勉学心得十五箇条 ハルジオン

 ハルジオンとヒメジョオン、まったくの赤の他人なのに姉妹のよう。それもそのはず、ともにアメリカ生まれの先輩と後輩なのだ。身なりも飾らずさっぱりとしていやみがないからどこでも人気者。それでいて、除草剤にも負けないその生き様はたくましい限り。植物分類学の草分け牧野富太郎は、自らに課した勉学の心得の第一に「忍耐」をあげている。

 ハルジオンは開花まで数年かかる。だが、いったん定着すれば地下茎の先端に子苗をつくり確実に増えていく。その名は春に咲く紫苑しおんという意味。ハルジョオンと表記する場合もあるが、それには春女苑という字をあてている。どこでも見かける雑草で、空き地の隅に埃だらけに咲いていたり、犬のマーキングの対象になったりする存在だが、じっくり見ると、花の可憐さはなかなかのもの。加えて、たくましくもある。

 名付け親は牧野富太郎。型破りな人だった。高知の造り酒屋の長男に生まれたが、植物採集と分類に没頭して家をつぶす。そして、その後の貧窮生活の中でも意志を曲げずに独学を続けた努力の人だった。その勉学の心得が「赭鞭一撻しゃべんいったつ」として残っている(カッコ内は牧野植物園が現代語に書き換えたもの)。ちょっと長いがじっくり読んでほしい。学問に限らず、独学精神の真髄だ。

 一、忍耐を要す(何事においてもそうであるが、植物の詳細は、ちょっと見で分かるようなものではない。行き詰まっても、耐え忍んで研究を続けなさい)

 二、精密を要す(観察にしても、実践にしても、比較にしても、記載文作成にしても、不明な点、不明瞭な点が有るのをそのままにしてはいけない。いい加減で済ます事がないように、とことんまで精密を心がけなさい)

 三、草木の博覧を要す(草木を多量に観察しなさい。そうしないで、少しの材料で済まそうとすれば、知識も偏り、不十分な成果しか上げられない)

 四、書籍の博覧を要す(書籍は古今東西の学者の研究の結実です。出来得る限り多くの書を読み、自分自身の血とし肉とし、それを土台に研究しなさい)

 五、植学に関係ある学科は皆学ぶを要す(植物の学問をする場合、物理学や科学、動物学、地理学、農学、画学、文章学など、ほかの関係分野の学問も研究しなさい)

 六、洋書を講ずるを要す(植物の学問は日本人や中国人のそれよりも、西洋人の学問が遥かに進んでいるので、洋書を読みなさい。ただし、それは現在の時点においてそうであって、永久にそうではない。やがては我々東洋人の植物学が追い越すでしょう)

 七、当に画図を引くを学ぶべし(学問の成果を発表する際、植物の形状、生態を観察するに最も適した画図の技法を学びなさい。他人に描いて貰うのと、自分で描くとは雲泥うんでいの差です。それに加えて練られた文章の力を借りてこそ、植物について細かくはっきりと伝えられます)

 八、よろしく師を要すべし(植物について疑問がある場合、植物だけで答えを得ることはできません。誰か先生について、先生に聞く以外ありません。それも一人の先生じゃ駄目です。先生と仰ぐに年の上下は関係ありません。分からない事を聞く場合、年下の者に聞いては恥だと思うような事では、疑問を解くことは、死ぬまで不可能です)

 九、りん財者は植物学たるを得ず(以上述べたように絶対に必要な書籍を買うにも、機械を買うにも金が要ります。けちけちしていては植物学者になれません)

 十、跋渉ばっしょうの労をいとふなかれ(植物を探して山に登り、森林に分け入り、川を渡り、沼に入り、原野を歩き廻りしてこそ新種を発見でき、その土地にしかない植物を得、植物固有の生態を知ることができます。しんどい事を避けては駄目です)

 十一、植物園を有するを要す(自分の植物園を作りなさい。遠隔の地の珍しい植物も植えて観察しなさい。鑑賞植物も同様です。いつかは役に立つでしょう。必要な道具も勿論です)

 十二、ひろく交を同士に結ぶ可し(植物を学ぶ人を求めて友人にしなさい。遠い近いも、年令の上下も関係ない。お互いに知識を与えあう事によって、知識の偏りを防ぎ、広い知識を身につけられます)

 十三、迩言じげんを察するを要す(職業や男女、年齢の如何は植物知識に関係ありません。植物の呼び名、薬としての効用など、彼らの言うことを記録しなさい。子供や女中や農夫らの言う、ちょっとした言葉を馬鹿にしてはなりません)

 十四、書を家とせずして、友とすべし(本は読まなければなりません。しかし、書かれている事がすべて正しい訳ではないのです。間違いもあるでしょう。書かれている事を信じてばかりいる事は、その本の中に安住して、自分の学問を延ばす可能性を失うことです。新説をたてる事も不可能になるでしょう。過去の学者のあげた成果を批判し、誤りを正してこそ、学問の未来に利するでしょう。だから、書物は、自分と対等の立場にある友人であると思いなさい)

 十五、造物主あるを信ずるなかれ(神様は存在しないと思いなさい。学問の目標である真理の探究にとって、有神論を取ることは、自然の未だ分からない事を、神の偉大なる摂理であると見て済ます事につながります。それは、真理への道をふさぐ事です。自分の知識の無さを覆い隠す恥ずかしい事です)

 これが、植物学を志すようになった十八歳頃のものだというから驚く。

 こんな牧野だが、よく「ずぼら者」といわれた。だが、彼の場合、ふつうの怠け者ではなかった。「頼まれた事は少しもやらずに、頼まれない事ばかり夢中になってやる人」(『植物集説』編輯所感)とは石井勇義いしい ゆうぎ(一八九二~一九五三年)の微笑ましい寸評だが、その「ずぼら」を理由に東大から追い出そうとした教授連を相手に、牧野はこうやり返している。

「私のずぼらはたちの悪いずぼらではない(ハヽヽヽ)一方でずぼらと見える時は必ず一方で精励して持ち前のしょうを発揮して居る時である(略)其真相を洞見する明がなく無闇に私をずぼらな人間と速断してなしつけるのは其一斑を見て全貌を知らざる皮相の観察である」(同、原文カナ書き)

 寺子屋教育しか受けていなかったが、学歴などなんのその、植物学研究一本に自分流の生き方を生涯曲げなかった。さすが、個性の人である。

 

 近似種にヒメジョオン(姫女苑)があるが、この二つは一目で違いがわかる。ハルジオンの花は蕾のときにはうつむいているのに対し、ヒメジョオンの方は直立している。そして、花期はハルジオンの方は夏までだが、ヒメジョオンの方は肌寒くなった晩秋まで続く。

 同じ北アメリカ原産の渡来種にしても、ハルジオンは大正年間の渡来なのに対し、ヒメジョオンの方は半世紀さかのぼった明治維新前後の渡来で、それから全国に少しずつ広がった。それを証明するのがヒメジョオンの方言だ。

 まずは、アメリカからやってきたから「アメリカクサ」。こうして名前がきちんと付いているところから見ると、観賞用として意識して持ち込まれたのかもしれない。

 また、その当時は明治維新前後だったから「ゴイシングサ」(御維新草)、「テンチョウグサ」(天長草)。そして、「サイゴウグサ」(西郷草)。これは西南戦争(一八七七年)のあとに付けられたものだろう。さらに、タイショウソウ(大正草)というのがある。ほかに、たぶん昭和に入ってのものだろう、カイコンソウ(開墾草)、テツドウクサ(鉄道草)、そして、センソウグサ(戦争草)、ハイセンソウ(敗戦草)となる。開拓地や線路脇、そして、敗戦後の荒れ地にも根強く根を下ろしたからだろう。まさに、歴史の証人。名前をあれこれ変え、日本列島を移動しながら世の変遷を眺めてきた。

媛女苑ひめじょおん

 しかし、こうした名前を持つのはヒメジョオンに限ったことではない。ヒメムカシヨモギも、ゴイシングサ、メイジソウ、テツドウグサといった別名を持っている。ヒメジョオン同様、明治初期に入ってきたものが線路脇など荒れ地に広がっていったからだろう。明治初期に渡来種が多いのは、鎖国が解かれて海外との交流がはじまったから当然だ。ほとんどは、輸入された荷物にくっついて全国に広がったのだろう。

 ヒメジョオンは受粉なしに種子をつくるという雑草らしい強さを持っているが、そのくせ、日陰では育たない。種類にもよるが、雑草も日陰で生きるには辛いものがあるようだ。

 

 面白いのは、牧野の予言だ。戦後しばらく経った一九五六年にこう記している。九十五歳で亡くなる前の年だった。

ハルジョオンママは、十数年前の、北米からの来客だ。今が彼等の全盛期で、やたらに、方々で花が咲いている。しかし、この奴も今の間にその影を没するであろうと私は今予言しておく」(『植物一家言』北隆館、二〇〇〇年。ここではハルジョオン=春女苑としている)

 以来、半世紀近く経った。しかし、ハルジオンは元気に都会でも生きている。牧野の予言は当たらなかった。そこが雑草の世界である。空き地や垣根はもちろんのこと、ブロック塀と地面とのわずかな隙間にもしっかりと根を下ろして花を咲かせる。ハルジオンが愛らしいのは、どこにあっても頭をコックリコと垂れ下げていることだ。しぶとく生きても威張らない。きっと性格がいいんだろう。

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