一九六一年
作 ドーラ・アロンソ
訳 倉部きよたか
全国識字運動がはじまると、担当組織と労働センターは、全国各地の学校での教育支援計画を実施した。そして、「ボヘミア」誌のほか、シエラマエストラ山麓のサンフランシスコ・デ・アロヨンにある雑誌にも計画実施が割り当てられた。
まず、学校や生徒は何を求めているのか、具体的な要求を知るために教員宛に手紙を書いた。すると、数日後にはこんな回答が届いた。
手紙を受け取りました。わたしたちの学校に対し教育支援していただけることに心から感謝します。
手紙は授業中に届きました。ほんとうにびっくりしました。さっそく、生徒に読んで聞かせました。生徒のよろこびも一入で、その様子をご覧になったら、きっと感動されることでしょう。
農場の仲間はみなさんが支援にやってこられることを待ち望んでいて、みんな、自分の家に迎えたいといっています。といっても、食べ物はもちろん、ベッドも十分ではありません。しかし、きちんとお迎えしたいと思いますので、ご安心ください。九十四人の生徒の服も支給してくださるとのこと、それぞれのサイズを別便でお知らせします。生徒の体型にもちがいがあって、そちらで用意されているサイズと合わないかも知れませんが、それは我慢します。バヤモ衛生隊とみなさんの協力によって、この辺境の貧しい家庭と子どもたちの悪弊もなくなると確信しています。
こちらでは何もかもが不足しています。そちらも十分な余裕がないかもしれませんが、当座の暮らしに必要なものを送ってくださるとほんとうにうれしく思います。
サンフランシスコ・デ・アロヨン
一九六一年六月四日
こんな感動的な返事にこたえて、ボエミアの記者は、荒んだ学校の生徒たちと貧困家庭を支援するために、さまざまな強化策を考えた。
最初の目的地はバヤモだった。
サンフランシスコ・デ・アロヨンへのルートについては何もわからなかった。バヤメサ地域の地図にも載っていなかった。「シエラ・マエストラの麓」というだけで、明確な指標もなかった。
旅がはじまって数時間、バヤモ郊外の大地が姿を現わした。地平線の彼方まで、米作地帯が豊かに広がり、アルガロボ(イナゴマメ)の生い茂った広い原野に、セブ(コブウシ)の群れがグァハカの流れるようなベールに瘤を擦りつけている。
よく見ると、シエラ・マエストラが遠くに霞んでいる。サンフランシスコ・デ・アロヨンはどこなんだろう、みんなであれやこれやいい合った。
若い仲間の一人がそんな疑問に応えた。彼は、標高千二百メートルのプンタ・デ・ランサでボランティア教師をしていた。だから、山の中の小さな町から小さな村に至るまで、だれよりもよく知っていた。広いバヤメサを転々としていたらしい。
サン・パブロ・デ・ヤオへは、ブエイシトからラ・ピニュエラを通り、マグァラまで行き、そこで車を捨てて、あとは徒歩か馬で山を登るしかない。
少しずつ伝説の町が近づいてきた。古い教会の鐘楼がわたしたちを出迎え、植民地時代の風景をそのままに、街並みがブレスレットのようにわたしたちを包み込む。
ここはバヤモだ。
高い格子窓が続く狭い路地を行くと、「自由か死か」、あの記憶が脳裏をかすめ、濡れた石畳に、暗くドームの影が落ちている。
バヤモは雨の中だった。
いま、バヤモは過去に生きている。
夜というのに月もなく、どの家も、ドアも雨戸もわずかに細く隙間を残して閉ざしたまま。パティオは、草木の名前も匂いも忘れ去られたように、痛々しく息を潜めている。雨のそぼ降る路地には人影もなく、ただ静寂だけがしんしんとかすかに音を立てている。
わたしたちの車は自動車運転者協会所有の九十六台のうちの一台で、ドアには花束の絵が描かれている。グラン・ファンシートという名前もあって、寂しい霧雨にもめげず、わずかな灯りに鉛色に光る街路を、軽やかに駆けるように進む。
通りを行くと、一軒の家に窓が開かれていた。カーペットの広い部屋、アップライト・ピアノが見え、シックなニス塗りの高い梁からクリスタルのシャンデリアが美しい。古き良きキューバのけしきだが、団欒の一時らしく、ラジオなのかテレビなのか、がやがやと場違いのボリュームが、伝統の暮らしを台無しにしている。
さらに進むと、街外れにうらびれた路地が現われた。向かい合う家並の庇が肩をかすめるような狭い路地で、入り口はどこも錆びついたシャッターが下りたまま、窓も古びて鉄格子も錆びついて毀れんばかり。もうどれくらいそうしているのか、家人の貧しい暮らしを匂わせる。庇はもちろん傾いて、門扉にはノッカーもない。貧困と老いが、もう何世紀にもわたって政治の重い軛に沈み込んでいるのだ。
一人の老女が、わたしたちの車列が進むのを皺だらけの好奇の目でじっと見ている。きっとキューバ伝統の家庭療法やシロップ料理に詳しいに違いない。そんな好奇の目に応えて、仲間の一人が挨拶した。
彼女の名前は、かつてのキューバらしさを伝えていた。ローラ、つまり、ローラ・アレバロス、八十五歳。ずっとお針子として働いてきた。縫いぐるみ人形はもちろん、指輪をはめ青いスカーフを巻いた人形、そう、豊かな胸、細長い腰、丸い真珠貝の目、赤い糸の口……、だれもが知ってる黒人人形を作り続けた。それを、視力の衰えが奪ってしまった。
けれど、恨み言一つ口にせず、懸命に生きている。
「この家も、もういつ潰れることやら。バヤモでいちばん古いんじゃないかな。ドン・トマス・エストラーダ・パルマの借家でね、もう六十年近くも暮らしてますよ。ご覧になりますか、汚いところですけど、さあ、どうぞ、どうぞ……」
両開きの、どっしりとしてはいるが、あちこち剥がれかけた扉を入ると、古い衝立があった。不揃いの石の床板に固定されている。煤けた半円形のアーチに、崩れかけたバラの装飾窓、そして、汚れた壁に、崩れかけたタイルやレンガ、どれもこれもが年代物だ。ひょっとすれば千年も前のものかもしれない土壺は、それらしい威厳を保っている。
さらに、寝室には、それぞれ時代のちがう聖人の版画が三点(アトーチャの子、三人の聖母マリア、そして見捨てられたキリスト)が掛かって、傍には、乾いて飴色に変色した「聖なるグアノ」の花束が飾られていた。
小柄な彼女は、背を丸めてわたしたちを中庭に誘った。回廊の剥がれかけたアーチの下に、赤黒い花をつけた植物が見えた。休眠状態にあるのか、花は力なく垂れ下がり、柔らかな霧雨に濡れていた。
雨樋から、穿たれた敷石に零れる雨音に、彼女は憂鬱な心を和ませる。
「わたし、ギーサ生まれなの。ほら、独立戦争のとき、カリスト・ガルシア将軍がやって来て町を焼き払おうとしたでしょ。あのとき、わたしや弟たちをマエストラの麓のカイディソに連れて行ったの。その話を聞いていただけないかしら」
と、そこに隣人がやって来て、アルカラ・デ・エナーレスのように不用意に、彼女の回想を中断させた。カタルーニャのテレサ・グエンはエル・グレコの作品に登場する。冷淡で幽霊のように背の高い彼女は、聖母カルメンの修道服を着ているが、まるでしわくちゃの修道会旗のようだ。そして、彼女は眉をひそめ、疑念と険しい目付きでわたしたちをローラから遠ざけ、ローラの紡ぐ回顧の糸を断ち切ってしまった。
新たな光の中で、バヤモは生まれ変わっている。歴史ある教会の鐘の声に目を覚ますと、オルガンが響き渡り、香しい煙が漂う。街を焼き尽くしたあの災禍の痕を残す教会には、マンティラを被り銀とアメジストのロザリオを手にした人たちがいまも集っている。革命は一八六八年のあのときのように、震撼の雄叫びを上げている。
バヤモは配属を待つ識字教師で溢れかえっていた。十一、二歳からの少年が、歩道や公園や、かつての政治指導者たちの豪邸にまで押し寄せている。きょうの朝も十台を超える満員バスがマエストラに出発した。そして、また熱狂的な若者たちを降ろしていった。彼らはランタンと初等教本を手に、ベレー帽を被り、新しいブーツを履き、バックパックを肩に担いで、しゃべったり笑ったり歩き回ったりしている。
地域委員会はバヤモとヒグァニを担当していて、事務所は活気に溢れている。すでに百十二の農村学校が開かれ、百十五人の教師がボランティアで働き、七百十四人の識字教師が配属されている。
郊外の新しい道路や土手沿いには農場や協同組合が次々と生まれ、メロブ・ソサが拷問室として使っていた計量台の近くには、労働者のための集合住宅が建てられている。血に飢えた軍隊の絶滅場は、INRAによって新しい軍隊のキャンプに変わった。この軍隊は、近代的なトラクターやコンバインの使い方を訓練された農業労働者で構成されている。
ショーウィンドウには、グァヤベーラを着た白いマネキンと黒いマネキンが並んで立っている。
車や荷馬車が、トラックや作業中のジープの傍を通り過ぎ、小さな広場では、保育園児が人形劇を楽しんでいる。その周りで、ユカ・ロスキータやグアバ・トゥシータや焼きたてのロスカスが売られている。みんな、エルネスティーナ・ギジェン・イ・デ・ラ・オという愛らしい名前の混血女性が創ったもので、彼女は地域菓子屋の守り神の四人の遣い、アルダマス、カリダ・ピタ、カンディダ・ブランコ、テオフィラの伝統を受け継いでいる。
太陽が明るく照りつけ、雲一つない。籠を背負った我慢強い馬の後ろを、子どもたちに追われてマンゴー売りが通り過ぎる。
かつて、キューバ独立軍のマンビ騎兵隊が、セスペデスやカンブラとともにその前を行進した黒壁には、アメリカ批判のスローガンが書かれていた。
バヤモは広大で、シエラ・ネバダまで行ける車はほとんどない。活動は蟻塚のように休みなく、作業も限りないため、ジープやトラックが欠かせない。マグアロ・アバホまでのジープは調子よかったが、学校に届ける荷物を積んだワゴン車はおんぼろで、ハンドル操作がひどく、突然の洪水で道路が遮断されるという最悪の事態に備えて、十分な速度も出せなかった。
小さいながらも目の前いっぱいに広がる原野には、野生のジュビアバの灌木がオリーブ畑のように茂っている。灰緑色の葉や幹の枝もオリーブそっくりで、まるでスペインのアンダルシアの田園を行くようだ。
高速道路の最初のジャンクションを出ると、いよいよ高地への旅がはじまった。運転手は、かつて、ブエイシト鉱山で働いていた。だから、ここにサンチェス・モスケラが潜伏し、毎日のように繰り返されていた犯罪について知り抜いている。わずか三年前のことだ。彼は語る。
「あたりはまるで墓場のようだった。クレセンシオ・ペレスのゲリラ部隊がここで活動していることを知りながら、彼らに対抗できないサンチェス・モスケラは、無防備な農民たちにその怒りをぶつけたのさ。ほら、見えるだろ。あの柵の脇やヤシの木立の中で、野犬が遺体を齧ったり、ちぎれた足や腕を咥えて走り回っていたよ」
いま、反乱が成功したその場所で新しい生命が芽生えている。チェが戦いを生き抜いた辺境の小さな村ブエイシトには、いまは電灯が灯っている。ジープが車輪を取られ、ぶつかり、跳ね上がる道路には電柱が立ち並び、車体の側面に「農村電化」のスローガンを掲げたトラックが走っている。
わたしたちはブエイシトの街を出て、迂回路を進んだ。
数カ月前、ブエイ川が氾濫して橋が流された。増水した水が轟音をあげて噴き出し、家を壊してたくさんの死者を出した。鉄橋はコンクリートの橋梁が根こそぎ一キロも下流に押し流された。そして、きょうもブエイ川は荒れ狂っている。大きく波打ち、渦巻き、岸を舐め、木々を押し流している。
陽に灼けて赤錆びた橋を渡ると、もう道はなかった。キューバの土は石灰岩が風化し酸化して赤茶けている。それが濁流となって辺り一面に広がっている。車は大きく揺れ、どこにあるかわからない、隠れた岩に車輪がぶつかり、がたがたと大きな音を立てる。そのたびに車体が傾き、車輪が横滑りして空回りする。そんなことを何度も繰り返して、車は大きく呻りながら濁流を抜けた。
ラス・ピニュエラスを過ぎて、サン・パブロ・デ・ヤオに向かう途中だった。傘をさした少女が一人で歩いていた。長くウェーブした髪が陽光に揺れて金色に輝いている。七、八歳くらいだろうか、わたしたちを見つけてにっこりした。そして、また、人気のない椰子の木立の小道を行った。
わたしたちは過渡期を生きている。昨日と今日があちこちで混ざり合って混沌としているが、それは仕方のないことだ。例えば、水桶を積んだ荷車が牛に牽かれる、そんなけしきがなくなるには三年という時間は短すぎる、はずだった。それが、いま、こんなに遠く離れた地方でもソ連製の最新式トラクターが走っている。
サン・パブロ・デ・ヤオは家屋も三、四軒しかない小さな村だが、その一軒の店先には識字運動のポスターが貼ってある。そして、もう一軒の井戸端では、裸足の少年が重そうな釣瓶を引っ張り上げている。か細い腕だが、それでも力いっぱい、ゆっくりロープを引き上げている。丸めた背中の先、首筋の血管は太く膨れ上がっていて、その力の入れようが見てとれる。少年は、先生が彼を探していることを、まだ知らないのだろう。
ブエイシトには牛がいたように、サン・パブロにはヤオがいた。若い男がたくましいラバに乗り、牛の群れを操って川を渡っている。水面が陽光に煌めいて、向かいの岸辺には、樹齢百年は超えるだろう、マンゴーの木がそよ風に揺れ、熟れた実を鳥が突いて遊んでいた。
マグァロはもうすぐだ。あの丘を越えればいい。ジープがヤオ川を渡る。いまにも増水しそうで、エンジンは忙しく呻る。流れる小石を避け、浅瀬をさがして走った。
椰子の木立が風に揺れて柔らかく騒めく。起伏が激しいからか、限りなく時間が長く感じ、一本道も果てしない。
少し進むと、馬に乗った男に出会った。身なりもきちんと糊の利いた服を着て、真新しい帽子を被っている。そして、急いでいるのか、鞍の軋み音も高く、蹄の音を響かせ先を行った。
カーブを曲がると、思いもよらなかった標識が現われた。「マグァロ・ヌエボ水道橋」だった。
現代風の家屋が三十軒ほど並んでいて、庭先にはオオバコ、緋色のアレガニー、紫と白のジュピターが植えられている。かつてのマグァロだったところには、コーヒーの乾燥小屋以外、何も残っていない。周りの景色があまりにも壮大だからか、模型のように小さく見える。
遠くで雷が鳴り、雲が覆いはじめた。乾燥小屋では、雛に囲まれた雌鶏が、こっこ、こっこ、と鳴きながら地面を突いていた。その尾が風に揺れ波打っている。
ある夜、マグァロが炎上した。
「サンチェス・モスケラの軍隊がやって来るというので、わたしたちは山に逃げました。寝ている子どもを起こし、女たちの手を引き、灯りもない真っ暗な森の中に逃げたんだ。丘の上に立つと、家々が燃えるのが見えた。火は悲鳴を上げているようだった。それからは焼け残った家々に物乞いをしながら、親戚や友人を頼りに懸命に生きてきたんです。革命軍はいったんだよ。『戦いが終わったら、新しい町をつくる。新しいマグァロだ』って。その町が、いま、目の前にある。むかしの町とは全然違う。子どもたちの学校もあって、旅団員が先生になってやって来た。わたしの家にも一人息子がいますが、ノートと鉛筆を小脇に走り回っていますよ」
遠くからスコールが追いかけてくる。薄い煙のようだったのが、あっという間にカーテンのようになり、ベールになった。雌鶏は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、雛たちは狂ったように鳴き声を上げ、あとを追って戸口に逃げ込んだ。それを母親は翼を広げて抱きしめた。雛たちは母親の絹のように柔らかですべすべの羽の隙間から、不安そうに小さな頭を覗かせている。
「以前、バナナが一房四十セントだったのが、いまは八十セントにもなっている。コーヒーも同じさ。最高級の豆一キンタル(約一・七リットル)が、以前は十八ペソだったのが、いまは三十六ペソ。みんな二倍になっているけど、融資があるのでほんとうに助かっています」
そこに思いがけずマエストロ・アパリシオ(シエラ・マエストラの戦闘員たちを東部の農民たちはこう呼んでいる)がやって来た。畑から歩いてわたしたちを迎えに来たのだ。
サンフランシスコ・デ・アロヨンへは野道しかなく、時間がかかってもそれを行くしかなかった。空はどんよりと曇っている。その下を、水溜まりや流れをものともせず、一列にリュックを背に深い草叢の中を歩いた。
牛飼いがラバを引いて先導してくれた。その足取りはたしかで地の利もある。その横を青年が学校への贈り物を載せたラバの群れを率いて歩いている。蹄の音に合わせるようにカウベルが爽やかな調べを奏でた。
学校は谷間にひっそりとあった。小さな灰色の巣のようで、屋根は椰子の葉と芝で葺かれている。旗が風にたなびき、周りには農民の家が点在している。
教師の彼はボランティアでやって来た。もう十一カ月になる。ハバナ生まれの慎ましい生年で、最初は新聞配達をしていたが、その後、その新聞社の事務員として働いていた。
「ライフルを持ってシエラに行くことはできなかったけど、ぼくはぼくなりに闘っているんだ」
いま、学校はまだまだ未熟だが、やがてりっぱに成長するだろうし、それをわたしたちは見届けることになるだろう。
しかし、これまでどんな状態にあったかということも忘れてはならない。だれもが、文化もなく、無気力で殺伐とした暮らしと、救いようのない苦悩の中に足掻いていた。この学校もいつかは近代的な教育センターになるだろう。しかし、純朴なままの、いまの学校の姿も忘れてはならない。真っ黒に日焼けした少年たちははじめて鉛筆を握った。彼らは奇心旺盛な目を持っている。その意欲と歩みを止めることはないだろう。
人々は何世代にもわたり、基本的人権さえ知らずに生きてきた。本? 本って何なの? 医者? 教師? それから、未来? そんなものはどこにあったというのか。
サン・フランシスコ・デ・アロヨン校には六つの窓があって、四方八方を見渡せる。けれど、ほかにあるのは、木製のベンチと粗末な机だけ。壁は二重の段ボールで、鮮やかなターコイズブルーに塗られているが、校舎は白一色だ。
教室が狭いことはいうまでもない。床は灰を混ぜた白い土間で、壁には、胸にメダルをつけた少年の肖像画が掛かっている。ボランティア教師の学校に通うごくふつうの少年だが、ほかの子どもたちが恥ずかしそうに身を寄せ合い、裸足で継ぎ接ぎだらけのシャツを着て、ひそひそ話もできないのを、彼は感銘したように見つめている。
粗末な木の棚には、本やノートや雑誌がきちんと並べられ、できたばかりの自然史博物館には、蝶やカタツムリに、トカゲやホタルが蒐集されている。
「アパリシオの生徒は熱心でね、クロゴケグモも捕まえたんです!」
先生の机の傍で、二十歳の若者が壊れたタイプライターで練習をしている。打鍵がたどたどしい。この土地の人ではない。マグァロ・ヌエボで町の建設に従事する兵士たちといっしょに働くためにやって来たというが、ほんとうは、本を読んだりタイプライターを打ったりしたかったのだ。内気で真面目な性格で、滅多なことで笑わない。彼、マヌエルは教師になりたいらしい。
十五歳くらいだろうか、レイネリオは開放的で活発な青年で、真新しいストライプのシャツと夏の帽子を被っている。きちんとした身なりで、アイロンもきちんとかかっている。それもそのはず、彼は学生協同組合のリーダーだった。
そして、金髪の少女。小さな裸足を隠そうとする恥ずかしがり屋の彼女は、将来、どんな人間になるのだろう?
といっても、いまの彼らは、文字や数字、キャンディーやおもちゃについて学びはじめたばかり。
彼らボランティアの教師はチームで活動していて、エル・タンケ、リモンシト・アリーバ、フエルテス、ガトー・ネグロ、リモンシト・アバホ、ハグェイ、エル・ミラドールなど、千カバジェリアもある広いC2地域の教育を担当している。
パライソ地区の組織研究センターでは、教師たちが二週ごとに集まり、勤務地と周辺の地域で、職務遂行中に発生するいろんな問題の解決に奔走している。若い識字教育の教師たちは、授業のほかにも、家屋の補修や家畜の世話や農作業などを手助けし、農民のカウンセラー、看護師、友人としても活躍している。
教師たちは、いくら遠くても山を越え、人里離れた村々の活動にも参加し、政府から託された任務を遂行し、奉仕している。もちろん苦しくつらいこともあるだろうが、義務感がそれを克服しているのだろう。
彼らは、子どもたちに読み書きを教えながら、また、十二歳から十四歳の少年少女には、将来は活動要員になるよう指導もしている。こうした活動に生きる若者には、どんな将来があるのか、そして、彼らとともに学び考える子どもたちにはどんな未来が待っているのだろうか。
過去の過ちを糺すには、途方もない努力がいる。国民の一致協力と前進の努力によってのみ、山に生きるシエラ・マエストラ、グァニグァニコ、そしてグァナハカビベスの人たちは、かつての苦しい暮らしから脱却できるだろう。
わたしたちは、いま、その活動のはじまりに立っている。
学校を訪ねたあと、考えながら歩いた。
この山々は明日はどうなるのだろうか? 十五年後、二十年後はどうなのだろうか? かつてラバが切り開いた丘陵地帯にはどんな道が走るのだろうか? そして、裸足のまま読み書きもできない何千人もの子どもたち、そのうちの何人が祖国を担う人間になるのだろうか、どんな科学者や作家、芸術家、職人、技術者に育っていくのだろうか?
薄暗い午後も半ば、泥だらけの地面に足音が響き、グァシマスの木には鳥が遊び、風に揺れる葉の中に見え隠れする。
山の農民たちは、偶然、あるいは、必要に迫られて住むようになった。そして家を建てた。もっとも近くても隣とは一キロ近くも離れている。家は松や椰子の木を使っているが、削りもしない、原木そのままで塗装もない。屋根はトタン葺きで、床もなく土間のまま、梁や柱はマハグァや杉を使っているが、薪ストーブの煙で真っ黒に煤けている。そして、寝床のシーツは麻袋を切って縫い合わせただけ。この上ない貧困と孤立生活の中で、彼らは自らの力と知恵で生活物資を手に入れている。
ただ、山はけっして彼らを裏切らないし、見捨てない。だから、彼らは山に身を委ね、身を捧げることで山から生きる糧を手に入れているのだ。
グァバの木は丈夫だから、洗面器を置く台をつくる。硬くて赤いマホガニーは、テーブルや椅子の材料になる。彼らには役に立たないものはない。植物のすべてはもちろん、鳥や獣のすべても知っている。そうして水の流れや夜は星を道標に生きている。
山の男は気立てがよく、おおらかで苦しさを見せない。そして、女たちは、これは古くからそうなのだが、貧しさを花で包み込んでいる。家や小屋は植木鉢と蔓花で彩られ、周りには、芳しい香りの薬草がいっぱい植えられている。
ラバ遣いのマヨールの家も、また、小川を隔ててずいぶん離れているが、六人のボランティア教師が寄宿していた。彼らは、入り口の、壊れかけてぐらぐらする扉に、チョークと絵筆で「ホテル・バハレケ・リブレ」と書いた看板を掲げた。
青い制服シャツの胸元にネックレスが踊っている。植物の種を繋いでつくったネックレスで、識字教師の象徴だ。だれが考えたのだろう? 彼ら自身なのか、かわいい女の子たちなのか、それとも、機智に溢れた詩人だったのか。
小屋の傍で、格好のいい犬が鶏を追いかけて遊んでいる。鳴き声を合図に、一家は、裏口にある脱穀場に走った。彼ら山の民は社会から孤立しているという人もいるが、そうではない。たしかに彼らは内向的で、閉鎖的な面もある。しかし、それは彼らのせいではないのだ。
この家では、陽気な「チャイナガール」のフェラは母親のような存在だ。また、物静かで口数の少ないミリアムは父親のようで、マヨールのパートナーのアンヘラはまだまだ若いから家を離れたことがない。もちろん、彼女も家族同様、読み書きができない。しかし、だれもがそれぞれの能力を最大限に発揮して暮らしている。
雨が降りはじめた。それが、あっという間に激しくなって、居間兼食堂兼台所を兼ねたトタン屋根に叩きつける。外の景色も雨に掻き消されて見えなくなった。水路は濁流で泡を噴いている。
村のリーダーは五十歳前後の個性的な、混血の男だった。がっしりした体格だが、繊細な性格を隠せない。上の歯が四本も抜け落ち、赤い病弱な目が落ち着かない。マチェーテを腰に、ヤレイ帽を被り、糊の利いたズボンを履いてはいるが、硬そうな靴底には泥がこびりついている。
午後、広い家族のテーブルに七人のボランティア教師が迎え入れられた。彼らは中国式のランタンを持ってきていて、夜は、その明かりを頼りに、フェラといっしょに灰色がかったサンタフアナの種を蒔いていた。
夜が更けると、蟋蟀の合唱がはじまった。途切れることを知らないBGMだ。それにつられて、雨に濡れた村のあちこちに灯りが点る。すると、ラバの囲い場からカラーが吠えて、静けさを蹴散らせた。しかし、何が起きるでもなく、カラーは低く唸ってどこかに消えて静かになった。と、ラバ遣いはゆっくりと席を立ち、だれかを迎えに出て行った。
十歳か十二歳くらいの子どもを二人連れて、少女が入ってきた。編み上げブーツにズボンにシャツ姿で麦藁帽子を被っている。エル・タンケのボランティア教師で、三人とも頭から爪先までずぶ濡れだというのににこにこしている。
あくる朝、三人は食事をすませると、少女は午前十時に家を出て、サン・パブロ・デ・ヤオに教師の一人を派遣した。彼は腰まで水に浸かりながら、増水した川を渡った。帰る途中、民家から泊まっていけと誘われたが断った。
「生徒たちはよく世話をしてくれるんです。あと二時間もあれば宿舎に着きますから」
夜のとばりが彼らを包む。
「わたしはビレイで生まれました」
ラバ遣いはいった。
「父のことはよく知らない。ラバの手綱を握ったのは六歳の頃で、十二歳のとき、祖母に叩かれるのが嫌で家を出たんだ」
彼は農場で豚や乳牛の世話した。そして、二十歳で結婚し、二年後には八ペソを貯めて子牛を一頭買い、育てて十六ペソで売った。さらに、牝馬も買い入れ、転売して十ペソを蓄えた。
「牝牛を一頭買って子牛を育て、それを売ったら七十ペソになったよ。よそのラバを遣って働くと日当が一ペソで、二年かけて百七十四ペソの小銭を貯めた。それでラバを二頭半買った。連れといっしょに五頭買って共同で遣ったから二頭半さ」
といっても、物事はうまく運ばないこともままあって、協働に飽きたマヨールは一人で副業をはじめた。
「おれは彼にいったんだ。『売るのか、買うのか、早く決めてくれ』って」
しかし、相棒は売ることも買うこともしなかった。だから、全部、やってしまった。
夏の灼熱の太陽の下でも、凍てつく冬の嵐の中でも、彼らは荷を背負ったラバといっしょに四日でも六日でも旅を続ける。プロビデンシアから、彼らが嫌がるエル・クラリンまで、シエラ・ネバダの尾根から尾根へ、蟻の群れのように彼らは進む。
「おれとラバはいつもいっしょさ。おれがどこに行こうと、それはラバがおれを連れていきたいからさ。やつらも、おれの仕事のために一日も休まず働いてきたんだよ」
視力の衰えたマヨールは、長雨のせいもあって、最近はほとんど家を出ない。それが、もうすぐやってくるコーヒーの収穫の話をすると、急に元気になった。ラバ遣いを保護する新しい法律が成立し、コーヒー栽培の収入が安定したことにマヨールは満足している。
「フィデルは、おれたちのことを忘れないでいてくれると思うよ」
独裁政権との戦いの最終段階で、フィデル勢力はラ・プラタから平野部に進撃していた。マヨールは寝ていた。暗い中、扉を叩く音がした。激しい音だった。
「扉を開けると、巨岩のように背の高い、顎髭を生やした男が立っていたんだ。やつは、泊めてほしい、っていった。女もいっしょだった。妻のアンヘラが、飯の支度をしていると男はいったよ。『ぼくはフィデル・カストロで、彼女はセリア・サンチェスです』って」
コーヒーを焙煎していたアンヘラは、逸話にさらにおもしろい話を添えた。
「わたしは、白いオイルクロスを広げて皿やグラスを用意したの。フィデルは、新しいおもちゃに夢中になっている子どものようにかわいくて、トーストに手を伸ばすたびに、わたしに許可を求めた」
彼はベッドを使わず、ハンモックに寝た。そして夜明けに、セリアといっしょにサンタ・バルバラの洞窟に向かった。
「『さよなら、奥様』って、フィデルはいって、わたしの手を握ったの」
鶏が鳴いた。そんなフィデルがハンモックを吊るした柱に、マヨールがわたしたちのハンモックを結んだ。
晴れ渡った朝だった。学校に行く子どもたちが橋を渡る姿が見えた。どの顔も歓びに溢れている。新しい衣服と靴がそうしているのだろう。靴を履くのははじめてだから、靴が汚れないよう、足元に気を付けながら歩いている。空は澄み切って雲一つなく、鳥たちがにぎやかに飛び交って遊んでいる。
こんなにまで無事に生き延びられた彼らは幸せ者だ。このキューバの大地、その中に何世紀にもわたって、何千人もの子どもたちがゼニアオイに覆われたまま死の眠りについているのだから。
きょうはこんなにいい天気なのに、パライソ地区のボランティア教師本部で開かれる会合は中止になるようだ。
「雨が止みそうにないからね」
市長は言う。
「マバイから先、丘は越えられんだろ。ラバでもきついからな」
みんなはバヤモ伝統のチョロテ(焙煎トウモロコシの粉に砂糖とミルクを加えて煉り合せたもの)で朝食をとった。山の料理には独特の風味がある。もちろん、それしかなかったからだが、ある教師は、香りの強いケープジャスミンの花からつくった有名なデザートがあると教えてくれた。
フェリシノが馬に乗ってやって来るまで旅は終わらない。彼は、隣り合った三つの牧場、リャノス・デ・マバイ、アロヨン・デ・バレンスエラ、サンフランシスコ・デ・アロヨンの農業組合の会長をしている。
フェリシノも、市長のように個性的だ。屈強な男でマチェーテで削ったような荒々しい顔立ちで、握手を求められると、表情一つ崩すことなく手を差し出す。勤勉で勇猛な彼らは、戦いでは獅子のように行動する。フィデルは最高の隊長を選び出した。
帽子を阿弥陀に被った大男は威厳たっぷりに話す。そんな彼の話を聞いたら、どんな地主もびっくりするだろう。農奴のように生きていた農民たちは、どのようにして、わずか三十カ月という短期に解放されたのか、自らの権利を主張し守る術を身につけたのか、聞いて驚くだろう。
フェリシノ一家はライフルの扱い方も知っている。
「農場や協同組合は、労働者を少ししか雇わない。しかし、わたしのところでは四日交代制で働いている。仕事のない者は一人もいない」
農民組合の労働者を受け入れることは生産集団化の目的に反する、そういう者がいれば、彼はこういうだろう。
「仲間を失ってはいけない。革命を続けるには一人でも多くが必要なんだ。革命のおかげで、おれたちはおれたちでいられるんだ」
かつての山の暮らしから学ぶべきものはいっぱいある。山岳ワイナリーを閉鎖し、道路を封鎖したあと、シエラ・マエストラに思想と武器を撒き散らす反乱を鎮圧しようとした政府軍によって、彼らは山から追い出され、妻子とともに餓死を宣告された。
「食糧を得るために牛を屠殺するよう、フィデルが呼びかけた。そのおかげで、おれたちは飢え死にせずにすんだ。ラ・カンデラリアの牧草地に行き、まるで獣がそうするように、馬に乗って牛を追い、家に連れて帰ったんだ」
あの独裁者の残酷な命令によって、ヒバロの群れのように押し寄せる軍によって、彼らはジャングルや遠く離れた村に追いやられた。苦しみのあまり、生まれたばかりの赤ん坊を陽に晒して殺そうとした母親もいた。また、崖から身を投げたり、入水した老人も少なくなかった。武器を持った男たちでさえ、生き延びるために政府軍に従わざるを得なかった。
ミナス・デ・ブエイシトでは、政府軍の残虐な集中砲火によって、抵抗する者は皆殺しにされている。金鉱夫たちは坑道に閉じ込められて死んでいる。そんな遺体のない坑道は一つもなかった。
しかし、フェリシノは、自分が経験した苦しみを語るためにやって来たのではない。彼は、設立した協会を訪ねるよう、みんなに呼びかけている。歩いて二時間もかかるところだが、彼は宿舎の仲間といっしょに馬も用意している。
午後も半ば、わたしたちは先導役として、ごつごつした岩と滑る粘土の急斜面を登りはじめた。フェラは新しいスカートにアイロンをかけたばかりで、「今度、来るときは、ズボンを履いて馬に乗ってくる」と怒っている。息苦しいほど暑い。と、不気味な雲が頭の上を覆いはじめた。それでも、馬たちは馴れたもので、一歩、一歩、斜面を踏みしめ登っていく。
茂みを抜けると、渓谷の陰に緑に包まれた小さな家の前に出た。老婆がコーヒーを挽いている。その音が緑の静寂を破って、わたしたちの後を追っている。道の両脇にはコーヒーの木が密生していて、小さな白い花の香りが芳しい。みずみずしい緑の世界は生命力に満ち、静寂と深遠さで私たちを包んでくれる。
人里離れた山の家々の前には木製の十字架がいくつも並んでいる。十字架は死者の霊を呼び起こし、人々の身を縛る。農民の精神に有害限りない。無知は、教育によって追い払わなければならない。死者崇拝は人々の間に広く浸透している。十字架の霊力を過小評価してはいけない。進歩のためには、たとえ何年かかっても克服しなければならない。
崖の際に一軒の家があった。十代の息子がサンチェス・モスケラの兵士に殺されている。その母親が、死んだ息子と同年齢の旅団員に助けられながらトウモロコシの皮を剥いていた。
バレンスエラ地区に向かって歩いていると、戦闘の痕跡がいくつも目に飛び込んでくる。そのすべてがいまも生々しい。どんな茂みも革命戦士の隠れ蓑になり、どんな川の流れも彼らの喉の渇きを癒したことだろう。
丘陵地帯への爆撃から身を守ったシェルターもいくつか残っていた。
アロエン・デ・バレンスエラの高地は霧に包まれ風もない。みんなはカカオ畑の中の山道を進んだ。絶え間なく、流れる水音が聞こえる。その曲がりくねった小道のあちこちでフェリシノの招待客に出会った。彼らは徒歩と馬でやって来た。教師たちも旅団員といっしょに崖のような山道を登っている。彼らの中にはハバナ陸軍士官学校の元士官候補生もいた。
フェリチーノが会長を務める協会は、椰子の葉とグアノでできた大きなホールで会合を開いていた。学校と同様、みんなの努力で建てられたものだ。土間にはベンチが並んで、入り口の壁にはカミーロ・シエンフエゴスの肖像画が掛かっていた。
老人たちはいった。
「花はわしらが植えたんだ。世話は民兵がしてくれている」
そして、こうもいった。
「フィデルの血の一滴の中には、百人の民がいる。もし革命が神の正義でなかったなら、一九五八年に、わしらはシエラの髭面男たちを助けなかっただろう」
それに、フェリシノの母親が口を挟んだ。
「司令官に、医者と歯医者を送ってくれるよういっておくれな。まだ、一人もいないんだ」
彼女は八十歳になるが、息子と変わらぬほどに逞しい。いま、読み書きを習っていて、二カ月後にはフィデルに手紙を書く、と識字教師に約束した。そうしないと、また悪魔がやって来て、連れ去られてしまうからだ。
三人の戦闘員の母でもある彼女は忙しい。
「だれにも知られずに、何でも好きなように手紙が書けることを、ずっと夢見てたんだ」
風が強くなり、椰子の木立が騒ぎはじめた。そして、雷鳴が抗い雄牛のように呻り、あっという間に土砂降りになった。それでも集会は止まなかった。
ギサはバヤモからそんなに遠くない。
しかし、バヤモに比べると小さく鄙びて、曲がりくねった道の果ての丘の斜面に、家々が貼り付いている。まさにシエラ・マエストラの町らしい。そこを荷を積んだラバ遣いの群れが上り下りする。ラバは遊園地のピエロのように色鮮やかに飾られている。ラバはラバ遣いの声に合わせて蹄を鳴らし、列をなして通り過ぎる。ギサはいまも過去に生きながら革命の推進力になっている。
鍛冶屋の鎚の音は、朝から晩まで町中に響き渡る。独特のリズムで、あちこちからやって来る荒ぶれ男たちの訛り言葉に調子を合わせている。街路が少ないこの町の中心は公園にあって、周りはシエラから買い物や物売りにやって来る人で賑やかだ。
公園から少し行くと古い教会があった。植民時代にスペインの司祭と軍隊によって要塞に造り替えられた。それがマンビ族よって攻め落とされ、いまは黒焦げになって遺骸を晒している。
ここ数カ月、町はいつになく活気に満ちている。旅団員たちは、ここで演奏したあとシエラに向かうからだ。また、はじめて道路が開通したこともあって、周辺のあちこちから農民が集まってくる。
旅団員たちは、ここに来ると、街のみんなとしゃべったり、菓子を買ったりしたあと、ボランティア教師にあちこちを案内される。その一人、エル・フランセスは彼らを案内しながら行き交う人に笑顔を送る。向こうからやって来た男が彼らに握手を求めた。アルセニオ・トルといって、シエラの人で、年老いたいまも、険しい崖っぷちの家に一人で暮らしている。その日は、識字教育の教師のために牛乳を二缶買おうと、ラバに乗って十時間かけてやって来たのだった。
「先生といっても、まだ十二を過ぎたばかりだよ。お菓子をほしいとはいわんが、ほしいに決まってる。子どもはお菓子をほしがるもんだ。だから、きょうは買って帰ろうと思ってるんだ」
そういって、旅団員の無欲と善意を称えた。
「なかでも、わしの家に泊まっている先生が一番いいやつだと思うな。ウンベルトといって、マタンサスからやって来た。わしはあの子を大事に思ってる。だから、あちこち出かけるときも一人では行かせないようにしてるんだ。山は崖が多くて危ないからな。あの子のおかげでみんなちょっとずつだが、字も書けるようになったし本も読めるようになった。フィデルはいいことをしてくれたよ」
識字教師を乗せたトラックが次々とやって来ては、若者たちは種のネックレスを首に、黄色い声に笑顔をのせて、賑やかにそれぞれの持ち場へと散っていく。彼らは、その芽生えつつある青春の力を、貧しい山の暮らしに堪えてきた人々に分け合おうとしているのだ。
彼らは、エル・コロホ、オロ・デ・ギサ、ピノ・デル・アグァで活動している。賑やかな彼らに、荷を背負ったラバが驚いている。
そんな埃っぽい通りを、七、八歳だろうか、裸足の少年が、ゆるゆるのズボンを引きずるようにして歩いている。こんな賑わいはギサにははじめてのことで、きっと驚きの連続だろう。この喧騒は、町に新たな生命を与え、未来を切り開くことだろう。
公園を囲んでいろんな店が並んでいた。がっしりとした体格の肌の黒い女性が、無花果の燻製をつくっている。マンゴー売りは大きな声で客寄せをしていて、金物店の前ではラバ遣いたちが、なにやら口論している。どこも通行人や物珍しげな見物人や、新しもの好きな買い物客で溢れ、町に活気を生んでいる。そして、町にただ一軒の宿屋には客がいっぱいで、表には、くすんだテーブルクロスのかかったテーブルが四つ並んで、白髪頭のウェイターがいつもと同じ料理を運んでいる。
公園の片隅にある停留所には、危険をものともしない屈強な男たちがたむろしていた。彼らは長い孤立暮らしを抜けて、はじめての旅にやって来たばかりだった。この国の旅は、平野はレールとタイヤで移動するが、シエラでは先史時代と変わらず、たよりになるのは自分の足だけだった。
停留所には、荷物の包みや段ボール箱や、食料や衣類の入った袋が積み上げられ、首の羽根を抜かれ、鶏冠を刈り込まれ、赤く目を丸めた雄鶏が、数羽、袋の口から顔を覗かせている。ほかには、コーヒーの収穫用の籠がずらりと並び、少し離れてグレーの髪を後ろで丸く束ねた年老いた婦人が、ちょっと不安げな様子で、錆びついた鍵を掛けたスーツケースを大事そうに抱えて座っている。
乗客たちはコーヒー・スタンドの周りに群がっていた。切符売り場の古びたカウンターには、子どもを抱えた余所行き姿の農婦や、真っ黒に日焼けしただんまり男や、色鮮やかなシャツに鍔広の帽子を被った山男たちが並んでいる。そして、待合のベンチには、肩にオムツをかけ上げて胸を半分ばかり開けた女が腰かけて、生まれたばかりだろう、赤ちゃんに乳をやっている。その子の名は、ビダ(命)というらしい。
タイヤを泥だらけにした「コマンド」が現れると、乗客たちは席の確保に突進した。これから先、雲に手が届くほどのシエラをめざして、ブルドーザーで拓かれたばかりの急峻な狭い山道を登る、峡谷越えの旅がはじまるのだ。
ギサには、革命軍が山を下り平野部で繰り広げた最後の戦闘の鮮明な記憶が残っている。古い兵舎は榴散弾でいっぱいだった。十一日間、住民は激しい砲火と炸裂の中で暮らした。
川岸には、独裁者軍の地雷で破壊された戦車が骸を晒している。しかし、フィデルと仲間による包囲戦を語る者はほとんどいない。革命とその後の進展は少しずつ過去を消し去っている。ただ、尋ねられれば、だれもがあの戦闘の日々を語りはじめる。
一日に五回も、独裁者軍の飛行機が町を爆撃した。オヨ・デ・ピパでは五百ポンド爆弾が大きなクレーターをつくり、水が噴き出した。小銃の轟音が鳴り響き、二百五十人の兵士が砲火に斃れた。しかし、マリアナ・グラハレスの女性大隊は一歩も引かず、勇敢に戦った。
そして、オウムのパコとペペのことも付け加えておかないといけないだろう。元教師だった心優しい女性が飼っていたオウムで、文字通り、おしゃべり好きな二人だった。
飼い主は、毎朝、彼らに命令する。
「ペペ、一発撃て。さあ、パコも一発だ」
それ応えて、パコとペペは十口径の機関銃で一斉射撃をはじめるのだった。
静かな彼女の居宅には、過ぎ去った日々の生活が至るところに再現されている。大きな古時計は眠そうに振り子を揺らせているし、香り高い杉の戸棚や青塗装の大きなフードが付いた赤いタイル張りのストーブに、マンサニージョのオルガン音楽のレコードが入ったビクトローラもそのままだ。そして、広々としたテーブルには、マンビセス一族に勝利をもたらしたあの戦いを記録したファイルと地図が飾られている。
あのギサの戦いとフィデル・カストロの戦いはよく似ているといわれる。一八九七年、カリクスト・ガルシア将軍は八百人の部隊を率いて、はるかに優勢で装備も勝るスペイン軍と戦って勝利した。ギサには十一の要塞があった。戦いは何日も続いて、ようやく十一月三十日に終わっている。フィデルは、一九五八年のその同じ十一月三十日にギサを攻め落とした。かつての将軍がラ・エストレジャ、パンチート砦、そして、いまのエル・フィルメ・デ・コロノーを制圧したのと同じ丘陵地帯を、同じ包囲戦で攻略したのだった。
凸凹道を歩いていると、ギサのほんとうの姿が見えてくる。小さな墓地は「ネクロポリス」と刻まれているが、あまりにも質素過ぎる。「小さな巡礼者の誠実さ」とあるのは店の名前で、「薬局」と看板の掛かっているところも、実際には馬具を売っている。
そして、この街にいまも息づいているのは人権の歴史だ。一九四三年にギーサ・ユニオン・クラブ・コスモポリタン・レクリエーション協会が設立されている。彼らは黒人と白人を平等に受け入れた。この国の端から端までが人種差別に浸っていたそんな時代にそんな奇跡があったのだ。
ギサに行ったなら、まずは、町を取り囲む高台に登ってみてほしい。緑の木立の中に赤い屋根が点々とした静かな街が見渡せる。鐘の音が小さく聞こえるかもしれない。しかし、いつも心に響くのは鍛冶屋が奏でる美しい槌音だろう。
シエラ・マエストラの中でもバヤミトはもっとも厳しい環境にあるかもしれない。いつも雲に覆われ、一人、孤独をたのしむかのように、荒々しくも凛として聳え立っている。その中で、忘れ去られたようにバヤミートの子どもたちは生きてきた。
シエラを巡回するボランティア教師と識字部隊のメンバーにとって、バヤミトは最高の試練の場になった。それに挑戦したのが二十歳を過ぎたばかりの黒人ボランティアのカタリノ・バルデスだった。
*
「一九六〇年の九月十三日に、ぼくはバヤミートに着いた。シエラ・ネバダに入って、途中、道を訊くと、みんな、呆れた顔をして警告した。
『えっ、バヤミートに行くって? やめとけ、やめとけ、いまなら、まだ間に合う!』
しかし、ぼくは登った。
バヤミートは、ラス・ヌエセス、カニャブラバ、エル・フランコ、ロット・ナンバー・ナインの原野の間にあって、四十三戸約四百人が小規模なコーヒー栽培で暮らしを立てていた。バヤモ川はその辺りを源流にしている。
ぼくが何を見つけたかはうまく言葉ではいえない。けれど、これだけはたしかだ。彼らに無知が四世代にわたって続いていた。話しかけても、彼らはただ、頭を項垂れたり、裸足で地面を掻くことしかできなかった。いっしょに学校を建てようといっても、『学校って何? どうやって建てるの?』と不思議がるばかり。だから、ぼくはこういったんだ。『学校がほしいの、ほしくないの?』ってね。そしたら、一人の母親がこう答えた。『もしそれが子どもたちのためになるというんなら、わたしは手伝うわ』って。そういって、ぼろぼろの裸足で先頭に立つと、子どもたちも群れをなして彼女に続いた」
学校
「そうして男たちや年寄りたちも加わって学校ができたんだ。いろいろ知恵を絞って力を合わせて学用品も整えた。子どもたちは、きちんと座って、小さな鉛筆を握って、ぼくの話をよく聞いてくれた。
ぼくは協同組合を組織して、果樹園と菜園をつくって、プログレッソと名付けた。そして、数年後のキューバがどんな国になるか、ぼくの考えを話した」
サークル
「次の活動のステップとして、社会関係の改善をめざしてサンチアゴに行った。彼らはぼくに、本部をつくり、といってもふつうの家屋だが、そこでパーティーや集会を開くように指示した。
ぼくは、彼らの望みを実現することを諦めなかった。彼らはほんとうに貧しかった。だから、何をどこからはじめればいいのかわからなかったんだ。小さな学校の集会で、ぼくはかれらにいった。
『樵をしている人は、その腕と鋸をぼくに貸してください。みなさんそれぞれの能力に応じて協力してください。ぼくたちにはやり遂げたいという強い意志があります。犠牲はともないますが、その先には前進があります』
すると、だれも拒否しなかった。それどころか、彼らが場所選びをはじめた。そうして何度も探した末にもっとも難しい場所を選んだ。標高八百メートルの山の頂だった。そこから、バヤモの街やマバイ製糖工場はもちろん平野全体が見渡せたからだ。
ここはいつも寒いんです。強烈な寒さと弱い太陽、霧、靄がつねにぼくらを包み込んでいる。だから、資材を山頂まで運び、工場を建てるのは簡単ではなかった。それでも、成功は目標の大きさで決まるんだということをぼくは学んだ。フィデルのことを考えてみればいい。いちばん大変だったのは製材作業で、女性も手伝ってくれた。そのことをぜひ知ってほしい。
教育年度のはじめに、ぼくはシウダー・リベルタドにサークルの模型と旗を届けた。いま、キューバとベネズエラの国旗がポールに靡いて、団結と勤勉の象徴になっている。別の地区からボランティア教師として来ていたイブラヒムがベネズエラの出身で、ぼくたちを助けてくれたからだ。
三千五百フィートに及ぶ木材が必要だった。社会福祉局からは、サークルの屋根に使う亜鉛板を買うために二百ペソを提供してもらった。塗料とセメントも寄付してもらった。ぼくらは学校に集まり、完成した建物をじっくりと眺めた。頂上から見ると、鳩がとまっているようでかわいかった。
落成式の前日、建物はピンクに、ドアと窓は青く塗った。みんなには驚きの出来事だった。彼らは絵筆も絵の具も見たことがなかった。けれど、蟻のように斜面を登り、手伝ってくれたり、見物したり、祝ったりするためにやって来た。シエラ・マエストラではじめての祝賀会ではなかったか。
庭園には六本のロイヤルパームが植えられ、マルティの胸像を囲んでいる。入り口には色とりどりの石材でこう刻まれた。
『祖国か死か、われらは勝利する』
そして、
『忘れ去られた人々を助けよ』
とも。このサークルはコンラド・ベニテスの名に因んでいる」
落成式
「落成式の日は、まるで山から人が湧いて出てくるかのようだった。いろんな小道を通り、丘を上ったり下ったり、崖っぷちをかすめるようにしてやって来た。そして、あちこちでサークルについて語り合った。老人たちは、集まった人の数に驚いた。なにせ、八百人を超えたのだから。
就任式は絵に描いたようだった。コンラドの肖像画に花を供え、少女が詩を吟じた。
もっとも意義深かったのは、コーヒーの女王と王が選出されたことだ。山の学校の子どもたちの中から、革命についてのアンケート調査によって選ばれた。彼らはすでにマルティを愛し、彼のこと、その生と死や彼の悲しみや偉大さについてもよくわかっていた。もしマルティがバヤミートにいっしょにいたなら、いろんなことを教えてくれただろうにと残念がった。
プンタ・デ・ランサ校の少女で、フランス人マルケッティの教え子が、コーヒーの女王に選ばれた。王様はバヤミト出身のぼくの教え子だった。
祝賀のために集まった資金はたった五十ペソだった。信じられないと思う人もいるだろう。そう思うのは、この辺境の暮らしを知らないからだ。お金のない人は、鶏肉や果物などいろんな食料を提供した。そして、訪問者を自宅に泊め、子どもたちといっしょに寝させた。
その日は、教師、旅団員、農民たちの会合で幕を閉じた。彼らはシエラでの闘いについて話し合った。歌や朗読やゲームもあって、バヤミートは盛り上がった。
四月二十三日、子どもカーニバル王戴冠式の前夜、だれもが眠れなかった。玉座が必要だったが、貧しい黒人の家には祖母が使っていた壊れかけた椅子しかなかった。しかし、フランセスは何でもよく知っていて、ナイロンのテーブルクロスを使って間に合わせようとした。それは、ぼくの生徒のマリアが用意してくれた。贅沢品だった。マルケッティはテーブルクロスといっしょに、画鋲の箱と赤いリボンを二つ、そして椅子を二脚持ってきた。正直、それで玉座ができるとは思っていなかった。天蓋がなかったのでどうしようかと迷っていたら、老婆がいった。
『コーヒーの王と王妃の玉座なんだから、コーヒーの木の枝を使ったらどう?』
そして、玉座の後ろには、高く旗が掲げられた。すると、プンタ・デ・ランサ出身の博識者はじっと考えて、こういった。
『玉座の間に絨毯がないのはおかしいな』
だれもそんなものを見たこともない。そこで知恵を絞った。そうしてみんなでつくり上げたのは、幅三十センチほどの四角な縁取りの中に、熟したコーヒー豆と生豆を敷き詰めたバヤミート特製の絨毯だった。縁取りは、ぼくが床にチョークで描いた」
楽団
「サークル祭のフィナーレを飾るために、音楽隊がクァルトンの高みに登った。楽団はマルティの名をもらっていた。見慣れない楽器に、みんなは、フィデルが持ってきた新しい武器かもしれないと勘違いした。演奏がはじまると、みんなの目は潤んで輝いていた。『みんなで革命の基盤をつくったんだ、いつかフィデルがやって来るから』って。だれもがサークルを誇りに思った。
毎朝、学校に行くたびに、ぼくは自分の義務を実感するし、ぼくを支えてくれるみんなに感謝する。だから、みんなへの愛も深くなるんだ。もっともっとキューバ人らしくなろうと思う。ぼくが使命を成し遂げるまで、だれもぼくをここから連れ出せないだろう」
八月は水祭だ。朝日に洗われたように空は澄み渡り、雲一つない。息を呑むようなけしきだ。それが、午後も半ばを過ぎると青い空も悲しみに染まって、太陽は雲に覆われ鉛色の空に雷鳴が轟く。木々や鳥や獣たちすべてがそれが静まるのをじっと待つ。牛たちは嘆きの声を上げる。と、さらに風が吹き荒れ、稲妻が炸裂し滝のような豪雨になる。
午後になると、毎日のようにこんなけしきが続く。だから、ギサまで行ってくれる車を見つけるのは至難の業だ。道路は開通したばかりで舗装もされていない。川は増水して流石だらけでタイヤが滑る。雨でぬかるんだ土砂は突然崩れ落ちて木々を凪倒す。
バヤモではINRAがこうした難行を解決した。運転手、といってもたった一人だけなのだが、ファン・グスメリが、パワフルなタトラ・トラックを運転してシエラ・マエストラを登るといってくれた。
三十分後、タトラがホテルの前に停まった。
グスメリは若い黒人男だ。道の具合がいいときはおしゃべりだが、ハンドルが利かなくなると黙り込む。
「こいつはチェコ製だ、行けないところはないさ。シエラ・マエストラを端から端まで制覇してやる」
と意気込んで、タトラを発進させた。時速六十キロ、いや、もっとだったかもしれない、ギサをめざし、走りに走った。やがて、ギサ川の畔に出た。砕けた石が川床を舐めるように押し流されている。そこにタトラが、鉄を叩くような音を立てて駆け込んだ。
サンタ・バルバラ地区の小さな家を二、三軒、尻目に先を行く。マカナク、ラス・マンテカス、カカイト・デル・グァマ、モンテ・モハド、オロラ……、と高台に不安そうに村々が取り残されている。
灼け付くような太陽の下、曲がりくねった小道を行くと、制服を着た若い男たちに次々と出会った。若い闘士、識字教師、ボランティア教師……、そのだれもが病気の子どもを背中に担いだり、馬の鞍に乗せたりしていた。
そうして、オロ・デ・ギサに着くまで疲れを知らなかった。
古びた居酒屋があった。屋根のてっぺんから土間まで眺めても、百年はとっくに過ぎているだろう。入ると、虫食いだらけのカウンターがあって、生臭い危険な臭いが鼻を衝く。棚にはいろんなものが並んでいた。けれど、どれもが厚い布団のように埃を被っている。青いデニムの作業着、牛革の靴紐や、強盗でも縛るのか太いロープやヤリー帽やナイフ、そして、粗末なエナメル塗装の便器セット……。
と、しんと静まり返った店があった。十字架の形をした小さな金箔の真鍮の銘板や、花輪や、石棺を飾るのだろう、いろんな備品が並んでいる。
わたしたちは、「安らかに眠れ」と書かれた、格安で、なんとなく陰鬱な装飾品を一つ買うことにした。レジに持っていくと、店員に横目でじろっと睨まれた。
「ラハドの丘に行くんなら、標識を見失わないようにね。ここ一週間、雨ばっかりなんだから」
不気味な冗談を飛ばして店員は注意した。
店を出たところに黒人の少年が座っていた。十二歳くらいだろうか、物静かで生真面目そうな少年で、制服とベレー帽に、首にはあのネックレス……。
ホセといったが、若き闘士だった。シャツの右袖には、ピコ・トゥルキノには九回登ったらしいバッジをつけている。自信たっぷりの顔をして、四つのネックレスの一つをわたしの首に掛けてくれた。
シエラ・バダの容赦ない雨、幾重にも聳え立つ峰々も、山肌がかなり険しくなってきた。それをタトラが呻りながら上っていく。岩が車体に跳ね返って、大砲の弾を喰らったように轟音を立てる。道沿いには一人の影もなく、深い草叢に隠れてやっと現われた小屋の横には、霧雨の中、物干しロープが風に揺れている。
雷鳴も稲妻もどこかへ行ってしまったというのに、また、土砂降りがはじまった。と、たちまち車輪が泥水の渦の中に沈んで、車体が傾き横滑りした。
途中のエル・プラタノには、窯の煤で黒くなったパン屋に、六、七軒の家屋、少なくとも百年は経っているだろう靴屋があって、襤褸のような服を着た子どもが三人、笑顔いっぱい、マンゴーを売っている。香りのいいマンゴーがいっぱいのコーヒー籠を二人で抱える子どももいれば、黒鼻の子豚の群れが、ぶう、ぶう、走り回っている。
村外れの岩の上には大きなガラスの壺があって、蝋燭の燃え残りが山のように積もっている。旅人やラバ遣いや御者たちが敬虔な祈りを捧げたことだろう。カリダード・デル・コブレ像の足元に小さな塚をつくっている。いよいよ、シエラへの挑戦がはじまるのだ。
運転手の腕は、熟練と勇気を物語っている。まるで目と耳が付いているようで、一瞬たりともハンドル操作を誤らない。
目の前に、人を拒むように険しい嶺が聳えてきた。いつ、岩が崩れ落ちてくるかしれない、トラクターとブルドーザーで切り拓かれたばかりの瓦礫道だ。嶺が野生の暴れ馬のように立ち塞がり、トラックの前進を阻み続ける。運転手の腕に筋肉が、鋼鉄のように盛り上がる。
エンジンの轟音が途切れない。右手には切り立った断崖絶壁が続き、左手は谷が深く落ち込んで濁流が渦を巻いている。タトラ山脈は、狭い谷のその先にかろうじて収まっている。ヴァージン・ヒルを過ぎ、大曲に差しかかったところで、フアンはにっこり笑い、煙草を咥えて火をつけた。
と、土砂降りの中に人が現われた。プエルト・パドレからやって来たルーカス・ラブラダで、ピノ・デル・アグアに行くらしい。そこに十五歳と十三歳の子どもが待っている。彼は漁師をしながらファニート・モラ協同組合で働いているという。
「子どもたちは数カ月前からシエラ・ネバダにいる。トゥルキノにはもう三回も登ってるんだ」
うれしそうに笑って葉巻に火をつけ、一服、ふかした。
オロ・デ・ギサに着くまでの二時間は退屈しごく、トラックの荷台に、大きなシートを被り、馬鹿話と鼻歌に気を紛らわせて、じっと堪えていた。雨は変わらず激しく、川は増水し、あちこちに張り出した岩々が拓かれたばかりの道路を寸断していた。
鉛色の午後の光の中に、シエラ・マエストラはその素肌を現わした。いくつもの滝が暴れて岩肌を洗い流している。
オロ川は蛇のように曲がりくねり、岩肌を激しく叩いて白く泡を吐いている。その流れのすぐ近くに、木造のトタン屋根の建物が下草に半分隠れて見える。そして時折、土砂降りの雨音の中に鈴が鳴り響いてラバの群れがにょっきり現われ、ぶつかりそうになる。
「おーい、おい、いい子だ、いい子だ」
ラバ遣いの声といっしょに鞭の音がした。ラバは従順で、指示に従い、ほかの仲間を先導する。と、今度は、コーヒーの籠を積んだ荷車が横をかすめた。
オロの高地では、ピカソの峠越えは困難を極める。タトラは三度もスリップしては後退し、何度も傾き、息を切らしながら、ピカソ峠に辿り着こうと奮闘している。ファンの腕や額や顎から雨の雫が滴り落ちる。ファンは唇を噛み締め、強く踏み込んだ。アクセル、ブレーキ、また、アクセル……。
なんて遠いのだろう!
ブルドーザーが空き地に停まっていて、オロのキャンプの少年たちも道路の修復に参加していた。
コーヒーの木が茂っていないところなんかどこにもない。午後の静寂の中、雨粒が光沢のある葉を滑り落ち、緑やピンクや赤など、無数の豆の顔を洗っていた。小さな緑色のトゥリナガエルの歓びの歌が神秘的に響き渡る。まるで、コーヒー農園の魂を歌うかのようで、姿を見せないが、どこかの泉からだろう、轟音を立てて水が流れ落ちている。
シエラでは、何週間も何カ月も、昼夜を問わず降り続く。情け容赦ない雨の下で、わたしたちは、あの頃のフィデルとその仲間たち、そしてセリアを想った。二年の苦難、孤独と飢えに堪える戦いだったに違いない。
水のカーテンの向こうに、少女と少年を連れた若い女性が現われた。少女はナイロンのケープに覆われている。彼女は教師で、生徒を家まで送っていくらしい。少年は旅団員で、彼女の手伝いをしている。
しばらく行くと、ラジャド丘陵が見えてきた。斜面いっぱいにバナナ畑が広がっている。オロ・デ・ギーサはもうすぐだ。
一瞬、太陽が顔を見せ、荒涼世界を明るく照らす。柔らかな光が峰々を包み込み、雲を貫き、丘深く立ち込めた霧を消していく。陽光が川面に反射し、シエラの一角に射し込む。そこには、かつての独裁犯罪の傷跡、それに抗った戦いの痕跡、革命によって切り開かれた新たな歴史が刻まれている。
ソサ・ブランコに虐殺された息子たちの肖像画を掲げて喪に服す母親たち。父や兄弟や恋人を殺した犯人を前に涙を流す農婦たち。
黒衣をまとった人々の列を前に、安堵も休息も平和も希望も許しも得られなかった。
「覚えていないのか? ソサ・ブランコ、あなたはわたしの夫を殺したんだ」
「兄弟たちの死は、おまえの責任だ」
「おまえは病気だった父を生きたまま焼き殺したんだ」
ギサの丘の奥深く、苦痛と恐怖から生まれた静寂は、岩や洞窟、そして不満や涙の向こうまで漂っていたに違いない。泣き声は乾いた血に変わり、憎しみは枕に頭を沈め、計り知れないほどの時を刻んだ。
不当な死がギサの丘に忍び寄る。そんな中を、黄色い制服を着た軍隊との旧来の因縁を清算するという歴史的任務の重圧に押し潰されそうになりながら、フィデルを先頭に反乱軍は新生キューバの夜明けをめざして戦った。
雨の中、わたしたちはその跡を探しに来たのだが、見つからなかった。オロ・デ・ギサは小さいが、近代的な町に変わっている。かつての悲惨さはどこかに消え、丘の上には新しい家々が、整然と並んでいる。
どれもマグアロの家々のように、ピンクや太陽のように明るい黄色に彩られている。もしかしたら、キューバの海を思わせる青色に塗られているものもあるかもしれない。
左右対称の通りには、レンガ造りとタイル張りの家々が立ち並び、ハンカチのように広がる庭園にはジャスミンの花が咲き誇っている。水道橋も診療所もある。学校はもちろん遊園地もあって、かつては遊びを知らなかった子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる。
タトラのトラックが新型オロを積んで村に着くと、ハバナからの若者数十人が、わずか三十カ月前までは何の理由もなく殺され、自分たちの居場所も見つけられなかった人々の手助けをしている、そんな姿に出会えるだろう。
ここには革命青年労働旅団の一時キャンプがあって、貧しい人々のために、水道や電気設備が整い、花々が咲き乱れた新しい家屋が用意されている。旅団の若者たちは、ヤシ板やトタン屋根でできた粗末な小屋で夜露を凌いでいる。
そして、彼らは、道路を見張るために農民兵を訓練したり、塹壕を掘ったりしている。ほかにも、煉瓦積みを手伝ったり、畑を耕したり、コーヒーを収穫したりもしている。
町の麓の方でも彼らは活動している。そこでは川も穏やかに流れて彼らに優しい。だから、彼らのキャンプには笑い声が絶えない。
もちろん、識字教師もいて、彼らといっしょに各地から集まってきた母親たちもいる。彼女たちはラハドの丘やピカソ交差点を登って子どもたちを抱きしめる。たのしみにしていた束の間の再会だ。マカグァの木陰や野生のビャクシンの木陰で、母親たちは繕い物をし、子どもたちの体を洗い、抱きしめ、キスをする。
浅瀬を選んで流れの早い川を渡ると、バラが咲き誇る岸辺に辿り着いた。アルゴテ兄弟はここで命を落とした。荒れ狂った濁流が彼らを呑み込んだのだ。その姿を母親はいまも胸に秘めている。毎朝、キャンプの若者たちとともに花を供えにやって来る。
新しい家の玄関先では、香り高い山のコーヒーが振る舞われていた。遥か、ロマ・デ・ラス・フローレスの山頂を覆う霧が陽光に流され消えていく。
誰かが語りはじめた。
「おれたちは家族経営のコーヒー協同組合をつくっていた。三人でね。一人は梱包を受け持ってそれを運ぶためにラバを買った。もう一人は小型トラックを運転して、三人目は栽培を専門にしていた。あまり儲からなかったけど、それぞれ、家族を養っていた。二回目の収穫が終わる頃だった。ソサ・ブランコの部隊とガジェゴ・カウリーの部隊がやって来て、ギサで買ったばかりの雑貨とコーヒーの売上金千ペソを奪って逃げた」
さらに一日、同じ傭兵部隊がオロに現われ、非情にも男たちを家から連れ出し、縛り上げ、次々と機関銃で撃ち殺した。そして、村を焼き払った。
「息子が二人いるが、一人はカミロ・シエンフエーゴス校に通っている。もう一人は、ヒバラでコーヒーとココア生産の技術者になるらしい。二人の娘はバヤモの学校で勉強している。革命はおれたちに土地をくれ、無利子の融資もしてくれた。革命がおれたちに与えてくれたものは、もうだれも奪えないさ」
彼らは、本についても話してくれた。
「キャンプにはいっぱい本が届いている。わからないことは、教師やキャンプの責任者といっしょに話し合っている。おれたちが学ぶべきことを学べば、フィデルが植えたものや、根付いたものを失うことはないだろう」
じつに鮮やかな言葉だ。現実を如実に謳っている。そういえるのは、自由なキューバ人として大地に生きることを誇りに思っているからだろう。
オロ・デ・ギサは夕暮れを迎えている。タトラ川は、鼻息の荒い馬のようにシエラに向かって駆け上がる。そのシエラでは、識字教師たちのランタンが新星となって灯っている。キューバはもっともっと輝くだろう。
マンサニージョ、午前七時十五分、古びたホテルで、ウェイターやスタッフが動きはじめた。ドアが開く音、ひそひそ話、そして、廊下を行き交う足音が静寂の中に心地よく響く。
ダイニングルームに入ると、気のよさそうな若いスタッフが朝食の準備をしていた。好奇心旺盛な若者で、いろんな質問を投げかける。
なぜ、ズボンと重い戦闘ブーツを履いたまま徹夜するのか? どこへ行くのか? カミロ・シエンフエーゴス校に行くのか? それに、わたしたちは気持ちよく答え、あとは朝食とカメラマンの到着を待つだけだ、と付け加えた。
七時に着く予定のカメラマン、ジルベルト・アンテは息を切らしてやって来た。顔も声も強張っている。
「アメリカ軍の戦闘機がハバナとサンチアゴ・デ・クーバを爆撃している!」
ラジオで聴いたばかりだという。
わたしは、椅子から飛び上がるほどびっくりして息も荒くなった。ほかに何かわかっていないのだろうか?
ボヘミアの事務所に電話して、サンチアゴの取材許可を求めた。そして、そのまま飛行場に走った。
マンサニージョは、朝から爆撃のニュースで、人々は右往左往して騒がしかった。家という家から、通りや街角から民兵が集まっている。みんな、ラウルの警告に応えて、ライフルを手に防衛の準備をして、車やトラックが次々とサンチアゴに向かって走る。同じように、町や農場でも警戒をはじめているが、バヤモでもコントラマエストレでも、恐怖の混乱や動揺や騒動の兆しは見られない。
ラウルの呼びかけが続いている。
──東部の農民よ、民兵よ、革命の戦士たちよ、集合せよ! 部隊リーダー、民兵、陸軍司令官は、武器保管場所に集合せよ! 各自、持ち場につけ、自由のためには代償も止むを得ない! みんな、銃を取れ!
若き司令官の叫びはどこまでも響き渡る。秩序に乱れはない。だれもが職場や戦闘場所で待ち構えている。拡声器を付けたトラックがゆっくりと巡回し、警戒を呼びかける。
「……二万人の犠牲者との約束は必ず守る。侵略者を殲滅する。」
太陽の下、農場ではみんな武器を携え、いつも通りに働いている。何台ものトラクターが巨大な芋虫のように走り回っている。
ヤラでは、ライフルを手に麦藁帽の民兵たちが、口々にラジオのニュースに興奮している。
「ハバナで二機、撃墜した」
「もう一機はマイアミまで逃げたらしい」
丘の斜面に、エル・コブレの十字架が、クロムメッキで刻まれている。アンブロシオ・グリッロ療養所の先には、サンチアゴ湾と東の街が遠く白く続いている。雲間に聳えるシエラ・マエストラが、きょうは一段と高く見える。
彼女はキューバの自由の母、日々、気高くなっていく。
サンチアゴは、正午というのに、びっくりするほど静かだ。それでも、人は行き交い、店は客でいっぱいだ。どんな人たちなのだろう。どうしてあんなに激しい爆撃に堪えられているのか、これからも続くだろう大規模攻撃の前触れだというのに!
駐屯地から駐屯地を経て高速道路を空港に走った。ベルサレス・モーテルの前で、陸軍軍曹に身分証の提示を求められた。モーテルにはバラコア山地からの若い農婦たちが大勢いるらしい。
空港のターミナルビルはどこも穴だらけで、天井から剥がれた石膏ボードが、葬式の幕のように無様に垂れ下がっている。公園には、後光弾にやられたのだろう、弾痕だらけの車が何台か転がっていた。
航空管制局の滑走路管理長が様子を語ってくれた。
「歩いていると、爆撃音だけでなく、家のドアや窓の振動もすごかった。急いでここを出て仲間のところに走った。十分もかからなかっただろう、モロハイウェイを渡ると、男や子どもや老人たちが逃げ惑っていた。恐怖ではなく、怒りを感じた」
滑走路を見下ろすドア越しに、青い制服を着た隊員と一般市民が空港の復旧に懸命な様子が見える。彼らはグループを組んで、被害の復旧に励んでいた。
「攻撃を受けたときは勤務中だった」
と管制長がいった。
「FAR機二〇八号が滑走路に進入したかどうか、確認するために外に出た。と、オリーブグリーンの戦闘機が二機、目の前に迫ってきたんだ。驚いている間もなかった。五百ポンド爆弾が、轟音とともに空を切り裂いた。滑走路は炎に包まれた。何機か、飛行機に破片が当たって燃えていた。五分後にカマグェイに飛ぶはずだった定期便のキューバ航空CUT一七二便やDC三七や海軍のカタリナ、それから、陸軍のC四七も炎を上げていた」
廃墟のようになった飛行場に出てみた。被害は一目瞭然だった。かつての格納庫だったところは、黒い染みに覆われていた。爆弾の直撃を受けたのだ。
捻じ曲がって真っ黒になった戦闘機の残骸は、惨殺された怪物のようで、旅客機は引き裂かれた蝶のようだった。胴体は真っ二つに裂け、ちぎれた翼が、焦げた胴体の上に乗っかったまま、まだ煙を上げている。傍には、壊れたエンジンが骸を晒していた。ジャーナリストとカメラマンが、昨日、カマグエイからマンサニージョに飛んだその飛行機だった。クレーンが残骸を持ち上げると、燻っていたのがまた燃え上がった。
空港の外には、ポプラの木陰が涼しそうな公園はそのままだったが、アントニオ・マセオの胸像が機銃掃射を受けたのだろう、大口径の弾痕が胸を貫いて背中に抜けていた。植民者への怒りと憤怒の象徴が、なんということだろう。
攻撃機の急降下音を聞いた事務室の女性は、最初の爆発音で外に走った。身を守ろうとしたのではなく、軍人として、敵に対峙し撃退したかったのだ。彼女は民兵だった。
午後三時、飛行場は午後の飛行を受け入れる態勢に入っていた。
「二機の戦闘機が高度八百フィートか千フィートで滑走路上を旋回しながらホバリングしたあと、高速で横切って爆撃していくのが見えた。ちょうど午前六時十五分だった。空爆の気圧の上昇で止まったのだろう、待合室の時計がその時間をさしていた」
サンチアゴに戻ると、通りは賑やかになっていた。労働者たちはそれぞれの代表団との会合をはじめている。モンカダ地区では対策会議が開かれ、午後も更けると復旧計画も整い、活動も本格的になった。
みんなの視線はシエラ・マエストラに向いているようだった。すぐ目の前にあって、いつもみんなを見守っている。
軍病院では、狭い白いベッドに包帯を巻いた砲兵が横たわっていた。五十口径の銃を手に哨舎にいたところに、戦闘機二機が急降下し機銃掃射を仕掛けてきた。その一発が肩に当たったのだった。
「われわれが一斉射撃で応戦すると、やつらは高度を上げて攻撃を続けたが、やがて、グアンタナモのカイマネラ基地に引き揚げた。第四哨所の哨舎は榴散弾で突き破られ、二発が兵士に命中した。B二六が急降下して低空飛行で機銃掃射を浴びせたんだ。われを失ったんだろう、女が待合室から外に飛び出した。その脚元に榴散弾が雨霰のように降ってきて、一面に黄色い砂埃が舞い上がった」
そんなサンチアゴに夜が来た。わずかな光がティヴォリをさらに彩って、月が刺繍されたように美しさを添えている。植民地時代の砦や、湿っぽく香り高い木々、眠りについた家々……、すべてが希望をもって警戒を怠らない。夜のサンチアゴには詩人も吟遊詩人もいない。ギターは歌わず、ただ二つ、怒りと希望だけが静寂の夜空に煌めいていた。
白い家は、一つの記憶に鎮んでいた。居間のテーブルの上には、紫のリボンが二本とバラの花束、そして、若き大尉の肖像画が飾られている。夜明けに、パイロットは司令部の命令で哨戒飛行に出た。そして、暗黒の雲の中を、白銀の月に向かって飛んだまま、彼は戻らなかった。
けれど、白い家ではだれも泣かない。すぐ近くに、もう一つの戦いが迫っている。マンビのラッパが鳴り響き、拳を握り締めよと告げる。だから、だれも泣かない。戦いに、どうして涙がいるだろう。
「オレステスは望んだように死んでいった。キューバのために……。だから、泣くことはないでしょ」
妻がいった。
手を振って、わたしは別れを告げた。
だれもが痛みと誇りを胸の内にしかりと抱いている。そんなみんなが暮らすこの町は、けっして屈辱をそのままに生きることはないだろう。サンチアゴは、今日も明日も、いつものように戦いに備えて構えている。
サンタ・イフィヘニア墓地、四月十七日午前九時
マルティはアメリカ大陸に最高のものを置いていった。もっとも愛された国旗に覆われた彼の亡骸は、いまも、アメリカ大陸とその運命が一つになるときを待っている。
サンタ・イフィヘニアには人影がなかった。ごくわずかに、花束と悲しみを携えて弔問に歩いているだけ。ほかには、鍬を担げた墓掘り人と、朝日を翼に乗せた鷺が死の静寂の中に遊んでいるだけ。陽は高く、空は水晶のように澄み渡って雲一つない。偉大なキューバ人の魂を鎮めるここで、だれもがその思い出を辿るのだった。
サンチアゴ・デ・クーバ、午前十時
サンチアゴには、犯罪のなかった通りや街は一つもない。サント・トマスの小さな広場には、台座と鏡を兼ねたブロンズの銘板があって、独裁の手に倒れた犠牲者の名が刻まれている。フランク・パイスはその前で演説した。
「われわれは戦いの真っただ中にいる。侵略がはじまっているんだ!」
物売りの声、行き交う車のエンジン音、そんな街の喧騒が、一瞬、消えて静まり返る。そして、一分後、またサンチィアゴは動き出した。振動が伝わってくる。それに突き動かされるようにしてホテルへ、そしてバスターミナルへ。混雑した待合室には、人々の不安が燃えていた。声を潜めて質問が投げかけられるが応えがない。道路交通は混乱しているし、空の便は運休したまま。
「もうすぐサンチアゴに侵攻がはじまる」
叫ぶ声がした。
わたしは何を探しているのだろう? どこに行こうとしているのだろう? すると、アンテが肩にカメラを担いでやって来た。わたしは彼をバスに引きずり込んだ。
午後十二時三十分
バスはマルテ広場を出発した。人でいっぱいだが、話し声もしない。運転手は運賃を請求して、その中を苦しそうに移動する。聞こえるのは、乾いた打刻機の音だけ。窓の外には、緑豊かなけしきが流れ、エンジンはカーブするたびに重く大きく呻った。
通りで
みんな、不安げに街角に立っている。労働者は組合ごとに集まり、丘陵の至るところにライフルを構えて身を潜めた。侵攻を食い止める人垣で、各町には何千人もの人々が武装して構えている。
高速道路は上り下りとも兵士を運ぶトラックの列が途切れない。軍の装備を積んだ大型トレーラーが動員された。彼らは脇に避けたり先を進んだり、バスのあとを追ったりと忙しない。
わたしは目に映るもので気を紛らわせようとした。余計なことを考えないで、通りや家々に掲げられた旗を見つめる。人々は通り過ぎる軍隊に敬礼すると、兵士が武器を掲げて応えた。
バスの中が、徐々にだが、活気が戻りはじめた。あちこちから、途切れ途切れに話し声が聞こえてくる。さっきまでの沈黙に隠されていたのは何だったのか。恐怖なのか、苦悩なのか、それとも怒りなのか、わからなくなった。不条理なのだが、知りたいと思う。恐怖とは何なのか?
最初の数時間
ペンタゴンによるどうしようもない戦争に対する苦悩を心に抱えたまま、わたしはオルギンに着いた。東部の街は、最初のニュースを発信した。街のあちこちで侵攻の様子が確認される。サンタ・クララだけでなく、高速道路も空爆を受けている。
不快な沈黙が乗客の足を止めた。誰も心を閉じて抗議もしない。わたしは苛立った。
夜更けが迫っている。運転手が告げた。
「噂がほんとうなら破壊工作や爆撃もあるだろう。だから、カマグエィで一夜を明かすことになる」
敵の上陸に対する恐怖が極度に高まり、不安を掻き立てる。けれど、公式な報告がない限り、旅を中止するわけにはいかない。
ラス・ビジャスに入った。活気に満ちた革命の行進曲が繰り返し流されている。それがわたしの焦燥と混乱を鎮めてくれる。まるでアスファルトの上を車輪が弾むようなリズムだ。
市民よ、進め、進め、
前進せよ!
なぜか、その歌詞とリズムが心の葛藤を和らげてくれる。
検問に人々は苛立っている。その光景に、かつての暴政の検問を思った。と、上空をビーコン信号を追って戦闘機が飛び交った。
心臓の高鳴りが止まらないまま、サンクティ・スピリトゥスに辿り着いた。もう、警戒は杞憂だ。けれど、マタンサスでも激しい戦闘が続いているという。
サンタ・クララ、深夜零時
疲れ果てた獣のようなバスがプラットホームに着いた。年老いた従業員が目深に帽子を被り、椅子に転寝していた。それを起こして訊いてみると、黒い服を着た女性を指差した。中年の、肌の浅黒く背の高い、慎み深い服装の人で、プラヤ・ヒロンからやって来たという。
「反逆者たちの行為は犯罪だ」
震える声で涙ながら、彼女は何度も繰り返した。憎悪の波がわたしを襲った。運命を共にし、わが身を差し出したい衝動に駆られた。ハバナに戻れば危険はないだろう、しかし、……。
そんなわたしの意を察したのか、ジルベルト・アンテはしばらく黙ったあと、わたしをけしかけた
「ヒロンに行こう」
コロン、四月十八日午前三時三十分
ホテル「ハバナ・サンチアゴ」のカフェテリアでは、若い民兵がコーヒーを飲みながら話をしている。すらっとした浅黒い肌の青年で、笑顔がいい。よく見ると、時計の鎖に手榴弾をぶら下げている。まだ十八にもならないだろう、先遣隊からやって来たらしい。セントラル・オーストラリアのすぐ近くで激戦が続いていて、重火器を配備する時間がなかったから、ライフルや迫撃砲や機関銃で対抗しているが痛手が大きいという。ただ、敵の戦闘機を数機、撃ち落としているらしい。
そこに、ジルベルト・アンテがやって来た。エンリケ・デ・ラ・オサと電話で交渉したら、彼はわたしたちを従軍特派員に任命することに同意したという。
コロン、グァレイラス、マンギート、 午前四時三十分
戦場になったハグェイ・グランデには容易に着けないだろう。ドライバーたちは顔をしかめながらも行くことに決め、約束の場所に用心深く車を停めた。
あたりは真っ暗だ。金星が夜空の片側で震えるように煌めている。夜が明ける気配は微塵もない。
グァレイラスへの道路は穴だらけで、そこを、がた、がた、進んだ。奇妙な静けさに、かえって眠れない。躊躇うのはよくない。わたしは間違いなく戦場に向かっている。そして、恐れている。数時間前に追っ払ったはずのわたしの中の野獣が再び姿を見せた。
何度も検問所に立ち寄りながらグァレイラスを通り抜け、マンギートに辿り着いた。夜明けに、ヤレイとライフルを持った農民を乗せた。アデライダ農場のラモン・メンドーサがわたしたちを迎えた。
「ミサはもうすぐ終わる。侵略者たちは拠り所を失くしている。彼らには理性がない。だから武器も役に立たないだろう。息子は前線にいるが、生死がわからない。ただ、何が起こっても、すべてはキューバのためだから、息子はそれを受け入れるだろう」
彼は農民で、六十八歳になるが民兵のリーダーだった。
敵は戦車と空挺部隊を投入しているらしい。
「そろそろやって来ると思っていた。この一年間、猿のようにライフルを持って職場に行っていた。その猿が、いま、ライオンと戦っている」
歯茎も露わに大きく笑った。
ハグェイ・グランデ、午前六時
町に入ったところで検問に止められた。身分証明書を見せると、
「近くでまだ爆雷が続いています」
険しい表情で教えてくれた。
侵攻軍の上陸は昨日の早朝のことだった。セントラル・オーストラリアに駐屯していたシエンフエゴス大隊の民兵がそれに攻勢した。侵攻軍は海岸線からサパタ沼地に点在する小さな村々まで空爆したあと、戦闘部隊がプラヤ・ヒロンとプラヤ・ラルガに上陸し、セントラルからピッグス湾に続く幹線道路を数キロにわたって占拠した。
以来、激しい戦闘が一帯で繰り広げられている。ラ・シエナガの住民は避難しているが、湿地帯を逃げ惑っていて安全ではない。爆撃で家屋を破壊され、多数、死者も出ている。
わずかな荷物を大事に抱え、避難を続けている。悲しく、腹立たしい。泥で汚れたバッグや衣類の包みが散乱し、住居と平和から無残に引き裂かれた人々、子どもを殺された母親が逃げのびてきた。まるで狂人のようだった。わたしたちはすぐに民兵会館に走り、さらにセントラル・オーストラリアの司令部に向かった。
セントラル・オーストラリア、午前九時
例年なら、バティはサフラの最中で、荷馬車の喧騒や作業員の列や機関車の汽笛でごった返し、高い煙突からは白い煙がもくもくと立ち上り、冷却塔からは滝のように流れる水の音が響いているだろう。
けれど、きょうのバティは収穫のよろこびを知ることなく、だれもがガランド銃を構えている。前線から帰還した兵士たち、そして、これから戦闘キャンプに向かう兵士たちでごった返している。彼らは即席の野戦病院を設け、救急治療を続けている。救急箱は木のベンチの上に置かれている。手術台はテーブルに白いオイルクロスをかけただけの俄か造りだ。昨夜、前哨地ではマッチの灯りをたよりに応急処置が行なわれていた。子どもを産むときしか血というものを知らなかった女たちが、いまは恐れることもなく勇気を奮って血を拭い、血でべっとり汚れたベッドカバーを洗い、看護を続けている。
農民の女以外に、夫や子どもや家を捨てて立ち上がり、家族のために戦う者たちの傍に駆け寄る者がいるだろうか?
周辺の地域や、わたしたちがやって来た道路には、重火器の大砲が配備され、待ち伏せしたり、前進したりして、そのときを待っている。
敵機は精油所のタンクを破壊しようと繰り返し飛来している。しかし、うち一機はすでに撃ち落とされていた。金髪のパイロットを乗せていた。その残骸はタワーのすぐ近くに転がっている。
プラヤ・ラルガで敵に捕縛されていた建設作業員たちが逃げてきた。涙を抑えきれない者もいれば、話しを止めない者もいる。そして、緊張した様子でトラックの下に寝転がった。戦闘は少し前に終わり、敵はヒロン方面に撤退した。
司令部の前で民兵が動き出した。前線に向かう者は武器を担いで準備している。帰還者はライフルを腰に構えたまま、バックパックを枕に家々の軒先や通りの片隅で眠りこけた。みんな軍服を着ているが、靴職人や学生や料理人や俳優、それに、文学者や鉱山労働者や樵や漁師や製糖工場の労働者たちだ。
司令部は大きな屋敷に置かれていて、内にも外にも、人々が腕を組んで身を寄せ合っている。暑い、とても暑い。陽光が小川の水面に煌めく。牛乳缶を持ち上げると、白く糸が引いてとろりと流れ落ちた。
さらに増援大隊が到着した。シエンフエゴスの狙撃大隊で、その活躍ぶりは繰り返し語られている。彼らは最初の猛攻と砲撃を身をもって食い止めた。侵攻軍と遭遇したのが午前四時で、夜が明けるまで陣地を守り抜いた。
アブラハム・ゴンサレス・チャビアノはセントラル・ワシントンの民兵隊長だが、戦闘地域から退避する途中、子どもたちでいっぱいのトラックが機関銃掃射を浴び、何人も死んでいるのを目撃している。
そういえば、敵の傭兵のパラシュートを切ってスカーフのように首に巻いて火傷を隠していた、あの東部出身の若者はどうしただろうか。そうすることで病院送りを逃れていた。
「今朝の戦闘はほんとうに凄かった。やつらは五十口径の銃と迫撃砲で攻めてきた。われわれは二時から五時まで攻撃に晒されていたんだ」
「われわれのパイロットが敵機を撃墜している。今日、また二機を撃ち落とした。あれは神業だったな」
マタンサスの財政部のリカルド・カストロ(十九歳)と靴職人のフェリペ・クルス、そして、シエゴ・デ・アビラのネルソン・アルバレスが、昨日の朝、最初の増援部隊のライフル兵といっしょに戦闘に参加した。敵との距離はわずか二百メートルだった。
マタンサス民兵学校と迫撃砲部隊のラファエル・カバジェロとアルベルト・セオアネは、敵機の機銃掃射の中を進撃し、前線を五キロにわたって押し戻した。
司令部のある建物には、侵略者から押収されたヘルメットやパラシュートが山積みになっている。どれも真新しいものばかりで、アメリカの烙印が押されていた。
アウグスト・マルティネス・サンチェスは、軍用地図の前を行ったり来たりしている。目をぎらつかせ、ぼうぼうの黒髭を撫で回している。司令部の司令官は頭の回転が速い。わたしが一言、訊ねると、素早く答えた。
「侵略者に死を!」
その彼に手短かにインタビューしたあと、戦闘員でごった返す廊下を行くと、重い手がわたしの腕を掴んで引っ張った。驚いて振り返ると、金髪の民兵だった。髪はトウモロコシの毛のようで、目はわたしよりも明るい色をしている。そして、機関銃を片手に、ついて来るよう目配せした。
近くの部屋に入ると、身分証の提示を求めた。戦闘の最中、女が一人で何をしているのか、不審に思ったのだろう。CIAは予想もしないところにエージェントを潜ませているから無理もない。わたしの瞳は明るく、髪はブロンドなのだ。わたしは記者証を見せ、事情を説明し、彼の熱意を称賛した。
だれかが捕虜を連行してきた。ヤンキーのパイロットだという。しかし、どう見てもアメリカ人らしくない。そして、パイロットとも思えない。その黒い目、体つき、肌の色は、明確にキューバ人であることを物語っていた。体を丸く竦め、変装をしているつもりなのか、花柄の帽子を被っている。そして、追われた獣のように怯えている。水がほしいというので与えると、息もつかず、がぶがぶ飲んだ。水が口の端を伝ってシャツを濡らしている。そうして、目を閉じると、頭を垂れて崩れ落ちた。
司令部のドアの前で、少年が声を上げて泣いていた。十三歳になるルイス・ガルシアだった。大きな図体に、腰のベルトにマチェーテをぶら下げている。侵略者と戦うというのにライフルをもらえないのが悔しいらしかった。
午前十時三十分
救急車が機関銃掃射を受けてしまった。担架係と運転手は飛び出して、白旗を掲げた車に移った。そして、敵の攻撃の中を仮設病院に走った。
顔を上げ、エンジン音に耳を澄ませる。砲兵たちが近くで警戒している。作戦地まで行くのは容易でないだろう。車両はみんな軍事用に使われている。仕方がない。プラヤ・ラルガに向かう道路の出口に陣取って、やってくる車を待った。五回目の試みで、やっと赤十字のジープをつかまえた。
ピッグス湾への唯一の道路は、両側に、林の茂みに隠れてライフルと大砲の列が延々と続いている。道路は、迫撃砲や、戦闘機の空爆でどこも穴だらけだ。この道路は、武器と兵士を前線に運び、救急車も行き来する唯一の幹線道路だから、格好の標的なのだ。
右側を、白い布を風に靡かせながらジープが走り、左側を巨大な黒い戦車が走る。戦車の砲身は前方を指したまま。キャタピラの跡が、砂州に残したアカウミガメの跡のように平行に走っている。
第一縦隊が前進しはじめた。
「空挺部隊に気をつけろ!」
叫びながら通り過ぎる。
胸の鼓動を抑えきれない。
舵を取っているのは、赤十字第六旅団のマヌエル・エスポンダ・アルバレスだった。同じ旅団ハバナ代表のロベルト・ディアス・カレロが同乗している。
「救急車の中で、負傷者が何人か死亡した」
空挺部隊が近くに身を潜め、独立心の強いマスチフ犬のように敵を待ち構えている。草の茂みの中に、銃口を向けた彼らの姿が垣間見える。
「やつらはここまで来たが、われわれは海岸まで追い返した」
白い砂埃が道路を覆い、喉をからからにし、髪や睫毛まで真っ白にする。その中を兵士たちを満載したバスが列をなしてやって来る。前線と前哨基地の増援に向かうのだ。弾薬を満載したトレーラーも走っている。
道路警備にあたっているみんなは、敵から奪ったパラシュートの布で即席のスカーフをつくって首に巻いている。それを、リボンの品評会のように風に靡かせながら敬礼する。
ジープを追い越して、救急車や車がヘッドライトを点けて猛スピードで走っていく。
「戦闘機だ!」
だれかが叫んだ。わずかの数秒が、何世紀にも思えるほどに長い。だが、戦闘機ではなかった。
われわれは前進した。道路端の木々は榴散弾にやられて吹っ飛び、救急車も数台、車輪を宙に浮かせたまま土手の溝に突っ込んで黒焦げになっている。その中に、腕と握りしめた拳が覗いていた。
グランマ基地の砲兵といっしょに
祖国が脅威にさらされたことで、英雄たちの記憶が蘇った。女たちは男たちとともに戦うために子どもを産み育てる。そして、血と苦悩を代償に勝ち取ったものを脅かすものとの戦いの中で、その子どもたちも、また勇者になる。
ソプリジャールの近郊では、少年たちが対空機関銃を構えて守備についていた。彼らはピナール・デル・リオのグランマ基地からやって来た。みんな、はじめて武器を手にしたのだった。ほとんどが十三から十五歳の子どもたちで、年長でも十七歳にしかならない。噎せ返るような暑さの中で、痩せた胸も露わに、細い首に種のネックレスを付けている。額も顔も汗びっしょりで埃まみれで真っ白だ。挨拶の仕方や言葉遣いも子どもそのまま、カメラの前に寄って来て、指で髪を梳かしながら笑顔を振りまく。
最年少の砲兵だった。胸にハート型のロケットをぶら下げている。きっと恋人なのだろう、小さな写真に女の子が微笑んでいた。
忘れてはならないこと
静寂の中を何キロにもわたって道が続いている。赤と白の旗を掲げた車が次々と通り過ぎていく。砂塵が巻き上がる。それが、やがて重くゆっくりと降り注ぎ、すべてを覆い尽くす。
最初に爆撃された村々が姿を見せた。まだ、煙がくすぶっている。そこには炭焼き職人の家があったらしい。クレーターが大きく口を開け、底には、家財や椅子やベビーベッドや炊事道具の残骸が散乱している。これを無惨に放っておいてはいけない。
前線で
プラヤ・ラルガに急いだ。いよいよ前線だ。戦車が五両、前を疾走している。若い兵士たち、間違いなく東部から来たと思うが、黒いヘルメットの陰に赤褐色の顔を覗かせている。
ゴンサロ・アルバレスは、医療部隊に所属している応急処置所の責任者で、数時間前にプラヤ・ラルガから避難したときに敵から奪った大量の注射器や包帯やサルファ剤のほか、いろんな薬の瓶を見せてくれた。侵攻は、アメリカ軍が綿密に準備していたことは明らかで、本格的な上陸作戦だった。戦車はもちろん潜水士まで送り込んでいる。
最前線との間は危険がいっぱいで、歩みも遅く、迫撃砲やそのほかの攻撃を避けながら進む。何百もの手榴弾やTNTの入った弾薬箱が置き去りにされていた。
道路にはいろんな口径の薬莢が散乱して、迫撃砲の大きな丸いクレーターがいくつも大きな口を開けている。戦闘の傷痕が生々しい。激しさを肌で感じる。道路端、草の茂みやその向こうにも死体がいくつも横たわっていた。
ジープはカレトンの分岐点から海岸に抜けていく。側溝の脇には、弾薬を満載したトラックや戦車が壊れたまま動かないが、五十口径の機関銃も備わっている。これに対抗するのは苦しかっただろう。傍には、アメリカ政府から支給された戦闘服を着た侵略者の死体が二つ、死蠅に覆われていた。一人は、傍に潰れた小型の弾薬箱に手をかけている。
目を背けず、じっくり見た。まだ幼い顔をしている。肢体は硬直し、目は大きく見開いたまま。もう故郷の空を見ることもできないだろう。栄光も希望もなかった彼らの冒険は、当然の結末を迎えた。その名は、マングローブの茂みの陰に、少しの尊厳も涙も得られないまま、忘却から救われることもないだろう。わたしは心を鬼にし、冷たく硬直した彼の手を弾薬箱から引き下ろし、弾薬箱をトロフィーにした。
プラヤ・ラルガで
「そこを渡ってはいけない、地雷があるかもしれない」
地雷はないように見えても、進むにつれ、何百もの不発弾に遭遇した。遠く、鈍い大砲の轟音と炸裂音が響き渡る。迷彩服を着た死体はさらに増え、周りを蠅の群れが飛び回る。
侵略者を追い返すためにやって来た民兵は、ジープやバス、戦車やトラックで、砂浜や岩礁の遊歩道に繰り出し、覆い尽くすほどの大群になっている。そして、ヒロンに続く道を進んでいる。
青い海、穏やかに波が打ち寄せる。その砂浜に上陸用ボートやランチが打ち捨てられている。舷側には海賊のような髑髏が描かれていた。
砲台の近くでは、少年砲兵たちが敵の戦闘機に攻撃を仕掛けている。
双眼鏡で覗くと、キューバ空軍によって無力化された「ヒューストン」が近づいてくる。
海に突き出た崖の上にぽつんとある小屋は前哨基地で、十代の少年が会釈で迎えた。明るい丸顔の人懐っこい金髪青年で、第十八砲台の砲兵だ。絶えず旋回して攻撃してくるB二六を撃ち落としたいらしい。
「簡単だよ。多連装砲か三十七ミリ機関砲なら、一発で撃ち落とせる!」
彼、ラサロ・ケサダは嘯いた。
「敵機だ!」
だれかの叫びに、プラヤ・ラルガが動き出した。
砲兵たちが攻撃に備える。
「爆撃だ! 小屋まで逃げろ、コンクリートの下に伏せるんだ!」
ラサロが叫んだ。
地平線に一点が現われたと思ったら、瞬く間に大きくなった。弾丸のように一直線に迫っては、胴体と翼を十字に描いて頭上を走る。怒り狂ったシュモクザメのようだった。
瞬間、わたしは腕を後頭部に組んで地面に伏せた。と同時に、対空砲と五十口径の機関砲が対抗した。恐る恐る頭を上げた。目の前に、猛禽獣のような戦闘機が低空飛行で迫ってくる。エンジンの轟音が耳をつんざく……。
最期かと思った、そのときだった。どういうわけか、あの本が脳裏に浮かんだ。キューバの人々の惨めな生活や古臭い制度や政府の腐敗とアメリカ従属を暴いてカサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞した、その本で、家族の顔ではけっしてなかった。
炎の幕に弾かれ、敵機は遠ざかった。
ラサロは優しく抱き起こしてくれた。そして、ハンカチで衣服の埃を払ってくれた。ついさっきまでわたしが想像していたことを彼は思いもしなかっただろう。わたしはそれを話した。彼は笑った。
「あんな爆弾が落ちてきても、このシェルターならへっちゃらさ」
叫びが聞こえる。そのたびに、みんなは警戒を強めた。また、エンジンの轟音がロケット弾のように大きな音を立てて通り過ぎていく。隣に負傷した戦闘員がいた。シャツの左肩あたりに黒くべっとり染みが広がっている。なのに、彼は手でそれを隠そうとする。負傷兵として後方に戻されたくないのだろう。
夜が明けた。慎ましい風貌の男が、わたしを探しているのか、歩いてくる。中肉中背の黄色い顔、灰色の髪に粗末な帽子を被っている。握手に差し出したその手は視線と同じに冷たかった。
昨日の朝、八時頃だったらしい。彼の妻と長女が、ほかの負傷した子どもたちを連れて避難場所を探しに行った。ところが、カレトンカーブに着いたところで敵機の機銃掃射を受けた。白い布切れを振っていたというのに。娘たちは助かったが、妻はやられた。彼が見つけて抱き起すと、彼女は長女にいったらしい。
「泣くんじゃない。民兵隊から離れちゃだめよ、これはわたしたちの戦いなんだから」
ひとまず、彼は妻を砂の中に埋め、戦闘が終わるのを待った……。
彼は、侵略者が置いていった歴史の証言として、彼女を世界に示したいらしい。わたしは黙ったまま、彼のあとを追った。彼はそこを見定めると、静かに砂を掘りはじめた。そして、粗末な棺にやさしく納めた。
遠くで砲弾が炸裂する音がした。