜明ければ、

「おはようさん」

 と、どちらからともなく、いつもに戻っていた。それがマチ子の病気で変わっている。まずマチ子の方にとげがなくなり、すると紹明も丸くなった。

 どないしよったんやろ?

 終わったあとの一つ蒲団のなかだった。

「そういやあ、最近、つの立てんようになったな」

 するとマチ子がさらりといった。

「もったいないんです、時間が」

 脳天に掛矢かけやを振り下ろされた気がした。

 なんちゅうやっちゃろ、わしより先にわかりよって……、

 それからいくらもしない、マチ子は寝たきりになっている。

 上背はあっても胃腸の弱い紹明は、見た目ほどでもなく、日々の本坊勤めの鬱積も、口にしない分、胃の壁が代わりにけた。それが持病といえばそうだったが、幸い大病もなく、だからマチ子に寝込まれてもなんとかなると思っていた。とにかくそばにおってさえくれたら……、そうねがっていた。

 気がかりだったのは自分がたおれたあとのことだった。ただそれも、滅多めったなことはないやろう……、と独り打ち消して安穏を求めていた。

「それで明後日あさってやが、宗忠に誘われとる」

「如水庵にですか?」

「いや、どこぞそとに一席つくるんやないかな、瑞林ずいりん凌雲りょううんもいっしょらしい」

「へえー、めずらしい顔ぶれですね」

 マチ子は目を丸くした。瑞林院と凌雲庵は、ほかでもない宗忠反対派の双頭だった。だから、また何かの根回しだろう、と紹明は軽く見ていた。

「どうせ、わしは刺身のつまやろう、ちょっと遅うなるかも知れんが……」

 顔色を窺うようにしたのを、マチ子はにっこりこたえた。

「わたしなら大丈夫ですよ」

 紹明の酒を知っていたからだった。紹明は無類の酒好きだった。といっても大勢でわいわいやるのではなく、ひとり、ちびり、ちびり、という方がしょうに合った。檀家が零細機屋や百姓家がほとんどだったから、法事のあとのとき非時ひじに呼ばれることなど滅多になかったが、本坊勤めに出ていると茶会流れの一席もあれば、方丈の客殿を新作展示に貸していた帯問屋の誘いで茶屋上がりすることも季節ごとに度々あった。すると芸妓挙げての夜会になり、なかには火照ほてり顔でべんちゃら芸妓に浮かれる遊び上手の住持もいたが、紹明には退屈の限りだった。

「そんなむっつかしい顔してはらんと、慧州はんも、たまには気楽にしはったらどうどす?」

 年増芸者に膝をつねられても、照れ隠しに白い歯を見せて濁すだけ。だから泥酔いはもちろん千鳥足で戻ることなどマチ子の知る限り一度もなかった。いうまでもなく、禁葷酒肉の宗門も、蓋をければ役者まがいに浮き名を流す者もいるにはいて、しかもどういうわけか、禅門のそれは他宗ほかより遊びもあか抜けていた。

 

「寒うないか」

 マチ子の体を流し終えると、自分は石鹸もつけずにすませて湯舟に戻ると、桶縁に座って待っているマチ子を抱え、同じように後ろからももをあてがい体を沈めた。

「ええ湯やな」

 そっとだが肩に手を回してみた。マチ子は、ええ、と返事して、紹明の膝の上、曲がった人差し指と親指の間に手拭いを器用に挟んで、頸筋から乳房にかけて撫でるように流している。くの字の指でどうしてそんなにできるのか、猫の毛繕けづくろいのようでおかしかった。そうして風呂から上がると紹明は裸のまま、すぐにマチ子を拭いてやる。マチ子は一人で立っていることはできても、肘の固まった両手は後ろに回らない。だから届かない腰回りやあしの方も、湯冷めしないようこするようにして拭いてやり、用意していた腰巻を手渡すと、あとは曲がった指で、紐も自分で上手に結んだ。

 薬石は隠寮のマチ子の蒲団の傍に卓袱台を広げ、台所から皿や茶碗を運んでいっしょに食べた。酒はもちろんひやのまま、気に入りの黒丹波の小さな猪口でゆっくりやる。一日を締めるたのしみだった。あたりまえだがマチ子は箸が使えなかった。持つには持てたがそこまでだった。だからいろいろ考えて、手にしやすいようにと、電車道を越えると南の商店街をさがして回り、軽そうな小さめのフォークを見つけてきた。それをマチ子はその日から、人差し指と中指の間に挟んで器用に食べた。だから料理の方もフォークに合わせ、ものは細かく刻んで、煮魚もほぐしていた。もちろん魚など以前は口にすることもなかったが、マチ子の体を思ってのことだった。

たけのこは、やっぱ、若布わかめくんが一番やな」

 一切れを、いったんは自分の皿に取り、箸で二つに分けたのをマチ子の皿に移してやると、小さくお辞儀してフォークで刺した。

「きょうもよく煮えてます。若布の煮崩にくずれかけたくらいが、あなたは好きなんですよね」

 何気ない一言だった。それが紹明にはうれしくて、

 あなた、か……、

 つい、にやりとした。結婚のはじめから檀家の手前もあって紹明を宗門らしく、和尚おしょうさん、と呼ぶのがつねだった。それが病気で変わっている。庫裡奥に誰をはばかることもない、ほんとうの夫婦ふたりになって気も緩むのだろう、呼ばれて紹明もほころんだ。

「去年はやぶの手入れができんかったからな、今年のはねが早い」

 筍は先っぽより、どちらかといえば根っこに近い筋っぽい方が好きだから、それをあさって、こり、こり、やるのだが、朝方に採ったばかりというのに香りはいま一つだった。

「ごめんなさい」

 そんなことにもマチ子は詫びた。ほかでもない、竹藪は毎年きちんと間引いてやらないと死んでしまう。薮があばれるといって、密生し過ぎると風の通りが悪くなり、やがて薮全体が立ち枯れる。そんな竹藪に生える筍は、なぜか伸びるだけで、あの、すっと鼻に抜けるかんばしさがなかった。だから毎年、旬のあとの梅雨明けには余分な若竹といっしょに、古くなったのを間引いて、奥の方までちらちらと陽が射し込むくらいに涼しくしてやる。すると土もふっくらとはずみのある薮になった。松山もそうだが、竹藪には手がかかる。それがマチ子の入院続きでできないでいた。

 マチ子はアレルギー症だった。たぶんその結果のリューマチだろう。

「体質ですやろ」

 小林はさらりといったが、痛み止めもそれまでのマイシンでは効かなくなり、プレドニンといったか、新薬に切り替えると、みるみる痙攣ふるえが来て救急車で運ばれた。それに更年期も重なって入院が長引き、着替え運びや何やらと病院通いで竹藪の手入れどころではなかった。

 そんなマチ子の体や、また、晩婚だったこともあるが、ほかに少しの考えもあって二人には子どもがなかった。もちろん弟子もとっていない。おかしなことだが戒律の厳しいはずの禅門にもやはり時流はあって、本山塔所でも息子や娘にあとをとらせるのがあたり前のようになっていた。だからあらがう気など毛頭なかったが、性に合わなかった。もちろん長年、無住なうえに檀家もろくにない襤褸寺に師資相承を求めても仕方のないことだった。

 もともとが瘋癲漢ふうてんかんな性格で、師の言外の影響もあってか、時期が来れば禅門本来に慧州寺もけて出ていくつもりでいた。あとは郷里くにに帰り、言外にはじめて会ったあの山寺にでも入ればいい、いまも変わらず無住にあるだろう、だからマチ子さえうんといえば、畑でもしながら二人でなんとかやっていける、そんなふうにも考えていた。知れたことだが禅門に限らず住持が遷化せんげすれば、晋山しんざんといって本山指名の住持がやって来る。すると残された女子どもは寺を追われる羽目になる。破戒の付けを払うのは女だった。慧州寺は廃絶同然だったのを紹明が入って再興した。だから多少の無理もくだろうが、限度がある。するとマチ子の行き場がなくなってしまう。そんなことを考えてのことだったが、マチ子の病気で狂ってしまった。背負ってでも行けんことはないが……、思ってもみたが、半島の谷奥の僻村に、医者の手を離れての暮らしは無理だった。

 どないするかな……、

 思案に暮れて宗忠にも胸の内を明かしている。すると、

「何をいうとる」

 宗忠は一蹴した。

「いざとなりゃあ、うちの若いもんを回してもええし、晋山めもたわいないこっちゃ。慧州寺はおまえの寺やないか、好きにやっても誰も文句はいえん」

 もしものときは手助けに弟子の一人を差し向けることもできれば、宗門筆頭の自分のこと、どうにでもなるというのだったが、

「それはありがたい話やが、あの体やからな、一人置いてくわけにもいかんやろ」

 すると宗忠にも言葉がなかった。

 少年が現われたのはそんな矢先のことだった。渡りに船とはいわないまでも、これは法嗣はっすにいけるかもしれん、と思ったこともたしかだった。

 一夜のこと、

「あれの頭は、ほんま、ええ格好かたちをしとる」

 となりの蒲団のマチ子にこぼしている。

「てっぺんが、ほれ、つんととんがってるやろ、言外ごんがい和尚もそうやったが、あれは高僧のそうそなえとる」

 自分の目に狂いはない、といわんばかりだったが、

「まさか、あなた」

 すぐに見透かされ、

「そ、そういうわけやないが、あんまりええ格好なんでな」

 と濁したが、すぐに素直になっている。

「けどな……」

 もちろんマチ子にもわかっていた。だから黙っていた。

「もしも、もしものことやが……、わしになんぞあったら、と思うてな。近頃、そんなことを考えよる」

 いいながら蒲団を被ったが、すぐに隣の蒲団に手を伸ばし、マチ子の腰のあたりをまさぐると、その手をそっと握った。関節も強張こわばり、だから勝手もちがったが、むかしと変わらない二人の就寝おやすみ儀式あいさつだった。

 考えてもしょうないわい、

 言い聞かせようとするのだが、余計に冴えて寝つけない。

 きっとマチ子もそうやろう……、

 思って、また、そっと手を戻し、寝返りを打ちたいのもじっとこらえた。と、いくらもしない。

 くー、くー、くー……、

 無邪気な寝息が聞こえて、つられるように眠りに落ちた。

業火

 秋口だった。方丈の奥書院から白く煙が出ているのを、裏の珠光庵の庭仕事に来ていた植木屋が見つけた。偶々たまたまのことだった。すぐに消防車が駆けつけたが、その前に、これも偶然だったが、境内を放課後のクラブ練習でランニングしていた近くの紫明高校の野球部員が気づいてバケツリレーで消火にあたったから、襖四枚を焼いただけで大事に至らずにすんだ。

 厄介だったのはマスコミだった。焼けた襖絵が国宝も一級品だったことから、法隆寺金堂事件さながら、各紙が一面トップに掲げて騒ぎが広がった。〝国宝焼失〟〝はやる文物巡回に警鐘〟〝社寺観光化に鉄槌てっついか〟とさまざま見出しも躍ったが、警察と消防署の調べで、焼け跡にオイルライターが黒焦げで見つかったことから拝観者による放火とわかり、監督官庁から勧告が出て、どういう絡みか、会計監査も入った。それにまたマスコミが反応して門前に記者が押し掛け、フラッシュをいたり、出入りの雲水を追いかけては話を聞き出そうと取り巻いた。〝塀のなかの闇〟〝清廉禅門に泥沼の内紛〟と、あることないこと、もっともらしく書き立てた。といっても人の噂も七十五日、二月ふたつきもすればまたもとのように静かになった。

 おさまらなかったのは山内塔所住持だった。数の上では多数を占める宗忠反対派がこぞって詰め寄り、失態は宗務総長の怠慢、と宗忠追い落としにかかった。山内塔所といっても台所事情はいろいろで、宗忠のやり方に同調したのは檀家の少ない、いわば喰えない塔所だった。一方、反対派のほとんどは室町守護や戦国武将の墓所として開かれた塔所で、だから戦後も変わらず富裕檀家のお抱えで観光収入などあてにしなくてすんでいた。

 宗忠は考えた。逃げ道があった。

 禅門どこにでもいえることで、大燈寺も差配序列として内務的には宗務総長が筆頭にあった。いわゆる創建以来の大燈寺住持にあたる職位だが、もう一つ、管長という特別職があった。明治に入り宗門統制の一環として政令によって置かれた役職で、政府登録の宗教団体のおさとして組織上は総長を超える。とは表向きであくまでも名誉職に過ぎず、実務については宗務総長がすべてを仕切り、さらに管長指名の権限まで握っていた。だからたとえば総長には妻帯が黙認されていたのに対し、管長には戒も厳しく、禅門の象徴、師家しけとして、専ら僧堂での雲水指導にあたっていた。つまり管長は宗門最高位にありながら、内実は宗務総長の傀儡くぐつに過ぎないわけで、実際、宗忠もそれを巧に使い、管長に詰め腹を切らせることで矛先をかわそうとした。だがそれでおさまらなかった。もちろん紹明は宗忠にみ手をするような男ではけっしてなかったが、本坊勤めはもちろん、あれこれ無理が利いたのも宗忠あってのことで、反対派からは同じ穴のむじなと見られても仕方なかった。つまり、宗忠にもしものことがあれば、たちまち慧州寺はやっていけなくなる。

 

 かた、かた、かた……、

 庫裡前の飛び石に下駄の歯音がして、紹明が戻ったときには日付も変わろうとしていた。それを少年は玄関に迎えている。

「お帰りなさい」

 ぺたりと上がり端に額をこすりつけるようにお辞儀をすると、

「まだ起きとったんか? 早よう寝なさい」

 いつもなら、どうやった? と、まず留守の様子を訊くのだが、それもなく廊下をまっすぐ隠寮に消えた。

「いかがでした?」

 灯りを点けたまま、マチ子は心配顔に待っていた。

「厄介なことになってきた」

 衣桁いこうに袈裟を投げると蒲団のそばに胡座をかいた。何か調子の悪いときや思案事のあるときは、そうしてへたり込む。紹明の習慣くせだった。

「やっぱり、宗忠さん、きびしいんですか?」

「ああ、瑞林あたりがもう騒いどるらしいてな、わしも腹を決めんならんことになるかも知れん」

 人はどうあれ、事務方として宗務一条ひとすじに徹してきたつもりだった。だが、それでおさまらないのが宗門だった。本坊勤めも本来は山内住持の持ち回り制だったのが、言外と宗忠のいわばごり押しで常勤が許されていた。結果、誰よりも宗務のわかることと律儀な性格が買われ、任期二年でころころ替わる財務部長を越える、実質、金庫番にもなっていた。だから不始末があれば宗忠との関係を勘繰かんぐられても仕方なかった。

「大丈夫ですよ」

 マチ子は明るく努めたが、

「いや、今度ばっかりはそうもいかんやろう」

 いつもなら、こうだった、ああだった、とうるさいくらいに報告はなしをやめない紹明なのに、その夜は言葉も少なかった。

 臨時の宗務会議が開かれたのは一月後のことだった。宗忠反対派の頭目の瑞林院ほか八カ寺の提議で、もちろん議題は焼けた襖絵の修復問題だった。というのは表向きで、狙いは宗忠弾劾にあったことはいうまでもない。これを機に一気に退任に追い込もうという腹だった。宗務会議といってもたいていは、たらたらと茶飲み話のように終わってしまう。ただ、財務の絡んだ案件では、後日のためと山内二十一カ寺住持の記名投票で決を採ることになっていた。

 紹明は票読みした。

 瑞林以下の八つははっきりしとる、問題は、慈光、大悲、三宝、龍峯、玉泉の五つやな……。

 日和見の中間派五カ寺が白票で場を濁せば、最悪八対八で拮抗して、その場合は議長である管長の裁断に委ねられることになる。もちろん管長は宗忠の傀儡だから結果は見えていた。

 ただ、あの瑞林のことやからなあ……。

 反対派の頭目の提議である以上、そのあたりは瑞林院も算段済みで、中間派にも手を回しているにちがいなかった。

「辣腕宗忠の運もきたか」

 一人、呟いた。

 そんな読み通り、瑞林院は、中間派どころか、どんな餌付えづけをしたか、宗忠派の二カ寺までも抱き込んで、不信任案は圧倒的多数で可決され、二十年近くに及んだ宗忠時代も幕引きは呆気あっけなかった。宗忠は如水庵に逼塞、一時、代行を法務部長だった珠光庵が務めたが、翌月の人事選で瑞林院が新総長の座に就いた。

 

「ほんなら、行ってくる」

 衣桁から頭陀ずだ袋を首にかけた紹明を、

「ええ、気をつけて、宗忠さんによろしくいってください」

 鼻先に落ちた丸眼鏡の奥から、にっこり、マチ子は見送った。めずらしく気分もいいのか、その日は朝から蒲団に起きて、三角座りの膝上に薄い文庫本を広げていた。

「ほおー、改造かいぞうか」

 覗いていった。

「えらい古いのを出してきたな」

 それもそのはず、戦争前の改造文庫の一冊で、嫁入りに持ってきたのを蜜柑箱にそのまま、押し入れに忘れていた。

「紹元さんに出してもらいました」

 うれしそうにした。

 マチ子には、一日、時間がたっぷりあった。もちろんテレビなんか影もなくて、ようやくむかしのラジオが壊れずあったが、嫌いだった。だからたいていは庭の季節の移ろいを眺めながら、気が向けば蒲団の脇に、手が届くようにと紹明が置いてくれた腰丈ほどの本棚から好きなのを手にとってみる。新聞は嵩張かさばるし、大きな本は膝の上にわりが悪いからマチ子の曲がった指では難しいが、文庫本ならなんとかなる。むかし、マチ子は文学少女だった。困ったのは、膝の上だと目に近過ぎて、眼鏡をかけるといくらもしないうちに首筋がこちこちに凝ってしまうことだった。

「あんまり遅うはならんようにするが……」

 遠慮がちにいったのを、

「大丈夫ですよ、もうすぐ紹元さんも棚経回りから戻ってきますから」

 笑顔でこたえた。やはり気分がいいのだろう、いつもに加えて明るかったが、そんな笑顔が紹明には、その日に限って、妙にまぶしかった。

 

 宗忠から電話があったのは朝方だった。何だろうと思ったら、酒の誘いだった。

「一杯やらんか」

 いつもなら、どこか外に席を設けるのだが、事件以来、すっかり気力をなくしている。

「ゆっくりやりたいんでな、休日やすみで悪いが、こっちまで足を運んでくれんか」

 電話の向こうで頭を下げた。

 差しでやるいうんか、どないな風の吹き回しやろ……、

 うれしかったが、気になった。宗忠との酒はいつものことだが、たいていは宗務絡みの宴席だったから、二人、酌み交わすというのは、極端だが、美濃以来といってよかった。

「勝手いうてすまん」

 顔を合わすなり、宗忠はまず詫びた。

大梅だいうめにしようかとも思うたんやが」

「いや、ここの方が落ち着いてええ。わしも、なんとのう、いっしょにやりたいと思うとったとこやった」

 にやりといって、

 大梅か……、

 つい口を衝いて出た。

 はなさん、どないしよるかな?

 もちろん宗忠には聞こえていない。栢野かしわのの西の外れ、天満宮の東の参道に古くから続く茶屋の女将で、出会いはほかでもない美濃の慈眼寺。出入りの植木屋の、華は末娘だった。

 まだ十六やったなあ……、

 思い出して懐かしかった。

 父親の昼飯を届けに来たのが最初だった。瓜実顔のすずしそうな切れ長目に、まず胸を躍らせた。以来、何度も出会いをたのしんだ。それが二年後には見えなくなって、どうしたかと親父に訊いたら、

「奉公に出よりましてな」

 ぽつりといった。再会したのは慧州寺に晋山して三年目、本山での千家法要のときで、はじめて大梅に上がったときだった。紹明も宗忠もまだ末席だった。

「おい、あれ、見てみい」

 芸妓の、襖をてするなかに、目敏めざとく華を見つけたのは宗忠だった。

「おっ」

 紹明もすぐにわかった。それを小用に立ったり、宵冷よいさましにとかこつけては廊下に出たり、機会を待ったが叶わなくて、ようやく捉まえたのが半年後、本山出入りの帯屋の宴席だった。

「わかってましたえ」

 華の口から、美濃なまりはすっかり消えていた。

「紹明はんも宗忠はんも、大燈寺さんにいはることはよう聞いとりました」

 笑うとむかしの華に戻った。

 宗忠とはそれからはじまっている。以来、公私に大梅上がりを繰り返し、若手ながら教学部長に就いた頃には、華の方も器量と機転の良さが手伝って大梅の若女将におさまっていた。ただ、紹明の方はしばらくしてマチ子と出会っていたし、やがてマチ子も寝込むようになったからそれどころではなく、すっかり忘れたようなかたちになっていたが、宗忠の大梅通いは宗務事務所でも知らぬ者がなかった。

「教学部長、きょうも大梅あこでっしゃろな、ほんま、ご精の出るこって」

 陽が傾きはじめるとそわそわと落ち着かない宗忠を尻目に、月番仲間が聞こえよがしに囁き合った。宗門にはめずらしい端正な顔立ちから、宗忠は慈眼寺でも人気者だった。それだけに人並み外れて強引なところもあって、同参どうさんからは突き上げを喰らうことも度々だったが、逆にそれを魅力に変える、そんな男だった。だから托鉢に出ても町家の受けもよく、贔屓ひいきすじもいくつかあって、浮いた話も少なくなかった。それが意外に身持ちが堅く、晋山後も変わらずひとり身のまま、戒を守っていた。ほかでもない、華がいたからだった。

 不思議な男やな……、

 紹明は思った。いざとなれば残忍なまでも人を斬って見せる、そんな反面、虫一つ殺せないやさしさがあった。傲慢の陰に妙な思いやりも見え隠れして、権力のトップにまでのし上がった男にしてはいびつだった。華との間にもそれがいえた。その気になればいつでも傍に入れることもできたのに、しなかった。

「いまさらやが、なんでいっしょにならんかった?」

 膳を運んだ雲水が廊下の向こうに消えるのをたしかめながら訊いてみた。

「呼んだら来たやろうし、華さんもそうしたかったんやろう?」

「ああ、気持ちは、ようわかっとった」

「それを、なんで?」

「わしもそうしたかった。けどなあ……、後々あとあとのことを考えてみい。こっちの勝手だけではすまんやろ。そんなことは、おまえもようわかっとるやないか」

 すると紹明にもあとがなくて、

「それより、おまえの方はどうなんや?」

 と訊かれる羽目になっている。もちろん、紹明にも言葉がない。

「ほれ、おんなじやろ」

 いだ銚子の尻に垂れる滴をぬぐいながら宗忠は笑ったが、二人にはわかり過ぎる宿命ことだった。

「おまえは問題を先送りにしてるだけやないか」

「そうかもな……」

 ここしばらくマチ子のことが頭を離れない。近いうちに本山勤めも追われるだろう、すると、慧州寺はやっていけなくなる、寝たきりのマチ子を抱えてどうするか、宗忠以上に難しかった。

「じつはな、そのことなんや、おまえとやりとうなったんは」

 改め顔に紹明を見据えた。

「華がな、もう一つようのうてな」

 えっ! 杯を口に運ぼうと前のめりになっていたから酒がこぼれた。

三月みつき前になるかな。微熱続きで、体がだるうてしょうがないんで医者に行ったら、いわれたらしい」

「あれか?」

 宗忠の顔のかげりにさっしが付いた。

 ああ、と宗忠はうなずいた。

としも齢やし、急にどうこういうもんでもないらしいが、もうリンパにも回ってるらしい」

 わずかだが声が鼻にかかっている。そんな湿ったけしきを見せるのもはじめてだった。

「入院せんならんのか」

 たしかめてみた。

「いや、入院してどうなるもんでもないらしい」

「というと……」

 いいかけてやめた。あとは続けても仕方のないことだった。もちろん宗忠にもわかっていて、

「それでやが」

 と切り出した。

「じつはな、ここを出ようと思うとる」

 やっぱりそうか……、事件のこともあって、呼び出しのあったときから、なんとなくそんな気がしていた。

 宗忠には法嗣がいたから如水庵を追われる心配はない。在家の親子のように弟子が師の老いを看取ることは祖師のむかしからふつうにあって、実際、宗忠もそうしてきたし、また法嗣の弟子もまだ独り身でいたから、さながら親子水入らずといった毎日だった。もちろん華のことも変わらず大事に思っていた。けれどいっしょになるなど互いに考えもしなかった。それが華の病気でちがってきた。

「笑われるかもしれんが、いっしょに暮らしとうなってな」

 出家の始末の付け方を、宗忠はそんなふうにいった。宗忠の言葉とは思えなかった。けれど、うつくしいと思った。

「それがええ、華さんもよろこぶやろう」

 ほんとうにそう思った。

「だとええが……」

 目をしょぼつかせた。そんな姿もはじめてだった。

 紹明は訊いてみた。

「それで、どこに行く?」

 すると子どものように明るくなった。

「それなんや。大須弥山おおすみやまのかかりの、ほれ、雲母坂きららざかの入り口やが、羽黒洞の店主おやじが見つけてくれてな」

 出入りの古道具屋で、目敏めざとく珍品を見つけてはやって来た。それがなぜか大燈寺には商売抜きに気骨を見せる男で、大燈寺も維新の廃仏毀釈で失った文物をいくつも取り戻している。

「古い百姓家でな、茅葺きの草臥くたびれた納屋みたいやが、えらいもんで、古いだけに造りだけはしっかりしとる」

 と妙なところで感心して、

「畳二間ふたま続きに納戸と勝手だけやが、年寄り夫婦には十分や」

 うれしそうにいったのが別人のようだった。

 ほんま、変わったもんや……、

 改めて思った。向意気ばかりで引きというものを知らなかった男が、こんなかたちで結末けりをつけている。ちょっと寂しい気もした。

「それで、いつなんや?」

 ただすと、すっと背筋を伸ばした。

「決めたら早い方がええんでな、来月の頭にでもと思うとる」

「来月? そら、またせわしい話やな」

 頭のなかでかぞえてみたが、もう十日もなかった。

「あれがそうしたいいうんでな」

 にやりとしたのを、

 何を照れとおる、いてるのはおまえの方やろ、

 下世話に思って、はっとした。

 そういうことか!

 気づいて恥ずかしくなった。

「だいぶ悪いんか」

「いや、そんなでもないんやが……」

 宗忠は濁したが、わかって紹明は話を振った。

「それで、大梅の方は?」

 すると、意外にあっさりしていた。

「あっちは小鶴こつるがおるからな」

 小鶴は華より一回り若かった。ただ、尋常上がりだったから年季は華とほとんど変わらない、姉妹のような仲だった。ねえさん、姐さん、と姉のように華を慕い、華の方も、小鶴ちゃん、といとしく呼んで大事にした。だから華が大梅の身代を受けたときも、張り合う仲間は華をねたんで後足で土を蹴るようにして出ていったのを、小鶴だけは離れず華を支えてきた。

「そうか、あのやったら心配ないな」

 そんなふうにいったのは、器量の方は華ほどでもなかったが、その分、気立てがよくて、切り回しも、ひょっとすれば華以上かも知れないと思っていたからだった。そうして何やら、法衣の袂を、ごそ、ごそ、さぐるようにしていたが、

「おっ、もうこんな時間やないか」

 真鍮の懐中を取り出すと、

「いかん、いかん、あれを一人にしとるんでな」

 膳の上に遊んでいた杯を口に、すっと短く呑み干すと小皿の脇にことりと伏せた。

「紹元がおるんやろ」

 宗忠は物足りなそうにした。もちろん紹明も同じで、もう少し向かい合っていたい気もしたが仕方がなかった。

「ああ、ようやってはくれよるが、やっぱりな……」

 実際、少年は紹明も感心するほどに細々こまごまと立ち働いた。台所仕事はもちろん、マチ子の世話も、たとえば東司とうすに立つのさえ、その手を引き、便器にまたがったのを寝間着の紐をいたり裾をたくし上げたり、そんなことも躊躇ためらうことなくやってのけた。

 それにマチ子の方も黙ってえた。一人では蒲団も出られない体だったが、いったん立つとあとはつらくても踏ん張りながら、障子や壁を頼りにつたい歩くこともできた。まるで操り人形のようにぎこちなく、そろり、そろり、時間もかかったが、便器に跨がることも一人でなんとかなった。ただ、その先、少しもかがめないからふつうに用を足すことができない。だから紹明がいないときは少年の手を借りることになる。

 日に一度や二度のことではない。便器に跨がったまではいいが、気兼きがねと羞恥であとが頼めない。尿意を我慢しながら、曲がった指でも寝間着は腰紐を緩めて片側に手繰り寄せることもできた。けれどその先、腰巻がうまく外せないし、からげることもできないから厄介だった。何とか自分で……、と痛みをこらえ、腕を後ろに少しずつ引っ張り上げようとするのだが、曲がった指はいうことを聞かない。するとあとは棒立ちのまますますしかなく、寝間着や腰巻の裾はもちろん便器周りも濡らしてしまい、着替えや汚れの始末まで少年に頼むことになる。恥ずかしいのは自分さえ我慢すればよかった。けれど少年も性も芽生えの頃だった。そしてマチ子も、もともとが奥手おくてだったこともあり、いまだ月のさわりも終えずにいた。女の不浄を見せるのは可愛そうだった。

「ごめんね……」

 声にならず、マチ子はいった。それを淡々と少年はこなしている。

過誤

「いはりますか?」

 かねとは路地を一つへだてた辻子ずし奥だった。六軒長屋の中程に櫛の歯が欠けたようにわずかにひらけたその先はまるで穴蔵そのもので、よくもこんなところに……、とあきれもしたが、入ってみると意外に空も筒抜けて明るかった。

「慧州寺です」

 表戸はいたまま、

 がっしゃん、がっしゃん……、

 機音だけが、留守でないのを教えてくれる。

 聞こえないのかな?

 覗くと、

「へえーいっ」

 と返事があって、音が止んだ薄暗がりの通り庭から暖簾のれんを分けて現れた。胡麻塩頭がさらに微塵みじんかぶって霜が降りたように真っ白だった。

「なんや、紹元はんか」

 蘆山はどこも同じに素気そっけない。

「ちょっとてえ放せんさかい、勝手に上がってやっといてんか」

 いうが早いか背を向けた。

 仏壇は、やはりかねと同じ、上がり端の隣の六畳間の隅っこに、といってもこちらは小さいながらもそれなりに手前には黒漆くろうるしの経机も座っていた。ただ、白く埃だらけで、仏壇も観音扉がまったまま。それを、ぎいっと開けて位牌をさがした。狭いなかにひしめくように小振りのそれが前後左右に肩を寄せ合って並んでいる。蘆山長屋にどうしてそんなに数があるのか不思議だったが、その日は亡妻のそれだった。

 ほかのを倒さないようそうっと取り出し、薄鼠に曇ったのを、ふっと息を吹きかけ法衣の袂で何度も拭いた。するとたちまち漆黒しっこくに光を取り戻した。

 吉祥院慈恵秀文大姉、

 見事な戒名だった。蘆山はどこに行っても、信士、信女ばかりで、居士や大姉でさえめずらしいのに、さらに院号をかぶっている。ほかにない、重蔵じゅうぞうの家だけだった。その戒名を懐から取り出した懐紙に書き写すと経机のりんの脇に、見えるように畳んで置いた。経文に読み込むためだが、そうして二十分ばかり続けるとち残りの線香の頭を千切ちぎって香合の灰中に沈めた。

「ほんなら、これで」

 三和土に下りて、暖簾の奥に声をかけると、草履を引きる音がした。

「見ての通り、なーんもおまへんけど、これ、大黒おくさんに」

 いつものように布施代わりだろう、何が入っているのか、古新聞の包みを差し出した。

 

「そう、重蔵さん、元気にしてましたか」

 起き上がろうとしたのを少年は、後ろに回って背中を支えた。素早かった。

「相変わらずせわしそうでした」

 報告しながらマチ子の肩に羽織をかけた。するとあとはゆっくりだが、一人で袖に肘を通した。おかしなもので、れ上がった関節はくの字に曲がったままだから、滑るように、するりとおさまる。

「それで、もらってきたんです。親戚に建前たてまえがあったそうで、ちょっとびてたんで、庖丁で削って湯に通しました」

 蒲団の脇、丸盆には、信楽の角皿に白い餅が二切れ、薄く黄粉きなこを被り、肩を重ねて並んでいる。建前は遡ればはらえの一種だろう、棟上げのあと、いた餅を棟の上から投げてく。それを隣近所、老若男女が競って拾い、達者になるとか、長生きするとかいい合って、その日の夕餉の膳にのせた。

「あら、お餅ね」

 にっこりいった。マチ子は餅が好きだった。それもあんでくるむより黄粉をまぶした方が好きだった。もっといえば胡桃くるみ餅の方が、といってもでた大豆を石臼でつぶした偽物だったが、好物だった。ただ、手間がかかったからあまりつくっていない。

「縁起物やからね、いただきます」

 うれしそうに手を合わせた。

 少年は、三角座りのマチ子の膝に足元の薄蒲団をかけると、丸盆をそうっと載せた。一瞬、盆はよろりと頼りなそうにしたが、あとは行儀よく落ち着いている。

「大丈夫ですか」

 少年は立ち上がった。ほかの汁菜を運ぶためだが、マチ子は、ええ、とフォークをとった。そしていくらもしない、台所に戻って鍋に味噌をこうとしていたときだった。

 がちゃんっ!

 短い音がした。奥の隠寮の方からだった。

 んっ? お皿でも落とされたかな、

 杓文字を投げて廊下を走った。

 

 マチ子は、う、うっ、と倒れていた。うめきながら喉元を掻きむしるように爪を立て、顔を真っ赤にしている。蒲団の上には盆がひっくり返り、黄粉のこびりついた皿とフォークが餅といっしょに転がっていた。

 あっ!

 少年は叫んだ。

 が、声になっていない。

 マチ子の肩をつかんで抱き起こそうとした。

 夢中だった。

 マチ子は棒のように、両足を突っ張ったまま、

 ぶる、ぶるっ、

 短く体を震わせると、口を閉じ、ぎゅっと歯を食い縛るようにした。

 少年は電気のように反応した。マチ子の頭を膝に抱え、口を開けようと前歯の隙間に爪を立てた。けれど口は貝のように閉じたまま、どこにそんな力があったのか、少年の手を、びしっと払いけた。見る見る顔に陰が差した。唇が黒く腫れ上がる。と、

 ぶるっ、ぶるっ、

 また、小刻みに震えだした。

 少年は思わず身を引いた。マチ子の体が畳の上に転がった。寝間着の前が大きくはだけ、腿も露わに、曲がっていたはずの膝まではがねのようにぴんっと伸びた。両の足指が五本とも、裂けんばかりに開いている。

 ……と、少年の、記憶はそこまでだった。

 ぴしっ!

 短い音がして、眉間に火花が散った、気がした。廊下をすべって柱の角に思い切り眉間をぶつけたのだが、あとは裸足のまま参道を駆けている。

 

「おーいっ、帰ったぞ」

 玄関を入ったがいつもの返事がない。少しだが足元がふらついていた。

 ちょっと呑み過ぎたかな……、

 首をかしげたのと同時だった。裏の勝手口の方から、ばたんっ、と何かがねる音がした。

 タマかな?

 二月ふたつき前、ぷいっとやって来た野良猫で、はじめの十日ほどは遠慮がちにいたのが、二十日も過ぎると隠寮を我が物顔に、マチ子の蒲団の裾に丸くなっていた。

「よっこらせっと」

 つい掛け声も出て、上がりはなに両手を支えに下駄を脱ぐと千鳥足で奥に向かった。

「おーいっ」

 廊下のかかりで、もう一度、呼んでみた。そして、

「遅う……」

 と隠寮の敷居の前で棒立ちになった。

 それからどれほどだったか、紹明は冷静に戻っていた。ゆっくり、マチ子を抱き上げると蒲団に戻し、寝間着の裾をただすとり寄るように横になった。何度も何度も頬を撫でた。不思議なものでそうすれば赤紫に腫れ上がっていた肌も少しずつ色が戻っていく。そして寝間着の肩を外して肩口から肘にかけてもさすってやった。すると同じようにわずかだが薄桃色に戻っていった。長く寝込んだはずなのに腋から二の腕にかけての肉付きもそんなに変わっていない。ただその先が無惨だった。

 強張こわばった手を、包むようにこれも擦ってやった。そうすれば固まった関節もむかしのようにきれいに伸びる気がしたからだが、足の方もそうしてやろうと腰のあたりに手をやると、寝間着の後ろが濡れていた。

「そうか、えてやらんとな」

 起き上がると帯を解いて腰巻の細紐に手をかけた、その手がなぜか止まった。不思議な躊躇ためらいだった。

 下腹には、まだ色の変化はなかった。ただ可哀想なほどに腰骨が飛び出して、これは寝込みのせいだろう、臀部にかけて皮膚がたるんで土色に変わっていた。わずかだったがこもった臭いもした。それを腰の後ろに手を差し入れ、心持ち浮かせながら汚れた腰巻をそっと外し、あとは抱き寄せるようにして寝間着も脱がせた。と、それからが意外だったが、大きく一つ、肩で息をすると、

「マチ子……」

 と震える声で、覆い被さるように白い胸に顔をうずめた。

惜別

「最近は、きびしいんですよね」

 小林はいいにくそうにした。紹明の電話に驚いて、自転車を飛ばしてやって来たものの、ほんのかたちだけマチ子の喉元に軽く指をやったきり、聴診器をあてることもなかった。当然だった。小林が隠寮に入ったときにはすべてが終わり、真っ白な蒲団の上に、これも真っ白な法衣姿で薄化粧もして、マチ子は胸にいんを結んでいた。

「なんとか、ならんでしょうか」

 紹明は無理を承知でいってみた。

「お気持ちはわかりますけど、これは決まりですからね」

 ごめんなさいとばかり、低く頭を下げると、後ろにやっていた黒革の鞄を膝の上に、聴診器を丸めて仕舞った。検屍のことをいっているのだった。

「せめて昨夜よんべのうちに知らせてくれてたらねえ」

 やんわりとだが不手際を責めている。

「それは、その……、夜もおそかったもんですから」

 子どものようないい訳だった。連絡ならすぐにもできた。そうしなければいけないこともわかっていた。けれど、しなかった。

「いったい、何をしてたんですか」

 小林の顔がけわしくなった。

「ええですか、これはれっきとした変死ですよ」

 眉間に深い筋を立て、人差し指と中指で膝前の畳を激しく叩いた。

たおれたそのままやったら、多少おくれてもなんとかなりますよ、そうでしょ?」

 突かれて、紹明に弁解の余地もない。

 

「ごめんやっしゃ、すんまへん」

 玄関で声がした。

 こんなときに、だれやろう……、

 あわてて走ると駐在だった。後ろには、中折れ帽に鼠のコートの中年男と、もう一人、肩からカメラをぶら下げたジャンパー姿の若い男も立っている。

「急なこってしたなあ」

 駐在は制帽を脱いで、丸い禿げ頭をぺこりと下げた。

「小林さんからお聞きになりましたやろ、別に和尚おっさんがどうこうしたいうわけやないんですが、これも仕事でしてなあ、もうじき運びの車が来ますんで……、よろしやろか」

 奥の方を窺うように首を伸ばした。紹明は頼んでみた。

「そのことやが」

 それを、遮るように駐在は胸のポケットから黒い手帖をひょいっと出して、ぺら、ぺら、めくった。

「やってくれるんは、ええっと……、原谷病院ですな。この辺やと、あそこぐらいしかないんですわ」

 気楽にいって、

「ほんなら、ちょっと失礼して」

 と後ろの二人に目配めくばせすると、沓脱くつぬぎに足をかけようとした、その前に紹明は大手を広げた。

「ちょっと待ってくださらんか」

 駐在は、うっかりしていたとばかり、

「あっ、これは気のつかんこって」

 と足を戻すと、まずは中年男を指さした。

「こっちは京滋新聞の……」

 それを紹明は遮った。

「お帰りいただきましょう!」

 上のはりまで筒抜けに、割れるような声だった。

「駐在さんだけならまだしも」

 とほかの二人をにらみ返した。駐在はあんぐりまなこで突っ立ったまま、

「いや、そういうわけやのうて」

 口籠もるのを、かがむと紹明は膝を折り、

「どうか、お引き取りください」

 上がり端に両手をついた。

 

 かた、かた、かた……、

 下駄の歯音がして、やって来たのは宗忠だった。

「なんや? 駐在はんやないか」

 玄関を入るなり、吐き捨てた。

「なんで、こんなとこにおるんや?」

「いえ、そ、その……」

 駐在は、み手をしながら小さくなった。それで宗忠にも様子が知れた。

「なるほど、そういうことか」

「………」

「駐在はんっ」

「は、はいっ」

 駐在は蛇ににらまれた鼠のように固まった。

「あんたも融通ゆうずかん男やな」

「そ、それは重々わかっとりますが、これも、なんちゅうか、仕事でして……」

 駐在は悪餓鬼にいたぶられる亀の子のように首をすくめた。

「せやから、わからん人やというとるんや」

 浴びせかけると下駄を脱ぎ捨て、奥の電話台にまっすぐ走った。

「本署につないでくれんか」

 呼び出しハンドルをぐるぐる回すと受話器を鷲掴わしづかみに、怒鳴り上げた。

 つーとん、つーとん……、

 呼び出し音に、誰もが耳を澄ました。

「もし、もーしっ!」

 ようやく繋がったようだった。

「すまんがな、署長の板倉いたくらはんを呼んでくれんか」

 ずいぶん馴れ馴れしかった。けれど向こうが渋っているのか、声を荒げた。

「なんやてーっ! そんなこたあ、どうでもええのや。とにかく、大燈寺の如水庵やいうたらじきにわかる」

 それで向こうもへこんだか、しばらくすると相手が出たらしく、打って変わって低い調子で、何やらぼそぼそ話していたが、振り向くと矢のように受話器を差し出し、陰手いんでに駐在を手招きした。

 駐在は、へえ、とばかり、旦那に呼ばれた番頭のように小さく膝を折り、腰を屈めて走り寄ると、押しいただくように受話器を受けた。そうして背中を丸め、ぺこ、ぺこ、と何度も電話に向かってお辞儀をしていたが、やがて、そうっと受話器を置くと、逃げるように帰っていった。

 どんな話があったのか、ともかく宗忠の一声でマチ子の体にメスが入るのだけは避けられた。それが何より紹明には有り難かったし、小林も了解して、心臓発作、とカルテに書いた。

 けど、ほんまはどうやったんや? ふつうなら訊いてみたいところだが、もちろん宗忠はしていない。ただ、気になることがあるようで、しきりにあたりを見回している。

「そういやあ、あれを見かけんが、どないした?」

 少年のことだった。これには紹明も、一瞬、慌てたようで、

「ちょっと用ができたらしいてな、昨日、実家さとに帰した」

 と歯切れが悪かった。

「らしい、て、なんぞ急なことでもあったんか?」

「いや、くわしゅうはいわんかったが、母親の調子がようないとか」

 といって落ち着かない。

「ならしゃあないが、さあ、というときに役に立たんやっちゃなあ」

 宗忠は不思議そうな目をしたが、あとは追及しなかった。

 

 通夜の寺は寂しいばかり。マチ子には一人だけ、あとを取った妹がいたがあえて連絡しなかった。いずれゆっくり一筆入れるつもりでいた。もちろん村中むらなかにも、蘆山あたりならあっという間に知れただろうが、それもなかった。家数の少ない山里なうえ、また檀家がなかったからだが、禅寺というのは、もともと俗世とはどこか見えない結界があって、そんなものだった。だから、宗忠と二人で不寝ねずの番、といっても一升瓶を前にあれこれむかし語りにいただけだったが、種の尽きた頃には障子の向こうもしらんでいた。

 葬儀屋には宵のうちに電話を入れていた。さすがにこれだけは人頼みにするしかなくて、棺桶を手配すると、小林にもらった診断書を手に役場に走り、火葬許可書も手に入れた。その送りの車は、宗忠が出入りの植木屋にオート三輪を頼んでくれている。だから村はいつものようにしずんだまま見送る影もない。宗忠は助手席に、紹明は後ろの荷台にマチ子の柩を支えて腰を下ろした。そうして野送りもすませている。よくしたもので引接いんじょうを頼むこともない。読経も宗忠の維那いのうの脇で紹明はただ呟くようにしていただけ。重い炉蓋ろぶたも、ぐいっ、とその手で閉じた。

 ぼっ、

 重い音がして、鈍火のろびが青く走って柩を包んだ。それを炉口の、欠けた煉瓦の隙間から見届けた。そうして七七日をすますと明け方早くに慧州寺をあとにしている。やって来たときもそうだったが、背負う荷もない。首に頭陀袋をかけただけの墨染めに、手に錫杖はなかったが、代わりに小さな白木の箱と、風呂敷包みが一つの身軽さだった。

「世話になったな」

 参道半ばで振り返り、本堂前の大杉を見上げて別れをいうと、いつものように急坂を上り、そして街道を下った。まっすぐ行けば電車道に出るはずだった。それを東にれている。

「これが最後になるやろう……」

 顔を見せておかねばならないところがあった。

 すぐにわかると思ったが、途中、どこでまちがえたか、ようやくさがしあてた村外れに、大須弥山おおすみやまはすぐ頭の上。

「あれやろか?」

 野道のてに、ぽつんと一つ、茅葺き屋根が朝靄にけむって見えた。

手紙

 半島もずっと南の海辺の町だった。駅前で男は車を拾っている。

鬼頸おにくびですかあ」

 運転手は邪魔臭そうに訊き返した。嘘のような地名なまえだったが、ほんとうだった。

「あんまり、行きとうないんですがなあ。道が、まだようないんですわ」

 フロントの吸い殻入れに煙草をみ消しながら渋ったが、腹を決めたか、助手席に投げてあった日報に何やら書き込むと空車レバーを倒し、県道を山に向かって走らせた。

「新聞、見てまへん? えっらい地滑りでな。あっ、ちゅう間に、四、五軒、流されましたわな」

 十日ほど前のことらしい。梅雨明け近くの集中豪雨で谷合を流れる大川おおかわが氾濫、あちこちで裏山が崩れて道をふさいだ。それを村人総出の復旧作業で、ようやく片側だけがなんとか使えるようになっていた。

「雨が多いんはむっかしからやが、ここ二、三年は、なんちゅうか、滅茶苦茶めちゃくちゃですわ」

 客の口数が少ないのが気になるのか、上目遣いに、何度もルームミラーを覗き込む。

ひどいもんでっせ、田圃たんぼも畑もかってしもて。ここらの雨は、降り出したらいっぺんにまっしゃろ。山崩れもしょっちゅうで。なんせあの竹藪が、どーっと崩れて、ぶあーっと流されてしまうんやさかい」

 情景たっぷりに説明すると、左手をフロントに、ぴー、ぴー、がー、がー、ラジオのチューニングを焦っていたが、駄目だと諦めたか、スイッチを切った。

「わかりますう? 竹藪」

 ルームミラーに話しかけた。

「あれは根がしっかり張ってますやん。それが、ずるっと頭の皮がめくれるみたいにくずれんねやから処置なしですわ」

 土地柄らしい、たとえが生々しかったが、それでも陽気に半時ばかり走らせると、高い半鐘はんしょうやぐらが脇に立つモルタルの平屋の前で車を止めた。

「ここでたんねてもろたらわかりますわ。村の集会所でしてな、なかに誰ぞ、ばんもんまっしゃろ。帰りは、どこぞで電話借りて呼んでもろたら、じきに走ってきまっさかい」

 投げやりだったが、男にはそれで十分だった。そしていくらもしない、村役宅を訪ねている。わずかに二、三十軒あるかなしかの村だった。門口で声をかけると、若嫁らしい家人が現われ、事情を話すと奥を呼んだ。

「お祖父じいさーんっ! お客さんですよ、お客さん」

 男も驚いたくらい、怒鳴るような大声に、障子戸づたいにやって来たのはつるつる頭の爺さんだった。

「こないな具合で、耳は遠なってますけど、頭の方はまだしっかりしてますよって、心持ちおおきめにゆうてやってください」

 屈託のない笑顔で老爺の手を取ると上がり端に座るのを手伝った。その横に、男もすすめられるまま、三和土に脚をくの字に投げ出すかたちで腰を下ろした。老爺は背中を丸めたまま、しょぼつく脂目やにめで、じいっとしばらく男の顔をさぐるようにしていたが、やがて耳の後ろに片手を広げ、男の話に用意した。

 思ったより話は早かった。

「ようおぼえとります」

 としの離れた男にも、老爺は言葉正しかった。

「浄土谷の真正寺しんしょうじですわ。突然、ぷいっと帰って来なさってな」

 はっきりいった。

 男は目を光らせた。

「いつ頃でしたか? それは」

 老爺は首を傾げた。

「いつやったかなあ、あれは……、たしか、虎太郎こたろうが」

 すると横から家人が付け足した。

「孫のことですわ」

 そしてあとは代わって続けている。

「そやったね、お祖父さん! あの子が生まれた年やったね!」

 耳元でたしかめると、老爺はゆっくりうなずいた。

「ところが、明くる年でしたわ、亡くなりはってねえ」

 家人は顔を曇らせた。

「明くる年?」

「はあ、戻って一年つか経たんかでしたわ」

 浄土谷は、村外れをさらに入った谷奥で、真正寺はそのまた奥の擂鉢すりばち状に落ち込んだ窪地にぽつんとあった。周りにはわずかに開けた畑と石組みの深井戸があったきり、すぐ裏手が杉山で、一キロばかり奥の岩場を上った先に細い滝が流れていた。といっても人の背丈の五、六倍も真っ逆さまに落ちていたから滝壺も深かった。そこに、途中どこかに打ちつけたか、ほとんど顔も潰れて浮かんでいたというのだった。見つけたのは近くの炭焼き男で、話はすぐに飛びって、死んだようにおさまっていた村もやかましくなった。隣村の駐在といっしょに本署からも刑事がやって来て、あちこち調べて回った。けれどそのままに終わっている。

「滝行に出て、足でもすべらしたんやろう、いうことになりましてね」

「たきぎょう?」

「はあ、なんせ白装束しろしょうぞくでしたから」

「しろしょう……?」

「はい、わたしも見に行きましたんで、よう覚えとります」

 きっぱりいった。

「あんな格好、滝行でもないと、せーしませんでしょ?」

 そしてこんなことも付け足した。

「いうてもねえ、水も深いし、足元も悪いし……、滝行やなんて、そんなことするようなとこやないんですけどねえ」

 と、そのときだった。

「そやっ」

 何を思ったか、老爺だった。膝を打つと家人にいった。

「お仏壇ぶったんのな、引き出し、あれを持ってんか」

 そして、男にたしかめた。

「あんた、お名前、なんちゅうた?」

 男はこたえた。けれど期待したのとはちがったらしい、顔の前でせわしく手を振った。

「いや、いや、そうやのうて」

 それで男も察したようで、老爺のあせりに短くこたえると、今度はこくりとうなずいた。

 家人は戻ってきて、老爺の前に漆黒の引き出しを差し出した。

「これでよろしいんか」

 それを老爺は大事そうに膝の上に乗せ、底の方までひっくり返すようにしていたが、やがてはずんだ声といっしょに取り出した。

「あった、あった!」

 薄茶色にみだらけの杉原の封書だった。

「これや、これ」

 宝物でも見つけたようで、何度も撫でては表書きをたしかめながら男の顔と見比べた。

「あんただしたか」

 長年の胸のつかえが下りたようで、

「いやなあ、いつになるかわからんが、こういうもんたんねて来たら渡してやってくれ、そないいいなさってなあ……」

 差し出した封書の表には、〝殿〟の上に大きく二文字、あの頃の男の名前があった。

 

『元気でいるか』

 手紙には、まずそうあって、『これを読むときはおまえも立派になっていることだろう』と続いていた。戻る車のなかだった。待ちきれず、男は封を開けている。懐かしい筆跡ふであとだった。『おまえには十分なことをしてやれなかったことをやんでいる』と詫びの言葉もあって、そのあとだった。

『あのことがどれだけおまえを責めさいなんだことか、それを一番心配している。苦しかっただろう。けれどちがうのだよ。そのことを、まずわしはおまえにあやまらないといけない。おまえは少しも悪くはないんだよ。それを伝えてやろうと、ずっとおまえを待っていた。けれど戻って来なかった。無理もない、つらかっただろう。可愛そうなことをしたと思っている。さがしたんだよ。どこに行ってしまったのか、人伝ひとづてにずいぶんさがしたんだよ。けれど知れなかった。いったい、おまえはどこにいたのだい……』

 男は指を目頭に、肩で大きく息をすると手紙を膝の上に、目を閉じた。まっ先に浮かんできたのは門前に拾われたあの日のことだった。そして一人綴った経本のこと、背中を追って走った作務のこと、棚経回りの蘆山のこと、次々と現れては重なり合って瞼のなかを、白くまばゆいばかりの光に包まれめぐり廻る。ああ、そうでしたね、と思いも新たなけしきもあって、うっすらと、それでいてどこかで約束でもされていたかのように浮かんできたのが、二つの影だった。

 ──どないした!

 紹明だろう、叫んでいる。マチ子は蒲団の脇、畳の上にうめいていた。足元には丸盆がひっくり返り、皿やフォークが散らばっている。

 紹明はマチ子を抱き起こした。顔は赤紫に腫れ上がり、食いしばった前歯の隙間から土色の舌先が覗いている。

 ──マチ子!

 紹明がマチ子の肩をつかんで大きく揺すっている。マチ子は、うっすら、目を開けた、ふうだった。その頭を紹明は膝の上に大きくかかえた。

 ぎゅっー、とそんな音が聞こえるくらい、ほおからあごの付け根にかけて片手で鷲掴わしづかみに、そしてもう一方は人差し指と中指の爪先を前歯にかけ、下顎をこじ開けようとしている。マチ子は身をそらせ、苦しそうに、わずかだったが口を開いた。その隙を逃さず紹明は、中指と人差し指を口のなかにねじ込んだ。が、うまくいかないようで、舌があらがいでもするのか、マチ子の喉がこぶのように膨らんだ。

 さらに紹明は指を突っ込んだ。すると指先に何かがさわったようで、

 ──これかっ?

 短くうなった。それからだった。

 ひくっ、ひくっ、

 しゃくり上げると、マチ子は曲がったひじを大きく前に突き出し、紹明の手を振り払った。術もない、思わぬ勢いに紹明も肩の力が抜けたのだろう、指はするりとマチ子の口元を滑り落ちた。

 マチ子は歯をしばったまま、唇を真一文字にきりっと結んだ。

 喉奥が、くうっと鳴った。

 ──何をするっ!

 紹明が叫んでいる。口を開かせようとするのだが、無駄なようだった。

 ひくっ、ひくっ、

 小刻みにマチ子は震え、やがてそのまま静かになった。足は金棒のように鯱張しゃちほこばり、両の手は肉にくい込むまで爪を立て石のように結んでいる。その手を紹明は握り締めると、胸元深くマチ子を抱き寄せた。そうして、ううっ、と声を殺し、何度も頬摺りしていたが、やがて耳元で、何やら小さくささやいた。

 あ、と、か、ら、な……、

 唇の動きに、そんなふうに読めもした。

「おっ、お、和尚ーっ」

 うたた寝と思っていたから、運転手は驚いた。

「いきなり、なんやいな、お客さん」

 肩越しに後ろのシートを覗き込んだ。

「さっきから、ふがふがいうてからに。なんぞ、おかしな夢でも見なさったかね?」

 そして、ハンドルを大きく切ると、駅前をロータリーに入って車を止めた。

「電車、どっち方面ですう? のぼりやったらよろしがなあ」

 メーターをたしかめながら愛想よかった。男はうつろに黙ったまま、上着の内ポケットから財布を取り出した。

「けど、くだりはあかな。この先、崖崩れで折り返しやわ」

 運転手は変わらず明るかった。

 男は、ぼんやり、車を降りて、ふら、ふら、行った。

 その背中を追って、

「お客さーん!」

 運転手が声を張り上げた。

「これ、これっ! 忘れもんや、忘れもーんっ!」

 窓から手を振るその先に、白い紙切れが風に吹かれて揺れていた。

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