水色馬車の運転手さん
作 ドーラ・アロンソ
絵 フェリス・ロドリゲス
訳 倉部きよたか
*
カルボネラスにほど近い、バラデロの海岸通りに、マルティン・コロリンという運転手さんが住んでいました。かれには、アスリンとアスロサという二人の子どもと、いたずら好きでよく吠える子犬がいて、一頭の白い馬と、おんぼろ馬車が一台ありました。
ある日のことです。
マルティンは、水色のペンキと刷毛を買ってくると、子どもたちといっしょに、馬車のペンキ塗りをはじめました。毎日、海ばかり見ているので、なんでもかんでも、みんな、水色にしたくなったのでした。
馬車は、思ったよりきれいに仕上がりました。すると、自分たち三人がみすぼらしく見えてしかたがありません。そこで今度は、服や、靴から帽子まで、みんな、馬車と同じ、水色に染めることにしました。それだけではありません。頭につける水色のかつらもつくることにしたのです。小旗のようにひらひらする長い髪のかつらです。
かつらに使うのはシサール。エネケン工場に行けばいっぱいありました。シサールは染めやすいのです。
ただ、水色の馬車には、やっぱり水色の馬でないと似合いません。困ったマルティンは、あてのないまま、あちらこちら、水色の馬をさがして回りました。でも、そんな馬なんているわけがありません。
結局、水色の馬は見つからず、ただ疲れただけ。でも、マルティンはあきらめません。いい方法を思いついたのです。
まず、バケツに水をいっぱい入れて藍を溶かすと、いたずら犬をひっつかんで投げ込みました。
すると、どうでしょう。五分ほどたって、いたずら犬が、ぶる、ぶる、体をふるわせながら出てきたときには、だれが見ても、水色の犬と見違えるほど、きれいに染め上がっていました。実験は成功です。
すっかり気をよくしたマルティンは、バケツに、さっきよりもたくさんの藍を入れてかき混ぜると、今度は、白い馬を染めはじめました。そうして、耳、お腹、たてがみ、尾っぽ、と順に染めていき、最後に、額の前髪を染め上げると、とっぷり日も暮れていました。
次の日曜日、朝日の中をマルティンと子どもたち、そして、いたずら犬は、馬車で浜辺の小道を走っていました。あたりは一面、ウバ・カレタの花でいっぱい。
「そーれっ、アスレホ!」
マルティンは、かけ声も高く、アスレホの手綱を引きました。
水色馬車は浜辺の道をまっしぐら。
朝日に海は、きら、きら、輝き、いたずら犬は、ぴょん、ぴょん、うれしそうに馬車のあとを追いかけます。
キリビーン、キリビーン、キリビーン、キリビーン!
アスレホは、水色の長い尾っぽと、しなやかなたてがみを、どうだりっぱだろう、といわんばかり、鼻も高々、軽やかに走ります。
キリビーン、キリビーン
もちろん、マルティンも子どもたちも、にこにこ顔で、元気いっぱい。
たのしい夏休み、冒険の旅のはじまりです。
馬車は、みんなを乗せて、マングローブやカレタが生い茂る海辺の一本道を走りました。カマリオカの入り江やバラデロの町が、どん、どん、遠ざかっていきます。
と、突然、マルティンは、手綱を引いて馬車を止めました。
「そうだ。まず、予定を決めておかなくちゃ」
みんなは馬車から降りて、相談することにしました。
コインを投げて決めようといったのはお兄ちゃんのアスリンです。
でも、マルティンはおもしろくありません。
「もっといい方法があるだろう」
「じゃあ、小石を投げて決めるっていうのはどう?」
妹のアスロサがいいました。
「いたずら犬の方に落ちれば北に行く。アスレホの方に落ちれば南で、お兄ちゃんの頭に落っこちれば東よ」
「えーっ、ぼくの頭に? いやだよ、そんなの」
アスリンはふくれっ面。
結局、ちょっと変わった方法ですが、かにを使って決めることにしました。かにを見つけるのは、もちろん、いたずら犬の役目です。大きな声で吠えたてながら、あたりかまわず砂浜を掘り返しはじめました。
やがて、なにかを見つけたのか、穴の中に尾っぽを入れると、ほうきで掃くように、ちょこ、ちょこ、小刻みに動かしています。と、
「うわぁーっ!」
叫ぶやいなや、陸上選手顔負けの猛スピードで駆け出しました。
みんなは大笑い。かにに尾っぽをはさまれたのでした。
でも、いたずら犬は、どうしてみんなが笑っているのか、さっぱりわけがわかりません。かにはそうしてとるもの、と信じていたのです。
マルティンは、棒切れで、砂浜に大きな十字を描くと、四つの先っぽに、E、O、S、Nと書きました。そして、十字に交わった真ん中に、そっと、かにを置きました。
すると、あっという間に、かには逃げ出し、草むらの中に隠れてしまいました。
でも、それでよかったのです。
マルティンは、身をかがめて、かにの足あとを調べると、いいました。
「よし、南だ。山の方へ行こう」
バチチェの町を過ぎると、一面、緑の野菜畑の中に、ぽつんと一つ、白い学校が見えてきました。
校庭には、きっと、ホセ・マルティ(の像)が子どもたちを待っているでしょう。キューバの子どもたちならみんな知っています。マルティはキューバ独立の英雄です。
もく、もく、と高い煙突から煙を吐いているのはウンベルト・アルバレス製糖工場で、やがて、グァシマスからサレの町の曲がり角に出て、カンテル通りに入っていきました。
キリビーン、キリビーン、キリビーン!
アスレホはとてもたのしそう。アンテナのように大きく揺れるシサールの頭飾りが、すっかり気に入ったのか、両側に大王やしやピニョン松が続く道を、さっそうと走ります。朝も明けたばかり、お日様は、まだ、やさしい黄金色にほほえんでいます。
マルティンは詩人にでもなったつもりか、上機嫌で歌いはじめました。子どもたちは、目を、きら、きら、輝かせ、まわりのけしきに見とれています。
と、いたずら犬が、ひょいと馬車の運転台に飛び移りました。遠くにマリポサが飛んでいるのを見つけたのです。
キリビーン、キリビーン、キリビーン!
プレシオソといって、スペインの植民地時代につくられた古い製糖工場のあとには、びっくりすることが、みんなを待っていました。百年以上もたっていそうな大きなセドロの木があって、てっぺんに、なんと、大凧のように羽を広げた大きな鳥がいたのです。
石のように固そうなくちばし、麦わらを編んだような模様の入った太い足、折り紙でつくったような鮮やかな赤いとさか。そして、これも赤く透き通った四角い翼。
それだけではありません。尾っぽは、たっぷり五十メートルはあるようです。緑色のしなやかな一本の羽根でできていて、先っぽに、黄色い菊の花に似たぼんぼりがついています。
そして、鳴き声の甲高いこと。
みんなの驚きようといったらありません。ところがどうでしょう、息を呑んで、じっと様子を見ていると、もう一つ、べつの声がするのです。
フリルリ、フリルリ、フリルリ……
短くふるえるような鳴き声でした。
「ほら、あそこに、もう一羽いる!」
大きなやしの木を、アスリンが指さしました。
見ると、大枝に、きらきら光る美しい鳥が羽を休めています。
体が重いのでしょう。枝は大きくしなっています。翼は霜におおわれたように真っ白で、胸からお腹にかけて、やわらかそうな白い羽毛に包まれ、足の指は黄色く、爪は長くて黒みかがった紫色をしています。
そして、フリルリ、フリルリ、と鳴きながら、尾っぽを噴水のように高く大きく広げるのです。
しばらくすると、セドロの木にとまっていた一羽が飛び立ちました。ゆうゆうと、首を左右にふりながら、透き通った四角な赤い翼をいっぱいに広げ、尾っぽを風に長くなびかせ、空高く舞い上がっていきました。
すると、もう一羽も飛び立ちました。
きら、きら、輝きながら、独楽のように、ぐる、ぐる、舞い上がる姿は、まるで竜巻のようで、あっという間に、先の一羽に追いつくと、二羽、仲良く並んで、雲の向こうに消えていきました。
「ねえ、あの鳥の巣をさがそうよ」
といったのはアスロサでした。
「そうしよう、そうしよう」
アスリンも乗り気のようです。
でも、マルティンは素直に賛成できません。子どもの木登りは危ないし、二人を、野次馬でなく、ほんとうの勇気ある子どもに育てたかったからでした。
子どもたちは、いたずら犬をつれて、古い製糖工場の探検に出かけました。
丘に続く一本道を上っていくと、大きな石の門がありました。藤や葛の蔓がいっぱいからみついています。
気がつかないうちに、ずいぶん上ってきたようです。ふり返ると、浜辺も、さとうきび畑も、みんな遠くに霞んで、馬車も、おもちゃのように小っちゃく、馬のアスレホも黄金虫ぐらいにしか見えません。
手をつないで、二人は、くずれかけた門の端っこから中をのぞいてみました。さっきのセドロの木と同じくらい、大きな木がいっぱい茂っています。石につまずかないよう気をつけながら中に入り、あちこち、木の上に鳥の巣がないか調べて回りました。
「ほんとに静かねえ、お兄ちゃん」
アスロサがいいました。
「こわいのか?」
アスリンがふり向きました。
「そんなことないわよ」
アスロサは意地っ張りでした。
細い道をまっすぐ進むと、突き当たりに、古ぼけて煤っぽくなった建物があって、屋根の梁に上ると、そこは、もう枝に手がとどく高さで、あたりがよく見渡せました。
アスロサは、アスリンの腕をぎゅっとつかんで、指さしました。
「ほら、あれ! さっきの、きら、きら、光ってた鳥の巣じゃない? きっとそうよ」
アスロサは、自信たっぷりです。
「もっと近くに行ってみよ」
そういって、庇の端まで行くと、巣の中に卵があるのが見えました。つるんつるんとして、まん丸い、オレンジぐらいもある大きな卵でした。
アスロサは、びっくりして、目をぱちくりさせています。
「ほら、あそこにもあるわよ! 大凧鳥の巣よ、きっと」
草を集めてつくったのでしょう、巣の中には卵がいっぱい並んでいました。
でも、おかしなことに、もう一つの巣の中の卵は、まん丸ではなく、みんな角張った賽子のような形をしています。おまけに、一つ一つに、1、2、3、4……と12までの数字が書いてありました。数字が大きくなるにつれて、形も大きくなっているのです。
グァウ、グァウ、グァウ!
突然、大きな鳴き声に、いたずら犬はびっくりして、うーうっ、と身構えました。
見上げると、大きな鳥が二羽、二人に向かってきます。一羽は不思議な尾っぽを後ろになびかせ、ぴこ、ぴこ、頭をふりながら……、そして、もう一羽は、全身が彗星のように、きら、きら、光っています。
ころげるように、二人は製糖工場を逃げ出し、麓まで駆け下りると、マルティンは、大急ぎで二人を馬車に引っ張り上げ、ぴしっ、アスレホのお尻に鞭を入れました。
キリビーン、キリビーン、キリビーン!
アスレホは、力いっぱい駆けました。
そして十キロも走ると、子どもたちにも笑顔が戻り、さっきの不思議な鳥の話で持ちきりになりました。
いたずら犬は尾っぽをふりふり、馬車の中を走り回ります。アスレホは、マルティンが手綱を引くと、少しだけ、スピードをゆるめました。
とある村にたどり着いたのは、夕方も五時近くのことでした。まるで絵本の中から抜け出したようなかわいい村で、奇妙なことに、どの家の屋根も、瓦がドミノ・パイで、雨戸はみんな羽根でできていました。白や、カティ・インコのような緑色、きじばとのような灰色などさまざまで、どれもきつつきの翼のように縞模様が入っています。縞の色はカナリアやつぐみのそれと同じでした。
不思議なことに、風が吹くと、羽根がふるえ、歌を歌っているように聞こえるのです。
だから、村じゅう、とてもたのしそう。でも、一つだけ困ったのは、春になると、羽根がみんな、どこかに飛んでいってしまうことでした。
村の中は、かたつむりのように、一本道が、ぐる、ぐる、渦を巻きながら村の中心に続いていて、まん中には、回転木馬のある小さな広場がありました。
いつもなら、子どもたちが遊んでいる時間なのに、一つの影もありません。つい、気をとられたアスレホは、街灯に馬車をぶつけて、片方の車輪がはずれてしまいました。しかたがありません、みんなは馬車から降りて、修理することにしました。
真っ先に飛び降りたのがいたずら犬です。ううっ、と歯茎をむき出して、すごい顔をしています。
「どうしたんだろう?」
マルティンが子どもたちの方を見ると、アスリンが指をさしています。
「あそこの庭に、犬がいるんだよ」
「でも、あの犬、つながれてるわよ。それに、眠ってる」
アスロサがいいました。
「なんだかおかしいな、ここは……。ほんとに、ちょっとへんだよ」
マルティンは、あたりを見回しながら、心配そうにいいました。
奇妙な静けさでした。一匹の蠅の羽音も、まるで雷鳴のように大きく響くのです。
といっても、だれも住んでいないというわけではなさそうです。あちこちに、人の姿も見かけます。ところが、みんな、銅像のようにじっと固まったまま……。
商店街もあって、お店も並んでいるのに、お客も店の人も身動き一つしません。揺りかごの中の赤ちゃんも、だだをこねて泣いているのに、まったく動かないし、泣き声も聞こえません。そしてお母さんも、パントマイムのように釘付けに、ぴたりと止まっているのです。
電柱に上って工事をしている人も、止まったまま。肉屋さんもパン屋さんも、ウェディング・ベールをつけてブーケを手にした花嫁さんも、マネキン人形のようにじっとしています。
左官屋さんは、こての上に漆喰を山のように盛り上げたまま。鍛冶屋さんは金床の上にハンマーをふり下ろそうとした瞬間のまま、じっとしていて、鳩の群れも、空中で翼を広げたまま。
学校からは子どもたちの話し声も聞こえません。なにもかもが博物館の蝋人形のようにちっとも動かないのです。
マルティンは、わけがわからなくて、頭を抱え込んでしまいました。
「みーんな、お化けじゃ、な、い、の?」
いたずら犬は、そうっといいました。
「そんなはずないでしょ」
えらそうにいったものの、アスロサもこわくてたまりません。
「死んでなくても、ずっとあんなふうにしてたんじゃ、そのうち、きっと死んでしまうよ」
いたずら犬は臆病なのに、もっともらしいことをいいます。
「そういえば、この村には、お墓がないね」
アスリンがいいました。
「たしかに、そうだな」
マルティンもうなずきました。
「どうしてなの、どうして?」
アスロサは興味津々です。
それからも、三人は、ああでもないこうでもないといい合いました。しかし、いい答も見つからず、しゃべり疲れてしまいました。そこで、ひとまず村のことは放っておいて、とにかく、壊れた馬車の修理を急ぐことにしました。
馬車の修理が終わったところで、今度は宿さがしです。でも、どこをあたればいいのか、見当もつきません。しかたなく、だれか、出会った人に教えてもらうことにしました。
キリビーン、キリビーン!
馬車は、一本道を、ぐる、ぐる、回り、かたつむりの村から出ていきました。
最初に出会ったのは、背中をくの字に曲げて、大きな、さとうきびの束を背負った小人でした。髭もじゃで、長いげじげじ眉毛が、やしの葉のように、まぶたの上まで垂れ下がっています。馬車に乗ったみんながめずらしかったのか、にらむように、こっちを見ていました。
「どこへ行くんだい?」
「冒険旅行さ。けど、今晩泊まるところがないんだよ。どこか知ってたら、教えてくれないかな」
すると、突然、
「ダマソ・コルンピオ! ダマソ・コルンピオ!」
げじげじ眉毛が大声を上げました。
「わしゃあ、ダマソ・コルンピオ。コルンピオは揺れるブランコ」
いたずら犬は、自動車のバンパーのようなげじげじ眉毛にびっくりして、尾っぽをすぼめて、きゃん、きゃん、吠えたてます。
でも、親切に、ダマソは宿を教えてくれました。
宿は、サレという町とカンテルという町の中間にあるが、一晩ぐらいなら、サレとカンテルでも休むところはあるというのです。
そして、さっきの村は「眠りの村」といって、だれもそこに行こうとしないし、旅人も、たとえ、どんなに喉が渇いていても、けっして井戸の水は飲まないらしいのです。
なんだか、不思議です。
「そんな名前の村があるなんて、聞いたこともないわ。あたし、地理は得意なんだから。いつも十点満点よ」
アスロサは胸を張りました。
「うそつけ。六点ばっかじゃないか」
すかさず、アスリンがいいました。あとは喧嘩です。
「ちがうわ、十点よ!」
「いや、六点だよ!」
すると、
「十六点じゃ!」
頭の上で、さとうきびの束を、くる、くる、回しながら、ダマソがいいました。
「十足す六は十六じゃろ。わしのさとうきびはもっとあるぞ」
あきれて、マルティンが割って入りました。
「地理の点数なんて、どうでもいいじゃないか。それより、ダマソ、眠りの村のことをもっとくわしく教えてくれないか」
いま出てきたばかりの村のことを、もっと知りたかったのです。どうして地図にも載っていないのか、不思議でたまりません。
ダマソは、マルティンに少しでも近づこうと、ひょいっ、とさとうきびの束の上に乗っかりました。背が低いので、声が届かないと思ったのです。
「眠りの村が、かたつむりのようになったのにはわけがある。くる日も、くる日も、つむじ風が吹いたからなんじゃ」
話というのはこうです。
吹き続けていたつむじ風は、ある日、村人たちがまだ眠っているうちに、すうっと止んでしまいました。あたりは真っ暗なまま。そうして朝になると、道の両側に、羽根とドミノ・パイでできた家が渦巻き状に並んでいました。
村人たちは、みんないい人ばかりで、サレやカンテルからもたくさん、人がやってきました。
ところが、三日目から様子がおかしくなりました。不思議なことに、村人も動物も、草や木も、みんな眠りはじめたのです。
それからというもの、一日のうち二時間、昼過ぎの二時から四時までの間以外は、村のみんなは、眠ったまま、動かなくなってしまったのです。
ダマソの話は不思議なことばかりで、聞いていると、ますます興味がそそられます。
「みんな、井戸の水を飲んだんじゃな。すると、どうじゃ、一日に二十二時間も眠りこけてしまう病気になってしもうた」
「………」
みんなは、じっと耳を傾けます。
「つまり、一日のうち、たった二時間のうちに、なにもかもやってしまわんといかんというわけじゃ。子どもを産んだり、結婚式を挙げたり、学校に行ったり、ダンスをしたり、引っ越しをしたり、花に水をやったり、風呂に入ったり、もちろん、仕事をするのも、犬の散歩をさせるのも、二時間のうちにやってしまわんといかん。おまけに、みんな、体が小さいときておる。じゃから、なにをするにも駆け足でな。死ぬ暇もないというわけじゃ。そういやあ、こんなこともあったな」
それを、マルティンがさえぎりました。
「ちょっと待ってくれ!」
そうでもしないと、ダマソの話はどんどん先に行ってしまいます。
「続きはあとにして、まず、その、目を覚ましている二時間というのはどうなっているのか、教えてくれないか」
「おお、そうか、そうか」
待ってましたとばかり、ダマソは続けました。
「まず、目が覚めると、すぐに前の日の続きをやるんじゃな。とにかく体が小さいんで、たとえば、駅に行くだけでも一週間はかかる。じゃが、汽車の方も、ほんの数キロ走ると、また、同じところに戻ってきよるから、ぐずぐずしとると、汽車の方がぐるりと一回りして戻ってくる、ということもあるんじゃな」
「なるほど、なるほど」
といったものの、どういうことか、よくわからないまま、マルティンはうなずきました。
「もっと知りたいか?」
「いや、いや、もう十分、十分」
マルティンは、ダマソのおしゃべりにちょっと疲れ気味。
それでもダマソは、
「遠慮せんと、なんでも聞いてみろ」
さとうきびの束の上を、ぴょこ、ぴょこ、飛び跳ねながら催促します。
「わしゃあ、なんだって知っておる。魔法使いのグラン・マゴのことも、まだ話してはおらんかったな。Rが二つ並んだ、cigarro、barril。フェファ、フォファ、ブファ、ベファ! S、S、S! Sがヒューヒュー、口笛吹いて飛び出しおった」
さっぱり意味のわからない、けれどけっこうおもしろい、ダマソのおしゃべりは雨のように、みんなに降りそそぎます。ずぶ濡れになったアスリンはかつらをしぼりました。すると、どうでしょう。RRやFやSやら、アルファベットが、口からも鼻からも飛び出しました。
それだけではありません。それを見て、笑い転げているアスロサのブラウスからも、マルティンの鞭からも、アスレホの背中からも、アルファベットがいっぱい飛び出てくるのです。
そのときです。大きく一つ、ダマソが手をたたくと、
キリビーン、キリビーン、キリビーン!
びっくりしたアスレホが走り出し、ダマソのさとうきびの束が、道の真ん中に転がりました。
カンテルの町にたどり着いたときには、日もとっぷり暮れていました。
別荘風の大きな屋敷があって、ベランダの手すりの彫刻がみごとです。うっそうとした松林に囲まれ、薔薇やもくせい、薬草のカーニャ・サンタや、トロンヒルの香りも甘くただよってきます。パティオには、すももやマンゴやサポテが、いっぱい実をつけていました。
町の人たちは、マルティンたちをサーカスの一団だと勘違いしたようです。無理もありません。馬車や馬まで水色に塗り、派手な格好でやってきたのですから……。年老いた先生は、砂金石のボタンのついたまっさらなリンネルの上着を着て、若者たちはランプを持ってお出迎えです。
マルティンは上機嫌。まるで凱旋の英雄にでもなったかのように、これまでの出来事を話しはじめました。
古い製糖工場で大凧鳥をさがし回ったこと、眠りの村でのこと、げじげじ眉毛のダマソのことなど、休みなく、立て板のように。でも、だれも、いやな顔一つしません。そうです。カンテルの人たちは、もてなし上手なことでは世界一だったのです。
こうして大歓迎を受けたマルティン一行は、村はずれの別荘で一夜を過ごすことにしました。深い木立に囲まれた大きな屋敷で、ちょっと古ぼけているからでしょう、なにか不思議なことが起こりそうです。
着くと、すぐにアスレホを、草が食べられるよう馬車から放してやりました。そして、マルティンと子どもたちは、かつらを脱ぐと、斧とランプを手に、炊事用の薪さがしに出かけました。
いたずら犬は馬車を見張るために、一人、お留守番。でも、上機嫌でした。庭には、ばったやいろんな虫たちが遊んでいたし、小鳥たちも、へんな色をしたわん公だ、といわんばかり、めずらしがって近寄ってくるのです。
「あんた、だれ?」
首の黄色いむくどりが、警戒しているのでしょう、少し距離をおいて、話しかけてきました。
「おれは、スンバスランガ。お月様からやってきた」
いたずら犬は、すまし顔で大嘘をつきました。
そうとも知らず、興味津々の小鳥たちは、どうしてカンテルまでやってきたのかたずねます。
いたずら犬は、また嘘をつきました。小鳥たちを驚かせてやろうと歯茎をむき出しに。
「おまえたちを捕まえにやってきたあー。おれは、小鳥の羽根で家をつくるんだあー」
小鳥たちはびっくり仰天、一羽残らず、空高くに逃げていきました。
すっかり満足したいたずら犬は、馬車の中に体を小さく丸めると、うと、うと、眠ってしまいました。
気がつくと真夜中。薄墨を流したような闇空に星たちは、それぞれ、思い思いに、青く、白く、輝いています。未知の世界を冒険している気分で、いろいろ想像していると、いたずら犬はすっかり目が覚めてしまいました。
だれもいない別荘に一人ぼっち。
おまけに、あたりは真っ暗。木立を吹き抜ける風も、ひゅー、ひゅー、とかなしそう。思わず、目を、ぱちくり、あたりを見回すと、毛玉のように体を丸く縮こめました。
ティク、ティク、ティク!
クロッ、クロッ、クロッ!
チュイ、チュイ、チュイ!
どこかで、へんな音がします。
いたずら犬は、じっと声を殺して身を潜めていましたが、がまんできなくなり、ぴょん、と一っ飛び、馬車の中に隠れました。でも、頭隠して尻隠さず、ふさふさの尾っぽは外にはみ出たまま。
おそるおそる馬車のかげから、そっとのぞくと、おかしな仮面をかぶった道化師が三人、ぴょこ、ぴょこ、飛び跳ねながら歌っています。
道化師のホアンが
ちっちゃい時計を買ったとさ
金の時計かな
銀のかな
銅のかな
それとも、水時計かな
いたずら犬は、夢じゃないかと、目をぱちくり。
よく見ると、お化けたちは手がすごく長くて、足は、のしいかのようにぺっちゃんこ。鈴を鳴らし、ブリキの笛を吹きながら、輪になって踊っているのです。頭には、だらりと折れ曲がった帽子をかぶっていました。
道化師のホアンが
ちっちゃな時計を買ったとさ
砂糖でつくった時計かな
生クリームの時計かな
それとも、アイスクリームのかな
いや、いや、なんでもない、つまらないものさ
いたずら犬は勇気を出して聞いてみました。でも、ぶる、ぶる、ふるえが止まりません。
「あ、あ、あなた、た、たちは……?」
三人のお化けたちは、そろって答えました。
「犬食いだぁー!」
いたずら犬は大声で叫びました。
「たすけてぇ!」
お化けたちは、馬車を、ゆさ、ゆさ、揺すりはじめました。
もうおしまいだぁ、いたずら犬は覚悟を決めました。
いたずら犬の叫び声を聞いて、マルティンは、子どもたちといっしょに、大急ぎで戻りました。
でも、馬車の運転台から、いたずら犬の尻尾がのぞいているだけ。少しの変わった様子もありません。
「おい、どうしたんだ?」
いたずら犬は腰が抜けてしまったのか、操り人形のように、手も足もよれよれで、ぶる、ぶる、震えながら馬車から降りてきました。
「い、い、犬食いだよぉー。こんな、大っきいのが、三つも!」
「なにいってんだ、夢でも見たんだろ。どこにもいないじゃないか」
アスリンが馬車のまわりを見回すと、
「ばか犬ね、ぼやぼやしてるからよ」
アスロサが悪たれ口をたたきました。
マルティンは、ランプを顔の前に高くかざしながら、パティオや近くの草むらを調べて回りましたが、どこも変わったところがありません。
「こわい夢でも見たんだろう」
さらりといいました。
「おまえの頭のねじを修理してくれるお医者さんをさがさないとな。カンテルにも、一人ぐらいはいるだろう」
すると、どうでしょう。
「ここにいるよ!」
どこからか、声がするのです。
「いや、こっちだよ!」
すると、もう一つ。
「ほら、こっち、こっち!」
三つ目の声も。
「だれだ!」
マルティンが声の方にランプをかざすと、三人の道化師が現われました。
「ぼくは、1・2です」
一人目の道化師が、一歩前に出て、あいさつしました。
「ぼくは、2・3」
二人目は、小さくおじぎをしました。でも、もう一人はなにもしないで、突っ立ったまま。
「ぼくは、3・4だよ」
マルティンと子どもたちはびっくり仰天。なんと、1・2の上着の胸には、心臓が逆さまにくっついているのです。2・3は? と見ると、こちらは二つ。そして、3・4の心臓ときたら、カシューナッツのような形をして、どきんと脈打つたびに、真っ赤になったり、少しうすいピンク色になったりします。
道化師たちは、いいました。
「グァシマスでショーをしてたんだけど、シクロンにテントを吹き飛ばされちゃってさ。しかたがないよ、ずっと野天でショーをしながら、あちこち、旅をしてるってわけさ」
マルティンと子どもたちは気の毒になり、三人を夕食に招待することにしました。
1・2が、マルティンのかつらから、はち鳥を呼び出したり、アスレホの耳からギターを取り出したり、魔法を使ってみせると、ほかの二人は、フルートを吹きながら踊ったり、とんぼ返りをしたり……、楽しいショーが終わると、みんなはパティオに集まりました。あたりは明るい月の光でいっぱいです。
マリポサたちは、木の上で眠っていたところを起こされ、眠気眼で、しばらく、がや、がや、騒いでいましたが、やがて、また、木の葉の雨が降るように、しんしんと眠りはじめました。
マリポサたちを起こさないよう、みんなは焚き火のまわりに丸く輪をつくり、腰を下ろして道化師たちの話に耳を傾けました。
軒先から、かえるが一匹、鼻ぺちゃ顔をのぞかせています。
名前はカシルダ。ずっとこのお屋敷に住みついているのですが、持っていた蝋燭の火を消すと、みんなと同じように、道化師たちの話に耳をそばだてました。
「さぁーて、みなさん、ある朝のことでした」
1・2が話しはじめました。
郵便屋さんのピルレロは、どうすれば配達鞄をいっぱいにできるか、頭をかかえていました。鞄の中には手紙が一つもないのです。
おまけに、ちょっと酔っぱらっていて、頭の中が、ぐる、ぐる、回って、自分が何人もいるような気分なのです。
でも、名案が浮かんだようで、金物屋さんに行くと、缶切りではなく、大きな紙袋にいっぱい、手紙と封筒を買ってきました。
ピルレロが働いている郵便局というのは大きなポストでした。戻ってくると、切手を一枚、自分に貼り、階段を上ると、小包のように、すっぽり、差し入れ口から中に入りました。そして制服を脱ぎ、普段着の、スタンプ柄のシャツに着替えると、机に向かって仕事をはじめました。
「パンをちょうだい、パンをちょうだい」
おうむが籠の中からうるさく催促しても、ピルレロは知らん顔。だれかがやってきて、ドアを、とん、とん、たたいても出ようともしません。お昼用に、火にかけていたごちそうもすっかり焦げついてしまいました。
と、にわか雨まで降り出して、ポストの中は、あたり一面、雨漏りだらけ。それでも、手を止めません。
ピルレロのペンは、古いがちょうの羽根ペンでした。だからでしょう、先っぽをインキ壷に入れるたびに、がちょうが水遊びするように、インキがまわりに飛び跳ねます。すっかり、ピルレロの体は、ほろほろ鳥のように斑になってしまいました。
机の上には、紙の書類が山のように積まれていて、いろんなアルファベットが、あちこち自分勝手に散らばり、封筒の上に並べられるのを、退屈そうに、いまかいまかと待っています。
Rは灰皿につまづいて足が折れていました。Bはお腹がへっこんでPのよう。Wはひっくり返ってMになり、Oは大きなあくびをして、まん丸になっています。だから、一人で、あっちへころころ、こっちへころころ、ボールのように転がり回っているのです。
こうして夕方までに、切手を貼るのに四リットルも水を使ってしまい、がちょうの羽根ペンもすっかり先がちびてしまいました。それでも、ピルレロは大満足。手紙を鞄につめ込むと、口笛を吹きながら、家から家へと配達して回りました。
その夜、村人たちはベッドに入るのがすっかりおそくなってしまいました。配達された手紙を、何度も何度も読み返したからです。だれの手紙にも、「きみが好き、忘れられない、キスしたい、抱きしめたい、早く会いたい」と、そんなことが書いてありました。
1・2の話はこれでおしまい。
木立の間から、お月様が顔をのぞかせると、カシルダの、どんぐりのようなまん丸い瞳が、きらりと光りました。ピルレロの話にすっかり夢中になってしまったのです。続いて2・3の話も聞きたくて聞きたくてたまりません。ちっちゃな手で、ぱち、ぱち、拍手。その手の、かわいいこと、かわいいこと。
ところが、どうしたわけか、2・3はあまり乗り気ではありません。1・2の話と比べられるのがいやなのです。
「1・2の話なんて、嘘っぱちさ」
馬の耳からギターを取り出したり、かつらから、はち鳥を出したりするのも、トリックだというのです。
そんな言い訳ばかりするから、みんな、がっかり。
「もう、やめろ! そんな話なんか、聞きたくないぞー」
野次が飛び交いました。
でも、そんな言い訳も、じつは、みんなに期待を持たせるよう、2・3が仕組んだ、それこそ、トリックだったのです。
2・3は、なぞなぞが得意でした。
「さあて、みなさん、海のなぞなぞでーす。水兵さんでない人は、船酔いしないよう、酔い止め薬を飲んでくださーい。さあ、船が出るぞー!」
曲がった骨のおちびちゃん
わたしはこっち、あなたはそっち
いつも、たがいに半分ずつで
けっして相手の方には行けません
と歌うのですが、みんなはきょとんとして、まったく反応がありません。そこで、2・3は、やさしいヒントを出してみました。
「一時には水兵さん、二時にはさびしがりやの船乗りさん、そして、三時にはこわいものなしの船長さん。わからないかな? そ、れ、は、かに!」
「かにはかにでも、ふつうのかにじゃない。それは、八本足の羅針盤」
それでも、みんなはさっぱりのってきません。かにの船乗りなんて見たこともない、と文句をいうのです。
「こういうことだよ、みなさん」
2・3がいいました。胸には、不思議な花と心臓が二つついています。
「かにがいるのは砂の中でしょ。その砂はどこからやってくるのかな? そう、海だよ、海!」
あちこちで、ひゅー、ひゅー、いっせいに口笛が鳴りました。2・3はグァシマスでは人気者の道化師です。自慢気に、ふん、と鼻を鳴らすと、なぞなぞを続けました。
水の中
そっくり双子の兄弟が
ちぐはぐにならないよう
調子を合わせて泳いでいく
「櫂のことかな?」
自信がないのか、アスロサは小さくいいました。
「大当たり!」
「いいぞ、その調子。もう一丁いってみようか」
背中の曲がった子どもが一人
浜辺で元気に海水浴
水に躍ると、大好物をつかまえた
「釣り針!」
と、アスリンは得意顔。
「いゃあ、りっぱりっぱ。じゃあ、こういうのはどうかな?」
海の底
固く口を閉じた箱が沈んでる
中にはひっそり
真っ白ドレスの王女様
「どうせ、今度も、かにだろ」
いたずら犬は、ふてくされて、どこかへ行ってしまいました。
「真珠だよ、真珠!」
だれかが答えたそのときでした。お月様が雲の中に隠れました。と、ごろ、ごろっ、雷が鳴り響き、大粒の雨が落ちてきました。
2・3は、両手をラッパのように口に当て、大声を張り上げました。
「テントをたたんで、家の中に入るんだ!」
結局、3・4の話は聞けずじまい。じつは、もうずいぶん前から3・4は、こっくり、こっくり、ゆうら、ゆら、船を漕いでいたのです。
夕立がひどくなってきたので、キャンプは中止。
眠ったままの3・4をおっぽったまま、みんなは、馬車を押して軒下に入れると、雨に濡れないようアスレホを柱につなぎ、だれもいない別荘の中に入りました。
ぎいっ、と玄関の階段が不気味な声で鳴きました。けれど、気にしない。まっすぐ進んで奥の食堂に入ると、ランプを置いて、みんなでテーブルを囲みました。
外は、滝のような雨で、真っ暗な空に、ときどき、ぴかっ、と稲妻が走ります。次の瞬間、どーんっ、とどこかに雷が落ちました。びり、びりっ、建物がふるえ、がら、がらっ、なにかが壊れる音がしたかと思うと、さーっ、と風が吹き抜け、ランプの火が消えました。
とん、とんっ!
ドアをたたく音がします。
とん、とんっ!
また、聞こえました。
そして、もう一度。
とん、とんっ!
ぶる、ぶるっ、みんなは、思わず身ぶるい。
「だれか、道に迷ったのよ、きっと」
椅子の上に、小さく膝をかかえながら、アスロサがいいました。
「こわがることなんかないさ」
アスリンは胸を張りました。
「そうだよ」
いたずら犬もいいました。でも、歯が、がち、がち、鳴っています。
「どうする? 開けようか」
マルティンは道化師たちにたしかめました。でも、三人は、暗闇の中でも、おどけ顔のまま。
「雷の音がうるさくって、なんにも聞こえないよ」
と、知らんぷり。
「とにかく、ドアを開けてみよう。このまま黙っていても、どうにもならんだろう」
マルティンは、ランプをとって火を点けると、ゆっくりドアの方に歩きました。
玄関の方、暗闇の中でなにかが動きました。
「こ、こんばんは」
マルティンが声をかけました。
「こんばんは、じゃないだろ。この嵐をなんだと思ってやがるんだ」
すごいしわがれ声です。
これは大男かもしれんぞ、思わず、マルティンは身構えました。
けれど、まったく姿が見えません。とにかく、中に入るよう、すすめました。すると、どうでしょう、カウボーイの格好をしているではありませんか。
太っちょでもなく、やせっぽちでもなく、背丈は一メートルぐらいか。鶏のようにいばり顔。かかとに拍車のついた長いブーツを履いて、パンタロンのお尻からはりっぱな尾っぽが突き出ています。腰には赤革のベルトを締め、なにかピストルのようなものをぶら下げていました。
男は、咳払いをしながら首のネッカチーフを締めなおし、ずぶぬれのパナマ帽を脱ぐと、こつ、こつ、ブーツのかかとで床板を踏み鳴らし、がしゃ、がしゃ、拍車を響かせながら、胸の滴を払いました。
「さあ、さ、どうぞ、どうぞ」
マルティンは覚悟しました。ほんとうは、夢の中にでも出てきそうな、へんてこりんなカウボーイ男なんか、ごめんこうむりたいとねがっていたのですが、ひどい雨の中を追い返すのも気の毒です。
食堂に案内すると、みんなは、びっくり仰天。なにしろ、おんどりそっくりのカウボーイだったのです。
「みんな、トントンさんを紹介しよう」
まだ名前も聞いていないのに、トントンさんと、勝手に決めていました。
すると、どうでしょう。カウボーイは、腰の拳銃を抜きざま、ランプめがけて一発、ぶっ放しました。
火が消えて、あたりは真っ暗。食堂の中はパニック状態です。
「動くな! キャンディーが飛ぶぞ」
けら、けら、とトントンは大笑いです。
ぱん、ぱんっ、あたり一面、キャンディーが散らばりました。
拾って口に入れると、パイナップル、アニス、レモン、そして、いちご味……。
「いったい、何者なんだい? きみは」
マルティンがたずねると、
「ピピシガージョって、しがないやつさ」
いばりん坊は、爪先立って、肩をいからせながら名乗りました。
ピピシガージョ?
あのピピシガージョかい!
そうです。ピピシガージョを知らない子どもはいません。
男は、椅子にふんぞり返り、拍車のついたブーツを自慢気に、テーブルの上に足を投げ出しました。
「ずいぶんむかしのことさ、おれは闘鶏場にいたんだな。そうさ、あの頃はめんどりたちも、卵を産むだけの機械じゃなかった。若いおんどりたちも、人に喰われるだけじゃなかった。知ってるかい? 闘鶏、ってな、りっぱな生き方もあったのさ。人間の男たちといったら、どいつもこいつも、目の色を変えてな。だから親方連中は、大儲けしたってわけさ」
吐き出すようにいいました。
「で、いまは、どんな仕事をやってるの?」
「ああ、ピノス島で、畜産計画の責任者をやってらあ」
鼻も高々に、爪先立って部屋の中を歩きはじめました。
「じゃあ、放牧したり、乳をしぼったり、優良種の子牛を育てたこともあるのかい?」
「まあ、似たようなことはね」
なにか秘密がありそうでした。
「畜産っていったって、おれのは特別なやつで、牛じゃない、亀なんだな。海みたいな広い池に、何百匹も、うじゃうじゃいる。あんなでっかい養殖場なんて、世界中さがしたって、どこにもないぜ」
ピピシガージョはとても話がうまく、よく聞いてみると、なんと、今日が誕生日で、三百歳になるというのです。ハバナがイギリス人に占領されたことも知っているし、ママ・テオドラやあのマティアス・ペレスに会ったこともあるらしい。
「まだ、おれも、ひよこのころだった。マリア・ラモスから有名なネコをプレゼントされたこともあったなあ。マリアは、マリカスターニャとずいぶん仲良しだった。二人とも、べっこうのくしが自慢でな、ネックレスやらイヤリングやら、山ほど持ってたっけ」
そんなことは、みんなにはどうでもよくて、どうしてカンテルにやってきたのか、アスリンがたずねると、「出会いの街角」や「夢の塔」や「ちょっとおかしな店」というのを見たいから、というのです。
「えっ、そういうの、どこにあるの?」
アスリンもアスロサも興味津々です。
「カンテルとサレの中間さ、眠りの村にあるんだよ」
そこで、マルティンは、行ってきたばかりの眠りの村でのことや、小人のダマソから聞いたことを、一つ残らず話しました。
「けど、あなたがいうような、そんな塔やお店なんか、どこにもなかったわよ」
アスロサは信じられません。
「そんなことねえよ。地図ならどんな地図にだって、眠りの村はきちんと載ってらあな。なにかい? このおれが嘘つきだっていうのかい」
ピピシガージョは、ちょっと臍を曲げたようです。
「そんなこといってないわ。ただ、見かけなかったっていってるだけよ」
アスロサはいい返しました。
「まぁ、見たけりゃ、おれといっしょにくればいいさ」
そんな話を、カエルのカシルダは、食堂の窓の下で聞いていました。とても寒がりやで、肩にショールを巻いています。
ピピシガージョは、モロン養鶏会社のあるトリグァノ島に行ったときの話をしました。すると、眠りこけていた道化師の3・4が、自分の番がきたと勘違いしたのか、突然、跳ね起きて、寝ぼけ眼で、なにやら、むにゃ、むにゃ、いいはじめました。
「ぼくも、ふわぁー、すっかり忘れちゃったけど……、あるところに、そう、むかしはきっと若かった……、一人のおばあさんが住んでいました。それが、ある日? いや、ある夜のこと、いや、ちがった、ちがった、ごめん、そうではなくて、夕方でした。一人の女の子が一匹の亀を見つけました。それで……、その亀には、それは、それは、きれいな紐がくくりつけてありまして……、海賊はいいました、ランプを消したのはおれじゃないぞおー」
わけのわからないことをいっていたかと思うと、また、こっくり、こっくり、眠りはじめました。おかしくて、吹き出しそうになるのを、ピピシガージョも、ぐっとこらえました。
キ、キ、リ、キーッ!
ピピシガージョのしわがれ声で、みんなは目を覚ましました。まだ夜も明けていないというのに、拍車のついたブーツもきちんと履いて、じゃがいもを炒め、コーン・スープをつくっています。
マルティンと、子どもたちと、1・2は馬車を点検、出発の準備にとりかかりました。
キリビーン、キリビーン!
みんなは、カタツムリの村に着きました。
でも、あたりはどこも、しーんとしたまま。パナマ帽のダマソは、小さな緑色の目を、きょろきょろさせると、広場の近くに、空をつんざくように頭を突き出している高い塔を見つけました。
ピピシガージョは、門番にあやしまれないよう、用心するようにみんなに注意しました。
「塔の中に、なにかあるの?」
いたずら犬は、こわくてたまりません。
「まあ、心配するなって、かけ声かけていこうぜ。それっ、いち、にー、いち、にー」
塔は、まわりの壁がドミノ・パイでできていて、てっぺんには風見鶏が、くる、くる、回っていました。
「おっと、だれかと思ったら、おれの大祖父さんじゃねえか。あいさつしとかんとな」
いうと、しわがれ声をふりしぼり、風見鶏に呼びかけました。
キ、キ、リ、キーッ!
すると、どうでしょう。しんちゅうの風見鶏は、回るのを止め、大きな声でこたえたのです。聞いたこともない、とてもさびのきいた声でした。
そして、がんじょうそうな扉が少し開いて、中から、ゆったりとした真っ白いローブを着た、背の高いおじいさんが現われました。
ぴか、ぴか、光る銀の楯を手に、首には、きれいな魚をいっぱい散りばめた、膝にもとどかんばかりの長い首飾りを下げています。白いあごひげはつやつやと、胸まで隠れるように長く伸び、中には、小さなガラスの蜘蛛が、金の糸を吐き出しながら、わが家をつくるのに一生懸命。
おじいさんは、深くお辞儀をすると、大きな声で歌いました。
わしは夢の塔の番人じゃ
さあ、お入り、お入り
みんな夢を見るがいい
夢を見ればゆかいになれる
楯も魚も、不思議、不思議
みんなは、おじいさんのあとについて塔の中に入りました。
赤紫の煙のカーテンをくぐり抜けると、大きな部屋の入り口がありました。壁にはおじいさんが持っているのと同じ楯が、いっぱい並んで、どれも、ぴか、ぴか、光っています。
おじいさんは、また歌いました。
楯には、一つ、一つ、ちがった夢
夢は、不思議、不思議
そして、みんなに向かって、どれでも、好きな楯をとって、夢を選ぶようにいいました。
いわれたとおりにすると、どうでしょう、ぴか、ぴか、光る銀の楯の中に、色とりどりのパノラマが現われました。見たこともないきれいなけしきや、すっかり忘れていたむかしのことが、ゆっくり、ゆっくり、流れる雲のように見えてくるのです。
いたずら犬は、兄弟に会いたい、と思いました。
すると、すぐに四匹の子犬が現われ、浜辺を楽しそうに走り回っています。うれしくなって、いっしょに跳び回りました。
とにかく、おどろくことばかり。
旅の夢を見たいと思うと、とびっきりきれいなところを歩いているけしきになり、宇宙旅行をしたいと思うと、すぐに、宇宙服を着て宇宙船に乗っている気分になりました。宇宙飛行士になって、月や火星に飛んでいき、クレーターや海の探査をしているのです。
アスロサはおもちゃの国の夢を見ました。黒や青い目をした赤ちゃん人形が、山のように積まれていました。
カウボーイ男は、ずっと前から、遠い遠い国にいる仲間に会ってみたいと思っていました。すると、氷の家に住んでいるイヌイットのピピシガージョが現われました。
かと思うと、闘牛士や、猛獣使いも現われました。どれもみんな、一メートルそこそこの背丈で、にわとりそっくりの顔をして、お尻にみごとな尾っぽがくっついています。
マルティンの楯の中にも、ねがいどおりに、いろんなクラシックカーが列をつくってやってきました。もちろん、どの運転席にもマルティンが座っています。そして一番最後に、おんぼろ車が現われると、マルティンの目は涙でいっぱいになりました。大好きなあこがれの自動車だったのです。
1・2は、というと、これも、ガルバンソ豆のような大粒の涙を、ぽろぽろこぼしています。離ればなれになった仲間の夢を見ていたのです。
仲間たちは楯の中で、つり輪にぶら下がったり、とんぼ返りをしたりして、たのしそう。つい、むかしを思い出して、涙が止まりません。
みんな、みんな、時間のたつのをすっかり忘れてしまいました。
どこかで鐘が鳴りました。
すると、あたりは暗くなり、おじいさんが歌いました。
夢の塔の
夢の精も
眠りについた
真っ暗な中を、おじいさんの、きら、きら、光るあごひげをたよりに、塔の外に向かいました。小さなガラスの蜘蛛たちは、おじいさんのひげの中で、アラビア風の、唐草模様の金の巣をつくるのに大忙しでした。
夢の塔での出来事はびっくりすることばかりで、白ひげのおじいさんのことや、魔法の話で持ちきりでした。
ピピシガージョが話してくれた店に行ってみよう、といったのはアスロサでした。もちろん、マルティンも賛成です。
渦巻きの道を進み、回転木馬のある広場を通り過ぎ、日陰を選びながら走っていくと、交差点の角に看板がぶら下がっていました。
〈ちょっとおかしな店〉
中に入りましたが、べつだん変わった店でもありません。封をした封筒がたくさん棚に積んであって、カウンターやショーウインドには白いカバーがかかっています。
「ごめんくださーい」
呼んでも返事がありません。
でも、よく見ると、作業ズボンにセーラー服の女の子がカウンターの向こうに立っていました。小枝の飾りをつけた髪は肩まで伸びていて、腰には、鷲の足を型どったバックルのベルトをしています。
「こんにちはー」
女の子だからでしょう、愛嬌いっぱい、いたずら犬があいさつしました。
でも、女の子は眠ったまま。
「いやだなあ、この人、立ったまま、眠ってるよ」
と、ぱっと、女の子は目を開きました。けれど、二歩進んだだけで、また、眠ってしまいました。
「しょうがないな、またにするか」
マルティンはあきらめました。
昼を過ぎて一時になりました。でも、やっぱり眠ったまま。
ところが、二時になると、あちこちで、一人また一人と起きはじめ、やがて村じゅうがにぎやかになりました。みんな、昨日の仕事の続きをしています。
セーラー服の女の子も仕事をはじめました。なにを売っているのかたずねると、こういいました。
「こわいものだけ売ってるの」
「こわいもの?」
さっぱりわけがわかりません。
「ほら、子どもたちって、いろんなものをこわがるでしょ。気味の悪い物音や、犬が吠えるのとか、お化けや、夜、だれかが戸をたたく音とか、ねずみがものをかじる音や、こおろぎの鳴き声とか、それから……」
「それから、なに?」
いたずら犬が、首を伸ばしていいました。
「とにかく、ここには、子どもたちのために、いっぱいこわいものがあるの。それがみんな、封筒の中に入ってる。子どもたちは、これを開けてみて、中になにも入っていないのがわかると、勇気が持てるようになるってわけ。暗闇でも泣かないし、なんでもないこともこわがらなくなるわ。こわいものなんかなにもないってわかるから、どんなものだって、見たり触ったりできるようになるってわけ」
いたずら犬は、うれしくなって、二本足で立ち上がると、手をたたいて、女の子と踊りました。
「ねえ、ぼくにも封筒をくれないかな。ぼく、なんだってこわいんだ」
「じゃ、大きいのがいいわね」
「そんな大きいのはいらないよ。馬車に積めるぐらいがちょうどいい」
その夜、かえるのカシルダは夫のルフィーノと大喧嘩しました。食事の支度をするのがいやだったからです。かの女は、道化師たちやピピシガージョの話が聞きたくて、夜になるとカンテルの古い別荘に出かけるのが日課になっていました。
「いいこと、ルフィーノ」
カシルダはちょっと強情になっていました。耳には金のイヤリングをつけ、肩にショールをかけています。
「いまは、女性も自由な時代なの。わたし、進歩主義者なの。権利があるのよ、女のわたしにも、自由の権利が。今夜は、絶対、食事なんてつくらないから」
「けどね、カシルダ」
夫のひきがえるが話しかけようとしても、聞こうともしません。
「じゃあ、わたし、出かけるから。お鍋の黒砂糖でもねぶってれば」
吐き捨てると、暗闇に、さっと飛び込み、みんなが集まっている広間の窓のところに跳んでいきました。
その夜は、夢の塔や、ちょっとおかしな店の話でした。いたずら犬は、空っぽの封筒の前でふんぞり返っています。もう、こわいものなんかどこにもない、といわんばかり。
カシルダは時間のたつのも忘れ、家に帰ったときには、すっかり夜も更けていました。夫のルフィーノはドアを開けてくれません。しかたなく馬車の中で夜を明かすことにしました。
お昼になりました。2・3は大きな声で歌い、3・4はそれに伴奏をつけ、マルティンとアスロサとピピシガージョは、そろって合唱しました。そんな様子を、アスリンと1・2は、コックさんの帽子をかぶり、エプロン姿でポーチから眺めています。
「いいわよー、世界一!」
エールを送るとカシルダは、馬車の運転台によじ上りました。とても見晴らしがいいのです。
みんなが眠りの村をたずねるのは、もう三度目。一番手前の交差点で馬車を止め、あとは歩くことにして、ピピシガージョを先頭に、渦巻き道に入っていきました。ピピシガージョは、交差点に出るたびに、かれだけが知っている不思議な目印をたしかめています。そして、ベルトをととのえ、ネッカチーフを締めなおすと、自信ありげに、にやっと薄笑いを浮かべ、また前に進むのでした。
「さあ、着いたぜ、ここが出会いの街角さ。秘密っていうのは、ピピシガージョ一世から聞いた話なんだが、いっしょにさがしてみようや。いまは、村のやつらも夢の真っ最中だ。面倒がなくっていいだろう」
もちろん、みんなも賛成です。
「で、なにがはじまるの?」
そこで、ピピシガージョは、いろんな童話のヒーローやヒロインの大パレードがあるという、街角のことを詳しく話しました。二十年に一度、朝の十時からはじまるらしいのですが、今日が、ちょうどその日というわけです。
みんなは、期待に胸を躍らせました。
ディン、ディン、ディン、ディン、ディン、ディン、ディン、ディン、ディン、ディーン!
眠りの塔の壁時計が十時を打ちました。と、突然、すーうっと風が吹き荒れ、あたりの羽根の雨戸が、ざわ、ざわ、音をたてて揺れ出しました。
最初に登場したのが赤ずきんちゃん。お菓子がいっぱい入った小さなかごを手に、たのしそうに口笛を吹きながらやってきました。そして、みんなに笑顔をふりまくと、すぐ後ろのおおかみを呼びました。
おおかみは赤ずきんちゃんの手伝いをして、口にかごをくわえました。すごくおとなしいおおかみです。
「よく気がつくやつだなあ」
いたずら犬は、ため息をつきました。
「けど、ちょっとまぬけかも。ぼくなら、あんなおいしそうなお菓子、さっさと食べてしまうのに」
「うるさいわね、この欲張り犬!」
アスロサが、しかりました。
「ほら、あそこ! 白雪姫よ」
黒い瞳に、ブロンド髪を三つ編みに、まわりの小人たちに合わせて、ゆっくり、歩いています。
小人たちといったら、あんまり齢をとりすぎているからか、足がよろよろで、キャラメルの杖にすがりついています。
次は、褐色肌の若者です。たのしそうに笑顔いっぱい。歯が白く光っています。手にはお決まりの銅のランプ。でも、ズボンが短くて、ぴちぴちだから、裾から肌がのぞいています。
「かっこいいぞ、アラジーン!」
2・3はエールを送り、きんせんかの花を捧げようと前に飛び出しました。
そのお礼でしょう、アラジンは持っていたランプをこすりました。すると、どうでしょう、待ってましたとばかり、大男が現われました。
アラジンは大男に、小さいくるみの袋をとってくるよういいつけ、それを2・3に手渡すと、白雪姫のところまで走って、倒れている小人に手をさしのべました。
と、今度は、ドナルド・ダックでしょう。長靴をはいて、三匹の熊を引き連れ、あっという間に行ってしまいました。みんなに追いつこうと必死です。でも、なかなか追いつけないのでおもしろくないのでしょう、ぶつぶつ、文句をいっています。
かたつむりに乗った、すももの女の子もやってきました。日傘をさしているのでなんとかわかりますが、そうでなければ、あんまり小さいので見逃してしまいそう。
もちろん、ピノキオも山のペルシンといっしょに歩いていて、二人ともパイロット用のネッカチーフをしています。
そのあとに現われたのは、キューバの子どもたちならだれでも知っている、そう、クカラチョーナでした。
「ぼくと結婚しない?」
いたずら犬がプロポーズしました。
「なんですって? あんたとなら、子ねずみペレスの方がよっぽどましだわ」
そっぽを向いて行ってしまいました。
それからも、次から次へと人気者がやってきました。眠りの森の美女、ガリバー、オズの魔法使いなど、次々と現われ、小人の国の子馬も通り過ぎました。とてもかわいい子馬です。
そうしてパレードも、いよいよおしまいというところで、きら、きら、光るユニフォームの楽隊が登場。後ろには、二頭立ての三組の馬に引かれた馬車が続いています。馬たちは、カールしたたてがみや長い尾っぽを、かろやかに風になびかせ、ぱっか、ぱっか、蹄の音を響かせます。
馬車には王子様が乗っていました。頭には羽根飾りのついた帽子をかぶり、腰にはサーベル。そばには、まるでどこかの舞踏会にでも行くかのように着飾った女の子が、笑顔いっぱい……。
そう、シンデレラです。
馬車から小さなガラスの靴を投げると、ベソをふりまきました。シンデレラは子どもたちの人気者。通り過ぎていった主人公たちの中では、だれよりもつつましやかで働き者でした。
シンデレラのかわいい靴をトロフィーのようにかかげ、カンテルに戻ると、1・2とアスリンは、台所で食事のしたくに忙しそう。
カシルダは、すぐに家に跳んで帰り、見たことすべてを夫のルフィーノに話しました。
ところが、ルフィーノは、そんなの嘘だろう、と、コーン・パイプを吹かしながら見向きもしません。
「あなたも、見ればよかったのに、ルフィーノ。とってもきれいで、信じられないことばかりなの。あんなパレードがあるなんて、知らないで、損しちゃった」
みんなは、別荘の広間に集まり、これからのことを相談しました。こんなたのしいことに出会えたのだから、お礼に、別荘の修理をしようとか、なにかためになることをやろうじゃないかというわけです。
ピピシガージョは、のこぎりで木の板を切りはじめました。
マルティンは、待ってましたとばかり、ドアと窓にペンキを塗り、パティオでは、道化師たちが、マチェテで草刈りをはじめました。
アスリンとアスロサは、部屋の窓ガラスを、向こうとこちら、向かい合ってみがいています。けれど、汚れがひどいので、互いの顔が見えません。
そして、いたずら犬は、ごみ拾いです。
くたくたに疲れました。でも、充実した有意義な一日でした。そして、夜には、また、みんなで明日の作業の打ち合わせをしました。
ところが、ピピシガージョは、もうおれは頭数に入れないでくれ、とちょっとさびしそう。明日の朝早く、ここを出発するというのです。
「おれのつとめはもう終わったからな。眠りの村にも行ったし、三つの秘密もよくわかった。そろそろ仕事に戻らないとな」
すると、道化師たちも、明日、出発する、といい出しました。カマリオカの子どもたちが、野外ショーをたのしみにしているから、というのです。
しかたがありません。マルティンたちも、出発することに決めました。
そんな最後の夜は、滝のような大雨でした。
そして朝、しっとり、空気はよどんで、ちょっと肌寒いからか、にわとりたちも時を告げるのをためらっています。
カンテルの人たちは、もちろん眠ったまま、見送る人もありません。
マルティンは、準備のために、ずいぶん早く起きたつもりでした。でも、ピピシガージョの姿がありません。
かわりに、道化師たちにはキャラメルの連発銃を、マルティンたちには、尾っぽの一番きれいな羽根を、記念に残していました。はにかみやのかれです。さよならをいうのがつらかったのでしょう。
サーカスの三人と、水色馬車の三人は、荷物をまとめ、水色馬車に乗りました。
キリビーン、キリビーン!
しばらく行くと、急にあたりが暗くなり、重そうな真っ黒な雨雲が水色馬車を追いかけてきました。どこかで、かえるが鳴いて、道端の小川の流れも速くなってきました。
なにもかもずぶぬれです。かつらも、服も、馬車も、みんな、みんな、水色の涙を流しはじめました。
それでも雨ははげしくなるばかり。とうとう、アスレホの体は水色と白の斑模様になりました。
いたずら犬の尾っぽも雨にぬれて、ブラシのよう。尾っぽを後ろ足の間に隠して、色が落ちるのを防ごうと必死です。
キリビーン、キリビーン!
しばらく行くと、さとうきび畑の向こうに、小さな村が見えてきました。道化師たちは飛び上がってよろこびました。三人の生まれた村だったのです。
「1・2さん、郵便屋さんのピルレロによろしくね」
子どもたちは、お別れをいいました。
「じゃあな、2・3団長」
マルティンはかつらをとって、頭の上で小さくふりました。
「3・4くんも、手品の花を大事にな」
道化師たちは、魔法のポケットから、別れの紙テープや、はと、そして、キューバの国旗まで取り出して、マルティンたちにさよならをいいました。
馬車は、また、雨の一本道を走りました。三人の姿は、どんどん小さくなっていきます。
キリビーン、キリビーン、キリビーン!
みんな、しょんぼり、黙ったまま。ゆかいな仲間たちとさよならするのがつらかったのでしょう。アスレホも、つい、つまずいて、がたんっ、と馬車を傾けました。
雨は止みそうにありません。だれかが一つ、溜息つくと、いたずら犬も、前足で顔を隠して、涙を、ぽろ、ぽろ。だれも、なぐさめようがありません。
家が恋しくなったのか、ママに会いたい、色が落っこちちゃった、もう冒険なんていやだ、と泣き言ばかり。もう少しあちこち旅をしてみよう、と励ましても泣き止みません。
ぼくの家が一番いい、キューバよりきれいな国なんかあるものか、一番きれいなのはカルボネラスだ、バラデロだ、といってきかないのです。
しかたがありません。マルティンと子どもたちは、相談するために馬車を止めることにしました。
ガラスのように透き通った、大粒のしずくが、ぽた、ぽた、したたる楽園樹の下でした。アスレホが足を止めました。そして、四分と三秒間、みんなで話し合い、六つのことを満場一致で決めました。
その一、丸い地球の上、キューバが一番。
その二、ぼくらは知ってるキューバの大地。
その三、たのしかった旅の冒険、この感動をぼくらは忘れない。
その四、バラデロの海はほんものの水色。ぼくらが好きなのは、この水色。
その五、さあ、帰ろう。そして、みんなにこの冒険の話をしよう。
その六、ぼくらは大好き、革命キューバ、社会主義キューバ。
キリビーン、キリビーン、キリビーン!
雲の間から、太陽が顔をのぞかせ、一番鶏が歌いはじめました。