御霊がえり
明くる日暮れだった。送り火の終わった舟山に、何やら、ちら、ちら、動くものがある。暮れも五時を過ぎたというのにまだ陽も高く、どれーっ、と時間も澱んだ山肌には、護摩木が飛び火したのだろう、火床の周りの土も黒く爛れたように生焼けのまま、焦げ臭い草熱に山風も息苦しそうだった。
人影は五つばかり、真ん中の、帆柱の腹のあたりの二つはズボン姿だったが、ゆるい仕草が女のようで腰をくの字に並んでいた。
「さっぱりどすな」
「ほんまなあ」
途中、登り口あたりで拾ったか、杖半分ほどの木切れを手に足元を漁っている。
「むかしは、ぎょうさん残ってましたがなあ」
目を凝らすように、さらに腰を屈めると、すぐに声を弾ませた。
「ほれ、おました、おました!」
左手の、人差し指と親指で、宝石でも見つけたかのように大事そうに摘み上げた。
なんでもない。小指大の護摩木の燃え滓だった。
「これで、また一年、達者に暮らせますわ」
やれやれとばかり、腰を伸ばすと両手を後ろに肩を広げ、乾いた声で、けら、けら、笑った。
護摩木の消炭は、といっても古い話だが、細かく砕いて病封じに呑んだらしかった。あるいは一、二片を和紙にくるんで玄関の軒先に吊るした。そんなけしきも西陣あたりにはまだ残っていて、二人もそうしている。ほかでもない、魔除けだった。
それがここしばらく、手に入れるのが難しくなっていた。この街もオリンピックのあと、急に観光化が進んで、送り火にも、大阪や神戸はもちろん、遠く東京や横浜あたりからも人が押しかけ、観光ガイドにでも載っているのだろう、明けると朝も早くから消炭とりに山に入り、なかにはそれを商売にする者もいて漁り散らしてしまうのだった。
だから午後も日暮れには、禿鷹が飛び去ったあとのようにきれいさっぱり灰だけになる。おまけにここしばらくは、護摩木の呼び火に灯油を使うから燃え方も激しく、消炭も残りにくくなっていた。
「やっぱり、粉に挽いて、いただきますんか」
一人がいったのに、もう一人が大きく首を振った。
「いいえーな、むかしは、そないして呑んどりましたけど、今時、そんな」
「そうどっしゃろなあ。うちの母親も熊胆みたいに湯に溶いていただいとりましたけど、いまの若い人は、癌になるたらいうて……」
「ほんま、ほんま、うちも、嫁が鼻で笑うんですわ」
「やっぱりなあ……」
「体じゅうのいらんもんを、きれえさっぱり流してくれるう、いうて。理に適うてる気がしますがなあ、若い者には通じまへん。まあ、日本人は、お祓いやお浄めやいうて、なんでも流すんが好きで、それも困りもんどすけどな」
掛け合いをたのしむように、帆柱の頭をめざして一つ二つと火床を辿っていくのだが、それにしても傾斜がきつそうで、しばらく行くと根を上げた。
「ああしんど」
「ほんま、鼻の穴が十ほど欲しおすな」
そうして上に辿り着くと、帆先の一際大きな火床の石囲いに二人、並んで腰を下ろした。
「きれいどすなあ」
目を細めて気持ちよさそうだった。足元は一面、鼠色に甍の海。その終ての碧く霞む東山に大の字がうっすら浮かぶ。
舟は東向き、大は西向き、ともに心持ち身を捻り、互いに睨み合うのか微笑み合うのか、送り火は五つあっても、向かい合うのは二つだけ。
「ほんまや、大文字さんも、じいっとこっち見てはるわ」
にっこりいって、穏やかだった。
と、一人がいった。
「あれ、お月さんどっしゃろ?」
右手の茜雲から斜陽が射して、音羽山の肩先から醍醐山が赤ら顔を覗かせる。
「えっ、どこ、どこ?」
「ほれ、あすこ」
醍醐山の頭の上だった。
「お日さんと、こないに近いこともあるんどすな」
いわれて、目を凝らしてみればようやくわかる。傾きかけた陽のすぐ脇に、柳葉のように細くかすれた月が一足後れに並んでいた。
「新月どすな」
額に軽く手をかざした。
「月は東に日は西に、いっつも反対側にあるもんやと思てましたけど、こないに肩寄せてはることもありますんやなあ」
「ほんま、なんや知らん、えらい仲もよさそうで……」
いって、二人、ふふっと、手を口に、見合うふうにした。
それにこたえるのか、芒の叢も、さわさわ、そよぐ。
「みーんな、帰らはりましたなあ」
「そうどすな」
盂蘭盆の御霊送りをいっていた。
そして、なにか一つ、肩の荷が降りたようでもあった。
「今年は、母親の弔上げどしたんや。早ように逝きましたさかいな」
「そうどすか、もう五十年なあ。長おしたやろ。毎年、毎年、あんた、えらいわ」
「そんなことおへん。いうてるこっちも、そろそろですしな、これでお終いどすわ」
「ご苦労はんどした。仏さんも、長いこと供養してもろて、これからはよう見守ってくらはりますやろ」
「そうやと、よろしがなあ……」
人は死ぬと五十年を供養の区切りとした。弔上げといって、死者への執着をきれいさっぱり振り棄てる節目で、荒魂も、怨みつらみにさよならして、晴れてその家の祖霊、護神となって昇華する、そんな仏教摂理をいっているのだった。
二人はそろって丸い腰を上げた。そして杣道を、今度は下ると、舟の帆沿いに艫に出た。西の空には、変わらぬ間合いで月が夕陽を追いかける。
「そないいうたら、昨夜、大宮のほうで若い子が轢かれたらしいな」
九十九折りに下り切ったあたりだった。
「嫁の実家が、ほれ、大燈寺はんの根際ですやろ、送り火も、左の方がええいうて、いまだに船岡山に行きますねん、孫連れてな。それで出会したらしいですわ」
「へえー」
相方は目を丸くした。
「えっらい事故で、乗ってた自転車も、ぐしゃぐしゃになって、あんた、顔まで、潰れてたらしいて」
「うわっー、そら、また、気の毒に……」
と顔をしかめた。
「けど、なんちゅうか、間が悪おすな」
「なんでやの?」
「なんでっ、て、あんた。盆に死んだら、新盆は先送りで、冥途は遠おすやろ」
「やっぱり、そういうもんやろか」
「そうどっしゃ。盆が来んと、仏さんにはなれしまへんが」
「そないいうたら、そうどすわな。けど、そしたら……、そしたらでっせ、その死なはった子の魂いうんか、そういうもんはどないなりますねん」
それには相方も苦しそうで、
「さあーっ」
と首を捻るだけだった。それが頼りないのだろう。
「さあー、て、あんた」
すると、相方も苛ついたようで、
「まあ、ようわかりまへんけど、仏さんにもなれんと、どこぞ、そのへんをうろついてんのとちがいますやろか」
「そんな、気色の悪い」
「あら、そんなことおへんえ、魂や何やいうても、悪いもんばっかりやのうて、なかには、うつくしいもんもおすやろ」
「というと?」
「幽霊や化けもんみたいに気持ち悪いもんやのうて、ふつうの格好しててもよろしやないの」
「えっ、そんな。うちらと同じように?」
「それは知りまへんけど、そないなこともあってよろしやないの。そうですやん、わたしらみたいな齢やったら、そら、もうどないなってもよろしで。けど、まだ子どもどっしゃ、そんなあっけのう死んで終もて、どない諦めつけますねん」
「そら、まあ、理屈どすけどなあ」
「そうでっしゃ、好きな娘の一人や二人もおったやろし、したいことも、まだまだ仰山あったやろに」
「けど、未練があるからいうて、みんながみんな、そういうことになってしもたら話がややこしなりまへんか」
「そら、まあ、そういうことになるかも知れまへん。けど、長うて一年やおへんか、好きなようにさせたりはったらどないどす?」
「どないどす、て、あんた、わたしにいわれても」
「そういうもんどっしゃ。なんや知らん、ほっこりもするし」
「せやろかなあ……、死んだ人間が生きたままの格好でそこらにいたら、やっぱし、けったいな気いがしますけどなあ」
と割り切れないのを、
「それも、よろしやおへんか」
と悪戯っぽい目で笑うのだった。
春
山猿の授業だった。
こん、こん、こんっ……。昼下がりの微睡に、机を叩く音がした。けれど、もう一つ、頭はもやーっとしている。嫌いな数学で、いつもと同じぼんやり具合だったが、その日はさらにぼんやりと、もうどうにでもなれー、とばかり、それが嵩じて、不思議に心地よかった。
はっきりいって、その街に、ぼくは一人だった。別段、性格が暗いわけでもなかったし、無口なわけでもなかった。ただ、人と話すのがちょっと苦手だっただけ。だからたいして友だちもないまま、教室も、ぼくらの学校は自由席だったから、好きな席が自分で選べる。だから、ぼくは、窓際の半ばあたりを定席にしていた。前でもなければ後ろでもない、教壇から少しの死角になりそうな気がしたからだが、窓辺にしたのは、気分だけでも温かくなれると思ったからで、その日も、窓の外、ポプラの枝に手が届きそうで、やわらか若葉の木洩れ陽が、机の上に、ちら、ちら、躍った……。
気がついて頭を上げると、涎玉が教科書の上に表面張力ぎりぎりに、ぷる、ぷる、震えて、そばに紙切れが丸まって転がっていた。
──日曜日、空いてる?
そっと広げて皺を伸ばすとそうあって、横目に隣の机を覗くと、四角に畳んだ水色のハンカチを囲いに、ノートの隅に何やら書いた。
──行く? 愛宕山
眠気がいっぺんに吹っ飛んだ。ほかでもない、あこがれのあつ子ちゃんだった。
それを山猿が逃さない。
「はい、そこのお二人さん」
教壇から、口元のほうれい線をさらに深めて、にんやり笑った。
「あとは、休み時間におねがいしまーす」
山猿の授業はおもしろい、と人気があった。けれどぼくにはただの苦行。この街にはめずらしい東京の人で、といっても、どこだったか、山奥の禅寺の生まれらしく、昼休みには職員室を抜け出すと、近くの大燈寺の禅道場に参禅したり、かと思ったら境内作務に竹箒を担いで走ったり、いわゆる、変わった人だった。
「さあ、こっち、こっち、わたしの顔をよーく見てくださーい」
最初の授業だった。猫背に文楽人形のように首を突き出し、剽軽顔に教室を見回した。
「なにか、ピンときませんか?」
もちろん、ぼくらは一つにうなずいて、渾名が決まった。山猿だ。それが、顔に似合わず言葉の方は、癖の強いこの街には似合わない、生徒のぼくらにもきれいな東京言葉を使っていた。
「幾何なんて、なーんにも難しいことはないですからね」
大きな木の三角定規で、肩を、とん、とん、叩きながら、石垣の蛍のように、奥の方でちらちら光る豆粒眼で戯けてみせる。
「こんなもの、考えるからいけないんです。ただ、こう、ぼやーっと見てれば、ほら、なんとなく、わかった気分になってくるでしょ」
気休めなのか適当なのか他人事にいったが、そのように、ぼやーっと眺めていつもぼくは眠りに落ちた。そんな山猿にも一つだけ職人技があって、黒板の真ん中にぽんっと一つ、チョークを立てると、蛙が水を掻くように足腰のバネを使って、ひゅーうっと器用に円を描いた。コンパスを使ったと見まがうばかり、それはきれいな円だった。
「いいですねえ、円というのは。どこから見ても角がない。人間もこうでなくっちゃねえ。どこか禅に通じるところがありますよ」
わけのわからないことを、教壇を右に左に行ったり来たり、黒板を眺めてはにこにこ顔でいうのだった。それをぼくらは、あんぐり眼で頬杖ついて眺めていた。
そして日曜日……。
明け方の一降りのせいか、春にはめずらしい、雲一つない真っ青な空だった。下宿を電車通りに走って出ると、石畳の、一段高くなった市電のホームに、あつ子ちゃんはぽつんといた。
「おはよう!」
声をかけると振り向いた。黄色のTシャツに肩掛けの黒いナップザックが似合ってる。
「近くなの?」
「うん、そこを入ったちょっと先」
出て来たばかりの路地をぼくは指さした。
「この辺、下宿がいっぱいなんだ」
向かいの赤煉瓦の学生会館を、あつ子ちゃんは見上げていった。少し下手の私立大学がキャンパスの拡張で新しく建てたばかりの六階ビルで、低棟の町家の並びににょっきりと電車の架線を見下ろして自慢気だった。
「箕山っていったよね、バスで帰るの?」
ぼくは、軽くうなずいた。
電車もあった。けれどバスが好きだった。下宿近くの停留所を乗ると、やがて街を抜けて御室の先を北に入る。舗装のなったばかりの高尾街道で、清滝川に沿ってさらに走る。行っても行っても山の上にまた山が頭を見せる峠道、その終ての箕山はさらに谷奥で、一山越えればもう若狭だった。その分水嶺から手指を広げたように、いくつも尾根が流れ落ちる谷合にへばりつくように茅葺き屋根が、ぽつり、ぽつり、と離れてあった。杉や檜の屋敷森を背に猫の額ほどの棚田を二、三枚、前に抱えているのはどれも同じで、そんなけしきの村々をくねくねと蛇行のたびに右に左に尻目にして由良川は下るのだが、やがて大橋を深くくぐった先で流れを緩めて広がった。その流れ沿いには若狭に抜ける街道が昔通りに走っていて、これも茅葺き屋根の雑貨屋や八百屋が四、五軒、棟を並べている、その中程だった。村にたった一軒、乾物屋と薪炭屋も兼ねた酒屋で、醤油や酢、味醂のほかにジュースやラムネの類も置いていた。
「むかしはな、茶屋をやっとった」
母はいったが、もちろんぼくは知らない。そんな名残か、燗壜売りといって、酒を一合二合と量り売りするほかに、だだっ広い凸凹土間に荒削りの飯台を置いて、これは周りの壁棚に硝子瓶に入れて並べてあったが、ほぐし鯣や炒り豆を肴に居酒もやっていたから、日暮れには仕事帰りの一杯に立ち寄る男が四、五人いて、なかには晩飯時になってもぐだぐだと管を巻いて呑んだくれる親爺もいた。それを追い払うのがぼくの役目だった。
「おっちゃん、もうお仕舞いやで」
とこ、とこ、走ると爪先立って、ようやく額が届くばかりの飯台に両手をかける。すると不思議なことに、大人の母だと突っかかり、かえって火に油を注ぐことになるのが、ぼくにはすんなりと、大虎男も牙をおさめて猫になった。
「わかった、わかった、ぼん、わかったでえー」
何がわかったのか、だらだらいうと、
「ほな、つけといて」
と、ふら、ふら、千鳥足で表に出た。
五つのときに父はいなかった。若い頃からの結核病みで、それがどういうわけか、村の神社の奉納相撲には大関を張っていて、とは母がいうだけで、記憶の底をどんなに掻き回しても一つの欠片も浮かんでこない。小柄な男で、五尺足らずの母ともほとんど横並びにいたらしい。
「こないに大きゅうなっとったいうんに、憶えとらんのか」
呆れ顔に、前掛けの腰のあたりにやった手は籾殻のようにかさかさで、甲は灼けて染みだらけだった。そうして女手一つ、少しの田畑と店を切り盛りしてぼくと兄を育てている。兄は八つ年上、だからぼくにはほとんど父親代わりで、高校にも行かず母を助けていた。
村には小学校はあった。けれど、中学校は川下に十キロも離れた隣町に出るしかなくて、兄は自転車で通っていた。雪の冬は学校近くの寺の離れを借りての一人暮らし。さらに高校ときたらその先を鉄道駅に出てディーゼルで走る。それならいっそもっと大きな町に出ようと端からぼくは決めていた。
その下宿さがしに母は難儀した。学校は決まったものの寄辺がない。村中、伝手をさがして回ったが見つからず、思いあぐねた神頼みで神社に駆け込んだら、神主の従妹にあたる人が西陣に嫁いでいるのがわかった。事情を話すと一つ返事で下宿さがしを引き受けてくれた。奉納相撲の父をよく知る神主で、妙なところで縁になっている。
そして、春先だった。
「ほれ、あそこに見えるやろ」
バスは酔うからと電車にしたのを亀岡に入る手前だった。並んで座る窓の外を指さした。
「愛宕山や」
もうたっぷり二時間は揺られていた。トンネルの出たり入ったりを繰り返した列車の窓に、いきなり春の田圃が広がった。その霞んだ終てに碧く屏風のように峰が連なる。といっても、どれがどれを差し置いて抜け出ようとするわけでもない、合わせて五つばかり、互いに遠慮がちに肩を寄せ合い、すっくとしていた。
「あっちから二つ目」
いわれてようやくわかるほど、周りを気遣いながらわずかに頭をもたげている。
「あの人もな、なんべんもお詣りしたいうてた」
「お父が?」
「そうや、知らんかったか」
はじめて聞いた。
「おまえのお父は、尋常上がりで伏見の蔵元に奉公に出て、その縁で店をはじめたんやないか」
母はむかしを話さない人だった。口数が少なかったわけではない。女手一つの毎日に、むかしを振り返る余裕もなかっただけのこと。それが、その日はちがっていた。
「連れてきてくれてな」
「お母を?」
「うん」
子どものようにうなずいた。
「新婚旅行いうような、そんなもんとちごうたけど」
うつむくと、両手を膝の上にもじもじした。
「三晩泊まりでな」
そんな話もはじめてだった。
「お稲荷さんにもお詣りしたし、天神さんにも行ったわな。ほかにいうても、戦争中やったし、それでのうても、いまとちごうて観るとこなんかどっこもあれへんが。宿屋も物資がのうて、お米担げて行ったんやから。けど、いっしょに歩いたんは、あれっきりやったな」
村では年配者まで兵隊にとられ、みんな帰らず村の外れの忠霊塔に眠っていた。父がとられなかったのは結核病みだったからだが、助かった命もそんなに長くはなかった。
「山にも、裏と表があるんを知っとるか」
いつもの母に戻っていた。
「お稲荷さんの山から見える愛宕はうつくしいてな。けど、ぷいっとてっぺんを尖らして、なんや、えらそうにしてたわ」
さっきまで前から迫っていた愛宕山が母の鼻先を走っている。
「けど、見てみい、こっちから見るんは、周りとも仲良う並んで、てっぺんも丸うて、のっそりしてる。裏愛宕いうんやろかね、わしら丹波者にはぴったりやわ」
そんな母の小さな背中を追って二条駅を降りたのだった。
見つかったのは西之町の織屋筋、電車通りを二つばかり入った百々町通りの町家だった。町家といっても蘆山筋あたりの長屋でなくて、二階建ての大きな一軒家。大正のはじめからの織元で、亭主が死んで廃業したのを子どものいない小母さんが広い町家を間貸しして学生下宿をやっていた。賄い付きでおまけに洗濯までやってくれ、全部で十二人のなかに高校生はぼくだけだった。
すぐ北が法華寺の建ち並ぶ寺町筋で、これはいつも門を固く閉ざしていたが有名な門跡も甍を連ねて、同じ西之町でもあたりは織元が多かったから、昼間は荷運びの車が出入りしても、夜はぴたりと人も絶え、沼底のようにしんとした。
ぼくの部屋は表を入った見世庭の真上にあたる細長い四畳間で、おかしな間取りだと思ったら、糸置きの納戸を改装したと教えてくれた。おまけに下の天井板がそのまま部屋の床板だから下を行き来する足音までそっくり聞こえる。窓の一つは通り庭の内玄関の吹き抜けに腰窓があって、下の台所の仕度の音が賑やかだったが、もう一つ反対側に、表の路地に面して開いた虫籠窓は寂しいかぎり。夜には人影もなく、向かいの屋根に出る月も漆喰格子にスライスされて、知りもしない獄窓を思ってみたりした。
大学生のなかに一人だからか、小母さんはよくしてくれた。休みの日には電車道を下った三条商店街や、ちょっと遠出して東の出町や寺町に買い物に連れて行ってくれ、夜には「連ドラ、はじまるえー」とほかのみんなに禁断の、カラーテレビのある奥座敷にも呼んでくれた。
下宿代は、毎月、欠かさず母が送ってくれて、「郵便、届いてるえ」と手渡しの書留の封を切ると、これはお札の見本かと見紛うばかり、どれもよれよれの五千円札や千円札や五百円札といっしょに赤い百円札も混ざって、ぷーんっと鉄錆びくさい臭いがした。もちろん走り書き一つ入っていない。時間がないのはわかっていたが、やっぱり寂しかった。といって、それだけでは学用品や学校の弁当代にも足りないから、小母さんがさがしてくれたアルバイトに通っていた。
「舟岡書房に行ってるんだって?」
事も無げにあつ子ちゃんはいったが、学校では秘密にしていた。校則で、長期休暇以外のアルバイトは禁止されていたからだが、それに気づいたか、あとを濁した。
「だって、みんな知ってるよ」
そのように舟岡書房は学校のすぐ近く、校区内の電車通りに面してあって、近くにはクラスの西陣仲間もいっぱいいた。
小母さんは、毎日、朝の支度に五時起きで、トイレに立ったその足で、とん、とん、と階段をやって来ると襖の前で小さく呼んだ。
「時間え」
それに跳ね起きて、顔も洗わず自転車で走る。
舟岡書房は会社というにはお粗末過ぎた。社長夫婦ともう一人、他社の書店回りも掛け持ちの中年の営業契約社員がいただけ。正真正銘の零細出版で、看板だけは通りの電信柱に高く掲げていたが、社屋もなにも自宅の並びに倉庫を兼ねた作業場があったきり、そこが社長とぼくの仕事場だった。
朝の通りは人はもちろん車も疎ら。交差点も、気にはなったがそのままぶっとばす。と、いくらもかからない。着くと奥さんが台所に起きていて、勝手口の戸を叩くと作業場に回って鍵を開けてくれた。
「おはよう、毎日、ごくろうさんやね」
出版といっても硬派の歴史本ばかり。それも大学教授の論文の逸れ物で、流通にかけてもそっくりそのまま山のように返ってきた。ぴー、ぴー、ぴーっ、と二トン車がバックで入って包みを投げる。取次の荷造りが甘いのか、途中、どこかで野晒しにでもされたのか、開くと無惨にカバーも千切れて小口まで埃まみれ。それに紙鑢をかけ、硫酸紙を新しく取り替えるのがぼくの役目だった。
作業は二時間足らず。終わると下宿に戻って小母さんがつくってくれた御飯をかき込んで学校に走る。といっても自転車は使わない。時間はかかっても学校は歩いて通う、それがぼくのポリシーだった。歩きながらいろいろあれこれ考え事ができるからで、だから夕方も同じ。下宿に戻るとすぐに自転車で舟岡書房に走った。そして七時近くまで鑢がけして下宿に帰る。ぼくの日課だった。
「それで、今朝もバイトだったの?」
大きく一つうなずいて、やって来た緑とオレンジのツートン電車に飛び乗った。あとは二度乗り換え、郊外線の終点駅から、禅寺の門前通りを野道に逸れ、三つ並んだ山裾をそっくり巻いて抜けると大鳥居が見えた。それをくぐった先だった。急坂のかかりにあつ子ちゃんは、小さな山門を見つけている。
「こんなところに、お寺があったんだ」
愛宕への峠越えの長い坂道の中途だった。
「知らなかったなあ、何度も通ってるのに……」
とあつ子ちゃんは悔しがった。なんでも、この街の人は小さいときから愛宕へは家族連れで何度もお参りするらしい。それが、だれもが尻目にしてしまう。そのように脇の細い流れの向こうにちょっと外れ、深い山懐に隠れるようにひっそりあった。
「あれ、何かな?」
いうなり、走っていった。山門の四脚の柱の一つに、白いものが見える。何にでもすぐに興味を示すのがあつ子ちゃんで、ぼくは怠けてそのまま見送った。目を凝らすと、白いのは貼り紙のようで、雨避けにビニールでもかかっているのか、てかてか光っている。それをあつ子ちゃんは尖った顎をしゃくり上げ、爪先立って見上げていたが、やがて納得したか、小走りに戻ってきた。
「羅漢づくりを募集してるんだって」
「らかん?」
「そう、羅漢様よ、石で彫るんだって」
「なんで?」
「知らないわよ、そんなこと。羅漢だから、なんか、供養のためじゃないの」
とふくれたが、
「けど、おもしろいじゃない。どう? みんなでやってみよか」
とすぐにいつもの笑顔に戻った。道具も貸してくれるそうだし、彫り方も教えてくれて、できあがった羅漢は境内に一つ一つきちんと並べて安置する……、貼り紙にはそんなふうに書いていたらしかった。
約束
「送り火も、むかしは、いろいろあったらしいな」
並んで寝そべる三角土堤に、さとし君だった。賀茂川の出町橋を渡った下手、高野川との出合いはのびやかに開けて、緑の芝生が白い開襟シャツの背中に心地よかった。広げた足の爪先に大文字山がちょこんと座る。周りを三角に刈り込んだ碧い山肌に、少し緑を浅くして、右下がりに大の字がくっきり浮かぶ。火床の支度だろう、白い人影が顕微鏡の水蚤のように右に左にちょこまか動くのが手に取るようで、腕を枕に見上げる空は真っ青だった。
「市原には、いいうんもあったって、祖母さんがいうとった」
さとし君はいつも話題がいっぱい。送り火といえば東山の大文字に、松ケ崎の妙法、そして西賀茂の舟に、衣笠の大と嵯峨野の鳥居の五つだが、むかしはほかにいくつも、盆底の街を囲むようにぐるりとあったらしかった。
そんな祖母さんと、さとし君は二人暮らし。明治生まれの祖母さんは、さすがに足腰に齢は来ていたが、八十も近いというのに変わらず元気でいた。もちろん両親もいた。けれどどういうわけか、さとし君とは離れていて、一度、連れられて行ったが、神戸の山手の仁川といったか、駅前から少し歩いた小高い丘の、見た目にもバタ臭いポプラ並木の住宅街に、五つ上の兄さんと一つちがいの姉さんの四人暮らしで別にいた。
祖母さんは賀茂生まれの賀茂育ち。長く続いた百姓家の後取り娘で、下の学校を上がるとそのまま下京の帯屋筋の大店に奉公に入った。そして同じように若狭から来ていた男衆と結ばれ婿にとっている。明治も終わりの話だった。そうして一還り、途中早くに夫を冥途に送ったり、けっこう忙しかったが変わらず百姓を続けていた。働き者で、根っからの性分といえばそれまでで、一日も終わってみれば家にいるより野良にいる方が長かった。だから畑はいつも緑でいっぱい。かといって下の町家筋に牽き売りに出るわけでもなく、自家用を別にすれば、あとはみんな隣近所に分けて回ってすませていた。
──姐さん、いっつもおおきに助かるわ。けど、ほんま、よう気張らはるなあ。
門口をどこに立っても同じに、にっこり世辞が返ってきたが、祖母さんにはそんなつもりは更々なくて、畑に出るのも三度の飯のようになっていただけ。だから、夏の盛りを別にすれば、畑を家のように暮らす毎日だった。もちろん、昼時には戻ったが、それも面倒なときさえあって、前の晩の残り飯を握って出ると、畑の畦ですますことも度々だった。
──あら、お昼どすか? よろしおすなあ。
何がよろしいのか、この街の言葉はさらりと吐いてそれでお終い。そんな通りすがりの声はあっても、ほかに車の影もなく、あたりはどこも長閑なかぎり。神社前の勧進橋からそのまま西に伸びるバス通りもあるにはあったが、これも新しくなったばかりで、ついこの前までは畦道に毛の生えたような、荷車もまともに通れない土埃の野道だった。その新道に沿って何枚か、祖母さんの畑はあった。もちろん田圃もあったがそれはみんな人任せに、ずっと外れの、尺八池といったが谷合の細長い溜池のかかりに、合わせて一反そこそこの棚田があって、一人、百姓をやっていた。
「鳴滝には、一いうんもあったらしいよ」
しゅんいち君も物識りだった。ひょろっと高い痩せ形で、どんなに暑くても長袖シャツに胸のボタンを頸元までしっくりかけて、いつも薄い笑顔で言葉少なに端っこにいる。細面に切れ長目の、学校でもだれもが認める読書家で、もちろんぼくらのなかでは一番の知識人だった。
実家はいわゆる機屋。西陣の蘆山地区といったが、狭い路地の低棟に、六軒、八軒、と長屋が軒を並べる、そんな一つに父母妹の四人暮らしだった。
玄関を入ると薄暗い通り庭のまっすぐ奥、四角な土間に親父さんが、一人、木機に向かっていた。だから学校帰りに遊びに寄っても、いつも遠くに背中が見えるだけ。偏屈親父を思っていたが、振り向くと、にっこり、笑顔の人だった。
比べて、小母さんは見るからに華奢な形の、たしか室町筋の商家の生まれと聞いたが、瓜実顔にゆったり仕草の、まちがいなくうつくしい人だった。けれどいつも居間の隅、布団の上の人だった。どんな理由があるのか、しゅんいち君はいわなかった。だから、みんなも訊いていない。両の手足の関節が、鞠のように大きく膨らんで、凛とした顔立ちとは不釣り合いに哀しく見えた。母親似のしゅんいち君は、そんなDNAをもらったのかも知れない、腎臓が悪くて体育の時間はいつも独りぼっちにいた。運動場を見下ろす芝生土堤の、桜の木の下で、遠くにはしゃぎ回るぼくらの狂騒を静かに見ていた。といって退屈していたわけでもなく、三角座りの痩せ膝に、白く尖った顎を乗せ、花吹雪の日も、緑いっぱいの葉桜の日も、そして赤く燃える錦の日も、しゅんいち君はいつも桜の木といっしょだった。
そして、
「そうだっ! みんなで走ってみよか」
いつも突飛にいうのがあつ子ちゃんだった。ぼくら五人組のなかに紅一点。といっても、同じように腕を枕に膝立て姿で寝っ転がる。定番のジーンズに、その日は明るい芥子色のTシャツで、胸の微かな膨らみがなければそれとはわからなかっただろう。
そんなあつ子ちゃんは、大燈寺とは目と鼻の先、むかし、牛若丸が産湯を使ったとか、古い謂われの井戸のあるすぐ裏手、この街を南北に長く走る商店街の魚屋の二人姉妹の姉娘で、まちがっても美人とはいえなかったが、くりくり眼ときりっと通った鼻筋に、つんととんがった頤が、性格もそのままにいつもみんなを差配していた。ただ、なさけなそうに垂れる八の字眉毛と、どんなに飛び跳ねてもみんなの肩にも届かないちび加減が、逆に救いとなって可愛く見えるのが不思議だった。
小母さんはいつも笑顔の、見るからに気さくな人で、みんなにも自分の息子のように世話を焼いたが、あつ子ちゃんと同じに、背丈を訊くのも気の毒なくらい、おまけにちょこまかと敏捷かったから店先でも鞠が飛び跳ねるように動き回る。それに隠れて親父さんは、どこか冴えない物静かさでみんなの目に映っていた。
「走るって、マラソンかいな?」
たかし君が跳ね起きた。ちょっとのことでもすぐに律儀に反応する。
「このくそ暑いのに、自転車に決まってるでしょ」
いつも、ぴしゃりと、あつ子ちゃんは手厳しい。
「そらそやな、この暑さやもんな。けど、どこを走るんや?」
「大文字よ、大、文、字。五つを端から走るんよ」
「なんや知らん、回峰行みたいやな」
そんなたかし君は、びっくり眼に、鼻の頭が滑り台のように反り返っているのが愛嬌で、裏表のない性格がなによりだった。
「ちがうわよ。何ていうかな、火が点るのを、ぐるっと、自転車で見て回るだけよ」
いいながら空に向かって大きな輪を描いた。たぶんいつもの思いつきだろう、言葉に勢いがなくなったのをさとし君が突っ込んだ。
「見て回るって、五つ、全部かいな」
そして畳みかけるように吐き捨てた。
「そら無理やろ」
「どうして?」
「よう考えてみいな。大から妙法までやったら、まだなんとかなるで。それから上賀茂橋あたりまで走ったら舟も見えるやろう」
「たしかに」
たかし君がうなずいた。
「けど、問題はその先や。左に火が点くんは舟といっしょやで。上賀茂橋からは影も形も見えへんがな」
だからそれでお終いというのだった。たしかに送り火は夜の八時に東山の右大文字にはじまると、あとは西回りに、妙、法、舟形、左大文字、鳥居形と、五分から十分間隔で火が点る。ところが舟と左大文字は同時なうえ、舟に比べて左大文字はかなり下手にあって、おまけにほとんど真南を向いている。まともに見るには、舟のあとはかなり南に下がらないといけなかった。
「せやから、無理」
言葉短に突っぱねた。それで臍を曲げたか、あつ子ちゃんは黙り込み、話は萎んでしまった。
と思ったら、しゅんいち君だった。
「そんなもん、わざわざ走らんでも、荒神口のビルの屋上にでも立っとったら、全部見えるがな」
醒めた台詞を吐いて、大儀そうに起き上がった。荒神口といったのは一つ下手に見える橋のことだが、そこのビルといったらだれでもわかる、橋を東に渡った先の大学病院のことだった。そこにしゅんいち君は入院して、半年、小学校を後らせていた。
「ほんまかいな?」
たかし君はしゅんいち君とは家も近く、保育園からずっといっしょの竹馬の友というやつだった。しゅんいち君は、ああ、とうなずいて、口元を斜めに、ニヒルにいった。
「鳥居だけは、ちょっと横っちょ向いてるけどな」
送り火でこの街の夏は峠を越える。盆の入りに向かえた精霊をまた彼岸に返す、往古からの御魂送りだったが、それに、それぞれの想いも重ねて送る、この街ならではの風物詩だった。といってもいろいろで、むかしながらの庭先からの送りもあれば、町家の物干しからのそれもあって、夕餉の仕舞事のその足で、ちょっと涼みにと物干しに出る。すると、東の空がほんのり灼けている。それが物干し大文字。裾の撥ねが隣家の屋根に欠けているのも風情があって、むかし、鴨川の河原に縁台を並べたのがいまは納涼床になっている。
「けどな、しゅんいち君、あつ子ちゃんのは、そういうんとはちょっとちがうんやないやろか」
どんなときにも気遣いを忘れないのがたかし君で、やんわりと精一杯に配慮した。
そんなたかし君は、船岡山の南裾、クラスでもめずらしいサラリーマン家庭で、テラス状に開けた住宅街の一画に、両親と三つちがいの弟との四人暮らしだった。小振りだったが、白い平屋は、周りとはちょっと異質にバタ臭く、瀟洒な邸に囲まれて遠慮がちに肩をすぼめていた。
親父さんは電話会社の係長、小母さんは知り合いの近くの喫茶店に手伝いに出ていたから、留守を狙って学校帰りのぼくらは毎日のように雪崩れ込んだ。それが、外見とは打って変わってなかに入ると、どこか山小屋を思わせる木造りで、ぷーんと杉の香りのする玄関からそのまま板間続きに広い居間が南に開け、先のベランダからは街の眺めが思いのままだった。だから、すぐ裏手の石段を船岡山に上れば、送り火も、さすがに鳥居は難しかったが、あとはすべて一望だった。
「そうよ」
途端にあつ子ちゃんも元気になった。
「毎日、蒸し蒸しと、うっとしいでしょ。だから、憂さ晴らしに走ってみたくなった、それだけよ」
そんなことはみんなもわかっている。走って何が見つかるわけでもない。さがしていたのは青い心の消化不良の吐きどころだった。
「ほんなら、走ってみるか」
さとし君は場の風を読むのにそつがない。
「けど、けっこう早いこと走らんと、鳥居は消えてしまいよるで」
いいながら端っこを窺うようにした。しゅんいち君の体を思ったからだが、送り火は東の大から二十分もすれば最後の鳥居に火が点り、あとは四、五十分で消えてしまう。ということは東山から西の嵯峨奥まで一時間そこそこで走らなければならない。それはしゅんいち君にはきつすぎた。
「ぼくならいいよ、たかし君が乗せてくれるから」
しゅんいち君が笑顔でいうと、あつ子ちゃんがさらりといった。
「そうよ、とにかく、ぐるっと回ればいいのよ。それじゃ、七時半、大燈寺の南門に集合。わかったわね」
いつもらしく話を締めて、ぼくらはさよならしたのだった。
光の矢
「あら、お帰り」
打ち水の通り庭の勝手口、長暖簾をくぐると小母さんが流しの前で振り向いた。
「ついさっき電話あったえ、舟岡書房はんから。なんや知らん、急に仕事が入ったいうて。早よ、電話してみよし」
前掛けの脇を手繰って手を拭きながら、走元を、から、ころ、と後ろの水屋に駆け寄ると小引き出しから紙切れを取り出した。新聞の折込の裏紙を四つ折りに、綴じてメモにしている。
「本宅やのうて事務所にちょうだいって。電話番号、訊いといたから」
上がり端の柱の掛け時計を見上げると四時を回っていた。ついさっき、みんなで送り火を見て回る約束をしてきたばかりだった。「なんでこんなときに」と歯痒く思ったが、「行くしかないか」と流しでコップに一杯、水をごくりとやるとそのまま走った。
「お盆ぐらい、休ませてくれたらええのにねえ。なんやったら、小母さん、代わりに断わってあげよか」
門口で気遣ってくれたのに首を振ると、
「気いつけて行くんよ」
背中に聞いたその声が、耳奥に、不思議に響いた。
下宿を西に、堀川を越えれば西陣も機屋町に入っていく。いつもなら機音に混ざって子どもの声もにぎやかな裏路地も、送り火の日暮れとあって、しんとして大宮の商店街も店はどこもシャッターが下りている。開いているのは風呂屋と角の交番くらいか、その交番も警邏に出ているのか、駐在の姿がなかった。
「やあ、すまんなあ」
事務所の硝子戸を入ると、奥の作業机の向こうから申し訳なさそうに、社長が愛想笑いでこたえた。
「知ってるやろ、鵜飼先生」
ときどきやって来る私立大学の教授だった。
「盆明けに公開講座で使うらしいてな、秘書が忘れとったらしい。二百部、明日の昼までに届けてほしいそうなんや」
鼻先に落ちた黒縁のロイド眼鏡の上に眉根を寄せたが、すぐに解いてにんまりした。
「ありがたい話やからな、盆やからいうて無下にできんやろ」
舟岡書房はそれなりに、街では名の知れた版元だった。けれど一般書だけでやっていけるわけもなく、社長の人脈、といってもむかしの学生仲間の伝手だが、あちこち、大学の教科書を請け負ってようやく喰いつないでいた。というより教科書だけでおとなしくしていれば、人件費もかからない家族経営だから十分やっていけたのを、歴史本やなんのと社長の趣味が道楽になって喰い潰していたのだった。だから、教授の無理にも四の五のいってられない。まして二百部だった。それだけで一月は優にやっていける。
もちろん、教授は大学の同窓だった。頭も薄くなった小男だったが、柔道でもやっていたか、怒り肩の厳つい体躯で、自宅が近くだったから学校帰りにときどき、ふいっと顔を見せ、小一時間、社長と話をしては千本の呑み屋に肩を並べて出かけていった。そんな仲だから、著作も、論文集を含めて数冊、舟岡書房で出していたが、一番の社長の自慢は『入会地論考』だった。なんでも東北の方の小繋といったか、地主と農民の紛擾に教授が学生を引き連れ農民支援と法廷弁護に奔走した、その記録で、社長がいうには近代農民史の金字塔ともいえるものらしかった。四百頁を超える布装幀の上製本に仕上げ、これは世に残る、というより、正直、いける、と思ったのだろう、ここは大一番と銀行から借りてまで五千部刷った。舟岡書房初の大作だった。それを教授の授業や講演用に二千部を取り置き、あとは流通にかけて勝負した。もちろん結果はさっぱりで、そっくりそのまま返品の山で返ってきた。舟岡書房の借金生活のはじまりだった。
ただ、『論考』はその筋では貴重な記録だったから、何年かはちょこちょこ捌けていた。しかし、やがてそれもぴたりと止まり、事務所の二階の一番奥に埃を被って眠っていた。その山の前にも歴史本の、これも返品ばかりが堆く積まれている。まず、それを手前に除けての作業だからたいへんだった。
「ほれ、その横の……、そう、そう、その山からやってくれるか」
社長の指図で、山積みの隙間に足場をつくって半身を挿し込む。
「足元に気いつけて、こっちにパスしてくれ」
いわれて片足で体を支え、包みの束を肩越しに渡していく。そうして二百部を取り出すだけでも半時近くかかっている。
暑かった。事務所といっても本来は倉庫だから、風が通るのは頭のずっと上に明かり採りに開いた高窓だけ。文字通り蒸し風呂状態でシャツはもちろん作業ズボンのなかまで滝のような汗だった。だから、体を入れた両脇の包装のハトロン紙も汗が滲んで擦り切れる。それにも後ろから社長のA型眼が光っていた。
「ちょっと、そこ、気いつけてくれよな」
そうして取り出したのを、包みを解いて作業台に積み上げる。と、向こうが見えなくなった。どれもこれも湿っぽくて黴臭い。それを一つ一つ、小口に紙鑢をかけるのだが、上製本だから並製のように工具は使えない。表紙を傷つけないよう手がけして、カバーの硫酸紙をかけ替えて函に戻す。二百部だから、見上げるだけで溜息が出た。
「とにかく、できるとこまでやってくれるか。わしもいっしょにやるんでな」
申し訳なさそうに背中を丸めて首を竦める。困ると見せるいつもの癖で、奥さんの前でもふつうになっている。憎めない人だった。
「ほんなら、はじめるか」
社長が函から取り出したのを、紙鑢で小口や天地の染みや汚れを落としていく。暑くて半袖シャツ一枚になってみたが、腕抜は外せない。汗が手首を伝って本を汚してしまうからだが、それにも見る見る汗が滲んできた。社長は隣の机で、硫酸紙の切り出しにかかった。ところが気短かだから、「ええいっ、くそ」の繰り返し。汗で汚さないよう手袋はしているが、額の汗が顎を伝って硫酸紙の上に、ぽとりと垂れる。その一滴だけで一枚丸々、ぱあになってしまうのだった。
そんなことをまた半時ばかり続けたか、「一服するか」と壁際の長椅子にぼくを誘った。
「あの日も、暑かったなあ……」
首の手拭いで額の汗を拭いた。
「やめとけいうのに、あいつ、行きよったんや」
「息子さん?」
知ってはいたが訊いてみた。
「ああ、前にもいうたかな」
もう三度目だった。
「今日日のようにプールもないし、無理もなかったんやが……」
小学生だったらしい。元気でいればもう大学を卒業している頃だろう、水の事故だった。舟岡書房を西に抜けると、それまでの路地の窮屈さが嘘のように急に開けて高みに出る。秀吉の御土居跡だが、それを下ると紙屋川だった。鷹峯の沢山を源に千束から鷹峯三山の裾を巻くようにして天神社の境内をかすめると、二条手前で西に身を振りながら、さらに南に流れて桂川に注いでいる。盆底のようなこの街を縦に貫く二大河川の片方で、東の鴨川が何度も改修を繰り返しているのに、こちらは遠く平安のむかしからほとんど川筋を変えていない。それだけに土堤道を歩いてもなんとなく往古のけしきが見えて、川上ではゆったりと地面近くを流れるのが、北大路の電車道をくぐると、鴨川を見慣れた目には想像もつかないくらい、深く谷を削って流れも速かった。
「いまは水も少のうなったが、むかしは大人でも足がつかんほどでな、水も冷とうて、あちこち、どろーっと渦を巻いとった。流れもきれいやったし、やっぱ、紙屋川いうだけはあったわな」
平安のむかしには川筋の北野あたりだったかに紙漉場があったらしく、紙屋川というのもそれによっている。江戸のはじめには、あの光悦も上流の千束に紙漉工房を開いていたらしい、そんな古い流れだった。
「暑かったから、行きよったんやなあ」
薄く頬を緩ませた。歯痒さを紛らせようとしたのだろう。立ち上がると作業台に戻った。
「昨日、法音寺に護摩木上げてきたんや」
硫酸紙に定規をあて、またカッターを走らせる。
「ほう、お、ん?」
「知らんかな、金閣寺の根際の? ここらは、送り火いうたら左なんや。わしんとこは法華やから檀家やないけど、船岡山からもよう見えるんでな」
そのようにすぐ脇の小路を東に入り北の階段を上がると船岡山で、左大文字はわずかに身を捩った格好になるが、目の前に大きく見えた。ちょうど金閣寺の北裏にあたる、饅頭のようにこんもり座った大北山の南斜面に、東の大とは反対に左の撥ねが長かった。嚆矢はそんなに古くもないらしい。守ってきたのが法音寺の浄土檀越だった。
「小っさいとき、よう、涼みに連れて行ったんで、なんとのう馴染みがあってな。送り火いうたら、やっぱり船岡山に足が向く」
しゅーっ、しゅーっ、
しゃり、しゃり、
「けど、嫁はんは行きよらん。新盆のときから、『送り火見たら、あの子が遠いとこ逝ってしまう』いうてから。いまだにそうや、気持ちだけでも手元に置いときたいんやろな」
しゅーっ、しゅーっ、
しゃり、しゃり、
カッターと紙鑢の協奏が続くだけ。やがて、
「ご苦労さんやな、七時回りましたえ。それくらいにしはったらどうどす」
奥さんが、夕餉の支度を終えたその足か、てかる額にへばりついた前髪を掻き上げながら心配顔に入って来た。
「えっ、もう、そないになるんか」
作業の方は鑢がけもほとんど終わり、あとは硫酸紙をかけて函に入れるだけになっている。二人でやれば三十分とかからない。ただ、硫酸紙は汗の指で触ると、点々とあとが縮んで全体がぶよぶよになる。それを嫌ったのだろう。
「これくらいにしとこか、残りは、あしたの朝でもやってしまうさかい」
足元には、包みも二つだけになっていた。
ぼくには、時間がなかった。
「おおきに、ご苦労さんやったな」
社長に送られ事務所を出ると、思いっきりペダルを踏んだ。一筋目の信号は無視して走った。そして次の小路を商店街に入ったところで、あれっと思った。いつもなら、あちこち店仕舞いはしていても、街灯は煌々とそのままだった。それがなかった。
から、ころ、から、ころ……、
暗がりを下駄の歯音も忙しそうに、手団扇の浴衣姿の列が続く。
「早よ、行かな、ええ場所とれへんがな」
すぐ先を左にとれば船岡山への石段だった。
──きょうは七時半回ったら、ネオンも何も消えてしまうえ。
小母さんがいっていたのを思い出した。といっても車まで閉め出してはいないらしく、この宵にどんな急き用なのか、軽トラが、明かりの消えた商店街をヘッドライトの光の帯を散らして、後ろを来ては脇を走り過ぎていく。
急がないと!
ぼくは焦った。思いっ切りペダルを踏んだ。そのときだった、目の前を黒い影が飛び出して、慌てて避けた。
「危ないやっちゃな!」
影は短く吐いて、脇の路地に泥棒猫のように走って消えた。街はどこも送り火に、我と日常を忘れていた。そのなかに、ぼくもいた。
待ってるやろな、
みんなの顔が順繰りに浮かんでは消えていく。だから、サドルに大きく腰を浮かせ、力いっぱいペダルを踏んだ。玉の汗が頬を伝って揉上から頸筋に走る。
次の辻でハンドルを左に切った。あとは、まっすぐ走れば大燈寺で、南門に出るはずだった。それを勢い余って曲がり切れず、通りの真ん中に飛び出してしまった。
……!
闇のなかを鋭い光が、矢のように背中に刺さった、気がした。
が、そこまでだった。
舟山
「一番、ええかあー」
人熱に噎せ返る漆黒の闇に木霊した。
明くる年の送り火だった。ぼくはあつ子ちゃんと、舟山の、見送る群れのなかにいた。と、それまでのざわめきも、しんとして、細く、長く、それでいてたしかな響きで返ってきた。
「よおーしー」
点火の合図だった。朧の闇の山肌に点々と、微かに白く人影が浮き沈みする。そんなやりとりが、二番、三番、と続いたか、やがて、頭の上をすり抜けるように、
かーん、かーん……、
渇いた鐘の声だった。
合わせて薄闇の山肌に三つ、三角に蛍火のように淡く火が点ったかと思うと、あっという間に膨らんで、するりと帆掛け舟に広がった。そこではじめて最初の火は舳と艫と帆柱の頭だったとわかる。ほかの火より一際大きく、炎の先が二つ三つに分かれて揺れている。
わあーっ、
黄色い声が上がった。ただ、それも一時のことで、ばち、ばち、と撥ねる火音だけが閑かに響き、それぞれの想いのなかに鎮んでいった。
「そういやあ、奥さん、何年になるかいね」
あつ子ちゃんの向こうだった。
「七年ですわ」
もう一人がこたえた。
「そないになりますか、早いもんですな」
すると、うなずく気配がして、
「昨日、西明寺はんに護摩木上げて来ましたんや」
嗄れ声だった。
護摩木といったが、死者の法名を墨で記し、籠めた精霊を冥途に送る、いわば経木のようなもので、西明寺ではむかしと変わらず松の割り木を粗削りのまま使っていた。手早くいえば送り火はそれを薪に焚いているのだった。
「あっちはどないやろ?」
今度は後ろからだった。
「ほんまや、早よ行かんと消えてしまうがな」
東山のことだろう、つられるように七、八人が辻向こうの畑の外れに走った。賀茂川土堤にまっすぐ下る坂道だった。
東山の大の字が、衿の白い町衆の送り火だとしたら、舟は賀茂の里の野良着のそれ。民家もすっかり建て込んで、さすがにむかしのようにはいかなくなったが、送り火は、団扇片手の浴衣姿で、出居の縁や庭先の縁台から……、というのが賀茂の流儀だった。
そんな二人の足元を風が走り抜ける。山が灼けるからだろう。はじまると、それまでの凪も打って変わって、ほんの心持ちだが賀茂川面から川風が上ってくる。蒸し風呂のような闇のなか、浴衣の裾をくすぐられるようで、極楽の余り風、極楽の余り風……、と年寄りたちは手を擦り合わせた、賀茂川の涼風だった。
「そろそろでんな」
「はあ、だいぶ小そなりました」
あんなに盛んだった舟の火も、やわらかな橙に色を落とし、数珠のようにつながっていた帆形もあちこち途切れて、護摩木の弾ける音も小さくなった。どこか幽霊船に見えなくもない。それもやがては消えて、みんな冥途に戻っていくことだろう。今年の御霊送りも無事に終わりそうだといっているのだった。
「あと、どのくらい?」
あつ子ちゃんだった。
「十五分くらいかな」
すると、小さくいった。
「あれが消えると、みんな行ってしまうんでしょ」
舟の帆先、一際激しかったそれもほかと変わらぬほどに緩やかに、白く煙が渦巻いて山肌を滑り落ちる。山風に変わっているのだった。
うんっ、とぼくはあたりまえのようにうなずいた。
「迎えた精霊をたばねて、またもとの冥途に帰す、それが送り火だからね」
それを聞いてかどうか、
「だから、やっぱり、止められないのね」
短くいって、胸前にそっと手を合わせた。心持ち震えているように見えたのはぼくの錯覚だったか、微かに潤んだ瞳に赤く舟が揺れていた。
そのときだった。妙に、ふわりと足元が軽くなった。闇の火に目が疲れたからかとも思ったが、ちょっとちがった。そして不思議な勢いで蘇ってきたのだった。
「そうだっ、去年だったよね」
けれど、あつ子ちゃんは黙ったまま。
「大燈寺の南門って、約束したよね?」
すると、こくりとうなずいて、
「けど、来なかったの」
といってそれだけだった。
「おーいっ! えらいこっちゃ」
闇のなかに声がした。そして靴音に、下駄の歯音も重なった。
「早よ、救急車、呼んだらんかい!」
一人が叫んで、だれかが、角の店先の公衆電話に走った。
「どこの子やろか?」
輪のなかから飛び出した男が、ハンドルもぐしゃぐしゃになった自転車を、倒れた体の上から除けようとした。その肩に後ろの一人が手を伸ばした。
「ちょっと、あんた、あんまり障らん方がええんとちゃいますか?」
警察が来るまで現場を荒らしてはいけない、そういうのだろう、その手を男が振り払った。
「あほいいな! 見てみい、こないに苦しんどるやないか」
いうが早いか、サドルを持ち上げ脇にやった。
「じきに救急車、来るさかいな、しっかりするんやぞ!」
少年の手をとると叫ぶようにいった。少年は小刻みに身を震わせながらも、うん、とうなずいたかに見えた。そんなふうにしかいえないのは、傷がひどく、体はそうでもなかったが、顔は血だらけにほとんど潰れていたからだった。
茹だるような夜だった。月もなく、やがてはじまる送り火に、街の灯も、そしていつもは明るく走る電車の音もない。そんな通りを、流れを違えることもなく、から、ころ、から、ころ、 下駄の歯音が響いていた。
「だれぞ、轢かれたんやろか?」
尻目に顰める声もあったが、すぐにまた雑踏に紛れて、一人、少年は力なく、灼けたままのアスファルトに砕けていた。
不思議なことだが送り火は、日暮れに風があっても点火の前にはぴたりと止まる。どうしてか。たぶん盆底のこの街特有のものだろう。そんな凪のような静けさを、
──仏さん、どないしよか、思案してはる、
人はそういって別れを惜しんだ、その時間が近づいていた。
鐘の声
「うそだろ!」
荒げた自分に驚いた。
「ほんとよ」
細く揺れる火の舟を、じっと見つめたまま、あつ子ちゃんは冷静だった。
「ちがう! ちょっと遅れたけど、ぼくは行ったんだよ」
たまらずいい返したのに、
「まだ、わからないの」
瞳に送り火が揺れていた。
「去年、何があったか」
いわれて、記憶の糸がいく筋か、ふうっと脳裏を走ったが、一つに繋がらない。
「いいっ?」
母親が子どもを諭すかのようだった。
「あの日ね……」
声が鼻に淀んでいた。
ごおーん、ごおーん、
野道の外れにまた響いた。すると惹かれるように一人二人と群を抜けた。
「念仏踊りね、わたしも行ってみる」
あつ子ちゃんがいって、ぼくもあとを追った。
西明寺は目と鼻の先だった。低棟の、それでも四脚門の堂とした山門をくぐると、暗闇に篝火が、ぱち、ぱち、弾けていた。鉦を手にした黒羽織の五人を正面に、手っ甲脚絆に白装束の太鼓方が輪をつくり、さらに周りを黒い影が、篝火に顔を浮かべて三三五五、肩を並べて取り巻いている。
かーん、かーん、
鉦を合図に、
「ほつがんにー、ししいーんきみょおー、あみだーあー」
念仏がはじまった。
かん、かん、
「ぶー、うーうー」
かん、かん、
か、か、かん、
かん、か、か、かーん、
鉦方は居姿から年寄り連だと見てとれる。それに合わせて、若衆連だろう太鼓方が胸前から大きく手を振り上げる。
とん、とん、
かん、かん、
とん、とん、
か、か、かーん、
踊りはじめた。といっても、鉦方は直立不動を崩さないし、太鼓方も立ち位置はそのままに、膝を深く曲げては伸ばしを繰り返し、時折、腰をひねりながら体を上下させるだけ。
「なんや知らん、幼稚園のお遊戯みたいやな」
口さがない一人が後ろで短く吐いた。
「ほんま、ちょっと間が抜けてますな」
暗闇に、意外に声が通っている。そのように、太鼓方の、膝を曲げてはくにゃりと腰をくねらせるのは、人に擦り寄るようで妙に艶っぽい。それでも踊りは続く。
かん、かん、
かん、かん、
とーん、とん、
掛け合いを囃すかのように篝火が、ぱち、ぱち、撥ねて、闇のなかに黒い影が重なり合ってはまた消える。
とん、とん、
か、か、かん、
乾いた太鼓と湿りの鉦、不思議な陰陽二つの響きが、ぼくの体をすり抜ける。それがなぜか、胸のあたりを上へ上へと向かわせる。月もない、漆黒の闇だった。
「覚えてる? 愛宕山」
「うん」
虚ろに、ぼくはこたえた。
「坂の途中で見つけたでしょ、ちっちゃなお寺」
「試峠の?」
「そう、あそこにね、つくったの、しゅんいち君や、さとし君や、たかし君といっしょに。内緒にしてたけど、つくったの」
何を?
訊こうとしたが、その前に、すうーっと覚えのない不思議な何かがはじまって、さらに体が軽くなった。
とん、とん、とーん、
かん、かん、かーん……、
あんなにたしかだった二つの響きも、ゆらり、ゆらり、闇のなかを小さな光に誘われるように遠退いていく。そして、
──きっと行くから……、
耳元で風のように聞こえる気がして、すべてが消えている。
五百羅漢
その春だった。
「だいぶ形になってきたな」
下の庫裡に水でも飲みに行っていたのか、たかし君が戻ってきた。石段を走ってきたのだろう、大きく肩で息をしている。
「この調子やったら、連休明けには仕上がるやろ」
足元に胡座をかいて、サングラスのさとし君だった。石の欠片が飛ぶのを用心してのことだが、白い瓜実顔によく似合う。
かん、かんっ、
こん、こんっ、
周りにも何組かグループがいて、鑿音の途切れる間もない。里からそんなに深くもないのに、谷が迫っているからだろう。
かーん、かーん、
木霊の返事も早かった。
もちろん、しゅんいち君とあつ子ちゃんもいて、きっかけは、約束の、あの日のあとの秋口だった。羅漢を彫ってみよ! といい出したのはあつ子ちゃんだった。それを全員一致でみんなは決めた。もちろん理由はだれもがわかり過ぎていて、すぐにあつ子ちゃんが手続きに走っている。嵯峨奥の、あの寺だった。
どんな住持か、心配だったが、出てきた笑顔にあつ子ちゃんは安堵した。なんでも、若い頃は彫刻家だったらしく、古い仏像の修理を専門に、有名どころでは三十三間堂の千一体仏やら、学生の仇で指を折られた広隆寺の弥勒菩薩やら、ほかにも平等院の阿弥陀如来の補修も手がけたらしい。あっ、良寛さんだ! と思わずあつ子ちゃんも目を丸くしている。そのようにちょっと猫背の長躯な人で、にこやかで端正な細面は、坊さんというよりどこか山里の好々爺を思わせた。
「やあ、ご苦労さん」
その日も薄鼠の作務衣姿で、裏山に蕨採りにでも出ていたか、地下足袋に腰には竹籠をぶら下げていた。
「ほおー、だいぶ格好がついてきたやないか」
さとし君のそばに立つと、肩口からいつもの笑顔でしばらく覗くようにしていたが、やがてひょいと指さした。
「ほれ、そこ」
節榑立った指は灰汁に染まっている。
「そう、そこをもうちょっと彫り込むと、ええ具合に陰が見えて、目鼻立ちがすっきりするんやないやろか」
いうが早いか踵を返し、鐘楼脇の石段を庫裡の方に下りていった。放っておくわけでもなければ、細々と指示するでもない。いつも一度はやって来て、一言添えてそれだけだった。
「ほんま、ええこというてくれるわ。ここんとこ、どないしよか、靄々しとったんや」
サングラスを外すと目を細め、羅漢の頬を目元から鼻筋にかけて、指の腹で何度も撫でた。
「ああやって、進み具合を見て回ってるんだね」
あつ子ちゃんがいって、さとし君もうなずいた。
費用は石材が一万円を少し超えた。これはみんなの小遣いをまとめても届かなくて、足りない分は冬休みにデパートの配達をやって間に合わせた。道具の鑿や金鎚は和尚が貸してくれた。といっても数に限りがあったから前もって予約はしておく。作業場は好き好きで、グループごとにあちらこちら、それぞれ思い思いに陣取ったから、本堂前はギリシャやローマの遺跡のように、まだ荒削りの四角いままのや、ほとんど人の姿そのものに完成間際の羅漢様がごろごろしていた。
できあがると、本堂脇から迫り上がった山腹に裾から順に並べられ、すでに二百は超えていたか、中腹まで何列も並んで、最後の筋の半ばあたりの一つが隣が来るのを待っていた。
「ずっとあっちの方まで、いっぱいにしたいんや」
本堂の裏手をさして和尚はいったが、五百羅漢といっても五百にとどまらない。
「五百いうんはな、いほと読んで、数え切れん、いっぱいの数のことをいうんやな」
みんなに教えた。そのように、いずれ境内はどこも羅漢で埋め尽くされてしまうだろう。けれどその分、哀しみもまた集まることになる。不思議なところだった。
石はどこの産だったか、柔らかくて素人にも彫りやすかった。けれどそれだけ風化も早いだろう。
「それは、それでええやないか」
和尚はいった。
「嘆きであれ、怨念であれ、人の想いもやがてはきれいに昇華されて、のうなってしまう。同じように、ここの羅漢も雨風に打たれて、またもとの土塊に還っていく。それが自然というもんや」
手解きは、最初の日だけ和尚が見本を示してくれた。ただそれだけで、あとはいっさい指一本触れていない。どんな羅漢にするのか、まず、和紙に墨で描いてみた。それはあつ子ちゃんが藁半紙に鉛筆で下書きしたのをたかし君が筆をとっている。
「意外ね」
あつ子ちゃんも感心したが、どういうわけか、たかし君は絵が上手で、性格を映してか、描いた羅漢も穏やかだった。
「下絵は、墨で描くのが一番でな」
和尚はいったが、墨の濃淡が鑿跡の陰影をうまく引き出すらしかった。
「いうても、下絵を見ながら彫るんやないぞ、最初にしっかり頭に叩き込んで、あとは想いだけを頼りに彫っていくんや」
そうもいったが、これはめずらしく厳しい目付きでいっている。だからみんなも、たかし君が描いた下絵は最初の日に覚えただけで、それがどこに行ったか、たぶん、たかし君の家だろう。
そうして休みの日には欠かさず通った。朝一番、まず、さとし君があつ子ちゃんの家に自転車を走らせる。あつ子ちゃんは通りで待っていた。それからたかし君を誘うと、しゅんいち君の家に回って窓下から声をかけた。あとは釈迦堂横を衣笠に抜け、御室寺前から広沢の土堤下を突っ走る。さとし君の家から一時間足らずだった。
しゅんいち君は体調を崩しがちで、自転車の遠出はきつかったのと、もともと自転車が嫌いだったから、一人、白梅町から電車に乗り一つ手前の嵯峨駅から歩いている。終点の嵐山は観光客でいっぱいなのが面倒だったらしく、みんなのあとを三、四十分遅れでやって来た。
だから、みんなも気遣って、しゅんいち君はそんなに鑿をとっていない。中心だったのはやっぱりさとし君だろう。根は不器用なのだが、腰を据えると、それこそこつこつと飽きもしないで彫っていく。性に合ったのか、交替をいったことがなかった。
たかし君は、職人肌というか、彫刻にも不思議とセンスがあって、持ち前の器用さも手伝って、最初の鑿入れから技の要る曲線流しや仕上げまで、たかし君なしにはすまなかっただろう。もちろん、あつ子ちゃんもときには鑿を握ったが、羅漢造りでもやっぱり差配役が向いていた。
「ちょっと、そこ、おかしいわよ」
背中から飛ぶ指示に、
「やっぱしなあ、わしも気になってたんや」
さとし君は素直だが、たかし君は負けていない。
「そないいうてもなあ、あつ子ちゃん、口でいうほどうまいこといけへんねやでえ」
そんなけしきにしゅんいち君は、一人、遠目に笑顔でいた。そして昼はそれぞれ持参の弁当を広げ、日暮れまで作業を続ける。あたりに響くのは鑿を叩く鎚の音だけ。日曜というのに観光客の姿もなかった。
嵯峨はこの街の顔だけあって年々観光客も増えるばかり。少し前までは駅前を野々宮か渡月橋あたりでおさまっていたのが、どこもあふれんばかりに大沢はもちろん北嵯峨の民家の庭先までガイドブック片手の観光客でいっぱいになっていた。けれど清滝への奥嵯峨は、せいぜいが化野止まりで、その先、一ノ鳥居を越えて試峠に足を踏み入れる者などいなかった。
「こんな山奥に、と思うたやろう」
いつやって来たのか、和尚だった。
「それでも戦争前までは、電車も走って賑やかでなあ、下の茶屋も愛宕詣での家族連れで繁盛してた」
庭掃除なのか、竹箒を手に立っている。
「信じられんやろが、愛宕のてっぺんには遊園地もあってな、ちょうどいまの比叡山みたいやった」
「ケーブルもあったそうですね」
あつ子ちゃんだった。
「ほお、よう知ってるやないか」
「ちょっと、まあ」
照れ臭そうに肩を窄めた。
「愛宕道者もたいていは電車で行ってしまうが、なかには峠を歩いて越える者もおってな。というても、ここは誰も素通りで。そらそうや、どうにもならん襤褸寺やった」
いいながら、本堂の大屋根を竹箒の柄でさした。
「もともとは東山の、ほれ、知ってるやろ、六道の辻? あの根際にあったんやな」
いつもなら二言三言で行ってしまうのが、その日はめずらしく饒舌だった。
「それを明治のはじめに越してきたんじゃよ。廃仏毀釈に追われたんやろう。あれで潰されたり寺領を取り上げられたり、寺はどこもやっていけんようになって、里に移ったんが多かった」
そしてあたりを見回した。
「移ってきたときは、小そうても伽藍もちゃんとした立派なもんやったらしい。わかるやろかな、傾斜のきついとこやが、それをうまい具合に使うとる」
それで、みんなも境内を見回した。下の山門から迫り上がるように石段が続くと、わずかに開けた高みに鐘楼と本堂を置いて、さらに後ろの斜面に抱かれるように三重の塔を据えている。無駄のない配置だった。
「それだけやない。これでも、もとは平安の創建やから、仏さんもりっぱなんがようさんあったらしい。それが、まあ、先住いうんが、どういうもんか博打に入れ上げて、金になるもんならなんでも売ってしまいよって、その挙げ句に」
「夜逃げですか」
しゅんいち君が脇から挟んだ。
「ああ、わしも来てみて、びっくりしたわな。なんにものうて、無惨というにも凄過ぎて、声も出んかった」
「まるで蛻の殻?」
と、今度はさとし君。
「けど、さすがに本尊だけは、よう手をつけんかったらしい」
合わせてみんなはそろって後ろを振り向く。寺にはめずらしい寝殿造りの瀟洒な本堂だった。正面の蔀が跳ね上がって障子戸が左右に半分ほど開かれている。桟は煤け、見るからに建て付けも悪そうだったが、障子紙は貼り替えられたばかりか、真っ白な奥に本尊が見える。塗りも斑に落ちてはいるが、仕草でわかる千手観音だった。
「屋根は雨漏りしてるわ、壁は毀れて穴が開いとるわで、観音さんも虫に喰われてぼろぼろでな。手指もあちこち欠けたり折れたり、埃だらけの床に散らかって、足の踏み場もなかったわな」
「むごいですね」
しゅんいち君は眉を顰めた。
「漆も剥げて木乃伊みたいでな、目もあてられんかった」
「それを一つ一つ修理して?」
「まあ、そういうこっちゃが、わしも最初から決めてここに来たわけやない。師匠にいわれて、ちょっと様子でも見てくるか、ぐらいの軽い気持ちやった。それが、まあ、いうた通りの惨状で、どこから手をつけたらええもんか、すぐにわしも逃げとうなった」
禿僧というのだろう、不精に伸びた白髪の坊主頭を撫でながら、戯け顔に笑うと、妙に若く見える。
「けど不思議なもんでな、仏像いうんは傷むほど、人間らしいというか、温みが出るんやな。ぼろぼろになったんを、こう、じいっと見てると、なんか愛おしゅうなって、直しに通ううちに居ついてしもうた」
「すると、和尚さんは?」
「ああ、こないな格好はしとるが、ほんまは坊主やない。どこで修行したわけでもないから資格もない。せやから自分では格好良う、仏守というとる。檀家もないこんな襤褸寺に晋山してくる変わり者もおらんでな、ただ成り行きで観音さんのお守りをしとるというわけや」
いいながら箒を小脇に引き揚げようとした、そのときだった。
「和尚さん」
「んっ?」
「どうして羅漢づくりをはじめたんですか」
改め顔に、あつ子ちゃんだった。
「ああ、そのことか」
よく訊かれるのだろう、一息置いたが、あとは馴れた口振りだった。
「ここに来て九年目やった。あっちこちの修理も終わって、だいたい格好がついたんでな、あとは好きなようにお参りしてもらおうと思うて、山門もどこも開けっ放しにしとったのが、冬はじめの寒い朝やった。本堂で朝課をすまして出てきたら、ほれっ」
振り返って後ろの石段脇を指さした。白い三葉躑躅の植え込みに隠れるように膝丈ほどの石灯籠があって、裾の方には半ば苔に埋もれて人形が彫られていた。目を凝らしてようやくわかる、かなり風化も進んでいたが、たしかに仏像だった。
「あの前で手を合わせとったんじゃよ、踞ってな。背中からでようはわからなんだが、若い女やった」
「何か、お祈りでもしてたんですかね」
あつ子ちゃんだった。
「どうやろうな。けど、わしは訊かなんだ」
「ひょっとして、自殺?」
たかし君が目を丸くした。
「そうやったかも知れん。朝もあんな早うに、女一人で、それも本堂の前やのうて、あれは、よういうキリシタン灯籠いうやつやが、そんな前で手を合わせる、それだけで、人にいえん理由のあるんがわかるやないか」
「聞いても、いいませんよね」
八の字眉にあつ子ちゃんがいって、
「そやろなあ」
さとし君もうなずいた。
「それきりやったが、あの祈る姿が、ずうっと心に残ってなあ……」
みんなは一つに黙り込んだ。
「ふつうは本尊に手を合わせるもんやないか。気がつかんかったが、わしが経を上げとる後ろで手を合わせとったのかも知れん。けど、ちごうたやろう。本尊やのうて、端からあの石仏を選んだんじゃよ」
「どうして、ですか?」
「それはわしにもわからん。けど、思うた。祈りには、それぞれのかたちいうもんがあってええんやないやろかな。観音さんやら阿弥陀さんと決めてしまうことはないやろう。そんなら、そんな思い思いのかたちをつくってみるのもええんやないやろかってな」
「それが、羅漢?」
「ああ、殺風景な境内にちょうどよかったし、わしには法は説けんが、これならできるやろう、そう思うてな、片を書いてみたんやった」
「それが山門の……」
あつ子ちゃんは納得したようだった。
「ところが、さっぱりでな」
当然だった。嵯峨奥の観光ガイドにもない無名寺だ。ところが知り合いの伝手で全国紙に紹介されると、たちまち問い合わせが殺到。大阪、神戸はもちろん、遠く関東や九州からも手紙が届いたり、電話が鳴ったり、あっという間に希望者が百を超えた。
「びっくりしたな、若いのから独り者やら夫婦やら、いろいろやった。連れ合いと死に別れた人や、子どもを病気や事故で失うた人や、あれは詳しゅうはいわんかったが、どうも子を始末した気配のある女やら、それぞれに、いうにいわれん想いを背負うとって、それをかたちにしたかったのやろう」
目を細め、見上げて、羅漢の列を一つ一つたしかめるように辿っていく。
「ただ、それだけやと気が重うて、わしも堪らんかったが、あれは六十過ぎの夫婦やった。但馬の浜坂の人でな、ちょうど今頃の季節やった、遠慮がちにやって来て、わたしら二人を彫りたいんやいうて」
そして一つを指さした。
「あれがそうや」
ずらりと並んだ手前寄りの真ん中あたり、一目でわかる四角面に太い眉、大きく胡座をかいた大鼻の男と対照に、切れ長の涼しい目をした瓜実顔の女が、ともに笑顔満面、ぴたりと頬を寄せ、肩を抱き合い並んでいる。
「人には弔いの心も大事やが、どういうたらええか、ここの羅漢には見る者の心をふうっと和ませる、そんな温かいんもほしかった」
見回してうれしそうにした。
「それがきっかけでな、ほれ、ちょいちょい二ついっしょのがあるやろう」
いわれてみればたしかにところどころ、どこか巡礼の旅にでもいるのか、双体道祖のように寄り添う羅漢があって、どれも溢れんばかりの笑顔でいる。
「いい顔してる」
あつ子ちゃんが小さくいった。
それから一月あまり、そろって羅漢に華を供えている。通いはじめて半年、五月の連休明けの日曜だった。ほんとうなら、並びも山腹のはるか上になるはずだった。それをあつ子ちゃんが頼み込み、本堂脇の栬の木陰に席をもらっている。隣には苔生した古参の羅漢が威張っていたから、ちょっと窮屈そうにしていたが、列も一番手前だから、屈んで向かい合うにはちょうどよかった。
あとは和尚に断わり、本堂の裏山から青竹を伐り出して花筒代わりに立てかけた。それに、どこで摘んだか、あつ子ちゃんが春紫苑の二輪をそっと生けた。どうしてそれを選んだか、薄紅色が青竹の濡れた緑によく合った。
御霊まみえ
「どう、元気にしてた?」
一年ぶりだった。また、その日がやって来た。ぼくに許された、むかしがえりの一日で、なのにごくあたり前にこたえている。
「うんっ、きょうも暑いね」
朝も早くから、首を長くして待っていたのにこれだった。
「ほんと、先月は、ほら、雨が多くてちょっと涼しかったでしょ。このまま行ってくれるかなって思ってたけど、やっぱりこの街の夏ね。きっちり帳尻合わせしてきたわ」
褄をとりながらゆっくり屈むと、手を伸ばし、ぼくの肩の病葉を払ってくれた。あんなにジーンズが似合ったのに、すっかり着物姿に落ち着いている。
「ちっとも変わらない」
「何が?」
いうと、ぷっと吹き出した。
「ぶっきらぼうな、そのいい方も」
上から下まで、といっても二尺あるかなしかのわずかな丈だが、するっと眺めてあつ子ちゃんはにこやかだった。
「そうかな」
「そうよ、見透かされるのが嫌で、すぐ誤魔化そうとする。にんまりするのも、むかしのまんま」
いわれても、たしかめる術もなく、ぼくはただ、じっと固まっているだけ。
「けど、やっぱり歳月ね、あちこち角もとれて、ほんと、丸くなった」
それだけは自分でもわかる。たしかにそうで、それでも斜に構えてみせる。
「そうかな」
繰り返すと、
「うん、そんな気がする」
小さくうなずいて、顎のあたりから頸筋を、細い指先でいたずらっぽく撫で回した。それがくすぐったくて、首をひっこめようとするのだが、もちろん動けない。
「けど、こんなに、いっぱいになるなんてね」
ぼくの後ろを見上げて眩しそうにした。本堂を包み込むように山腹はどこも羅漢像に埋め尽くされ、文字通り立錐の余地もない。といって、圧迫感がないのは、どれも深く苔生して周りの緑に溶け込んでいるからか。
「あの頃に比べたら想像もつかないよね」
「ほんと、まだ五列くらいだったかしら」
「七列だったよ」
「そんなにあった? よく覚えてるわね」
「忘れるもんか。それがいまは、ずっと下の方にも並んでる」
「山門脇から石段横も、びっしりよね」
「お陰で仲間も増えて、ぼくなんかすっかり古参になって、今年は世話役だよ。もっと年配組もいっぱいいるんだけどね」
その通り、齢が下でも羅漢歴が長いから、つい年季を買われて年寄の部類に入れられてしまう。
「そうよね、それが、この齢だもの。ほんと、あっという間よね」
手の甲を撫でながら、ぼくの前の野面石に腰を下ろした。
「最近、膝がよくなくて。悪いけど、座らせてもらうわね」
その頭の上には栬が大枝を広げている。来る日も来る日もぼくといっしょで、夏はやさしい木陰をつくり、秋はきれいに五色に映えて、ぼくに和みをくれている。
「そういえば、この間、たかし君に会ったわよ」
いいながら、口元に風に流れた鬢髪を耳の後ろに掻き上げた。突然、話を振るのもむかしのまま、ポニーテールに長かったのが、白いものが混ざって襟首ほどに短くしていた。
「偶然、寺町でね」
「へえー」
「こっちに戻ってるそうよ」
「船岡山に」
「そう、お母さんの介護だって」
定年をきっかけに、長かった横浜を引き払って実家に帰っているらしかった。両親そろって、もう九十近いだろう。親父さんは体格のいい病気知らずの人だったが、七、八年前に脳梗塞を患って車椅子暮らしが続いて、それを小母さんが看ていたが、逆に小母さんの方が、前からちらちらあった惚けが進んで放っておけなくなったらしい。
「あの小母さん、かわいい人だったよね」
「そう、うちのお母さんといっしょで小柄だから、ちょこまかとよく動いてね」
「それでも、そんなふうになるんだ」
「そりゃそうよ、病気は人を選ばないもの」
「で、子どもは?」
「みんな、家を持って、お孫さんもいるそうよ、三人も」
「たかし君は結婚が早かったからな」
屈託のない団栗眼を思い出していた。こっちにやって来て五、六年だったか、ひょっこり顔を見せて、大阪の大学に通っている、といっていた。ぼくもまだ事態に割り切れず、悶々としていたときで、半ばやっかみも隠せないまま突っ慳貪にしたのを後悔している。有名な難関大学で、二度続けて失敗したのを諦めず、三度目の正直で入っていた。どんなときでもプラス思考でやっていく、たかし君らしかった。
それ以来、会ったことはないが、人好きの性格が幸いしたのだろう、大手の鉄鋼会社に入ると、ブラジルを皮切りに、中国やオーストラリアを転々として、本社に落ち着いたときは五十を過ぎていた。もちろん、そんなこともぼくが知るわけもなく、みんな、こうして年に一度、あつ子ちゃんが教えてくれるのだった。
「それで、さとし君はどうしてる?」
「あの人? 全然、変わらない」
素っ気なかったが、それだけでわかる。さとし君らしく、飄々とやっているということだろう。たしか神戸の方の私学だった。滑り止めだったのをそのまま入学している。工学系の技術畑で、これも大手の自動車メーカーに就職して、大阪の高槻だったか、吹田だったか、現場に勤めていたが、同期仲間の妹といっしょになった。和菓子屋の一人娘で、婿養子ではなかったが、四十を過ぎて会社を辞めて奥さんの実家を継いでいた。北野天神の東の門前に江戸から続く老舗で、お得意さんは数も知れた茶屋ばかりだから夫婦二人でやれば十分らしく、いまは大学を出た息子もいっしょにやっているらしかった。
「新作ができるとね、呼んでくれるの」
膝の上、ぽつぽつと染みの目立ちはじめた手の甲を摩りながら、うつむき加減にゆっくり体を前後に揺する。ここしばらく、少しだが背中も丸くなっている。尖った頤を突き出して背中を反っくり返るようにして、みんなを差配していたむかしが懐かしかった。
「あの人、器用じゃないくせに、凝り性でしょ」
「うん、しつこくはないけど、拘る男だった」
「そこなのよ、ああいうの不器用じゃだめだと思ってたけど、そうでもないのね、拘りが大事なのよ」
いわれてぼくもそんな気がして、竹篦や刷毛を片手にあれこれ首を傾げながら、奮闘しているけしきを思ってみた。
「お見世もいっしょの古い町家でね。奥の坪庭の座敷に炉が切ってあって、行くとお茶を点ててくれるのよ」
「へえー、あのさとし君が」
どんなに頭を捻ってみても微塵も浮かんでこない。
「奥さんに教えてもらったらしいのはいいけど、それが、いまだにぎこちなくて。あれだけはだめだわ」
ばっさりやって、
「天神さんやなんのと、あの辺、お寺さんも多いでしょ。あちこち用達があって、春と秋には新作披露の茶事をやるんだけど、それがなんというか、目先だけに夢中だから忙しなくて。ああいうのは、こう、ゆったりしないと」
と手真似して、相も変わらず辛口だった。
「けどね……」
ふと、ぼくは思った。
「さとし君、どうしていっしょに暮らさなかったんだろう、お母さんたちと」
どういう具合か、ここに来て、いやに、いろんなむかしを思い出す。どこに置いていたのか、なんでもない、ふとした弾みに記憶の底から、気の抜けたサイダーの泡ぶくのように、ぷっくり、蘇ってくるから不思議でならない。
「どうしてかなあ……、よくわからないけど、お祖母さんとうまくいかなかったんじゃないかしら。嫁と姑、どこにでもある話よ」
そして、ゆらり、ゆらり、また前後に体を揺する。むかしはなかったのに、齢がそんなにさせるのか。
「あのお祖母さん、強い女だったでしょ、早くに亭主と死に別れて」
「戦争でね」
「あれっ、知ってたの?」
「ちょっとはね」
はじめて遊びに行った日のことだった。奥の座敷の仏壇横の、鴨居の上に、軍服軍刀姿の遺影を見つけていた。百姓生まれに似合わず色白のハンサム男で、それが隔世にさとし君につながっているのだろう、シベリア出兵に駆り出され、そのまま戦病死したのを、祖母さんは、家守、田守を続けて女手一つ、一人息子、つまり、さとし君のお父さんを育てたのだった。
「だから、母一人子一人、っていう、あれよ。もう最初からうまくいかなかったらしい。それで結局、別れて暮らすことになったのよ、さとし君が小学校の、たしか……」
「二年生のときだっていってたよ」
「なんだ、それも知ってたの」
「ほら、舟山裏のゴルフ場、あれの買い上げに引っかかったんだって」
そんなことも聞いていた。
この街にゴルフ場というのも据わりが悪いが、戦後すぐに占領軍の遊興用として最初につくられたのが上賀茂神社の裏手に、神社杜を伐り拓いた上賀茂コースで、第二弾が西賀茂の舟山コースだった。その用地買収に、舟山裏の柴刈り山が引っかかってまとまった金が入ったらしかった。
「それで仁川に移ったんだよ。あの辺も開発ブームでね、ほら、親父さんの職場にも近かったから」
聞き役だったぼくが、いつか逆さになっている。
「もちろん、小母さんはさとし君も連れて行こうとしたけど、祖母さんが放さなかったらしい。で、結局、親父さんも、母親を一人にするのが心配だったから、さとし君を置いていくことにしたんだね」
「奥さんも、そんなふうに聞いたっていってた」
「けど、わからないのは選び方だよね。なんでさとし君にしたんだろ? ふつうならお兄さんにするだろ、初孫だし」
「そこなのよ」
「んっ?」
「知らなかったの? さとし君ね、お兄さんたちとお母さんがちがうのよ」
「どういうこと?」
わからないでいると、小さくいった。
「あの母さん、後妻なの」
「へえー、さとし君、そんなこと、一言もいわなかったなあ」
正直、驚いた。
「わたしも知らなかったわよ、つい、この間まで。死に別れらしいけど、その先妻というのがお祖母さんの姪御さんでね、つまり従妹夫婦だったわけ」
「けど、そういうことなら、ふつうは祖母さんも、姪の子ども、つまり兄さんたちを手元に置こうとするよね、後妻の子は、どっちかいうと鬼子だから」
鬼子? 自分でいっておかしかった。そんな言葉を覚えたのもこっちに来てからのことだった。仲間に年輩組が多かったから、早くから年寄り言葉に馴らされた。
「わたしも最初はそう思った。けど、ちがうのね。お祖母さんは考えたのよ」
野面石からゆっくり腰を上げると、
「あえて、さとし君にしたのよ、後妻の子に。ここが味噌なの、そうでしょ? ほんとなら姪の子の方が血筋も近いし、かわいかったはずよ」
いいながら前を行ったり来たり。それをぼくは、右に左に、目線だけで追っかける。
「なら、どうして、お兄さんかお姉さんにしなかったんだろうね」
「切りたくなかったのよ」
「何を?」
「息子との縁よ」
足を止めると振り向いて、前屈みにぼくを睨むようにした。
「だって、先妻の子を選んだら、それでお終いでしょ、息子との糸が切れてしまう」
「どうして?」
すると、真顔になった。
「男ってね、結局は女次第なのよ。女で変わってしまうものなの」
妙に力が籠もっていた。あつ子ちゃんは、あれこれ、みんなのことはよく話してくれる。けれど自分のこととなると、「そりゃあ、いろいろあったわよ、けどね……」と逸らせてしまう。だから、あれからのことはほとんど何も知らなかった。
「どういうこと」
「わからないかな」
苛っと来たのか語気を強めた。
「さとし君が両親といっしょにいたんでは、そのまま家族が一つになって、お祖母さんとの縁が切れてしまうでしょ。お父さんも、母親か嫁かということになれば、やっぱり嫁を取るしかないもの。そうしないと家庭がややこしくなってしまう」
「そうかな」
「そうよ、それで鬼になったのよ」
「鬼?」
「そう、さとし君を手元に置いて、家族を引き離すようにした。意地悪なようだけど、息子のことを思ったのよ」
「そこがわからない」
すると、
「相変わらず、鈍いわねえ」
半ば呆れ顔に吐き捨てた。
「男ってね、いつまで経っても母親からは離れられないものなのよ。それは家庭を持っても変わらない」
いい切るあつ子ちゃんに、何があったか、少しの陰が見えた気がして、そんなけしきもはじめてだった。
「お父さんも、うまくいかない女二人のことを考えて別居はしたんだろうけど、それは方便でね。母親はそれがわかっていたから、なんとか目に見える繋がりを残そうとしたのよ。それには孫を手元に置くしかないでしょ」
「なるほど」
「問題は、その選び方よ。ふつうなら縁の深い先妻の子どもにするわよね。けど、そうしたら後妻との縁が切れてしまう。後妻と切れるということは、息子との縁も切れるということなの」
「そんなもんかな」
「そうよ、それがわかっていたから、さとし君を選んだの。後妻には恨まれても、それで親子の絆が守れると考えたのよ。息子だって、母親の気ままを許したという気にもなれて、母より嫁を選んだことの免罪符になるでしょ。お祖母さんは息子の気持ちを軽くさせてやったのよ、自分を鬼にして」
そして、また野面石に腰を下ろした。それで、見上げるばかりだったぼくの目線ももとに戻って楽になった。
「けど、息子にそれがわかっていたかどうか」
かな、かな、かな……、蜩か、憎らしいほどの演出で、杉の木立に木霊した。里はまだ熊蝉や油蝉の盛りというのに、嵯峨奥は、一足、秋にも近かった。
「思うんだけど」
あつ子ちゃんは続けた。
「結局は、わからなかったんじゃないかな」
「どうして?」
「でなきゃ、あんな最期にならないもの」
ぼくが遊びに行っていた頃から祖母さんには物忘れがあって、鍋を焦がしたり、風呂を空焚きしたり、「危のうて目が離せん」とさとし君もぼやいていたが、日々、やることがおかしくなって、やがて徘徊になり、一日、何を思ったか、隣家の納屋に火をかけたのを最後に祖母さんは、ちょうど新しくなったばかりの、一山越えた七山の施設に送られている。さとし君は反対したが親父さんの選択だった。もちろんぼくはこっちに来ていたから知らなくて、みんなあつ子ちゃんから聞くだけで、それからいくらもしない冬の日に祖母さんは逝っている。
七山に入ったものの症状はよくならなかったらしい。それでも一度、半年後にいくらか調子も戻ったので家に帰っていた。けれど長くは続かず、また七山送りになっている。
部屋も最初は五、六人の大部屋だった。それが二年目には個室に移った。聞こえはいいが体のいい監禁で、そうしてほしいと祖母さん自身が望んだからだが、いずれそうなることは目に見えていた。幻覚が進むと、恐怖に変わるらしい。「そこにお祖父さんが庖丁持って立ってはんねん」と様子見に行ったさとし君にしがみついたりもした。一番身近にいた人間が怨と仇の対象に変わる、あの病気の最後の叫びだった。
そんなさとし君に、「ちょっといっしょに行ってくれへんやろか」と頼まれて、あつ子ちゃんも見舞いに出かけた。いくら身内とはいっても、そこは女、さとし君の手に余ることもあったのだろう。受付をすますと、詰所から係の看護婦が案内に立ったが、さとし君にも負けず劣らずの大女で、手には鍵束の大きな鉄輪をぶら下げていた。長い廊下が続いた。そして奥の大扉を入ると、診察室やカーテンが閉まったままのよくわからない小部屋が並んで、さらに先を、高い小窓のついた鉄扉を三つ入ったまでは算えたが、あとはあつ子ちゃんにも思い出せない。
「暗くて、細い廊下をね、何回、曲がったかな、迷路のようだったわよ」
もちろんエレベータにも乗っている。そしてまた、二、三度曲がったか、板の扉だったが、明かり窓もない両開きの大戸を入ると広間だった。
片側には薄い無地の絨毯を敷き詰めて、立ったり座ったりの七、八人がそぞろにいて、片隅でじっとテレビを睨むようにしている一人、壁を相手にぶつぶつ呟く一人、かと思えば、正座のまま背筋をぴんと伸ばして岩のように固まっている一人もいれば、何か遊具のようなものに夢中の一人、そして、手に本を開いてはいるもののそれも落ちんばかりに体を前後に大きく揺する一人、一つとして同じ姿がなかった。
反対側には、スチールの長テーブルが五つばかり並んでいた。食卓のような気もしたが、凍ったように物影もなく、それを横目に先を行くと左右に部屋を振り分けた廊下に出た。扉が開いたままのもあったが、祖母さんのは閉まったまま。扉の前で看護婦は足を止めるとリングから鍵を一つ、迷わず選ぶとがちゃりと開けた。
足を踏み入れる間もなく、石灰水だろう、消毒臭に生臭い籠もったにおいが鼻を衝いた。祖母さんは窓際の鉄製のベッドに腰掛けて、背中を向けていた。それからだった。「なんや、さとしくんかいな」と振り返った姿にあつ子ちゃんは目を丸くした。
「ほんと、びっくりしたわよ。なんにも変わりないんだもの」
「ふつうだったってこと?」
「そう、けど、もっとびっくりしたわよ」
驚いたのはそのあとだった。
スリッパを突っかけ、すた、すた、とさとし君の前にやって来た祖母さんは、「さとし、ちょっと見てくれへん? 痒うてしゃあないねん」とくるりと後ろ向きになると、寝間着の裾をめくり上げ、尻を突き出した。下着もない、皺に弛んだ土色の爛れた肉の塊で、床擦れを半分ばかり申し訳程度にガーゼを絆創膏であててあった。使い回しが続いているのだろう、黄ばんだ生地にどす黒く血が滲んでいる。思わず、あつ子ちゃんも顔を背けた。そのときだった。「お祖母、どこや? ここか」と祖母さんの尻を見上げるように足元に屈むと、膿だらけのガーゼに手をあて、撫でるように何度も摩り上げた。
「あれは凄かったわよ」
それから一月、祖母さんは逝っている。朝方、学校に行こうと三和土に降りたところに電話が鳴って、鞄を投げたまま、さとし君は自転車で走った。
三十分足らずの距離だった。けれど、着くと部屋には姿がなくて、奥の廊下の担架のような移動ベッドの上にいた。どれほど経っていたか、顔は薄目に、飛び出た歯茎を木乃伊のように剥き出しのまま、噛みしめた前歯の隙間から黒く紫がかった舌先が覗いていた。「つい明け方ですわ、急変しはってなあ」と中年の看護婦は話したが、かなり時間が経っていることは、いわれなくても見てとれた。
「それで、しゅんいち君はどうしてるの?」
「ああ、元気にしてるよ」
ぼくはこたえた。受け応えが逆さまだったが、それでよかった。どうしてって、しゅんいち君とは毎日のように、こっちで顔を合わせている。
もうずいぶんむかしのことになる、急にやって来て、ぼくを驚かせた……。
「えらい、ご無沙汰やったな」
しなやかだったカールの髪も頭頂には薄く地肌が覗いて、瞼まで隠すように長く伸びた白い眉に、誰だかわからずにいると、顔の真ん中、大きな鼻をにやりと摘まんだ。
「しゅん、いち、君……?」
まちがいなかった。親爺さん譲りのあの鼻だった。
なんで、こんなとこに?
訊こうとしたら、
「もう十四、五年になるかなあ、再発しよってな、あっちこち医者にかかったんやが、あかなんで、とうとうこないなことになってしもうた」
変わらぬ猫背でいうのだった。
「また、むかし通りに頼むわ」
「うんっ」
溢れる涙を誤魔化した。けれど、しゅんいち君は意外にさっぱり顔で、
「けど、奇遇やなあ。こんなとこで、ばったりとは……」
訝かるようにぼくを見回す。
「何年ぶりやろか」
訊かれても、胸がいっぱいで算えることもできないでいたら、
「元気そやないか」
口元を斜めにほころばせた。それもむかしのまんま。やっぱりしゅんいち君だった。
「うん、なんとかね。それで、しゅんいち君は、いま、どこにいるの?」
訊くと、薄い唇を細くとがらせて、
「ほら、あの先、小学校の裏手だよ」
二つ向こうの路地を顎でさした。
「なんや、近いやないの」
また、驚いた。なんのことはない、ぼくの家から五分と離れていない。古い校舎があって、裏側に一面、野菜畑が広がっていた。その一角が、十年ほど前だったか、整地されて、建て売りの二階家が、五、六棟、急ごしらえに並んでいた。その一つにいるというのだった。
「どうせ男鰥やからな、六畳一間のアパートでもよかったんやが、考えてみたら、そのうち嫁さんも来よることやし、そない思うて、あちこちさがしてたら、ちょうどええのがあって、値もそこそこやったから、つい買うてしもうたというわけや」
ニヒルに笑って、
「ほれ、うちの蘆山の家、狭い長屋やったけど、あれでけっこう住みようてな、大きな声ではいえんが、それなりに風情もあった。それに比べたら、最近の建て売りいうんは、見てくれだけで中身はさっぱりやな。けど、周りに緑が多いんで気に入ってる」
うれしそうにした。
それにしても不思議だった。その畑に、ぼくもときどき出かけていたからだった。それをいうと、切れ長の目を精一杯に丸くした。
「ほんまかいな」
あちこちアパートや団地暮らしを続けた挙げ句、やっぱり土が恋しくて、五十を過ぎて平屋の一軒家を借りていた。傾きかけた古家だったが、電車の駅にも歩ける距離で、あたりには古い屋敷森や畑が広がっていたから、ぶらり歩きも気持ちよかった。そんな帰り道、ふと道端に小さな看板を見つけたのだった。
──畑、貸します。
近くの土地持ちが、税金対策だろう、広い畑を四、五メートル四方ごとに縄を張って区割りしていた。その一番隅の一つを借りて、細々と野菜をつくっていたのだった。といっても嫁さんだが、鍬の振り方も知らないまま好きなりにやっていて、ぼくの方はたまに水遣りに出かけるくらい。それもやいのやいのと責っつかれてのことだった。だからつい目と鼻の先。なのに、長年通っていながら、顔を合わせることもなかった。
「わからんもんやなあ」
「ほんと、世間も狭過ぎるよね」
そんなことをあれこれいって、不思議な再会を笑ったが、以来、しょっちゅう互いに行き来するようになっている。
たとえば寒くなるとぼくの家に、古くて建て付けも悪いのに、陽当たりがいいから、としゅんいち君はやって来た。反対に、暑い夏は、しゅんいち君の家の方が風通しもよくて気持ちよかった。そして陽の傾く頃には裏の畑に出て、並んで畦脇に腰を下ろした。しゅんいち君は冷蔵庫から缶ビールを抱えて、ぼくは畑の胡瓜や赤茄子を捥いでシャツの裾で泥を落とした。周りは人家もぽつぽつと算えるほどで、畑の向こうの欅の森に夕陽が赤く傾いた。
それから三年、待ち続けていたのにしゅんいち君の方は、なかなか奥さんがやって来ず、逆に、ぼくの方が一人になった。
「気の毒やったな、あないに、元気にしとったのに」
「うん、あっという間やった」
「ほんまなあ」
年明けの急だった。何をするのも、どこに行くのも、ずっといっしょだったというのに、呆気なかった。
「横に寝てて、なんで気いつかんかったんや」
「それが、寝入り端いうか……」
いつもは互いにやることがあって時間も前後するのが、その日は偶々いっしょになって、めずらしく、お休み、と声もかけ合って、並んだ蒲団に入ったのだった。
「ううっ、て、唸ったのを聞いた気もするんやけど」
「ノンレムいうたかな、寝入り端はなかなか目も醒めんらしい」
さすが、しゅんいち君で、体のことも詳しかった。
「ふだんから朝の遅い女でね、いつもぼくが先なんだよ。ふと見たら、薄く口を開いて静かにしてるんで、起こさんようにと思ってね」
そうだった。いつもよりそうっと蒲団を抜け出したのだった。
「けど、あんまり遅いんで……」
見に行ったら返事がなかった。
「静かやったね」
温かくて、まだ生きているようだった。こんなに穏やかに死ねるんだ、とそっと頬摺りまでして不思議と涙も出なかった。
「くも膜下いうんは、えらい苦しむいうけどなあ」
なのに、ぼくは気づいていない。不覚だった。
思い返すにも霞がかかる。一人、こっちに来たものの、まだ十五だったから、周りは知らない他人ばかり。悶々としていたのを、七年目の春だった。街で出会った。同じように車にやられたらしかったが、ほとんど即死のぼくとはちがって、三年近くを植物人間で過ごした末のことだった。だから心の準備もできていたのか、三つ下だというのにすっかり大人で、どこかぼくは母の面影も重ねていた。
一目で決めた。そしてぼくはお百度を踏んでいる。夢中だった。たぶん冗談にいったのだろう。百日、欠かさず来てくれたらいっしょになったげる、そういったのを本気に、ぼくは、毎晩、走って通った。走って、走って。といっても顔を合わせるわけでもない。来たよ、という証にアパートのドアの前に小石を一つ、そっと置くとそのまま黙って帰る。通りに出て振り返ると、窓にはいつも灯りがあった。
そして四十九日目だった。走っていくと、その日にかぎって薄くドアが開いていた。どうしようか、迷っていると、
「もう十分よ」
と隙間から笑顔が覗いた。七七日、まるで閻魔さんのお裁きのように、妙な数の符合だったが、跳び上がってぼくはよろこんだ。
海の見える小高い丘の小さな神社で、二人だけの式も挙げた。秋の終わり、前の日の小春日和とは打って変わって嵐の一日で、古い社ごと吹き飛ばされそうになったのを、抱き合うようにして杣道を下りたのだった。
睦まじくはしたけれど子どもはなかった。もちろんふつうに喧嘩もした。気丈な分、人一倍はげしい女だったから凄まじく、庖丁も飛ばんばかりのことも度々で、最後はいつもぼくがやり込められた。けれど、ぼくもおさまってはいなくて、毎度の鬱憤をぎっしり腹に溜め込んで、ときに、ここぞとばかりにぶちまけた。
といってもそこは夫婦、喧嘩はしてもそれだけで、子どものいない分、二人だけの時間もいっぱいあってたのしんだ。
「けど、奥さん、よろこんでると思うな」
しゅんいち君は、いいながら、ぱり、ぱり、きゅー、とアルミ缶を握り潰した。
「どうやろねえ」
いってはみたが、ぼくもそんな気がしていた。
「その点、わしはきつかったな。ベッドの横でお医者はんが脈取りながら、残念ですけど……って、嫁さんの顔見ていいよんねん。ぞっとしたな」
その割りには、けろっとしている。
「地獄に堕とされるいうんは、ああいうんやろな。この先、どないなるんやろか、と思うたら気が気でのうて」
それがぼくにはなかった。うんも、すんも、あっという間のことだったから。
「嫁さん、目、腫らかしてな。それでも忘れんと頭陀袋に六文銭も入れてくれよった、五円玉でな。けど、そんなもん、どこでとられることもなかったし、第一、閻魔とか、三途河の婆やとか、見かけもせんかった」
それが、ぼくの場合は深い沼底のような闇に堕ちている。そして、どこをどう歩いたか、ふと気づいたのが大柳の枝の揺れる橋の袂で、どうしていいものやら、ぼんやり立っていたのを通りすがりの小母さんに拾われた。親切な人で、家の二階が空いてるから、よかったらおいで、と下宿させてくれたのだった。
おまけにアルバイトまでさがしてくれて、それでなんとか大学にも行けた。嘘のようだが、修羅大といって、トップの天界大には敵わなかったが、それでも人界大に次ぐ六大学の一つで、就職にもけっこう通りがよかった。そうして好きな女ともいっしょになれて、喧々囂々、悲喜交々、やってきたのが、結局、また一人になっている。
「正直、向こうとこっち、なにがどうちがうんやろな」
「ほんまなあ、あの世とこの世、此岸と彼岸、どこがどうなんやろなあ。たしかに、みんなと別れ別れにはなったけど、また、わしら二人は、こうしてむかしと同じようにやっている」
「うん、同じように、夏はやっぱり暑いし、蝉も喧しく鳴いてるし」
のんびりいってはみたが、気になることが一つあった。
「それはそうと、しゅんいち君、その後、体はどないやの?」
蝋のように透き通っていた白肌が、妙に血色のいいのをずっと不思議に思っていた。
「それなんや、けったいなもんでな、体が悪うてこっちに来たのに、来てみたらそれがけろっと良うなって、空気みたいに軽うなった」
「へえー、わからんもんやねえ」
「ほんま、この調子やったら、この先、四、五十年は達者でいけるかもしれん」
と二人、笑ったのだった。
木霊
「そう、そんなことがあったの」
「だから、いまの暮らしも悪くない、最近、そんな気がしてる」
嘘じゃなかった。
「ならよかった」
と目を細くはしたが、どうしたのか落ち着かない様子で、大きく一つ息をした。
「ずっと、ここんとこ、胸に引っかかっててね」
「何が?」
「あの日のこと」
「あの日?」
「そう、いい出したのはわたしでしょ。それで、あんなことになってしまったんだから」
「どうしたの? きょうはちょっとおかしいね」
いつもとちがって変だった。
もう、あの日のことなんかどうでもよかった。それよりぼくはわかっていた。羅漢像もつくってくれて、こうして来てくれる意味もまっすぐ受け止めていた。だからうれしくて、気がかりだったのを訊いてみた。
「これからも待ってていいかな」
あれからあと、皮肉にも、送り火のこの日はぼくにはうれしい一日になっている。遅くても昼前にはあつ子ちゃんが来てくれて、きっとあつ子ちゃんだからだろう、しばらく話をしているうちに、石のようだった体も妙に柔らかくなって、いっしょに肩を並べて出かけられる。といっても、さすがにこっちの事情もあって日中の強い陽射しは体に悪いが、日陰や傘の下ならいつもと同じにやっていける。そうして二人、むかしのあとをたずねたり、ときどきだったが、流行の場所に出かけることもできている。そして最後は、これだけはいつもきちんと決まっていて、あの舟山に行ってさよならする。あとはまた一年、ぼくは石のように、じつはその通りなのだが、じっと固まったままでいる。
「ばかね、いまさら何よ」
あつ子ちゃんは吐き捨てて、
「そのうち、わたしも来るかもよ」
似合わない冗談も飛ばしてみせた。
だから、たしかめてみた。
「あつ子ちゃん」
「んっ?」
「花背のゲレンデ、覚えてる」
「忘れるわけないでしょ」
さらりといった。
「どうなってるかな?」
「どうって?」
「芒、きれいかな」
「す、す、き、?」
そう、秋もおそくだった。出町から二人乗ったのを、八瀬から鞍馬の楼門を尻目に、さらにバスは息せき切って峠を越えた。後ろに比叡山もくっきりと、同じ目線で追ってくる。それを沢沿いに一気に下ると山の分教場前に停留所があった。降りたのはぼくらだけ、あとには、四、五人、ぱら、ぱら、残っていたか。
「ゲレンデ? それやったら、あの木橋の先やな」
運転手の指さす先を辿って野道を行くと、やがて上りに入ってゲレンデだった。一面、体もすっぽり埋もれるほどの芒野原。ぼくらは走って走って飛び跳ねた。空から見れば、きっと大海原にぽっかりと、二つ浮かんだ小さな小島だっただろう。何を話したわけでもない。何があったわけでもない。そうしてどれだけいたか、山の端に夕陽が赤く傾いて、広がる光の虹に二つの影が並んだり重なり合ったりして揺れただけ。
「久しぶりに行ってみたいな」
うかがうように、いってみた。
「でも、芒は、ちょっと早いでしょ」
やっぱり去なされた。
「じゃあ、どうする?」
「そうね、久しぶりに学校にでも行ってみる?」
これには、一つ返事にうなずいた。
どうしたのか、きょうのあつ子ちゃんはいつもより遅かった。だから、その分、時間も少ない。けれどそれでよかった。学校のあとは北に神社を抜けて、ぶらぶら歩けば舟山だ。そんなこともたしかめ合って、二人、山を下りたのだった。
「ほんと、お店が増えたわね」
盂蘭盆だというのにどこも人がいっぱいで、観光客の合間をかいくぐるようにして、差していた日傘もあつ子ちゃんは畳んでしまった。それがぼくにはちょっと辛かったが、しかたがない、がまんした。
「あの頃は、二、三軒、茶店か蕎麦屋くらいしかなかったのにねえ」
眩しそうに額に手をかざした。
「これじゃ、まるで寺町か、新京極だね」
大袈裟でない、念仏寺横も祇王寺下も黒山の人盛り。
「覚えてる?」
忘れるわけがない。ちょうどぼくも思っていた。二人で行った愛宕詣のことだった。
「この辺、まだ、ばったり床几の家があったわよね」
それが、どこも若者相手の土産店やブティックまで軒を連ね、顔付きや髪の色もちがう男女も混ざって、肌も露わに行く手を塞ぐ。ただ、そんなけしきもけっこう愉しみながら、がったん、ごっとん、二両電車に揺られて白梅町を降りている。
改札をくぐるとバス停は目の前だった。
「あの頃は、四番だったね」
街の周りを四角にぐるっと走る市街電車のことだった。
「電車はよかったよね」
むかしが懐かしかった。
「そうね、どこを走るか、バスとちがってわかりやすかった」
「けど、急に行き先が変わったりもした」
「そう、ぺらぺらの乗換切符をくれたわね」
「うん、途中で、突然、車庫に入ったりもした」
「そう、『点検のためー、車庫に入りますうー』とかいってね」
「けど、みんな、のんびりと、あわてもしなかった」
「だから街もゆったりしてて、通りを歩いても、架線が霞の天井のようで落ち着いた」
「それが、いまはすっぽ抜け」
「そう、電車をやめたのは、この街、一番の失敗ね」
ぼくもそう思った。軌道の石畳も低棟の紅殻町家によく似合ったし、走るとタイヤを弾いたから車もそれほどスピードを出さなかった。だから街もおとなしかった。
「黄色と緑のツートン電車も、鼠瓦の家並みにしっくり合った」
「それがいまは四角四面のビルばっかり」
「ほんと、信号なんか、ないもいっしょで、ふつうに電車の前や後ろを渡ったり」
そんなこともいい合って、
「ほら、来たわ」
弾丸のように走ってきたバスにぼくらは乗ったのだった。そして、大燈寺前で降りている。すぐ先が南門で、境内を西に抜ければ学校に出る。そう、大燈寺の南門、あの日のぼくらの場所だった。
「学校っていったけど、ほんとはここに来るつもりだったんだろ」
「まあね」
歩道から石段を上がった先、南門の前だった。いつもより遅れて来たのもそのためだった。あの日のことを話そうと思ってのことだろう。
「しゅんいち君から聞いたよ」
「やっぱりね、なら、話すこともないけど……、あの日、みんなでここに座って待ってたの」
足元の門の閾を指さした。
「たかし君、待ちくたびれて、バミューダのポケットに手を突っ込んだまま、お百度でも踏むように行ったり来たりばっかりで、そしたら聞こえてきたの、救急車のサイレンだった」
「ぼくも聞こえた」
「そうだったの。あっという間に近くなってね、石段下を通り過ぎた。だから、嫌な予感がして、歩道に走って出た。そしたら、大宮の交差点の角だった。人だかりの輪に突っ込むように救急車の赤いランプがくるくる回ってた」
南門からの参道は、変わらずまっすぐだった。ただ、あの頃は築地塀の肩にも届かなかった黒松並木が、いまは高い空から被さるようで勝手がちがった。
「ちょっと、そこで腰を下ろさない?」
あつ子ちゃんがいって、三門脇をぼくらは入った。学校帰りに寄り道して、並んで座った仏殿の石の基壇だった。すぐ前に腰丈ほどの生け垣越しに参道が見えるのも変わらない。
「あのときもいたわね」
足元に、逸れ鳩が、独り、遊んでいる。入学したての春先だった。帰り道、正門前からバス通りを越えて境内に入ると、ぺた、ぺた、ぺたっ、とサンダルが後ろを走ってきた。足音ですぐにわかった。行き帰りにいつも姿を見つけて、最初の日から気になっていた。すぐにも振り向きたかったが、もう一つ素直になれなくて、あのときもそうだった、ちょっと、そこで腰を下ろさない? と誘われるまま三門脇を入ったのだった。
くー、くっ、くっ、くー、不意の闖入者に臍を曲げたか、びっくり眼で潜望鏡のように首を突っ立て睨むようにした。と、大きく首を後ろにくるりと向きを変え、また地面を啄みながら参道の仲間の群れに戻っていった。
どう? 下宿に一人で寂しくない? たしか、あつ子ちゃんはそう訊いた。そして、基壇の縁からぶらぶらさせたサンダルの爪先を、尖った顎を突き出して身を乗り出すようにして覗き込んだ。白いTシャツの襟首から胸元が横目に小さく覗いて見えた。けれど見ぬ振りして、べつに、とぼくは素っ気なかった。そのサンダルも草履に代わっていたが、ぶらぶらさせるのはそのままで、頤も頬が少し落ちた分、丸みも出たが、いいながら両手を腰の後ろに突っ張るように身を反らすのも変わりなかった。
かた、かた、かたっ……、下駄の歯音がした。参道を挟んだ向かいの塔頭からだった。青頭の小僧がひょいと現われ、四脚門に竹の結界を外すと、ぎいーっと唸る扉の向こうにゆっくり消えた。
そして、方丈前をぼくらは曲がっている。南から、三門、仏殿、法堂と並んだ伽藍のどん突きで、左に折れると赤松並木に変わって、また参道が続く。あの頃は野面石を並べて穏やかだったのも四角張った御影石にやり替えられて、ひょろひょろと青いだけの少年のようだった赤松も天を劈くばかりに聳えている。
「こんなになるんだ」
思わず見上げてしまったが、その先は西にまっすぐ、両脇の塔頭からうっそうと茂った孟宗竹の、こんもりアーチのトンネルに続いていた。
「ここを後ろから、ぺた、ぺた、来たんだよね」
その道を、いまは逆にたどっている。どうしたわけか、アーチの出口が、深い緑の奥にうっすら白く揺れて見える。抜けると学校のはずだった。
「覚えてる? 数学の授業」
あつ子ちゃんはいいながら、両手の人差し指と親指で、眉尻から頬骨のあたりを摘まんで寄せると、鼻の下を長く伸ばして見せた。
「いつも居眠りばっかりで」
「そうかな」
「そうよ。うつむいて、両手を額にあてて誤魔化してた。でも、教壇からは丸見えで。そっと呼んでも起きないし、だから、机を、こん、こん、叩いて」
そう、
こん、こん、こんっ、と机の上を、
そう、
こん、こん、こんっ……、
遠く微かに木霊のように響いていたのが、もんやり、ふわ、ふわ、水底から湧き上がるように膨らんで、膨らみ、膨らみ、
やがて、たしかになって、耳元に割れた。
「ちょっと、きみ、大丈夫かね?」
うわっ!
顔を上げると、皺だらけの戯け顔。
山猿だった。
「それ以上、はみ出ると、はっきりいって、転けますよ」
肘は机の端をすれすれに、教科書の上にはこんもりと、丸い涎玉が、ぷる、ぷる、ぷる、いまをかぎりと震えている。
思わず、ずずーっと涎を啜り、目の玉を、ぱちくり、ぐり、ぐり……、瞼の裏のぬめぬめと格闘していたら、鼻先に、すっと横から手が伸びた。
「はいっ!」
抜けるような黄色い声と、水色のハンカチだった。
*